1話「側室」
「クレア。君を正妃にはできない。だけど君と一緒になれないなんて考えられない」
指先まで冷たい両手が、クレアの両手を囲うように握りしめる。
それだけで、クレアは彼が次に言う言葉がわかる気がした。
「……僕の側室になってくれないか?」
わかっていたのに。納得しようと胸の痛みを飲み込んだのに。
それでも、クレアの胸は大槌で打たれたかのように、ぐしゃぐしゃに潰れてしまった。
……なぜ。そんなことを言うの?
……どうして。一か月ぶりに会って言う言葉が、……それなの?
クレアの戸惑いも。悲しみも。かすかな怒りも、幼なじみの恋人はすぐさま読みとった。
彼の口がすまないと口にするのを、碧眼の奥が炎のように揺らめくのを。
……クレアの両手を痛むほど、彼が握りしめたのをクレアは、呆けた眼で見上げる。
クレアの住まうバレリアン王国は、王族にかぎり一夫多妻制が認められている。
目の前の恋人も正妃の子どもではなく、側室の子どもなのだから。
それにクレアの身分は子爵令嬢だ。
クレアは自分の家を誇りに思っているが、いずれ国王となる彼の――ダリス王子の正妻としては、とうてい釣り合わない家格である。
だから。
――だから、クレアが側室になることに、なにも、問題はないのだ。
愛する人のただひとりの妻になることを夢見ていた、クレアのちっぽけで子どもじみた夢が醒めてしまう以外には。
「ダリス、どうか教えてください。正妃様はシャルロット様ですか?」
「……そうだ。貴族たちが彼女を正妃に、と。だが僕は彼女を愛しているわけでは……!」
「うん、ダリス。あなたが私を想ってくださることは、痛いほどに伝わっているよ。
……ただ、ひとつだけ聞きたいの。シャルロットさまは、側室のことはご存じなの?」
「……ああ。僕の好きにすればよい、と」
クレアとダリスの未来の話だというのに、クレアよりも先にシャルロットへ話を通したのが気まずいのだろう。目をそらして俯くダリスに、クレアは笑ってみせた。
「これからも大事なことは、まずはシャルロットさまに相談してね」
「……っ。クレア……!」
ダリスがクレアを抱きしめる。
うわごとのように謝罪を繰り返す恋人の背を撫でながら、クレアはぼんやりと考えた。
側室が正妃より優先されることはない。ましてや相手はあの「完璧な令嬢」シャルロット・シンアだ。公私ともにダリスを完璧に支え、やがて王位に導くだろう。
金髪碧眼のダリスと、銀髪蒼眼のシャルロットが並んでバルコニーに立つ。
対称的で美しいふたりを見た王国民は、歓喜の声をあげるだろう。精霊ウンディーネが祝福する完璧なふたりだと心からそう思うだろう。そんな光景がふと脳裏をよぎって、クレアの胸はちくりと痛んだ。