別れの前に・・・
少し走るだけで息が荒くなり、胸がどんどん苦しくなっていく。自分の体力のなさが今だけはうらめしい。今日だけは、この瞬間だけは普段から運動していればよかったと思ってしまう。
急がなければとは思うが、それに反して自分の足がどんどんと重くなっていくのを感じる。自分の思いと体が乖離していく。もっと前へ、もっと先へ、もっと速くと自分のふがいなさに鞭を打つように叱咤していく。
足を止めてはいけない。動かせ、そしてただひたすら目的地へ、彼女のもとへ。
走りながらちらりと時計を見る。残された時間はわずか。
だが、まだ目的地、駅は遠い。
間に合わない。
そんなことを思って、つい弱気になる。
だが、そんな弱気の自分を捨て去るように、足を動かす。
もっと速くといくら思っても自分の足の速さは変わらない。
それでも何度も思う。
間に合わせる。速く走れ。彼女に一言でも伝えるのだ。
たった一言。
自分がこの日、この時まで伝えられなかった言葉を。
覚悟を決めれずに、勇気をだせずに、一歩が踏み出せずに。
自分の心の中にとどめてしまっていた言葉。
彼女に今言わなければ、きっともう二度と伝えることはできない。
そういう確信がある。
だからこそ自分は走る。
今更遅いかもしれない。
でも伝えずに終わりたくないのだ。
自己中心的な考えだ。彼女の負担、重しになるかもしれない。そう思っても伝えずにはいられない。
やっと決心ができたのだから。
駅につく。
人をよけ、彼女がいるはずのホームへと急ぐ。
周りの人からの好奇な、不快な視線を無視して急ぐ。
ホームにつき、彼女を探す。
彼女はいた。いてくれた。
電車がもうすぐ来ることを伝えるアナウンスが聞こえる。
彼女のもとへと急ぐ。
そして、彼女の名を呼ぶ。
彼女はこちらを向いてくれた。
驚きの顔で。
そして、僕は彼女の前に立つ。
息を整える。
彼女は何も言わないままでいてくれる。
そして、僕は伝える。
ずっと言えなかった言葉を。
たった一言。
最も簡潔にすればたった二文字の言葉。
ずっと思っても言えなかった言葉。
「好きだ」
彼女に伝える。
自分の想いのすべてをその三文字の一言に乗せる。
電車が入ってくる音が聞こえる。
その電車の音に彼女の言葉はほぼかき消された。
だけど、すべて聞こえた。
「遅いよ、馬鹿」
涙ぐみながら、それでも笑顔で言ってくれた。
「ごめん」
僕は謝る。
彼女は電車の扉が開いたのをちらりと見る。
「私もね好きだよ。だから」
彼女はそのまま近づいてくる。
そして、抱きつくと耳元でささやく。
「また、会おうね絶対」
僕はそっと彼女の背中に手を回し、彼女に返す。
「ああ、会いに行くよ」
「待ってる」
彼女はそういうと、僕から離れて、電車へと向かう。
彼女の背中を見て、彼女を引き止めたい衝動にかられる。
だが、それを我慢する。
電車に乗る直前、彼女はこちらを向く。
「またね」
そう言って、手を振り、彼女は電車に乗る。
「絶対会いに行く、絶対」
僕は閉まりゆくドアを視界のわきにとらえながら、彼女に伝える。
彼女は笑顔を浮かべた。
そして、電車のドアが閉まる。
続けて電車が動き出す。
僕はその電車を見えなくなるまで見送った。
いや、見えなくなってもその場に立ち尽くしていた。
伝えることができた嬉しさと、別れることになった悲しさ、悔しさ、辛さなど様々な感情が混じったままであった・・・