10
ほどなくして、隠れる場所を見つけてきたフィオーリが戻ると、ワタシはステルスの魔法をかけてもらって、いよいよ、ブローチをつけたオークを探すことになりました。
雨はやみましたが、日は西に傾き、日暮れまでは、あまり時間はなさそうです。
オークに近付くのは、なるべく日のあるうちにしたいですし、ステルスの魔法の効果時間も気になります。
捜索はなるべく急ぐにこしたことはないだろうと考えました。
ミールムのつけてくれたしるしのおかげで、オークの寝床をうろうろと探しまわるようなことはしなくて済みました。
木のうろや根っこでできた小さな穴や大きな岩陰等に、オークはうずくまるようにして寝ていました。
オークは仲間のオークと一緒にいるようなことはしません。
一匹一匹、別々の寝床に隠れています。
どれほどの罪を犯したのかは知りませんけど。
もはや同族でさえも信じられない、それだけでも、オークは随分重い罰を受けていると思います。
あのブローチはオークのからだに巻き付けた布につけてありました。
ワタシは、オークの胸もとを、そぉっとひとつずつ覗いていきました。
なかには丸まってて見難いのもあったけど。
それでも、どうにかこうにか確認して、半分ほども回ったときでした。
ひとつの穴で、とうとう、わたしはそのブローチをつけたオークを見つけてしまいました。
「!」
危うく声を上げそうになって、なんとか寸前で思いとどまりました。
声を出したら魔法は解けてしまう。
ミールムに警告されたことを、ぎりぎり思い出しました。
そのオークも、他のオークと同じように、からだにしっかりと布を巻き付けてありました。
顔はおろか、姿も、直接確認することはできません。
娘ちゃんは、そんなに華奢ではなかったけれど、背はここまで大きくはありませんでした。
けど、オークになったら、みんな姿は変わってしまうそうですから、それもあてにはなりません。
見つけてしまえば、呆気ないくらいに堂々と、そのブローチはオークの胸もとで光っていました。
まるで、これを目印に見つけてくれと言わんばかりに。
どう見ても、それはあのブローチに間違いないように見えます。
けど、遠くからためつすがめつしていると、なんだか、どこか違っているようにも見えてきます。
なにか、決定的な証拠はないやろか。
そう思って身を乗り出したときでした。
ぱきっ、と、お約束のような音がして、ワタシの足は小枝を踏んでおりました。
なんでこんなとこに、小枝があんねん、なんて思ったのは、ほぼほぼ八つ当たりです。
そもそも、ちゃんと足元の確認をしてから近付かないワタシが悪いんですけど、なんやろね、こういうときに、何かのせいにしたくなる心境って。
とにかく、その音のせいで、目の前のオークを起こしてしまいました。
オークの顔はすっぽりと布に覆われてるから、直接目には見えません。
けど、目を覚ましたって、そのときははっきりと分かりました。
ごそごそとオークは身動きをしました。
やばいやばいやばい。
ワタシの頭のなかはそれでいっぱいでした。
思わず上げそうになった悲鳴を、なんとかぎりぎりで堪えました。
声さえ上げへんかったら、ワタシの姿は透明になってて、オークには見えへんはずです。
透明とうめいトウメイトウメイ・・・
心のなかで、呪文のようにそう繰り返しながら、息を殺して、目を見開いて、ワタシはそこへ凍り付いたように立っていました。
ふと、布の奥のオークの目と、目が合ったような気がしました。
目なんか見えてないのに、なんでそんなことを思ったのかは分かりません。
けど、確かにそのとき、ワタシは、底の見えない淵のようなオークの瞳を覗き込んだ気がしました。
その瞬間に感じたことは、なんとも、表現のしにくいものでした。
それをなんとか言葉にしたら、まるで、見てはいけない絶望の淵を覗き込んでしまった、とでも言いましょうか。
体中から力が抜けて、ワタシはその場に膝から崩れ落ちました。
なにもかもが、もう、どうしようもなく手遅れで、諦めることすら許されずに、ただ成すすべもなくワタシを周りを通り過ぎていく。
そんな感覚でした。
そのときです。
何を思ったのか、突然、オークは胸もとのブローチを引き千切りました。
それからそれを遠くのほうへ、ぽーいと放り投げました。
オークがなんでそんなことをしたのか、ワタシにはさっぱり分かりませんでした。
一瞬、ブローチを探しに行ったものか、それとももう少しここにいたものか、迷いました。
結局、今は身動きしないほうがいいと判断して、ワタシはそのままそこに居続けました。
いや、違うな。
ホンマのところは、恐ろしくて、身動きひとつできずにいました。
オークは、ひとつため息を吐くと、ごろんと寝返りをして、また眠ってしまいました。
オークに背中をむけられて、ようやくワタシは、また動けるようになりました。
ワタシは、眠ったオークの布に手をかけて、中を覗いてみようかと考えました。
中を見たら、もしかしたら、娘ちゃんの証拠みたいなもんを見つけられるかもしれんと思いました。
いや、本当は、見つけたかったのは、娘ちゃんやない、という証拠でした。
さっき見たブローチは、確かに、娘ちゃんのものによく似てたけど。
もしかしたら、他人の空似、みたいに、他物の空似、かもしれんやん?
それやったら、なんぼかええのに。
あの人は、最期の最期に、娘ちゃんが見つからんでよかったと言いました。
その気持ちがようやっと、すとんと胸に落ちました。
あの人は、娘ちゃんはオークにはならんかったと一生かけて確かめたんです。
最期にそれに満足して逝ったんです。
ワタシのしようとしてることは、それに水を差す、いや、叩き潰すようなことになるんと違うか。
もう一度、目の前のオークを見ました。
見れば見るほど、到底娘ちゃんには似ても似つかない姿でした。
このオークが娘ちゃんなわけはない。
娘ちゃんが、オークになんかなってるはずないやん。
大丈夫や。
ただ、それを確かめるんや!
ワタシは心を鬼にしました。
この機会を逃したら、もう二度と、このオークが娘ちゃんかどうかを確かめることはできません。
布に包まれた外見で、オークの見分けなんかできないからです。
あと少し。
もう少しで、オークの布に手が届く。
じり。じり。じり。じり。
指の先が震えて、なかなか狙いが定まりません。
目にひどい痛みを覚えて、いつの間にか、額から滴り落ちていた脂汗に気づきました。
・・・くそっ!
袖で汗を拭って、もう一度、手を伸ばそうとしました。
けれど、結局、ぎりぎりのところで、ワタシの手は止まってしまいました。
・・・あかん・・・
やっぱり、どうしてもオークの布をめくって中を見ることはできませんでした。
もしも、このオークが娘ちゃんやという証拠を見つけてしもうたら・・・
娘ちゃんはオークになってしもたんやということが、はっきりしてしもうたら・・・
あの人の遺した一縷の望みを、この手で断ち切ってしまうことになるやんか。
ワタシは、娘ちゃんを見つけて、謝りたいとずっと思ってました。
心のなかでやったら、もう百万回くらい謝ってきたけど。
ほんまのほんまに、娘ちゃんに謝れたら、そうしたら、違う人生を歩むことにしようと、そう思うて。
けど、そんなん、要するに、ただの自己満足なんです。
自分の気が済むという、それだけのことなんです。
そんなことのために、あの人の最期の希望までつぶしてしもうてええはずがない。
いやけど、これは娘ちゃんやないんやから。
娘ちゃんのはず、ないんやから・・・
頭の中がぐちゃぐちゃになりました。
自分は本当はどうしたいのか、分からなくなってきました。
どのくらいの時間、そうして悩んでいたのか、しかとは分かりません。
結局、ワタシには、オークの布をめくることはできませんでした。
ワタシはそっとポーチから針と糸を取り出すと、眠っているオークの布の端っこに、小さな糸玉をつけました。
こんなん、気休めにもならんけど。
それでも、どうしても諦めきれんなにかが、このオークにせめて目印をつけておきたいと思ったのでした。
ワタシが葛藤している間に、オークはいびきをかいて再び眠ってしまいました。
糸玉をつけると、ワタシは、音を立てないように気を付けて、そろりそろりとそこを退散しました。
なんだかどっと疲れて、全身から力が抜けていくようでした。
ふらふらになりながら、ワタシはあのブローチを探しに草むらへと歩いていきました。
オークがブローチを投げたとき、その方向はだいたい目で追っていました。
草むらのなかに落ちた小さなブローチを探すのは、骨の折れる仕事やろうと思いました。
見つけられる自信なんかありません。
ステルスの魔法もいつまでもつか分かりません。
けど、探さずに引き返すという選択肢はありませんでした。
もしかしたら、あのブローチが、ワタシの作った物やなくて、まったく違う別物やったらええのに。
心の奥底で、そんなことを思っていました。
しばらく草むらをあさっていると、きらっとなにか光るものを見つけました。
こうして見つけてしまえば、それはまるで見つけてもらうのを待っていたかのように、草のなかで光を放っていました。
手に取ってよく見ると、残念ながら、それは間違いなく、あのブローチでした。
宝石に刻んだまじないの紋章の細かいところまで、ワタシの記憶にあったのとそっくり同じでした。
しかし、改めて見れば見るほど、その細工は未熟で稚拙なものでした。
屋台で売るインチキよりも、もっと下手くそでした。
こんなものを作って、よくもまあ、得意になっていたものだと、恥かしくなりました。
ワタシの両親は細工師だったそうです。
両親の使っていた道具を、兄さんたちは全部、ワタシに譲ってくれました。
親の顔を知らんワタシは、幼いころからその道具を玩具にして育ちました。
その道具を触っていると、両親の手のぬくもりや、匂いを感じられるような気がしました。
両親の血を引いていたのか、それとも、幼いころから道具に慣れていたからか、ワタシは、いつの間にか、誰にも習わないのに、見よう見真似で細工のようなものをこしらえるようになりました。
本物の細工師になるには、親方について厳しい修行を何年もするのだそうです。
けど、ワタシは、まともな修行もしたことないのに、いっぱしの細工師気取りの嫌な奴でした。
まじないを込めた装身具の作り方は、兄さんの持っていた本のなかで見つけました。
それを読んでちょっとやってみたら、なんや、それらしいものが出来上がりました。
この若さでこんなん作れるなんて、自分は天才ちゃうかと思いました。
そういう思い上がった自分を思い出すと、息が苦しくなります。
若気の至りにしたって、ほどっちゅうもんがあります。
呪物を作るというのは、ただのそんな小手先の技とは違うんです。
もっと、精神修養とか、そういう人としての根本的なもの、みたいなんをちゃんと作っておかないといけないんです。
心を無にして邪念を払い、一心不乱に打ち込んでこそ、ようやく叶う。
そんな表面だけなぞって、見よう見真似でやっても、うまくいくはずなんかなかったんです。
このブローチを作ったとき、ワタシは、これであの人に喜んでもらえたらええなと、心のどこかに思ってました。
娘ちゃんの幸せやなくて、自分の希望を、いつのまにか願っていたんです。
一心不乱に娘ちゃんの幸せだけ願わんといかんかったのに、それを怠っていたんです。
所詮、ワタシみたいな雑念だらけの俗物に、それは手を出してはいけない領域でした。
そのことに、そのころのワタシは気づいてなかった。
なんて恐ろしい罪を、ワタシは犯してしまったんでしょう。
そのせいで娘ちゃんを不幸にしてしもた。
あの人も一生、苦労し続けて、逝ってしもた。
ワタシのせいで、みんな、みんな、不幸になったんや。
からだから力が抜けていきます。
足が止まって、前に踏み出せなくなります。
そのまま、膝から崩れ落ちました。
もう一歩も歩けません。
このまま、仲間たちの許へなんか、帰れないと思いました。
帰ってはいけないと思いました。
ワタシなんかが一緒にいたら、また、あの人たちのことも不幸にしてしまうかもしれへん。
みんなの顔が思い浮かびます。
みんな、大切な仲間です。
あの人たちの幸せのためなら、ワタシなんかこのままここで朽ちてしまおうと思いました。
簡単なことです。
このまま、ただここに、横たわっていればいいだけなんやから。
嬢ちゃんの顔が思い浮かびました。
にこっと笑った顔も。
ちょっと恥かしそうに目を逸らせるときの顔も。
嬉しいことがあったときの、ぱっと、花が咲いたような笑顔も。
嬢ちゃんは、ほんまのほんまに、立派な聖女様や。
あんなに心の綺麗な人を、ワタシはこれまで知りませんでした。
この世の悪の権化みたいなオークにかて、優しい気持ちを持てる。
それも、誰かによく思われたいとか、そういう打算は微塵もなくて。
心の奥底から、清らかな聖女様いうんは、ああいう人をいうんやろうなあ。
嬢ちゃんのことを思い出していると、不思議に心のなかが穏やかになっていきます。
ほんま、嬢ちゃんに出会えてよかった。
自分の命より大切なものなんて、あるはずないと思ってたけど。
世の中には、長生きしてても、まだまだ知らんことは、ぎょうさんあるもんやなあ。
嬢ちゃんなら、きっと、どんなまじないでも、成功させるでしょう。
いや、それどころか、あの人こそ、いつか世界を救ってくれるんかもしれん。
大切な大切な嬢ちゃんのために、穢れたワタシにできることは、ただ、この場で朽ちることだけ。
大丈夫や。
ワタシみたいな者がおらんでも、嬢ちゃんには頼りになる仲間はぎょうさんおるんやし。
だから、ワタシは、もうここで、お別れや。
涙が溢れてきました。
なんで自分が泣いてるのかも、分かりません。
ただ、辛く、苦しくて、息をしているのも、もうしんどくなってきました。
ゆっくりと、ゆっくりと。
ワタシは草の上に倒れ伏していきました。
ミールムにもらったピンク色の石が、激しく点滅を始めました。
なんや、きらきらしてて、綺麗やなと思いました。
光はみるみる弱くなっていきます。
この光の消えるところを、見たくないと思いました。
ワタシは、そのまま、ゆっくりと、目を瞑りました。




