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 セレスティーヌが記憶を失ってからというもの、暗い空気を纏っていた宰相家にようやく明るい日差しが差し込んだかのような朝食時。

和やかな空間は突如破られた。


「お客様!困ります!」

「セレスティーヌの大事なんだぞ!? 悠長にしている時間などない!」


食堂の外がなにやら騒がしい。

何事かと食堂にいる全員が同時に扉を見つめていると乱暴にそれが開け放たれた。


「無事かセレス!」

「ルゥ?」


慌てた様子の幼馴染のルートヴィヒがこちらに向かってくる。

随分と強引な登場の仕方に首を傾げるセレスティーヌ。


「ああ、良かった。無事だったんだなセレス」


安堵の笑みを浮かべた幼馴染はそのままセレスティーヌを抱き込んでしまった。


「っ!?」

「なんだ君は!?」


宰相のショックを受けたような息を飲む音とマルクの非難の色を多分に含んだ誰何が響く。

しかしルートヴィヒはそれには一切の反応を示さず更にセレスティーヌを抱き締める力を強めた。

ふとセレスティーヌの頭に今朝の夢が過る。

ルートヴィヒの腕の中の心地は、まるで夢の中を再現したかのようだ。

しかし夢の中ではあんなに幸せだったのに、今は違和感しかない。


「ちょっとルゥ。どうしたと言うの?」


必死にもがき違和感から抜け出す。


「突然すまない。実は俺…前々から何者かに嫌がらせを受けていてな。脅迫文を送られてきたり、家の前にゴミや小動物の死骸を置かれたり、窓ガラスが割れていたり、尾行されている気配を感じたり。そんなことが数日続いていたんだ」

「まぁ、なぜ相談してくれなかったの?」


唐突な告白に目を丸くするセレスティーヌ。


「セレスが大変な時にこれ以上心配を掛けたくはなかった…愛の告白のような文言が女性と思われる文体で書かれているが、俺を面白く思っていない人間の犯行の可能性も…」


ルートヴィヒの容貌ならば本気で一目惚れしてしまう女性も、それに嫉妬をする男性も多そうだ。


「なるべく誰にも知られず自分だけで解決したかったんだ」


ルートヴィヒの視線がチラリと宰相に向けられたが、それはすぐにセレスティーヌへと戻る。


「だが今朝届いた脅迫文で、そうも言っていられなくなった」

「どういうこと?」

「脅迫文の中に〝私のモノにならないならば、お前の大切な者を今すぐ殺してやる〟と書いてあった」


そこで一呼吸置き、ジッとセレスティーヌの目を見つめて口を開いた。


「俺の大切なヒトはセレス…キミただ一人だ」


言い終わるや否や再度セレスティーヌを抱きしめるルートヴィヒ。

その場の空気が凍りつく。


「は、離れてルゥ」


慌てて押し返そうとするが今度は中々腕から抜け出せない。


「セレスに何かあったら俺は生きてはいけない…」


耳元でそんなことを囁かれて腕の力は更に苦しいほど強くなる。


「貴様っ!セレスティーヌが嫌がっているだろ!」


ようやく解凍されたマルクが叫ぶがルートヴィヒには届いておらず状況に変化はない。


「ルートヴィヒ殿…でしたかな。そう何度も他人の妻に抱擁をするものではありませんよ。妻を離してくだされ」


セレスティーヌとルートヴィヒの間に宰相のパンのような手が差し込まれる。

まったく強引さを感じさせない動きでそのままするりとセレスティーヌを奪い返してしまった。

ふんわりと包まれた心地にセレスティーヌの心臓が跳ねる。

加齢臭は確かに香るが全く気にならない。

夢の中の理想の彼はルートヴィヒのような男性の筈なのに、オッサンの腕の中がこうもときめくのはなぜか。

ふわふわの胸板に思わずうっとりと頬を寄せそうになるが、宰相はそんなセレスティーヌに気づくことなくすんなりと彼女から離れてしまった。


「今はそんなことを気にしている場合ではないでしょう!宰相殿はセレスティーヌが心配ではないのですか!?」

「妻がワシの目の届く範囲にいるうちは心配しておりません。この件はこちらでも調べさせましょう。セレスや、調査が終わるまでの間、リュカと共に屋敷に留まってくれぬか?」

「ええ、それは勿論」


落ち着き払った声色でサクサクと物事を進めてしまう宰相にルートヴィヒは眉間にしわを寄せる。


「そういってセレスを監視するつもりなのですね。赤子を盾にこんなところに閉じ込めるとは、なんて卑劣な…」


憎悪に満ちた目で宰相を睨みつけるルートヴィヒにセレスティーヌは困惑する。


「ルゥ、私は自分の意思でここに戻ったの。閉じ込められてなどいないのよ」

「セレスが気づいていないだけでそういう風に仕向けられたのではないかと言いたいんだ」


まるで幼い子供に言い聞かせるような優しげな口調のルートヴィヒ。


「俺はな…正直宰相殿のことを全く信用していないんだ。今回の嫌がらせも宰相殿の仕業の可能性もあると思っている」


セレスティーヌに語りかけているようでルートヴィヒの目線はしっかりと宰相を捉えており、それに呆れを滲ませたため息を吐く宰相。


「またですかな。貴殿は余程ワシのことが嫌いと見える。だからと言ってこの世の悪いことをすべてワシのせいにするつもりではありますまいな」

「もちろんそんなことは申しません。しかし今回の件に関して言えば、この嫌がらせで得をする人間は宰相殿しか存在しないのですよ」


夜会の時もそうであったようにルートヴィヒは宰相を元凶に仕立て上げたくてたまらないらしい。


「宰相殿にとって俺はあまり愉快な存在とは言えない筈です。そんな俺に嫌がらせをするのは何らおかしくはない。加えてこの件でセレスも標的にされたとなれば、彼女を屋敷に閉じ込める大義名分が出来る」

「ワシには妻を監禁する性癖はありませんよ」


相手にするつもりがない宰相はルートヴィヒに向けおざなりに手で払う。

そこへマルクが一歩前へ踏み出す。


「いきなり訪ねてきてそのような非常識な振る舞い、父への暴言は目に余ります。どうぞお引き取りを」


冷え切ったマルクの一言でその場は締められ、ルートヴィヒは問答無用で追い出された。

朝の平和な空気は乱され、残ったのは微妙な空気だった。


数時間後、ルートヴィヒの心配は的中し、毎日送られて来る宰相家への数々の書簡の中にセレスティーヌへ宛てた不審な手紙が混じっているのが発見される。

彼女の命を狙っているという内容に屋敷全体が緊張に包まれた。



その日から不審な手紙は続き、セレスティーヌはリュカと二人外出はおろか庭に出るのも控えた。

そこへ毎日ルートヴィヒが訪ねて来るようになる。

宰相とマルクはあからさまに嫌がったが、嫌がらせの根本の目的がルートヴィヒを狙ったものである可能性が高い以上、セレスティーヌと彼の二人の被害情報を磨り合わせるのは大切なことであり無下にするわけにもいかなかった。

屋敷中がひりつく空気の中、ルートヴィヒが現れるとそれが更に悪化する。

そしてこの日、更なる悲劇が宰相家に襲い掛かることになる。


「おやおや、本日もいらしたのですね」

「ええ。セレスが心配ですから。宰相殿はご多忙でしょう。彼女には私がついておりますのでご安心してお出かけください」

「仕事は屋敷でするのでご心配にはおよびません」


この頃セレスティーヌを心配した宰相は仕事を調整してデスクワークは家に持ち帰り、なるべく屋敷にいるようにしている。

未来の王妃としての教育を受けたセレスティーヌは宰相がいかに多忙であるかはよく理解している。

妻に不審な手紙が届いたところでそう易々と暇を作り出すことが出来ない要職に就いている筈だが、無理を押し通してくれているのだ。

だというのにそのことをセレスティーヌにアピールするわけでもなく、さりげなく傍にいてくれる宰相の優しさに彼女は不謹慎ながらも喜びを感じていた。


「本日の被害状況の確認は済んだだろう。ルートヴィヒ殿こそお引き取りを」


最早日課となりつつある宰相とルートヴィヒによる、にこやかなる舌戦が繰り広げられている時であった。


「た、大変です!」


酷く動揺した様子でベテラン執事が転がるように掛けてきた。


「どうした、そのように慌てて」

「マルク様がっ…マルク様がナイフで刺されたようです!」

「!?」


宰相の小さな目が限界まで見開かれる。

セレスティーヌは手にしていたカップを取り落としそうになった。


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