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ふと、一匹のオークの胸元が、ちらりと光ったように見えて、ワタシは、はっと息を呑みました。
まさか・・・
けど。
いや・・・
まさか。
ちらりと見えた、気がしたものは、小さなブローチでした。
それはオークのまとった布を留めるように、胸のところにつけられていました。
ほんの一瞬だけしか見えませんでしたが、それは昔、あの人が娘ちゃんにプレゼントしたものにそっくりな気がしました。
いやしかし。
オークがブローチなんかするやろか。
いや。
元は人間なんやし、オークになったときに身につけてたんがそのままということも、ないこともないこともないこともない・・・
あれは、あの人と娘ちゃんが家族になって、初めての娘ちゃんの誕生日。
あの人は、娘ちゃんに何をプレゼントするか、ずいぶん、悩んでました。
せっかくだから、なにか心に残る、世界にたったひとつの物をあげたい。
そう言うあの人のために、ワタシは、ドワーフ族の技巧をこらしたブローチを作りました。
小石にちょいちょいと古代文字を掘り込むだけのインチキとは違います。
ちゃんと、聖火と聖水とを使って、宝石にまじないを込めながら、時間をかけて作るやつです。
あの人はブローチにするために、宝石をひとつ持ってきました。
それは、あの人がダンナさんからもらった指輪についていた宝石でした。
ワタシは丁寧にその宝石を指輪から外して、ブローチに作りなおしました。
けど、それが、あかんかったんや・・・
その指輪は、元々は娘ちゃんの生みのお母さんの持ち物でした。
そんなこと、あの人は知らんかったし、そもそもそれをあの人に渡したのは、娘ちゃんのお父さんなんやけど。
生みのお母さんの指輪はぎょうさんあったそうやし、その指輪は、特別なものというわけやない、たくさんあるうちのひとつ、だったらしいんやけどね。
娘ちゃんは激怒しました。
お母さんの大切な形見を壊した、言うて。
なんともなあ・・・
うまいこと、いかんもんです。
あの人は娘ちゃんに謝ったけど、作り替えてしもたもんは、もうどうしようもありません。
ワタシも悪いことをしたと思いましたけど、さりとて、もう、元には戻せませんでした。
あのオークの胸元に見えたんは、そのときのブローチにそっくりでした。
あのブローチは、あの人がデザインしたんです。
そこにはいろんな思いが込められてました。
べつに、娘ちゃんの機嫌を取りたいという下心やありません。
いや、仲良くしたい気持ちがまったくなかった、とは言わんけども。
そんなことよりも、あの人の込めた願いは、娘ちゃんの幸せを第一に考えたものでした。
この先の未来、娘ちゃんがずっとずっと幸せであるように。
あの人は、娘ちゃんを生んだ母親ではなかったけど。
少なくとも、娘ちゃんのことを、母親のように気にかけていました。
いや、年も一緒やし、母親言うんは無理があるんかな。
友だち・・・というか、もうちょっと踏み込んだ感じ・・・けど、親友、とはまたちょっと違うて・・・姉妹?
とにかく、誰より、大切に思うてました。
それは間違いありません。
そんなあの人の気持ちを正確に再現するために、ワタシも必死こいて頑張りました。
それこそまあ、ない知恵振り絞って、知恵熱出すくらいに。
宝石の加工はまともに習うたことはないから、ほとんど自己流やったけども。
知ってる限りの知識と技巧を注ぎ込んで、それこそ魂込めて、作りました。
そのブローチを、見間違うはずは、ないんです。
すぐにも洞窟を飛び出して、追いかけて確かめたいと思いました。
いや、一瞬、本気でそうしかかってました。
けど、その視界の端っこに、ちらりと嬢ちゃんの姿が映りました。
それで、すんでのところで、ワタシは踏み留まりました。
ワタシがそんな勝手なことをしたら、ここの仲間たちを危険な目に合わせてしまうかもしれへん。
ぎりぎりで、それを思い出しました。
羽の濡れたミールムは、飛ぶことができないのに、オークから走って逃げるなど不可能でしょう。
フィオーリもいつもの快活さはなく、恐怖に震えています。
嬢ちゃんは、まあ、力持ちなのは知ってるけど、ルールのある相撲とは違うし、オークと命をかけて戦うなんてやっぱり無理でしょう。
シルワさんの実力は、未知数といえば未知数やけど、本人いわく、オークからはいつも逃げてばっかりやった、そうやし、そうあてになるとも思えません。
ワタシも、自分ひとり逃げるだけならともかく、仲間を守って戦う自信はありません。
それに、あのブローチも、ちらっと見えただけやし。
もしかしたら、ただの見間違いかも知らへんし・・・
いえたとえ、それがあのブローチやったとしても。
それをつけているオークが、娘ちゃんやとは限りません。
いや、娘ちゃんかもしれんけど。
娘ちゃんやなかったら、いったいどういう経緯でオークが娘ちゃんのブローチをつけてるんか、もっと謎やけど。
娘ちゃんは、あのブローチをプレゼントされたとき、激怒して、投げ捨てたんだそうです。
その場は見てないけれど、あの人からそう聞かされました。
もしあのオークが娘ちゃんやったとして、それを、なんで身につけてるんや?
それも疑問です。
いや、どうやろか。
それでも、あのブローチを持ってるのは、娘ちゃん以外にはありえへん気もします。
投げ捨てられたブローチを、あの人は拾って箱にしまっといたそうです。
けど、それがいつの間にかなくなってた、って。
娘ちゃんが、持って行ったとしか考えられへん、ってあの人は言うてたんですけど。
うん。いや。それはワタシも、そうかなと思うんですけど。
それを確かめるには、娘ちゃんに聞くしかないのかもしれません。
しかし、オークになった娘ちゃんは、はたしてワタシを分かってくれるんでしょうか。
オークになったら、人間やったころの記憶はほとんど失くしてしまうそうです。
とはいえ、ワタシもオークになってしもた知り合いは娘ちゃんの他にはおらんので、本当のところは確かめたことはありません。
いや。
ぐちぐち悩んでてもしゃあないよね。
ワタシのすべきことは、まず、あれが本当にあのブローチかどうか確かめることや。
それから、それをつけているのが、本当に娘ちゃんかどうかも。
そこから先は、そのときに考えたらええことや。
あのブローチを作ったことを、ワタシは後悔してました。
あの指輪を壊したことを、ずっと、悔やんでました。
そのせいで、娘ちゃんは、あの人と仲違いをしたんやから。
あんなもん作らんかったらよかったと、何度も何度も思いました。
あれには、娘ちゃんの幸せを願うまじないを込めたはずやったのに。
とんだ不幸ののろいになってしもた。
それもこれも、ワタシが中途半端な技術と知識で、ドワーフの古い技に手を出したせいです。
そのせいで、あの人も、娘ちゃんも、不幸になってしもたんです。
あんなことさえせんかったら、もしかしたら、娘ちゃんはあの人を押し切ってあんな男と結婚することもなかったかもしれんし、そうしたら、オークになることもなかったかもしれません。
ワタシは、あの人と娘ちゃんに申し訳が立ちません。
あの人には、何べんもそう言うて謝ったけど。
あの人は、そのたんびに、あんたのせいやあらへんよ、て言うてくれたけど。
娘ちゃんには、まだいっぺんも謝ってへんから。
それだけは、ちゃんと謝っておきたいんや。
謝っても、ワタシの気が済むだけで、あの人と娘ちゃんの失われた時間は取り戻せへん。
それは分かってるけど。
悪いことをしたときには、ちゃんとごめんなさいて言う。
まずはそれを果たさないかんて、どうしても、そう思うんや。
そして、それを果たしたら、いや、たとえそれは果たせんかったとしても。
どうしても、娘ちゃんに伝えたいことがあります。
あの人は、ずぅっと、娘ちゃんのことを心配してた、て。
生涯かけて、娘ちゃんのことを探し続けたんや、て。
娘ちゃんに一言、騙してごめん、て言いたかったんや、て。
それから、ほんまに娘ちゃんのこと、大事に思うてたんや、て。
それだけは、なんとしても、伝えたいんや。
「ちょっと。
グラン?
どうしたの?
ねえ、グラン?!」
強く揺すられて、はっとして我に返りました。
なんや、柄にもなく、物思いに沈んでたみたいです。
声のほうを見ると、ミールムが心配そうにこっちを見ていました。
「あ。ああ・・・ごめん・・・」
いつの間にか、オークの集団は立ち去っていました。
「お師匠様、どうかなさったのですか?」
嬢ちゃんもワタシの顔を心配そうに見ていました。
「ごめんな。なんにもあらへんよ?」
笑ってみせたけど、そんなん嘘やなんて、誰の眼にもバレバレでした。
「そういえば、グランの事情は、聞いたこと、ありませんねえ。
グランはどうしてオークを追っているんです?」
シルワさん、あんた、余計なこと、言わんでええよ?
国宝級の朴念仁のくせに、まったく、いらんことにはよく気のつくお人です。
「なに?
なんかあるの?
なら、話しておけば?」
「そうっすよ、グランさん。
おいらたち、仲間なんっすから。
隠し事なんて、水臭いっす。」
ミールムとフィオーリに挟まれて、黙ってるわけにはいかない雰囲気になってきました。
「お師匠様、わたくしも、お聞きしたいです。」
とどめに嬢ちゃんにそう言われては、もう話さないわけにはいきません。
ワタシはため息をひとつ吐いてから、話し始めました。