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獣の低く唸るような声に、ワタシは目を覚ましました。

目の前にいたのは、見上げるようなオークでした。

オークはこちらに背中をむけていて、放り出してあったワタシの背負い袋をごそごそと漁っていました。


背負い袋はオークの鋭い爪でずたずたに引き裂かれ、そこいらじゅうに、中身が散乱していました。

袋のなかには、細工物にしようと拾ってきた石ころや、調味料なんかの他に、食料も少しばかり、入っていました。

料理の材料というよりは、ちょっとしたおやつにするお菓子や木の実なんかです。

オークは、食べ物のような包みを見つけると、手あたり次第に、包みごと口のなかに放り込んでいました。

お茶の葉や、香草の類なんかも、見さかいありません。


ふと、その手が、ある包みを掴みました。

あ。

思わず、反射的に、ワタシはオークを引き留めようとしました。

それは屋台で買ったコショウの包みでした。


けど、もちろん、オークを引き留めるなんて不可能でした。

オークの口のなかで、ばりっ、と包みの破れる音がしました。

その次の瞬間。

オークはすさまじい咆哮を上げると、突然、怒り狂ったように暴れ出しました。


・・・あー

・・・そらなあ・・・


あの大鍋で毎日料理を作って、ひと月はもつくらいの量のコショウを、一口で食べてしまったんですから、それは、よっぽどだったはずです。


涙とも鼻水ともつかないものをまき散らし、くしゃみを連発しながら、怒り狂ったオークは、手に触れるものをことごとく、引き裂き、叩き壊し、破壊し続けました。


ワタシは、そんなオークを、ただ見ていることしかできませんでした。

逃げなければいけない、という警告音は、どこか遠いところで鳴っているようでした。

聞こえるような気もしますが、なんだか他人事のようで、自分自身が行動するには至らない。

そんな感じでした。


さっき、思わず引き留めようとしたときに、半身を起こしてしまっていました。

そのワタシが、オークの目に止まらないはずはありません。

ワタシを見つけたオークは、その怒りのすべてを、ワタシに集中しました。


オークの鋭い爪が、目の前に迫ってくる。

けれど、ワタシは、目を閉じる気力すらありませんでした。


そのワタシの耳に、嬢ちゃんの悲鳴のような声が届きました。


「お師匠様!伏せてくださいっ!」


あ。はい。


嬢ちゃんの言うことには、反射的に、からだが反応していました。

伏せた背中を弄るように、鋭い風が吹き抜けました。


風の上を小柄な影が真っ直ぐに駆けてきました。


「それっ!グランビームっ!」


影はそう叫ぶと、いきなり光線を放ちました。

光線は、風に煽られたオークの布の隙間を、寸分の狂いもなく、撃ち抜きました。


ひらり、と宙返りをして、地面に降り立った影は、ワタシを庇うようにこちらに背中をむけていました。

その背中とよく似た背中に、見覚えがありました。

それは、人間に見つかって追われたときに、ワタシを庇って立っていた、あの人の背中にそっくりでした。


影のむこうで、オークだった布は形を失い、ふわりと空気をはらんでから、そこへ崩れて落ちました。

それを見届けて、小さな影はこちらを振り返りました。


「グランさん、大丈夫っすか?」


それから、首にかけた投光機の水晶を指でつまんで、にこっと笑いました。


「これ、いいっすね?

 おいらにも、うまく使えたっすよ?」


「あ、は・・・、ははは、あはははは・・・」


ワタシは糸が切れたように笑い出しておりました。

おかしくて笑うんやない、どこか、乾いたような笑い声でした。

笑いと同時に、涙が溢れてきました。


「グランさん?」


フィオーリは突然笑い出したワタシに、驚いたようでした。

追いついてきたシルワさんも、心配そうにワタシの顔を覗き込みました。


「グラン?大丈夫ですか?」


「とりあえず、この辺にオークはもう、いないよ。

 って、グラン?どうしたの?」


周囲を見回ってきたのか、遅れてきたミールムもワタシを見て首を傾げました。

ワタシはなにか話さなければと思うのに、何も言葉が出てこなくて、ただ、乾いた笑い声を立てつづけていました。


「おししょーさ、まーーーーー」


そう叫びながら走ってきたのは嬢ちゃんでした。

嬢ちゃんはワタシの首にぎゅっと抱き着くと、そのまま、わああっと泣き出しました。

ひなた臭いような嬢ちゃんの髪の匂いが、ワタシの鼻腔いっぱいに広がりました。


「え?嬢ちゃん?」


びっくりした拍子に奇妙な笑いの発作は治まりました。


温かくて、柔らかくて、嬢ちゃんはやっぱり、この世の幸せを全部まとめて人型にしたような存在やと思いました。

不安と絶望と諦めとで凍り付いていたワタシの心が、嬢ちゃんの温かさに溶かされていくようでした。


そんな恩恵を受けておきながら、ワタシのほうは、泣いている嬢ちゃんに、うろたえることしかできませんでした。

慰められるもんなら慰めてあげたいと思うんですけど、抱き返すなんてそんな恐れ多いこと、できるわけがありません。

背中に手を回すなんて、申し訳なくて、百ぺん謝りたくなるけど、他にどうしょうもないし、しょうことなしに、そぅっと、ほとんど触れへんくらいにして、とんとん、と掌で叩くことにしました。


「・・・ごめん、やで・・・?」


「う。う。う。グランさーーーん。」


突然笑いだしたワタシにびっくりして固まっていたフィオーリが、名前を叫びながら、反対側から抱き着いてきました。

ひなたの匂いは倍になりました。

温かさも、倍になりました。

そこは、ちょっと暑くて窮屈やけど、不思議に幸せな場所でした。


ワタシには、こんなふうにふたりに泣いてもらう価値はないのに、とちらりと思いました。

けど、でも、この居場所は居心地よくて、ふたりを払いのけるなんてことはできませんでした。

ふたりとも、ほんま、ええ子で、めっちゃ、ええ子で、すっごい、ええ子やから。

ワタシの値打ちとか関係なく、無条件に、こんなふうにあったかい気持ちを分けられる人やから。

もうしばらく、ワタシはこのまま、幸せに浸らせといてもらおうと思いました。


「ステルスの魔法が切れる前に戻れ、って、僕、言っておいたよね?」


ふたりに捕まって動けないワタシの前で、ミールムは仁王立ちになって見下ろしていました。

腕組みをして睨むその姿に、ああ、これからお説教タイムや、と思いました。

けど、お説教してもらえるなんて有難いことやないの。

心配してくれたから、怒ってくれるんやし、それは、もういらん、と思われるよりずっとええわ。

ワタシは甘んじてお話し承ります、と、素直に首を垂れました。


ミールムは無抵抗のワタシの顎のところを持つと、ぐい、と顔を上にむけさせました。

それから、ワタシの目のなかを、じっ、と覗き込みました。

人族にはない不思議な色の瞳に、ワタシは思わず見入ってしまいました。

ミールムはしばらくワタシの目のなかを覗いてから、低い声で言いました。


「視線が穢れてる。

 オークと視線を合わせてしまったんだろう。

 オークの視線には毒があって、目が合った者を、絶望へと突き落とすんだ。

 そうすることで、抵抗する気力を失わせるようにね。」


「ああ!

 それ、おいら、分かりますよ。

 おいらも、オークにとっつかまったとき、そんな感じになりました。」


フィオーリはそう言って、いたわるようにワタシの背中を撫でてくれました。


「それはさぞかし辛かったっすよね?かわいそうに。

 おいらも、あのときは、もう辛くて、悲しくて、動くこともできなくて。

 なにもかも、いいようになるとは思えなかったっす。

 けど、グランさんに、大丈夫、って言ってもらって、毎日ご飯食べさせてもらってるうちに、少しずつよくなったっすよ。」


嬢ちゃんも慰めるようにワタシの背中に手を置いてくれました。


「お師匠様のご様子がおかしかったのは、その毒のせいだったのですね?

 わたくしに、その毒を治療することはできないのでしょうか?」


「おいらも、あのときはグランさんに治してもらったんっすから。

 今度はおいらの番っす!

 お役に立ちますから、なんでも言ってくださいっす!!」


勢い込んで言うふたりを見ていると、なんだか泣けてきました。


「ふたりとも、そのお気持ちだけでじゅうぶんや。

 ワタシももう、なんか元気出てきたし。」


お説教やと思うたら、みんなに優しくされて、ワタシはもうなんか、感動通り越して、ただ申し訳なくて、小さくなってしまいます。

ミールムは、ふん、と鼻を鳴らして、宣言するように言いました。


「オークの毒をなめちゃいけない。

 治ったと思ってもぶり返すのがオークの毒だからね。」


「それは大変です。

 やはり、なにか、ちゃんと治療を・・・」


嬢ちゃんはワタシの目を調べるようにじっと見つめました。

それはホンマに、他意はなくて、ワタシの容体を診るためにしたことなんですけど。

ワタシも、それは、ようよう分かってるはずなんですけど。

嬢ちゃんと目と目が合って、ワタシは、なんや、どきどきしてしまいました。

あわてたワタシは、嬢ちゃんから目を逸らせると、嬢ちゃんとフィオーリから少し離れようとしました。


「毒、うつったらあかんからな。もうちょい、離れて・・・」


けど、嬢ちゃんは、ワタシの両肩をぎゅっと掴んだまま離しません。

結果、ワタシは、じりとも動くことはできませんでした。

・・・ああ、そうか。この人、怪力、やったな・・・

それを思い出して、ワタシは無駄な抵抗は諦めました。


けど、みんなワタシのからだのこと心配してくれてるのに、ワタシひとり、妙にどきどきしてしもて、なんや、気ぃ引けるんやけど・・・

みんな、ごめんなあ。


「ふふふ。

 グランには、聖女様がなにより一番の特効薬なのではありませんか?」


なにやら含みのある笑顔で、シルワさんが言いました。

ちょっ、あんた、なんやのん?それは。

国宝級朴念仁のくせに、よう、そんなこと、言うわ。


「わたくしが?」


ほら、真に受けた嬢ちゃんが、首傾げたはるやんか。


「気にせんでええよ、嬢ちゃん。

 シルワさん、なんや勘違いしてはんねん。」


「勘違いなどしておりませんよ。

 絶望を掃うには、希望がなにより一番効果的です。

 そして、わたしたちの聖女様は、希望の塊ですからね。」


って、え?ちょっ、それって、どういう意味なん?

なんや、いろいろと余計なことに気を回す自分が、めっちゃ俗物に思えるやんか。

いや、ワタシ、俗物なんですけど。

俗物オブ俗物、いうても過言やない、ですけど。

・・・シルワさん、イマイチ、よう分からんお人や。


「とりあえず、痛い、とか、苦しい、とかは、あらへんし・・・

 今んところは、大丈夫、かな・・・」


嬢ちゃんを安心させるようにワタシは言いました。

嬢ちゃんはまだちょっと疑うようにワタシを見ていましたが、仕方なさそうに頷いてくれました。


「分かりました。

 でも、この先またいつ、お師匠様の具合が悪くなってしまうか分かりませんから。

 わたくし、なるべくいつもお師匠様のお傍にいるようにいたしますわ。」


そう言うと、気合を入れるように、ふんっ、と力強く頷いてみせます。

フィオーリが嬉しそうに言いました。


「よかったっすね、グランさん。

 特効薬の聖女様がついていてくれれば、百人力っすよ。」


「・・・いろんな意味で、このお人は百人力やけどな・・・」


思わず、いつもの調子で返してしまいました。

それを聞いて、フィオーリはにんまりと笑いました。


「よかった、いつものグランさんが帰ってきた。

 本当の本当に、これでもう、大丈夫っすね?」


「・・・心配かけてごめんな・・・

 けど、見つけてもらえて嬉しかった。

 みんな、有難うな。」


ワタシは素直な気持ちになって、みんなにむかって心から笑えました。


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