4話「あざ」
黒い茨は、強く押してもちっとも痛まない。
かゆみもないし、変わった形のほくろだろうかと思ったクレアの予想を裏切って、あざは一週間も経つと全身に浮かんできた。
病かも知れない。そう思ったとき、真っ先に浮かんだのはダリスの顔だった。
クレアが接するひとは極端に少ない。ふたりの専属の侍女と、ダリスだけだ。
もしこの病が感染するものだったら……。
クレアは震える手で羽根ペンを握り、二通の手紙を書いた。
一通目の手紙の主は、その日の夕刻にやってきた。
寝台で横になっていたクレアは、彼女の登場にいささか大きな声をあげた。
「シャルロットさま! なぜあなた様が……」
部屋で一番大きな窓(いつもダリスが顔を見せる窓だ)を開け放ち、シャルロット・シンアは据わった目で腰に両の拳をぐっと押しつけた。
「あのひと、わたくし以外ではだめだと言うのよ」
「え?」
「我が国の次期国王のお言葉を、もっと正確にお伝えしますと。わたくしが、あなたの元へ、行かないのなら、自分が行って面倒をみるですって。……ずいぶんと過激な脅し文句ではないかしら?」
クレアはうなだれた。
ダリスは、なぜそんなことを言ったのだろう? シャルロットに医術の心得があると聞いたことはないし、正妃に側室の看病をさせるなんてとんでもないことだ。
「シャルロット様、申し訳ありません……」
「余計な口を利く暇があったら、服を脱ぎなさいな」
クレアが夜着をくつろげると、扉の近くに立っていたシャルロットが一歩近づいてくる。
「シャルロット様。あまり近づかないほうがよろしいですわ」
「……わたくしはそこまで愚かじゃないわ。胸に茨の模様があるわね。それが病?」
「ええ。最初にここへ浮かび上がってきました。いまはお腹と右手と左足にも」
「茨のあるところに痛みは?」
「ありません。ただ茨に覆われた箇所はほとんど動かないのです。何十回も試してみて、ようやく……すこしだけ、動きます」
シャルロットの顔が険しい。クレアが思っている以上にまずい状態なのだろうか。
「私付きの侍女たちは、大丈夫なのでしょうか?」
「一応隔離してるけど、元気よ。あなたに会わせろってうるさいわ」
「……侍女たちがご無礼を。でも彼女たちは私を心配してくれただけなのです」
「あなたって他人の心配ばかりしているのね」
呆れたとばかりに肩をすくめるシャルロットに、クレアは頭を振った。
たしかに侍女やダリスのことは心配だ。でもクレアがみんなのことを心配していられるのは、まだどこか現実感がないからだろう。
震える手で書いた手紙の一通は、シャルロット宛だった。
体にあざができる奇妙な病にかかったらしく、医者を呼んでほしい。ダリスや侍女たちも医者に見てもらってほしい……。
二通目はダリス宛だった。奇妙なあざができたことを告げ、治るまで近づかないでほしい。ダリスも医者に体を見てほしいと書いた。
一通目の返事は、なぜか医者ではなく宛先の人物が来た。二通目の返事は、まだない。
「ダリスさまには……なにも、ありませんでしたか」
彼の正当な妃は、ネズミをいたぶる猫のようににんまりと笑ってみせた。
「何にもないわよ。わたくしに無茶苦茶な命を下したくらい」
安堵の息が漏れる。それからクレアとシャルロットは十分に距離を取った上で、熱を測ったり痛む場所を探したり、茨の紋様を書き取ったりした。
「この結果をジョナス医師に見せて、病名を判断してもらうの。あなたの本格的な治療はこれから、ね……」
深い蒼色に銀の粉をまぶした、妖精のような瞳が大きく見開かれた。神秘的な蒼銀の瞳の中には、止めどなく涙を流すクレアの顔が映っている。
「シャルロットさま。
わ、たしは……どうなってしまうのでしょうか」
シャルロットに言ってはだめだ。
頭の隅で警告する理性は、ほんのすこしクレアのしゃっくりを増やすだけだった。
手の甲で拭っても夜着の袖で拭っても、涙が消えない。それでも頬の肉を噛み、クレアは笑った。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。……来てくださって、本当に……ありがとうございました」
深々と頭さげる。シャルロットは何も言わずに、クレアの部屋の扉を閉めた。
この三日後。
クレアは意識を失った。