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「街で背後からナイフで一突きされたようです。犯人は逃走中、マルク様は意識不明のようでして…」

「そんな…」


ショックに震えるセレスティーヌの肩を宰相が支える。

そんな彼を見上げ動揺をしながらも口を開く。


「私…マルク様の様子を見てまいります。宰相様もご一緒に…」

「いや、ワシはまだ重要な仕事が残っている。それを済ませてから向かう故、すまぬが今はセレスだけで行ってくれ。マルクを頼む」


仕事など…と言いかけたセレスティーヌだが、宰相の目を見た彼女は口を噤んだ。

何か理由があるらしい。


「分かりました。宰相様の分までマルク様の様子を見てまいります」


宰相に向かい深く頷いてみせたセレスティーヌ。


「ちょっと待ってくれ」


今にも屋敷を飛び出してしまいそうな彼女をルートヴィヒが制止する。


「犯人の男がまだうろついているんだろう?屋敷から出るのは危険だ」

「護衛を複数付けるから大丈夫よ。マルク様の元に向かうのも馬車ですもの危険は少ないわ」


セレスティーヌは短く返事をすると、ルートヴィヒに視線を向ける時間も惜しいとばかりに振り替えることなく部屋を出て行った。

残されたルートヴィヒはしばらく扉をじっと見つめていたが、そのうちゆっくりと宰相に視線を向き直す。


「宰相殿はご子息の元へ向かわなくて本当によろしいのですか?」

「息子は問題ありませんな」


仕事の資料と思われる書類を見つめたまま興味なさそうに吐き捨てる宰相。


「自分の息子が生死を彷徨っているという時に。貴殿には情というものがないのか」


宰相のあまりに冷たい物言いを非難するルートヴィヒ。

宰相はその言葉に書類から目を離し彼を見つめた。


「それはそうと実は前々から貴殿とは一度二人でじっくりと話してみたいと思っておりましてのぅ」


そういってにやりと目を細める宰相の表情は蛇のようにねっとりとしていた。


「単刀直入にうかがいましょう。妻への脅迫文の件、そしてマルクの件、すべて貴殿の仕業ですね」


宰相のあまりに唐突過ぎる言葉にルートヴィヒは硬直する。

そんな彼に舌なめずりするように宰相の笑顔は深まる。


「調べさせたところ、貴殿が嫌がらせの被害を受けた痕跡はないとのことでした。それと顔を隠した貴殿が街でとある男と接触していたのも確認しております。マルクは他人を使って襲わせたのですね?まさか長男を狙っていたとは思わず裏をかかれましたなぁ」

「……」


腹を揺らして笑う宰相を黙ってみつめるルートヴィヒ。


「更に妻の記憶喪失にも関係があるのではないですかな」

「……」

「まぁこれはただの勘ですがね。そんなことが現実に出来るとすれば、妻の記憶が消えて一番喜ぶ者は“手紙の送り主”ではないかと思っておりましての」

「……」

「“手紙の送り主”の手紙とは、今回の脅迫めいたものとはまた別でして。実は記憶を失う以前より妻は毎日何者かからの手紙を受け取っておりました。彼女は毎回周囲に悟られぬよう焼却処分しております故、手紙の内容は分かりませんが」

「――だ」

「妻は魅力的ですから。他人から一方的に懸想されてそういう手紙を受け取ることは珍しくはありませんし、それをワシに隠すこともなかった。しかしその謎の手紙だけは別だった。まるで差出人を庇うかのようにすぐさま処分していた。手紙を受け取る妻は毎回辛そうでどこか落ち込んでいるように見えました」

「嘘だっ!嘘を吐くなこのクソジジイ!!」


突如ルートヴィヒが力一杯叫んだ。

目は血走り、顔は真っ赤で、怒りに肩を震わせている。


「セレスが俺からの手紙を捨てる筈がないだろ! あんな素っ気ない返事を書く筈がないっ! 全てお前が彼女に無理矢理書かせていたんだろ!」


ここでいう手紙とは、セレスティーヌの結婚後、ルートヴィヒが毎日自国から送りつけていたものであった。

政略結婚をさせられた不幸なセレスティーヌをいつか救い出してみせるといった内容だ。

てっきり喜んでくれるものだと思っていたが、彼女からの返事は『今は幸せなので何も心配はない』という短いものであった。

そんな返事で到底納得できるはずなどない。

ルートヴィヒは諦めずに何枚も何枚も書き綴った。

一通の手紙の枚数が数十枚に上ることもあったが、いつだってセレスティーヌの返事は短く、彼の望むものとは全く違っていた。

そして『もう手紙は送ってこないでほしい』という内容を最後に彼女からの返事はぱたりとなくなった。


彼の知るセレスティーヌは王子様との結婚を夢見ていた。

今の状況を望んでいる筈がないのだ。

セレスティーヌの元婚約者は王子という地位こそあったが彼女の王子様ではなかった。

ならばルートヴィヒは自分が王子になろうと決意していた。

王子は姫を悪の手から救いだしハッピーエンドを迎えるものである。


返事がないのはきっと何か事情があるに違いないとセレスティーヌに会うため国を発ったルートヴィヒ。

長い旅路の末、たまたま街で遠目からセレスティーヌの姿を確認できた。

大衆劇場から出てきたところで、多くの市民がその美しさに圧倒されていた。

記憶の中よりもずっとずっと美しく成長していたセレスティーヌにルートヴィヒも夢中で見惚れる。

いつ声をかけようかと躊躇していると、セレスティーヌがスッと隣に立つ人間に腕を絡ませた。

セレスティーヌが腕を組んでいた相手を見て驚く。

禿げたデブのオッサンであった。

噂には聞いていたが予想以上に醜く、王子様とは似ても似つかないカエルの化け物のようだ。

あれでは隣に並ばなければならないセレスティーヌがあまりにも可哀そうだ。


一刻も早く彼女を助け出してあげなければという使命感と高揚感が沸き起こったのは一瞬だった。

セレスティーヌが隣のオッサンに微笑みかけた。

幸せそうな、蕩けるような甘く美しいものだった。

かつて彼女は将来王子様と結婚して幸せになるのだとうっとりと語った。

その時とまったく変わらない表情で、可愛らしい笑顔をオッサンに向けるセレスティーヌを見て身体が固まった。

嫌な予感が脳を駆け巡る。

いや、しかし、そんなわけがない。

とてもその場に留まることができずに逃げるように国に帰ると、セレスティーヌに

宛てて手紙を書き殴る。

『愛している』と好意だけを綴ったそれを祈る気持ちで送ったが、とうとう返事はなかった。

ここでルートヴィヒは確信する。

セレスティーヌには悪い魔法がかかっているのだ。

苦しい環境を強いられた被害者が加害者に疑似的な好意を抱いてしまうそれに違いない。

そうでなければ、あんな心底惚れているという目をオッサンに向けるはずがないのだから。


そういう洗脳は解けにくいと聞く。

だからルートヴィヒは旅に出た。

セレスティーヌの心をリセットさせる秘術を求めて。

偽りで植え付けられてしまった愛情など忘れてしまうのがセレスティーヌの為だ。

消えてしまったその心のスペースは今度こそルートヴィヒが埋めればいいのだから。


「なんでかな…分からないんだ。忌々しい洗脳は消したはずなのに…なぜセレスはまだお前の所にいるのかなぁ」


焦点の定まらない目でぶつぶつと呟くルートヴィヒ。


「なんで不幸の元凶のガキをあんなに大切そうに抱くのかなぁ。なんであんなに幸せそうに笑えるのかなぁ」


ルートヴィヒは静かに懐からナイフを取り出した。


「分からない。何度考えても分からないから…もう考えるのはやめだ。こんなまどろっこしいことせずに元凶を一つずつ消してしまえばいいんだって気づいたんだ。お前を殺して、あの赤ん坊も殺す。そうすればセレスが惑わされることもなくなるよな」


異様な雰囲気で冷笑するルートヴィヒ。

鋭く光るナイフの切っ先が宰相へと向けられた。


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