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魔法なんか存在するか!  作者: モチュモチュ
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進んだ科学は魔法と変わらないって奴

 ここでの生活が始まって半日が終わる。昼食の為に寮に戻って来た俺は、食堂から窓の外に視線を向ける。緑と黒のコントラストが彩る深い山の景色と、その前を流れる澄んだ川が見える。学園から木漏れ日の漏れる薄暗い山道を歩く事10分足らずで、この景色を見る事が出来る寮に辿り着く。


こんな何処かも分からない山の中にある学園の寮と聞き、とんでもないボロ屋を想像していたが、実際は元々旅館だった物をそのまま使っており、木造の古き良きと言う印象のある建物だった。温泉もあり、料理も美味しく、生活する分には不満が出る事はなさそうだ。只、寮もそうだが学校にも時計もなければテレビもパソコンもない、そもそも電気すらない。その為、朝は漁師の如く早い。代わりに昼過ぎには放課後になるのだが、この生活リズムに慣れるのか不安だった。


後、寮は1つで1階が男子、2階が女子としか部屋が分けられていない為、工口が何時暴走しても可笑しくないと言う事だった。初日から天井に聞き耳を立てようとする始末。その内、女子風呂は確実に覗きに行きそうだった。


「殿、既に毒味は済ませた故、安心して召し上がって下され」


「ああ、うん……」


 食堂に並ぶ木で出来た4人掛けのテーブルには、今朝と同じく濃い面々が集まっている。首に蛇を撒いている少女に頭に段ボール箱を被っている男子、全身タイツの男、上げ出すと切りがない、顔が異様にデカい工口が全く目立たなかったと言えば、そこがどれだけ異様な空間が分かって貰えるだろう。


「よう、戻ったぜ。んで、道長さん、俺の分の食事は? 毒味もして貰っても構わないぜ。そして何処に口を付けたのか細かく教えて――」


「殿、昨日の西洋の食べ物も美味しい物だが、ここの味噌汁は格別よ。是非口にして貰いたい。昼に味噌汁と言う事は、夕食は豚汁の可能性が高い。これもまた一品――」


「無視!? もう刀すらも突き付けてくれないのか……」


 俺は食事を取りに行く工口を見送りながら、朱美が運んで来てくれた食事を口に運んで行く。豆腐と美味しい白身魚の塩焼き、味噌汁と煮つけと御飯と言う如何にも旅館で出て来そうなラインナップだった。


「……はあ」


 食器を持って戻って来た工口の顔を見ながら、俺は大きなため息を吐く。


「おいおい、俺の顔を見るなりため息とか止めて欲しいぜ。今朝なんか、おはようの挨拶代わりにため息だっただろ。ため息を吐くとその分、幸運が逃げて行くんだぜ」


「下らない」


魔法なんて存在しない、下らない、そう思っているにも関わらず昨日の醜態は思い返しただけで気分が落ち込む。一晩経ち冷静に成れば、どうして枯葉を手で下から扇いで浮かせたり、筋肉が喋るなんて馬鹿げた話しを魔法じゃないと否定出来なかったのかと自分を問い詰めたくなる。でも今のため息は昨日の失態だけが原因じゃなかった。


「殿、如何いたした? 食事に見苦しいこの男の顔の処分なら私に任せて下され。安心せよ、首の皮は繋げて落とす故」


「何でいきなり俺の首が斬られる話しになってんだよ!? つーか、悪魔以外は斬れねーんじゃねーのかよ!?」


「斬れると言う事は即ち悪魔と言う事よ」


「魔女裁判じゃねーかよ!?」


「顔デカい癖に朝からうるさいな、はあ……」


「なんで首を斬り落とされそうになってる俺じゃなくてお前がため息なんか吐いてんだよ」


「じゃあ、聞くけど、お前はどうなんだ? 今日の実力テスト」


 魔法学園と言うふざけた場所だが、普通の学校と同じく一般的な授業がある。学年と言う概念は存在せず単位制で一定以上取ると中学や高校を卒業したと言う証明書類が貰えるらしい。


「んあ、まあ、一応」


「……そう言う事か、ずっと勉強してない詐欺をしてたって事か。何がテストで毎回一桁だよ、それも嘘だったのかよ」


「いや、テスト内容中学の復習問題だったじゃねーか」


「お前は良いよな。俺は教科の半分は小学6年と同じ授業受ける事になったんだぞ」


 それが先程のため息の理由だった。俺は恨めしさの籠った視線を工口に向ける。工口は戸惑う様に視線を左右にさ迷わせた後、味噌汁を静かに啜り始める。


今日、朝から転入に当たって実力テストを受けさせられて、俺は散々たる成績だった。中学の時から真面に授業を受けていなかったのだから仕方ないと言えば仕方ないが、それでもここまで出来ないとは思っていなかった。と言うより、工口に学力で負けてしまったと言う事が悲しいと言うか情けなかった。


「こんな顔がデカいだけの奴よりは賢いと思っていたのに……アメリカ首都はニューヨークだと信じてる奴よりマシだと思っていたのに!」


「おいおい、アメリカの首都くらい俺でも分かるぜ。ブッシュだろ」


 こんな奴に負けたと思うと本当に情けない。


「それは良い事を聞いた。明日から私も殿と同じ授業を受ける事が出来るのか。私も長く山に籠り修行に勤しんでいた為、授業の方が遅れておるのだ」


「朱美ちゃんも小学生の――」


「――殿っ! ……その、ちゃん付けは恥ずかしいと昨日申したばかりではないか。昨日も申したが呼び捨てにして貰えぬか?」


 朱美は頬を赤くしてむずがゆそうにソワソワと体を揺らす。そんな彼女の様子を見て工口が隣で変な声を出す。


「ふぐっ……い、今のは何だよ。可愛過ぎるだろ……香、頼む、もう1回、もう1回彼女の事をちゃん付け呼んでくれ」


「……断る」


「何でだよ、お前はさっきの反応を見て何とも思わねーのかよ? それでも男かよ? はあ、昨日から思ってたけど可笑しいぜ。あんな可愛い子と数年越しの再会だぜ。普通もっとこう、なんて言うの、昔話に花を咲かせて、自然とこうチュッチュなるもんだろ? なのになんで何も起こらねーんだよ。昔話もしなければ、近況報告もなし、お互い若干気まずい感じになって、終わりとか可笑し過ぎるぜ」


 もし、過去の出来事が楽しい思い出だけなら、そんな感じになったのかも知れない。でも実際は楽しい事より辛い事、悲しい出来事の方が多い。昔話に花を咲かせるなんて事態にはならなかった。


「……いや、待て、ちゃん付けで呼ばれる事を恥ずかしがってるだけで、何も香に呼ばせる事はねーのか……んんっ、朱美ちゃん」


 工口が彼女の名前を呼んだ瞬間だった。


「虫唾が走るわ!!!」


 朱美が持っていた箸を振う、同時に工口が持っていたお茶碗が真っ2つに切断され、左右に割れる。そして中のご飯だけが工口の手の平に残る。


「うおぁち!? ねえ! 反応違うけど!? 香が呼んだ時と反応違うけど!?」


 工口は手の平で湯気を立てるご飯を味噌汁の中に落として手を水の入ったコップで冷やす。


「つーか、これ魔法だよな、明らかに魔法だよな!?」


「剣技だって昨日から本人が言ってるだろ」


「剣使ってねーけど!? 箸だけど!? そもそも陶器を箸で斬れる地点で可笑しいだろーが!?」


「修行を積めばこの程度の事、誰でも可能故。驚く程の事でもないわ」


「どんな修行を積めば出来る様になんだよ……ああ、香、セバスから電話を預かったぜ。電話で羽間様から呼び出して貰えるなんて本当に羨ましいぜ。セバスからの伝言、昼食の後、電話に耳を当てれば理事長室に呼ぶお嬢様の声が聞こえるはずだと」


 自分の分の食事を机の上に置いた工口は懐から糸電話を引っ張り出して机の上に置く。


「その伝言でこの糸電話要らなくなったぞ……はあ」


羽間の勝ち誇った様な顔が頭の中に浮かび、自然とため息が出る。昨日は終始彼女の手の平の上だったと言う他ない。まず彼女は俺から唯一の味方になる人物、工口を奪った。確かにいてもゴミ程度の価値しかない男だが、味方と敵では大違いだ。味方を失った俺はあの場で完全に孤立してしまった。それが敗因の全てだった。


今までずっと魔法の存在を否定して来た。だから頭の何処かで魔法を否定し続けるのは簡単だと思っていた。でも実際に俺がして来た事は否定ではなく認めない事だった。周囲の同意があれば『下らない』と一蹴するだけで否定は成立していたが、魔法の存在を信じて疑わない者達が集まるここでは、それは通用しない。否定するのにも理由や理論を説明する必要がある。そんな状況下での孤立は致命的だった。争いで数が少ない方が負けるのは当然の帰結だ。


味方と言えば、朱美なら無条件で味方になってくれるだろうが、俺の言葉に合わせてくれるだけでは弱いと言う他ない。羽間と戦うには俺と同じ、それ以上に魔法の存在を否定してくれる人物が必要だ。しかし、この魔法を信じる者が集まる場所でそんな人物を見つけ出すのは不可能と言って良い。色々と絶望的な状況だった。


「……む、この気配……殿、私は行かねばならぬ故、先に理事長室に向かって下され、では!」


 朱美は素早く残りの食事を口の中に流し込み、そのまま食堂を飛び出して行く。


「何だったんだ? 食器も片付けずに飛び出して行ってしまったぜ……」


 工口は一瞬黙り込んだかと思うと昼食を一気に口の中に詰め込む。


「もごもご、香、その食器は俺がついでに片付けるぜ」


「ん? ああ、って、ちょっと待て、顔が気持ち悪いぞ」


「俺の顔は大きいだけで気持ち悪い訳じゃねーよ!」


 俺が疑いの眼差しを向けると、工口はその視線に耐えられなかったのか、僅かに視線を背けて、俺と目が合わない様に努める。


「……食器は俺が片付ける。お前は自分の分だけ片付けろ」


「ついでだって、ついで、やましい事なんて何もねーぜ?」


「俺がそんな言葉を信じる訳ないだろ。さっさと自分の分だけ片付けて来い」


「分かった。そこまで言うなら仕方ない。……箸で構わない、譲ってくれ!」


 工口はその場で膝を着いたかと思うと土下座し始める。俺はそんな工口に冷たい視線を向け、さっさと残りの食事を済ませて、自分と彼女の分を合わせて片付けに向かう。


「慈悲はねーのかよ! 俺がこうしてプライドも捨てて頼んでるんだぜ!? 友人ならその思いに少しくらい答えてくれても良いだろーが!」


「さてと、明日はあの授業を取って、それで……」


「無視はあんまりだろーが!!!」


「どうせ、舐めるとか顔より気持ち悪い事するつもりだろ」


「はあ舐めるとかそんな気持ち悪い事をする訳ねーだろ。煮込んで出汁を取るんだよ」


「もっと気持ち悪いからな!」


「じゃ、じゃあ水筒の中に漬けるだけ、それならほら気持ち悪くねーだろ?」


 俺は工口を無視して食器を片付け、理事長室に向かうのだった。


 この学園は校舎が『コ』の字になる様に3つあり、松、竹、梅に別れている。理事長室は、梅棟の1階の中央にある。因みに魔法検定係り室は同じ棟の1番端、明らかに物置として使われていた場所にある。過去のプリントが部屋の棚にぎっしりと詰まっていた。


 理事長室へ続く廊下を歩いていると工口が真剣な表情を作りながら語り始める。


「思ったんだ、俺もこの学園に入れたって事は、何か強い信仰心を持てば、それが魔法となって実現するんじゃねーかって」


「もう、そんなに顔を大きくしたんだから十分だろ」


「したくてしてねーよ! 寧ろ小さくなる様に毎日必死ですけど!? 小顔ローラーとか買って使いまくってますけど!?」


「小顔ローラーじゃなくてデ顔ローラーの間違いだろ」


「そんな間違いするかよ! つーか人間の顔を大きく出来るアイテムってそれもう魔法のアイテムだぜ? 人間の顔って、小さくするより大きくする方が遥かに難しいぜ」


「危ない……危うく工口が自分の顔を大きくした事を魔法だと認める所だった、もう認めさせようとしても無駄だぞ。その顔の大きさは只の病気だって前から言ってるだろ」


「遺伝だっつーの!」


 背後から少女の騒がしい声が聞こえて来る。


「わわわーっ!? 止まりやがりません!? 退いて! そこの顔! 退きやがって下さい!」


「ん? 何っぶほっ」


 振り向いた工口のお腹にスケボーの様な板がめり込み、そのまま彼を数メートル程吹き飛ばす。吹き飛んだ工口の代わりに白衣に丸メガネをかけたオデコが目立つ丸顔の幼い少女が尻餅を着いていた。


「いてて……はっ、無事でいやがりますか!?」


 その少女は背中の主そうな黄色いリュックを背負い直して、慌てた様子で工口の元に向かう。


「うっ、まあ何とか、致命傷で済んだぜ」


「良かった、フライングボード4号、ジェッツ―ペンギンは無事だった様です」


 少女はお腹を押さえながら変な汗をかいている工口には見向きもせず、ペンギンの形をしたボードを大切そうに脇に抱える。


「そっちかい! そんな板じゃなくて俺の心配しろや!」


「ん? 何ですかあなたは。そんな所に寝ていたら皆の邪魔になりやがりますよ」


「ああ、そいつは顔が大きいから寝てる様に見えるだけで、立ってるぞ」


「寝てるけど! 顔の比率より体の方が大きいからな! 2頭身キャラじゃねーよ!?」


「致命傷とか言ってた癖に元気そうだな」


「今もいてーからな!? その板の先端が思いっきりめり込んだからな!? 一瞬意識飛んだんだぜ!」


「そうですが、それは悪いことをしやがりました。すみません、ジェッツーペンギン、無理をさせてしまいました」


「俺に謝れや!!!」


「理事長室で魔法検定なる物が行われてやがると聞きました、2人はそれに関係しやがっているはずです」


「魔法検定? はあ、今日の1人目はこんなガキかよ。早速出会いのチャンスを1つ潰されたぜ」


 こいつ、自分の目的忘れてるよな、絶対。


「ガキとは何ですか! 私はこれでも9歳です!」


「……ガキじゃねーか!?」


「間違えました19歳です」


「こんな19歳が居てたまるか。19歳って言ったら、こうもっとあちこち成長していてだな。色気のあるエッチなおねーさんなんだよ! 香もそう思うだろ!」


「お前はお前で偏見だらけだからな。でも確かにその見た目で19歳は無理があるんじゃないのか? 工口は騙せても、俺は騙されないぞ」


「俺も騙されてねーつーの」


「確かに来週誕生日なので正確にはまだ18歳です。証拠の生徒手帳です」


「……確かに18歳って書いてるな」


「おいおい、マジかよ」


「ああ、誕生日は来週、間違いないみたいだぞ」


「どれどれ……って、明らかにマジックで上から書き足してんだろ! 13の3を8に変えてるだろーが!!! こんなのに騙されんなや!」


「工口、俺がそんな子供騙しの手に騙される訳ないだろ。これはワザとマジックで書き足してる様に見せて13歳だと思わせようとしてる、巧妙な手だ。こんな分かり易い罠に騙される何て工口は本当に騙され易いな」


「騙されてんのはお前だろーが!」


少女はペンギン形をした板を弄り始めたかと思うと、それを宙に浮かせる。


「……起動に問題なし、フライング機能も問題ない様です」


「おいおい、マジかよ。今回は正真正銘の浮遊魔法じゃねーか。昨日の枯葉を浮かせる奴とは大違いだぜ」


 俺は工口に冷め切った御飯の様な冷たい視線を向ける。


「あ、いや、枯葉を浮かせる奴も魔法だって思ってるぜ。あの後、俺もコッソリ挑戦したけど浮く気配全くなかったぜ。あれは間違いなく魔法だぜ」


「はあ、脳みその足りないバカは、自分が理解出来ない現象を見るとすぐに魔法だ、魔法だと思考を停止した発言をしやがります。私に言わせれば、魔法とは全ては科学の先駆けです」


 少女はフライングボードの上に腰を下ろした後、制御パネルの様な物を開いて少し操作し始める。


「それで、あなたが、あの理事長から魔法検定係りに任命されやがった方ですか。随分な間抜け面です。この科学的ではない顔を見れば、昨日の体たらくも納得です。知っていますか? 間抜けには、魔法か否かを判断する魔法検定係りなんて務まりやがりません。魔法検定係りには、この私の様に知識と知性が必要です」


「サラッと俺の事ディスって来てるな。1つ訂正すると検定係りは俺じゃなくてそっちだ、俺はなんて言えば良いんだ? 言うなら俺は正義の味方? その堅物に魔法だと認めさせる様に理事長から命を受けた――」


「邪魔です。退きやがって下さい」


 少女は工口を蹴り飛ばす様に押し退けて俺の隣に移動して俺の事をジッと見詰めて来る。


「ふーん、昨日、変身魔法を使えると言い張る少女すら否定出来ず、合計3人も保留にしてしまい、泣きべそをかいた香と言う人物はあなたですか」


「くっ、何でその事を……」


 俺は情報源として最も疑わしい工口を睨み付ける。俺の視線を受け止めた工口は慌てた様子で首をブルブル横に振る。


「科学者の情報網を舐めやがらないで下さい。昨日も理事長の怪しい動きを感知して理事長室前で張っていたので、確かな情報を入手しています」


「情報網なんかねーじゃん。1人で監視してただけじゃねーか」


「昨日は不意を突かれただけだ……それに泣きべそをかいてウンコを漏らしたのはそこの顔デカだ」


「尾ひれを付けて俺に濡れ衣を着せるなや!」


「ふん、今朝の実力テストの結果を聞きました。数学も科学も中学生以下のレベルでしたよね。良くそんなので魔法か否かの判断をしようだなんて思いやがりましたね」


「くっ……」


 何も言い返せなかった。


「寧ろそのレベルだから、あの何でも魔法にしようとする卑劣で卑怯で足が臭い理事長が頼みやがったのかも知れませんが」


「おい! ふざけるな! 世の中には言って良い事と悪い事があんだよ! 羽間様の足の臭いは最高だろ! 臭い? ふざけるな! 俺はあの臭いの為に生きてるって言っても良いぜ。あの臭いで飯を3杯はいける」


「この男は何を言ってやがるのですか」


「通訳すると『俺がキモいのは顔だけじゃないぜ』って、にこやかに叫んでるんだぞ」


「顔もキモくねーよ! デカいだけだ!!!」


「コホン、私は美津葉みつば 梨華りか生粋の科学者です。私の事は梨華と呼んで下さい。見ての通り私は科学者です。既に大学相応の学習は済ませ、博士号も取得出来る実力を秘めた、その辺の大学教授と肩を並べられる程の科学者です。科学者が服を着て歩いている様な存在です」


「科学者が服を着るのは普通じゃねーのくぁふっ!?」


 フライングボードの直撃を受けて工口が吹き飛ぶ。頻りに自分を科学者だと連呼する梨華に俺はいつもの様に警戒心を剥き出しにしながら疑いの眼差しを向ける。


「それって、結局何の証も取っないって事じゃないのか。何の目的で接触して来たかは知らないけど俺を騙そうとしても無駄だからな」


「いつつ、毎回思うけど、初対面の人に対して言う言葉じゃねーだろ」


「初対面の女子のパンツを覗こうとする奴に言われなくない」


「知り合いじゃねーから気兼ねなく出来んだろ! なんでその事が分かんねーんだよ!」


「分かる方が可笑しいだろ」


「まあ、知り合いのパンツを見ようとするのは背徳感が合わさってより興奮出来るぜ」


 俺が工口にゴミを見る様な視線を向けていると梨華が先程の俺の言葉に対して返事を返して来る。


「ふん、少しは出来るみたいですね。私の科学者としての技術や発想が数世代先を行っているので、私が表に出ると困る連中が大勢いやがる様です。そう言った者達の所為でオカルト科学者等と言うレッテルを張られ、ここに流れ着いたと言うだけです」


「つー事は、今もそのフワフワ浮いてるボードは魔法でも何でもないって言うのかよ。人間を載せて宙に浮かせるなんて小型のジェット機を複数付けないと不可能だぜ? 科学とか言ってるけど本当は魔法なんじゃねーのか?」


「私は科学者として魔法やオカルトと言う言葉が嫌いです。それは未知に対して思考を放棄してしまった人間達の敗北の言葉です。古今東西今、人は理解の及ばない出来事を見た際、超常現象や魔法等と騒ぎ立てて来ました。ですが、全て理由があり理論があり、結果として現れていたに過ぎやがりません。魔法と言うのは、紐解けば全て科学的に説明可能なのです。私は宣言します。この世に魔法なんて物は存在しません」


 彼女が言い放った一言に、俺は自分が今まで彼女に取った態度を反省する。魔法を正面から否定する発言、彼女は正に俺が求めていた人材だった。彼女を仲間にひき込めば羽間にも対抗出来るかも知れない。


「中々良い事を言うな。疑ったりして悪かった」


「分かったのなら私の研究に投資するくらいの誠意を見せやがって欲しい者です」


「仕方ないな、幾らだ?」


「……何が騙そうとしても無駄だよ、チョロ過ぎんだろーが」


「工口、これからは俺も物事を科学的に考える事に決めた。取りあえず科学的に考えて、彼女に通帳とハンコを預ける事に決めただけだ」


「科学的な要素ねーだろ! 何しようとしてんだよ!」


「彼女に研究に対する投資みたいな物で必ず増えて戻って来る。安心しろ、勿論工口の分も預けてやるから」


「典型的な詐欺投資の手口じゃねーか!」


「詐欺? 彼女が嘘を吐く様な人物じゃない事は少し話せば分かるだろ!」


「既に1つ吐いてんだろーが! 生徒手帳に嘘書いてただろーが!!! 騙されてる事にきづけや!」


「騙されてるのはそっちだろ。羽間に手玉に取られて、彼女の飼い犬になりやがって、情けないったらないからな」


「……お前、地味にその事、怒ってたのかよ。それはともかく、オカルト科学って言われてんだぜ。そんなの魔法と大差ねーだろ。冷静になれや」


 少女は、フライングボードを両手で持ち、工口に蔑みの視線を向ける。


「む、このフライングボード4号、ジェッツーペンギンは私が作った科学の結晶です。魔法なんて言葉で表現するのは屈辱です。これは全て科学による産物です。本体は軽くて丈夫なカーボン素材、ペンギン形にも科学的な意味があります。これこそ自然界の中で完成された究極の形です。研究に注ぐ研究、軽量化に軽量化を重ね、何度も何度も試作品を作り、遂に体重60キロまでなら乗る事の出来るフライングボードが完成したのです。体重移動のみの操作方法を採用し、それを実用化するのにどれだけ大変だったか。それを魔法? 科学に対して喧嘩を売りやがっているのですか!」


「ふぶっはっ!? そんな凄い物をブーメランみたいに俺にぶつけるの止めて欲しいんですけど!? 分かった! 魔法なんて言って悪かった! この通り! 謝るから!」


「分かれば良いのです。特に凄いのは、改良に改良を重ねたこのEMエンジンです。理論と実践は全くの別物、ここまでの浮力を確保するのは大変でした。コアのエクセントリックマジカルの出力が中々安定せず、六芒星の印と周囲のコードを何度書き直した事か……私が導き出した素晴らしいエンジンを特別に見せてあげます」


 梨華がフライングボードをクルリとひっくり返し、裏に取り付けられていた灰色のケースを取り外す、中には白く輝くクリスタルとそれを中心に紫色の光る線で六芒星、そして古代文字の様な物が周りに書き連ねられていた。


「魔法使ってんじゃねーか!!! 思いっきり魔法使ってるよな!」


「今の説明聞いてやがったんですか? 魔法なんて何処にも使ってません」


「エンジン部分に色々オカルト要素混じってるよな! 六芒星とコードって、魔法陣を言い換えてるだけだろ!?」


「魔法陣? 笑ってしまいます。これは周囲のコードによって中心に自然界に満ちている浮力エネルギーをコアのエクセントリックマジカルに集めているのです」


「マジカルって言ってんじゃねーか!? マジカルって! 香、これ魔法だよな! 明らかに魔法だよな」


「……何処からどう見ても科学だろ」


「ちょっと間があったよな! 明らかに一呼吸法の間があったよな! これの何処が科学だよ! 遠い目をするな! 良く見ろや! 無茶苦茶魔法じゃねーか!!!」


 俺は遠い目をしながら中庭を見詰める。


「本当に、呆れて言葉も出ません。魔法ではないと何度説明すれば分かるのですか。これは列記とした科学技術です。これを魔法に感じるのはあなたがアホの証です。電波を理解出来ずテレビを見て不思議だと思う江戸時代の人間と同じです。自分が理解出来ないからと言ってオカルト科学とやゆして、石油も電気も必要としないEMエンジンが世に出たら困る連中と一緒ですね。こう言う連中が居なければ今頃人類は宇宙船で他の星を開拓出来ています」


「……それが魔法じゃないって言ったら何が魔法だっつーんだよ」


「それで何処に向かってやがるのですか」


「理事長室」


「ちょうど良いです。私も彼女に用があるのでついて行きます」


 理事長室到着した俺はノックもせずに中に入る。理事長室に入ると羽間がセバスに入れて貰った紅茶を優雅に飲んでいる最中だった。


「昨日、糸電話がどうこう言ってた癖にちゃんと私の声が聞こえてるではありませんの」


「聞こえてない。糸電話に関係なくここに来ただけだ」


「相変わらず魔法を信じてはいない様ですわね。昨日は保留を2人、いえ、最初の少女を含めれば3人も出したにも関わらず」


 ここに来る前から分かってはいたが、羽間の勝ち誇った様な顔を見ると悔しいと言う感情だけでは収まらなかった。


「ふふ、保留して逃げ出すくらいなら、さっさと魔法だと認めて楽になったらどうですの?」


 一応一晩で言い返す為の言葉は用意して来た。彼女に何処まで通用するか分からないが、このままやられっぱなしと言うのも腹立たしい。


「あんなのを10人の1人にしても良いのか? 周りに聞こえないと魔法だって証明も出来ないぞ」


 どうして、魔法じゃないと認めないだけの簡単な事が出来なかったのか、気付くのに一晩も掛かってしまった。羽間の話術によってこちらが攻め手に回らされたのが、原因だった。受け手に回る事で認めない事がイコールで否定に繋がる。その為に必要なのは相手の行いを魔法かどうか判断するのではなく、相手に自分の行いが魔法だと証明させようとする事が重要だった。


「魔法なんて本来は周囲に隠す物、証明出来ないのが必ずしも不都合等ではありませんわ。彼の筋肉は確かに喋り、彼がその声を聞ける。重要なのはそこですわ。確かに本校に推薦する10人の1人として弱いのは認めますが、あくまで候補、必ず彼を選ばなければならない事にはなりませんわ」


「でもその声がこっちに聞こえなければ魔法だって証明する事は出来ないだろ」


「なら筋肉を限界まで鍛えたらどうですの? そしたら筋肉の声が彼と同様聞こえる様になるはずですわ」


「そんな事出来る訳ないだろ。限界って何だよ。結局、基準があいまいだから、幾らでも言い逃れられるだろ」


「彼が嘘を言っている前提で話しを進めるのは止めて――」


「――科学的にも筋肉が喋る可能性は3通り存在し、それが起こる確率は3通り合わせて0.00003%存在しやがります」


「ぶーっ、げほっ、ごほっ!? な、何故、あなたがここに!? 理事長室への立ち入りは禁止したはずですわよ!」


「これはホログラムです、中に入ってません」


「その忌々しい物を中に入れられる方が嫌ですわよ!!!」


「只の投影機に大袈裟です」


「前も言いましたわよね。私は機械を見ると死ぬのですわ!!! 全身に寒気が、息も苦しくなって来ましたわ。セバス! さっさと外につまみ出すのですわ!」


 羽間の傍に控えていたセバスが床の投影機を掴んで外に出す。その代わりに工口と梨華が理事長室に入って来る。


「人は機械を見ても死にません。相変わらず科学的でない事ばかり言いやがっています」


「うるさいですわね! お互い様ですわ。何が0.000000%ですの。そんな天文学的数値の何処に科学的要素がありますの!」


「正確には0.00003%です。例え天文学的数値であっても起こり得る事は起こる物として考えるのが科学です」


 俺は梨華のその言葉に思わず称賛の拍手をしていた。『起こり得る事は起こる物として考える』なんて素晴らしい理論武装なのか。昨日俺に足りなかったのはこう言う兵装だった。俺はここぞとばかりに今手にした武技を片手に羽間に反撃を掛ける。


「ああ、そうだな。つまり科学的に筋肉が喋る事は有り得るって事だな。じゃあ筋肉が喋っても魔法じゃないって事になるな」


「おいおい、香、自分が無茶苦茶な事言ってるって自覚ねーのか?」


「雑魚は引っ込んでろ!」


 俺は勝ち誇った様な表情を羽間に向けるが、彼女は不敵な笑みを作りながら視線を梨華に向ける。


「梨華、その理論には科学的に何かすべき事があるのではなくて?」


「勿論分かっています。私の予測が正しいか1つ1つ検証すれば魔法ではない事が明らになりやがります」


 俺はその梨華の言動に崩れ落ちそうになる。彼女は羽間との戦い方がまるで分かっていなかった。あろう事かせっかく手に入れた理論武装をあっさり手放してしまった。


「何言ってるんだよ! 検証なんかする必要ないだろ! 科学的に起こるなら起こるって事で置いて措いたら良いだろ?」


「何を言ってるんですか。科学と言うのは理論を検証し、正しいと判明して初めて成立するのです」


「ふふ、そう言う事ですわ。正しいかどうか検証して天文学的数値を引き当てたのかどうかを調べないと、科学的に否定は出来ませんわね」


 俺はどうして羽間が余裕の表情を浮かべていたのか理解する。羽間は、俺の理論武装を看破しただけでなく、梨華を追い詰め始める。


「それに梨華、あなたの推測が正しかったとしてもその天文学的数値の事が出来る人間は魔法使いと言っても差し支えないのではありませんか?」


「ありやがります! 科学は科学です!」


「良く言うではありませんか、行き過ぎた科学は魔法と変わりないと、あなたはそれを自分のオカルト科学が科学だと言う免罪符にしているみたいですけど、実際にその言葉は進んだ科学は最早科学ではなく魔法だと言う皮肉ですわよ。いい加減、自分が科学者ではなく魔法使いだと自覚を持ったらどうですの?」


「ま、またオカルト科学とか言いやがりました! 私は科学者です! 魔法なんて使えませんし、使った事もありません! そんな非科学的な存在を認めるつもりもないです!」


「思いっきり使ってたじゃねーか! 魔法の塊みたいな物使ってたけど!?」


「あれは列記とした科学です!」


「あなたがどれだけ科学だと叫んで理論を説明しても、今の周りの人々が理解出来なければ、やはりそれは魔法なのですわ」


「そんなのは無知の言い訳です! 科学的な理論が構築されていれば、それは間違いなく科学です! そうです、本来この世界に魔法なんて存在しやがりません」


「何とだって言えますわね。自分にしか理解出来ない理論を並び立てて、これは科学だって言うだけなら、そんなのだからオカルト科学なんて言われるのですわ」


「うぐぐ、またオカルト科学って言いやがりました!」


「あら、そんなに嬉しかったのですか? なら何度でも言ってあげますわ、オカルト科学、オカルト科学、オカルト科学者の梨華さん」


「むきーっ!? パソコンはおろか電卓すら使えないタブレットなんて聞いた事もない時代遅れの行き遅れ、化石人間の癖に!」


「化石人間――っ! 触ると死ぬだけで扱えない訳ではありませんわ!」


「触ると死ぬのにどうやって扱いやがるのですか!!!」


「揚げ足を取ろうとしたようですが無駄ですわ。この世の中には機械ではないパソコンも機械ではない電卓も存在するのですわ」


「機械でないパソコンや電卓なんて存在しやがりません!」


「そう思っているのはあなただけです。これでも私は機械でないタブレット端末も扱える様になりましたわ。タブレットなんて聞き慣れない単語に敬遠していましたが、使い始めると何でも出来るタブレットは便利ですわね」


 そう言って彼女は自慢げに画板の様な木の板を取り出す。


「右上にはメモ帳、中央には良く見る資料等が収まっていますわ、右下に電卓機能も備わっていますわ。どうです? これが機械でないタブレットですわ」


「くっ、確かに多機能、メモ帳に電卓まで使えるとなると……タブレット……です」


「……木の板じゃねーか。しかも電卓じゃなくてソロバン――あ、いや何でもないです羽間様」


「それは、ネットは使えるのか? ネットも使い得ないタブレットなんて骨のない骨付きカルビだぞ」


「そ、そうです。やはりタブレットはネットに繋がってこそ意味があります! ネットに繋がってないタブレットなんて只の板です!」


「……それで私を追い詰めたつもりですの? ワイワイが飛んでないここでは全てのタブレットは等しくネットに繋がって居ないはずですわ」


「ワイファイだろ」


「う、うるさいですわ。この国では去年からワイワイに変わりましたのよ!」


「そんな訳ないだろ」


「と、とにかく、これで私のタブレットがネットに繋がって居なくても何の不思議はありませんわ。どうです? 言葉もありませんか? オカルト科学者の梨華さん」


「――またオカルト科学って言いやがりました!? 機械音痴の癖に!」


 羽間が彼女に向かって言い返そうとしたタイミングでセバスが口を挟む。


「お嬢様、御戯れはそのくらいにして、本題を先に進めた方が宜しいかと」


「コホン、話しが進まないのでこのくらいにして置きますわ。それで、梨華、一体何の様ですの? 昨日から理事長室の前に陣取って迷惑極まりありませんわ」


「ふん、気付きやがっていたのですか。ならば正直に話します、私は1人の科学者として情報収集をしていただけです。風で枯葉が落ちる事も魔法だと言い張る魔法至上主義のあなたが魔法検定係りなる魔法か否かを判断する係りを作るなんてあり得ません。何か裏がありやがるに決まっていやがります」


「魔法か阿呆かですわ。他人の信仰心を否定する様な発言は気に入りませんわね。あなたもオカルト科学なんて自分の研究を否定されて嫌な思いをしたのではありませんか?」


「うっ、そ、それで答えられないのですか? グランドを歩いた時に舞う土埃も魔法だと言う様なあなたがです。魔法を否定する様な係りを作る訳がありません!」


「お爺様から最終勧告を受けて仕方なくですわ。今年中に魔法学園への合格出来る魔法使いを10人出す必要が出来たのですわ」


「その勧告は去年も一昨年も言われてたはずです」


「最終勧告だと言いましたわ。今までの勧告とは訳が違いますわ。早急に優秀な信仰心を持った生徒を見つけ出す必要が出て来ただけですわ。さて、次はこちらの質問に答えて欲しいですわね。あなたは何をしにきましたの?」


「ここに来た目的は1つです。私も魔法検定係りに加わります。こんな初日にして保留を3人も出す様な人に魔法検定係りを任せやがりません。私なら科学的な観点から魔法か阿呆か……魔法等存在しない事を証明出来ます」


 それは俺にとって願ってもない話しだった。元々彼女には味方になって貰うつもりだった。今は少しでも見方が欲しい。少なくともこのままでは、保留が増えて、なし崩し的に魔法を認める事になり兼ねない。


「言って置きますが、私は諦めるつもりはありません。認めないと言うのなら、認めるまで毎日ここに通って、勝手に香に張り付きます」


「はあ、残念ながら、梨華は昔からこう言う人でしたわ。何度、私が酷い目に会った事か」


「……昔からの知り合いなのか」


「ええ、同じ魔法使いの家系同士の古い付き合いですわ。同い年と言う事もあり、何かと一緒にされましたわ」


「ぶっ、お、同い年!? え? 羽間様って13歳なのかよ」


「18歳ですわよ。私が13歳に見えるならすぐに眼科に行った方が良いですわよ」


「……マジかよ、じゃあ、この見た目で18歳、来週で19歳って言うのかよ。なら、生徒手帳のあれは何だったんだよ!」


「だから俺は正しい事が書いてるって言っただろ。生年月日を見れば一目瞭然だっただろ」


「んな場所に目なんか行くかよ。つーか、魔法使いの家系って、やっぱり魔法使いじゃねーかよ!」


「両親も祖父母も優秀な科学者です! 魔法使いなんて学者連中の醜い嫉妬です!」


「彼女がこう言っていますが……香さんは、彼女を検定係りのメンバーに加えても構いませんか?」


 梨華が魔法使いの家系と言う情報に俺は思わず眉を潜める。梨華への疑念が俺の中で加速的に膨らんで行く。しかし彼女に疑いを抱くと同時に、彼女の後ろで情報を操っている羽間の狙いに気付く。彼女の狙いは間違いなく俺に仲間を増やさせない事だ。つまり魔法使いの家系だと情報もワザと明かして断らせようとしているに違いない。


「ふっ、そんなのに騙されるかよ。ああ、むしろ俺からお願いしたいくらいだ。科学者の彼女が仲間になれば、今後、より一層魔法だと騙される可能性はなくなる」


「いや、科学者じゃなくて魔法使いだぜ。つーか仲間の方がそこら辺にいる学生より魔法使いしてるからな。道長さんなんか、あんなのどう考えても魔法だろーが」


「剣技だって言ってるだろ、しつこいな。その顔を半分にして貰うぞ」


「それ、冗談にならねーからな!? 彼女、本気でやりかねねーからな!?」


「所でその朱美さんはどうしたのですか?」


「あ、ああ、何か用があるとか言って出て行ったぜ」


「……セバス」


「贄の扉はまだ出現していません、お嬢様」


「そう、まだ彼を招いた効果は出ていない様ですわね。少しもどかしいですわ」


「何の話しだ?」


 俺はコソコソと内緒話をしている羽間達に訝し気な視線を向けながら問い詰める。


「詳しく聞きたいのなら話して差し上げますわ。私の魔導書『悪魔辞典』の65ページに載っている贄の扉の話しですわ。贄の扉は99体の悪魔に取り付かれた生き物を贄に捧げる事で現れる扉ですわ。そこから魔王サタンが現れ――」


「そんな下らない話しなら話さなくて良い」


「ここからが面白いのに残念ですわ……さて、本題に入るとするわ。本日最初の人物ですが、名前はポチ郎、18歳、男性、信仰力は犬になる事ですわ」


「変身か、それは中々期待出来そうじゃねーか」


「何処かの誰みたいに四つん這いになってワンワン吠えるだけの変態かも知れないだろ」


「おいおい、犬畜生なんかと一緒にしないで欲しいぜ。俺は椅子だぜ」


「……犬以下だろ、それ。……でも変身とか言ってもどうせ、カーテンとかで自分の姿を隠して犬と入れ替わる様な奴だろ」


「DNAを一時的に書き換える薬を使いやがったのかも知れません。ルオルの翡翠を漬けた水に動物の血を混ぜる事でDNAの配列を歪める事が科学的に可能です」


「ルオルの翡翠ってなんだよ? 聞いた事もないぜ」


「はあ、そんなのも知りやがりませんか。これだから科学に疎い人間は困ります。マナが満ちた木の内部に作られる魔結晶の事です」


「思いっきり魔法関連じゃねーかよ!」


「馬鹿な事を言わないで下さい。魔結晶は化学物質の1つです」


「『魔』ってついてるけど!? 思いっきり『魔』ってついてんじゃねーか!?」


「工口、いい加減にしろよ。そんな事を言いだしたマドもマウスもマンドラゴラも魔法関連の物になるだろ」


「マンドラゴラは魔法関連だろーが!!!」


「コホン、実際に見て置ない内からあれこれ言うのは感心しませんわね。それに彼は犬に変身する信仰力ではありませんわ。あくまで犬になる事、そこを履き違えて欲しくないですわ」


「……何が違うんだ?」


「セバス、彼をここに」


 羽間の合図でセバスが床にビニールシートを引き、濡れタオルを何処からか取り出す。そして理事長室の窓を開けると同時に、窓の外から1匹のシェパード犬が飛ぶ様にして中に上がり込んで来る。セバスはビニールシートの上に着地した犬の足をタオルで綺麗に拭き取り、部屋の隅へ移動し待機する。


「変身ではなく犬になる事。ポチ郎は既にその信仰力によって既に犬になっていますわ」


「……只の犬じゃないのか?」


「違いますわ! 彼は犬になった人間ですわ。お手やお代り、伏せはお手の物。名前を呼べば返事をして。他にも二足歩も行出来ますし、トイレは必ず決まった場所に出来ますわ。それを言うに事書いて只の犬だなんて、失礼にも程がありますわよ」


「完全に只の芸達者な普通の犬だろ! 2日目にして犬が出て来るのかよ」


 犬とかどうしろって言うんだよ。ダメだ、落ち着け、また羽間の術中にハマるぞ。初心だ、初心に戻って、冷静に、冷静に否定を重ねれば良い。


「ほら、その様な事を言うから、彼は拗ねてしまいましたわ」


 ポチ郎は、ふて腐れた様子で伏せをしてプイと顔を俺から背ける。


「おいおい、香、これ、完全に言葉を理解してるぜ。只の犬だって言われてしょげてるじゃねーか」


「言葉が分かるだけで犬になった人間だと判断するのは科学的に考えて早計です」


「そうだそうだ」


「言葉が分かるだけで十分だろーが」


「そもそも、羽間にそう言う風に芸を仕込まれただけだろ」


「芸なんて仕込んでいませんわ。……証拠をお見せしますわ。2歩前進、回れ右、一鳴きして、1歩下がって、ジャンプ」


 ポチ郎は羽間の指示通りに動き始める。


「そこの顔デカも何か指示を出して見て下さい」


「自分の名前顔デカじゃないですから。えーっと、2歩右、ジャンプ、回れ右……マジで言葉理解してるぜ、香、これは本物だぜ」


「下らない。彼女が出した指示をなぞっただけだろ。そんなのちょっと賢い犬なら出来る。もっと難しい事をやらせないとな」


俺は犬の前に屈み込む。俺はジッとポチ郎を見詰めた後、右手を差し出す。


「お手、お代り、伏せ!」


 ポチ郎は俺の早口の指示にも関わらず指示通りに的確に動く。


「……完全に犬だな」


 ポチ郎、勢い良く体を起しながら『ワンワンワン』と抗議でもするかの様に激しく吠えて来る。


「ほら、ポチ郎も犬だって言われておこってるじゃねーか。しかも、それの何処が難しい指示なんだよ! 簡単じゃねーか」


 俺は工口の正面に立ち、右手を出す。


「……お手、お代り、伏せ!」


 工口は俺の指示に合わせて慌てて手を出し始める。


「何させんだよ!!!」


「工口は犬以下だな」


「なあ! さっきの奴正解ねーよな! 正しく出来たら犬、間違ったら犬以下って正解ねーじゃねーか!」


「普通の人はお手とか言われても無反応だぞ」


「……急に正論で現実突き付けて来るの止めて、心が耐え切れねーから」


 俺は落ち込む工口を横目に、いつもの様に疑いの心を胸に抱きながら目の前の犬を見詰める。すると直ぐに矛盾が見えて来る。


「危うく騙される所だった。犬になりたくてなった奴に犬って言うのは誉め言葉だろ。それを怒るなんて可笑しな話しだ。何が怒ってるだよ、騙されるか」


 ポチ郎は考え込む様な表情を作って伏せを行う。


「はあ、香、お前は今まで犬になりたいって思った事はねーのかよ」


「ある訳ないだろ」


「ないです」


「ありませんわね」


「ねえ! 皆急に冷たくないですかね!? 俺はこいつの気持ちが痛い程分かるぜ。俗世のしがらみ、毎日息が詰まる様な思いで過ごして居る時、気ままに散歩して周りからチヤホヤされてる犬を見ると思うんだ。俺も犬になりたいって」


 顔を上げたポチ郎は工口の言葉に同意する様に激しく頷き始める。


「でもそれは意識まで犬になりたいって訳じゃねー。あくまで姿だけ、中身は人間のまま犬になりてーんだよ。なのに『はっ、お前完全に犬だな』なんて言われたら腹も立つだろ」


 ポチ郎は涙を流しながら工口に握手を求める。工口はポチ郎の手を確りと握り込み、ゆっくりと頷く。


「分かる、痛い程お前の気持ちが分かるぜ。犬になれば飼主の美人のおねーさんにお風呂に入れて貰えて顔も好きなだけベロベロ出来るし、オッパイに顔を埋めても怒られない、スカートの中身は覗き放題。犬になりたくない男なんてこの世に存在――あぎゃーっ!?」


 ポチ郎に噛みつかれた工口は悲鳴を上げながら飛び上がる。如何やら2人は決別したようだった。


「……と、とにかく、ここまで人の言葉が分かるんだぜ。人間が犬になったと考えて間違いねーだろ」


「あのな、工口だって人の言葉が分かるんだぞ。犬が人の言葉を理解したくらいで何だって言うんだ?」


「どう言う意味だよ!!!」


「人間じゃない工口が人の言葉を理解出来るから、犬が人の言葉を理解しても――」


「説明するなや! つーか人! 顔大きいだけで普通の人間! はあ、あー糞、どうすれば人間だって証明出来るんだ。簡単だと思ってたのに意外と難しいぜ。羽間様、何か良い方法はありませんかね?」


 俺は工口に『ナイス』と親指を立てたくなる。工口のお陰で何もしなくても受け手に回る事が出来た。これは早々に俺に有利な状況が作られたと言っても良い。羽間は忌々しい者でも見る様な目で工口を睨んだ後、小さく息を吐き、露骨に話題を反らす。


「それはともかく……梨華、あなたは一体何をしていますの!」


 梨華は水槽の様な物にチューブが付けられ、チューブの先には病院でしか見ない様な装置を幾つか取り付けている。


「あなた達が下らない問答に時間を費やしてる間に人間判断装置を作りました」


「この部屋に機械は御法度だと言いましたわよね! どうして当たり前の様にその様な危険物を持ち込んでいますの!?」


「機械類は部屋の外に置いています」


「ドアから見えていたら一緒ですわよ!!! あー、寒気がして来ましたわ、死ぬ、死にますわ」


 梨華は羽間を無視して話しを進める。


「これを使えば科学的に彼が犬なのか人間なのか判別する事が可能です。生物にはDNAと言う設計図があるのです。それを調べれば、彼が犬か人間かは一目瞭然です」


 羽間には上手く話題を反らされ逃げられてしまうが、これは良いかも知れない。


「それは良いな、生物学的に犬なら犬って事だな」


「ま、待つのですわ……彼の信仰力は犬になる事、つまりDNAとかそう言うのも犬になっていても可笑しくないですわ」


 羽間は机に突っ伏しながらも反撃を行って来る。


「私は科学者です。その点を考慮に入れてないと思いやがってますか?」


 迷いなくそう言ってのける梨華に俺は期待を寄せる。


「この水槽の中でDNAの採取は彼の体を粒子に分解するついでです。ラシと言う彼の精神体をミロブ術式で確保し、五芒星と零体を可視可するコードの上に移動させれば、その者の精神体の姿を見る事が出来ます。それを見れば犬か人間かすぐに分かります。これが科学と言う物です」


「と言う事だ。これが科学だ、分かったか」


「科学要素2割程度だよな! 殆どオカルトだろーが!!! つーか、そんな無茶苦茶して元に戻せるんだろーな」


「はあ、検査の為に使った物が元の状態に戻る訳がないじゃないですか。だから研究者は常に真剣、何度も失敗出来やがらないのです。科学に出来る事は取り出した精神体が無事に成仏する事を祈るだけです。さて、ポチ郎でしたね、この水槽に入って下さい」


 ポチ郎は体を震わせながら部屋の隅へと逃げて行く。


「顔のデカい人、この装置が安全だとあの犬に説明して下さい」


「説明も何も安全じゃねーだろ! 死んでるだろーが! そんなのに協力出来るか! もっと安全で別の方法にしろや」


「顔がデカい癖に正義感ぶるなよな」


「顔の大きさは関係ねーだろ」


「……仕方ありません。確実性は失われますが、昔作った動物言語翻訳アプリがあるのでそれを使って彼の言葉を和訳する事にします」


 梨華はカバンの中からパット端末を取り出す。


「急に真面な物が出て来たら逆にビックリするぜ」


「コミュニケーションを取るのは人間に限った話ではありません。動物達だけでなく植物もコミュニケーションを取っています。動物は鳴き声や仕草、植物はフェロモンを出して自分の状況を周囲に伝えます。このアプリはそれらの情報をマテルコアに集約し、イジクリスタルを通す事で人語化する事が可能なのです」


「なるほど、これを使えば工口の言葉も分かる様になるのか」


「そう言う事です」


「日本語! さっきから日本語喋ってるだろーが!」


「出ました。今の言葉を通訳すると『座られてー、椅子になるから座られてー』と言っていやがります」


「言ってねーよ! ここに来る度、ちょっとは思ってるけど言ってねーよ!」


「どうやらこのアプリは信用出来るらしいな」


「疑おう? ここは疑おうか!」


「当たり前です。私を誰だと思っていやがるのですか。天才科学者です」


「……さっきから黙っていれば、機械を見たら死ぬと言いましたわよね! そんな私の前で良く堂々とそんなピコピコを出せますわね!?」


「普通に生きてるぞ」


「それはそのピコピコがオカルト機械だと判明したからですわ。もう少しで命を落としていた所でしたわ」


「オカルト機械ではありません! 純正な機械製品です!」


「何でも良いですから、それを使って元々人間がどうか尋ねれば良いですわ。そしたら否応なしに彼が元々人間だと分かりますわ」


「ではポチ郎、何か言って下さい」


 ポチ郎は恐る恐ると言った様子でワンワンと吠え始める。


「出ました『僕はポチ郎、皆、宜しく』と言ってます」


 ポチ郎は立ち上がり嬉しそうにワンワンと鳴き始める。


「出ました『本当に通じてる(泣き)嬉しい。僕の話しを聞いて欲しいです』と言ってます」


 ポチ郎は続ける様にワンワンと吠え続ける。


「出ました『僕は悪い魔女に騙されて、犬の姿に変えられて戻れなくなったんだ』と言ってます」


「悪い魔女に騙されて犬の姿に変えられたって、自分で犬に変身したんじゃないみたいだな。随分話しが違うぞ?」


 俺は羽間の出方を伺いながら攻め方を頭の中で組み立てて行く。


「何の問題ありませんわ。信仰心と言うのはそう言う物ですわ。思い込む事が信仰力。神様に力を与えられた、悪魔と契約して力を得た、精霊と契って力を貸して貰える様になった。その内容に関わらず、その信仰力によって彼は犬の姿になったのですわ」


 それは最早暴論なんて生ぬるい、妄言だった。俺は必死に反撃の言葉を探る。妄言には正論も常識も通用しない。それは昨日の惨敗で良く理解している。


「科学的に考えて思い込むだけで人の肉体が犬に変化する事は有り得ません」


「梨華、だからこそ、私はそれを魔法と言っているのですわ」


 当然の様に梨華の正論は雲に剣を差し込む様に飲み込まれて、あっさり潰される。


「魔女に犬の姿に変えられたと言っています。科学的に考えてその魔女が具体的に何をしたのか突き止めるべきです」


「そんな事をしても無駄ですわ。人が犬に変わったと言う事実を覆せない限り、魔法の存在を否定する事は出来ませんわよ。それとも科学、オカルトの付かない現在科学で人を犬に変えられるのかしら?」


「うぐ、全ての科学は科学でオカルトなんか付きやがりません!」


 羽間に丸め込まれようとしている梨華を見る。僅かだが、梨華が時間を稼いでくれたおかげで、何処を突けば良いか見えて来る。今回、重要なのはポチ郎が人間から犬に変身したと言う部分だ。その大前提を崩す事が出来れば話しが大きく変わって来る。


「犬が、その犬が自分は元々人間だったって思い込まされただけじゃないのか?」


 俺の言葉に羽間の表情が硬くなる。彼女の表情が険しくなるのを見て急所を攻撃出来たと確信を得る。


「どう言う事ですか?」


「その魔女が、犬に催眠術か何かで自分は元々人間だったって思い込ませたって事だ」


「催眠術も十分魔法だろーが!」


「これだからゴミカスは、既に催眠術のメカニズムは科学的に明かされています。科学者として断言します。催眠術は魔法ではなく科学です」


「俺の呼び方ドンドン酷くなってる気がすんだけど……」


「彼には人間の頃の記憶がありますわ。人として暮らした記憶が、まさかその記憶も催眠術で植え付けたとは言いませんわよね? そこまで行くと彼の言う様に魔法と言っても差し支えなくなりますわ」


「そんな事をしなくても記憶何て自分で幾らでも作り変えられるだろ。自分が人間だって思った瞬間から犬として過ごして来た記憶が人として過ごして来た記憶に変化しても可笑しくないんじゃないのか?」


 完全に形勢がこちらに傾いていた。昨日の惨敗が嘘の様に順調だった。俺は手を緩めずに一気に畳みかけようとする。だがここに来て羽間はちゃぶ台をひっくり返して来る。


「そもそも、その翻訳機が正しいとは限りませんわ。先程の話しは全て彼が人間に戻りたいと言う前提の上で成り立つ話しですわ。彼は犬になりたいと言う自らの信仰心によって犬になったのですわ。人間に戻りたい等と思ってはいませんわ」


「あなたの手口は分かっていやがります。そうやって話しを反らそうとして無駄です!」


「ああ、ここまで追い詰めたんだ、ここで確実に潰させて貰うぞ」


「ええ、私の翻訳アプリに誤りはありません! イジクリスタルは動物の感情を正確に判断してくれます。そのイジクリスタルを使った私の翻訳アプリに限って誤り等存在しやがりません」


「そうは言われましても、オカルト科学者のあなたの言葉だけではとても信じる気にはなれませんわね」


「だったら検証でもなんでも好きなだけしやがって下さい! 私が正しい事が証明されるだけです!」


「思いっきり話題反らされてるから!」


「反らされてません!!!」


 俺が頭を抱えるのと同時だった、理事長室に1人の少女が顔を覗かせる。無垢な少女の頭には青い小鳥が留まり、その肩にはリスが乗っており彼女が体を傾けるのに合わせて左右に移動を続ける。


「あの、検定を受ける事になっている生物いきもの 寄添雨よりそうです」


「寄添雨さんですか、今は彼の検定を行っているので終わるまで隣の部屋で……待って下さい、あなたの信仰力は動物とお話しが出来るでしたわね」


「あ、はい。昔から動物達の言葉が分かって、ここに来るまでは不気味がられて、酷い事もされて、でもここは自然も多くて、誰も私の事を変だって思わなくて、良い所です」


「嬉しい事を言ってくれますわ。あなたに頼みがありますわ。これはあなたにしか出来ない事ですの」


 そう言った羽間は俺達を見て挑発的な笑みを浮かべるのだった。


 恐る恐ると言った様子で理事長室に足を踏み入れた少女に対して、羽間はこれまでの経緯を軽く説明する。羽間の説明を聞いた少女は、怯える様な眼差しを俺達に向けて来る。


「俺は違うぜ? こいつと違って魔法だって信じる側だぜ」


 笑顔で彼女に近付こうとした工口にリスが牙を剥き出しにして威嚇する。


「フシャー、キュイキュイ!」


「もう、ラックそんな悪口を言ったらダメです。顔はともかく悪い人ではありませんから」


「顔はともかくってどう言う意味ですかね?」


「あ、ご、ごめんなさい。失礼でしたよね」


「ああ、全くだ。こいつの悪い場所は全てだぞ。顔だけなんて言ったら失礼になるからな」


「お前が一番失礼だろーが!」


「それで、引き受けてくれますか?」


「は、はい、動物達の言葉を通訳すれば良いのですよね? 引き受けます」


「梨華の翻訳機とどちらが正しいか早速検証と言いたい所ですが、まずは彼女の資料を渡して置きますわ」


 羽間は資料を俺に手渡して来る。


「彼女の名前は生物 寄添雨。現在13歳。信仰力は動物とお話しする事が出来るですわ。肩に居るリスはラック、小鳥はブルー。この2匹と仲が良くいつも行動していますわ」


 リスのラックは寄添雨の肩から理事長室の机の上に移動し、俺達に向かって恭しく頭を下げたかと思うと俺達を挑発する様にシャドウボクシングを始める。


「キュキュイ、キュイ」


 そう言ってリスは自慢げに胸を張る。


「糞、無茶苦茶可愛いじゃねーか。俺もこう言うペットが欲しいぜ。因みにこのリスはなんて言ってんだ? ちょっと気になるぜ」


「えっと、掛かって来い顔デカソチン野郎って言っています」


「可愛くねーな! 見た目に反して言動に可愛さは微塵もねーな!」


「ふっ、少しはやりますね。翻訳アプリでも大体同じです。でもハゲとゴミが抜けています。正確さではこちらが上の様です」


「なんで何もしてねーのにこんなに傷付いてるのかな? 可笑しーよね? よね!?」

小鳥のブルーはバサバサと飛び上がったかと思うと工口の頭に乗っかり、彼の頭を突き始める。


「チュン」


「おお、お前、慰めてくれるのか、ちょ、痛いって、でも嬉しいぜ」


「ああ、ダメですブルー、それは食べ物じゃないですよ」


「そいつには俺の事どう見えてんだよ!?」


「鳥の餌だから……パン屑だろ」


「こんなデカいパン屑があってたまるか!!! つーかパン屑って何だよ! 悪口の中でも最上級の酷さだぜ?」


 工口の事は一旦脇に置くとして……問題は彼女だ。声が聞こえる系には一種のトラウマの様な物がある。主に昨日の筋肉の所為だ。周りには証明出来ないこの手の力を否定するのは、本来なら『下らない』の一言で済むが、羽間の前ではそれは通用しない。未だにどう攻略すれば良いかの糸口すら見えていなかった。


 俺がそんな事を考えている間に羽間は話しを勝手に進めて行く。


「ちょうど動物達も連れて来てくれたようですし、彼らの言葉をお互いに通訳すれば、その翻訳機が正確かどうか分かりますわ」


「良いです、受けて立ちます」


「待て、さらっと彼女の信仰力が本物みたいになってるだろ。彼女が動物と話せるって信じる理由もないぞ」


 俺は気付けて良かったとホッと胸を撫で下ろす。


「ち、そちらはそちらで彼女の力が正しいが検証でもすれば良いじゃありませんの」


 今、舌打ちしたぞ。ハッキリ聞こえたからな。でもこれはつまり、互いの翻訳に齟齬が生まれた時が勝負って事か。


 動物達に並んで貰い、各々で1つずつ質問を行って行く事になった。こちらに有利になる様な質問をすべきだが、今の所、何も思いついていなかった。


「最初はそうですわね、顔デカにでも頼みますわ」


「俺か? あー、質問って言ってもな、あー、そうだ。何をして貰うのが1番嬉しいのか聞きたいぜ。ペットを飼う時の参考にも出来るぜ」


「えっと、この人が、ラック達は何をして貰った時が嬉しいか教えて欲しいんだって」


「キュイ?」


「わふ」


「キュイキュ」


「チュン、チュン、チュチュチュン、チュン!」


「えーっと『嬉しい事?』『褒められた時』『息臭っ、近寄んなゴミクズ野郎、死ね』」


「ねえ! 本当にそう言ってんのか!? 本当にそのリスそんな事言ってんのか!? お、落ち着け、ブルーは熱心に答えてくれたし、鳥を飼おう、絶対鳥にするぜ」


「ブルーは『飯』って言っています」


「合ってない! 言語量が明らかに合ってねーよ! 梨華さん、そっちはどんな感じですかね? 違いますよね!?」


「……全く同じです」


「なんでやねん! 参考になる答えを返してくれたのはポチ郎だけかよ……って、中身が人間の犬の答えなんて何の参考にもならねーよ!」


「次は香さんに質問でもして貰いますわ」


 考えろ。梨華の翻訳こそ正しいとなる質問。どうすれば梨華が正しく、彼女の翻訳を間違えさせられるか……。彼女が言いたくない様な答えを引き出せば良いのか。ここで真っ先に卑猥な答えと考えが出て来る辺り、工口に多大な影響を受けてしまっている気がする。

恥ずかしい事と言えば、他にもある。恥ずかしい秘密とかだ。良し、質問内容は大体決まったな。


「じゃあ、彼女の秘密を教えてくれ」


「おお、香にしては中々気の利いた質問じゃねーか。見直したぜ」


「お前に見直されるくらいなら死んだ方がマシだ」


「何で見直しただけでそこまで言われねーとならねーんだよ」


「寄添雨さん、嫌なら嫌だと言っても構いませんわよ。質問を拒否する権利は勿論ありますわ」


「そ、その……大丈夫です。きっと何か深い考えがあって聞いた事だと思いますので。皆、この人が私の秘密を知りたいって」


 寄添雨の言葉を聞き、動物達が話し始める。ラックとブルーは向かい合って手振りを交えて真剣に会議を行っている。


「ふと思ったけど、動物同士で話しって通じ合えてんのかね? 鳥とリスだぜ」


「リアルタイムで翻訳が進んでいるので読み上げてあげます。『秘密って何だ?』『飯』『それか、つまり、隠した食料の場所か』『飯』『ああ、確かに寄添雨は、そこに食料を隠してた。聞きたいのは冷蔵庫の事だ』『飯飯飯!』と会話しています」


「してねーよな! 噛み合ってる様で全くかみ合ってねーよな! 今更かも知れねーけど、鳥ってアホなんだな。――っ、いた、痛いって突くな!? 何で俺が悪口言った事分かった!?」


「す、すみません。プルーはあなたの事を御飯だと思っているみたいで、良く言って聞かせます。ブルー、そんな汚い物を食べ様としたら行けません」


「……悪意のない悪口って、1番胸にグサッと来るんだな。初めて知ったぜ」


「因みにポチ郎は完全に蚊帳の外に追いやられていやがります」


「あ、その、私の方も彼女が話した事と同じ内容の声が聞こえて来ます」


「ふふふ、残念でしたわね、香さん。策謀を巡らせた様ですけど上手く行かなかったみたいですわね」


 話せるからと言って動物に期待過ぎたのが大きな過ちらしい。


「最後は私が質問させて貰いますわ」


 羽間がサラッと言った最後と言う言葉に俺は引っ掛かりを覚える。羽間は次の質問でどちらの翻訳が正しいのかケリをつける自信でもあると言うのだろうか?


「質問内容は……そうですわね。自分を何の生き物だと思っているのかって言うのは如何かしら?」


 羽間の言葉を寄添雨が伝えると、動物達はそれぞれに色々話し始める。俺はすぐに羽間の狙いに気付く。彼女は最初からどちらの翻訳が正しいとか興味もなかったのだろう。いや、最初に工口や俺に質問させ、齟齬がない事を確認した上での今の質問なのだろう。彼女は最初からポチ郎が人間だと思っている事を動かぬ事実にしておくつもりだ。


 だが、それでも足りない。犬がそう思い込まされていると言う俺の理論をひっくり返す術でも持っているのか? でも、今の質問は、その下準備と考えるべきだろう。


「えっと、ラックは、自分はラックだと言っています。ブルーは自分を飯と、そしてポチ郎さんは人間だって言っています」


「私の方も同じです」


「如何やらこれでは、いくらやってもケリが付きそうにありませんわね。どちらの翻訳も正しいと言う事で結論を出しても言いかしら」


「私の翻訳が正しい事が証明されたなら何の問題もありません」


 羽間の視線が俺に注がれる。問題ないかと言う最終確認だろう。俺は返事をする前にいつもの様に疑いを彼女に向ける。『問題ない』と返事を返して良い物なのか? 犬の話しをひっくり返す術を持っているなら、『問題ない』と認めるのは危険過ぎる。かと言って認めなければどっちも間違っている事になり、結局彼女の目論見通りに犬の件がひっくり返される。


「……問題ないぞ」


「つまり、香さんは寄添雨さんの力が事実だと認めると言う事ですわね」


「なっ! それは――っ!」


「どちらも正しいと言うのはそう言う事ではありませんか。動物の言葉が分かる力を認めた以上、魔法を認めたと言う事で良いですわね?」


「最初からどっちでも良かったのか。犬か彼女か、どちらかでも魔法だと認めさせれば良い、そう言う考えで動いてたのか!」


「まさか、私はどちらも魔法だと考えていますわ。あなたにそれを認めて貰う為、あなたが認める可能性が高い方を押しているだけですわ」


 何も反撃の言葉が見つからず黙り込む俺に変わって梨華が羽間に噛みつく。


「彼女の力が魔法だと言うのは早計です。動物と会話する方法は幾つもあります。ナノマシンを媒介に意識を統合させれば、どの様な生き物とも会話が成立します」


「ナノマシンなんてまだ作られてねーだろ」


「そんな事はありません。既に各国でも作られ始めています。勿論私は既に作りました。炭素を核とする、小型の機械です。体内に取り込むと体の細胞を使って増殖する事が可能なので1つ取り込むだけで、一晩で全身にナノマシンが行き渡る様になりなす」


「……魔法関連は? いつもの様に魔法が関係して来るんじゃねーのかよ?」


「現代科学の最先端技術ですよ? 魔法なんか関係しやがってる訳がありません」


「このナノマシンを体内に取り込めば、傷や病気はたちまち修復、老化の心配もなくなり、ネットに直接アクセスする事も可能。体が炭素化して朽ちますが、他者と迅速な意思の疎通が出来、他種族、つまり動物とも意識を統合させる事で会話する事が出来ます」


「サラッと飛んでもない事言ったな! 物凄い欠陥があったな! つーかそんな欠陥あったら彼女も朽ちてるんじゃねーのか」


「その原因も彼女を調べればすぐに分かるはずです。もしくは私が作った物以外のナノマシンや、意識を統合する装置を使っているのかも知れません。科学的な可能性は幾らでも考えられます!」


「と、梨華さんは言っていますが、香さんはどうしますか?」


 ギリッと奥歯を噛み締める音が骨を伝って頭の中に直接響く。もう、あの言葉を言うしかなかった。実質の敗北宣言、しかし魔法認めない為には他に選択肢等なかった。


「……保留だ、保留」


「何を考えていやがるんですか! まだナノマシンの有無すら確認していません! その言葉を撤回しやがって下さい!」


「まあまあ、梨華、香さんはその調査を含めて後日に回すと決めたのですわ。もっとも初対面のポチ郎さんとも意思の疎通が出来た地点で梨華さんが咄嗟に思い付いた科学的な話しは全て怪しくなりますわね」


「ぐぬぬ……咄嗟でも科学的な根拠があります!」


「寄添雨さん、ありがとうございました、もう帰って結構ですわよ」


 寄添雨が頭を下げてリスと小鳥を連れて理事長室から出て行く。


「……あー、こいつは結局どうなったんだぜ? 人間って事で良いのか?」


「そうですわね。人間だと思い込まされたと言う話しを覆すのは骨が折れそうなので、只の阿呆だと認めてあげますわ。それに人間に戻りたいと言う意思を確認出来ただけでも大きな収穫ですわ。あなたが心の底から人間に戻る事を強く望めば、人間に戻る事も叶いますわ。魔法とはそう言う物ですので」


 ポチ郎は嬉しそうに『わふ』と一鳴きして、部屋に入って来た時と同様に窓から校庭に飛び出して行く。


 そこから20分程の休憩を挟んで羽間は本日最後の学生の資料を俺に手渡して来る。


「本日最後の刺客は、名前は空手からて 一筋ひとすじ26歳、男性。信仰力は岩を砕く拳ですわ。彼が渾身の力を拳に込めて岩を殴った時、その岩は砕けるそうですわ」


「絶対、色々大袈裟に言ってるだけだろ」


「大袈裟ではありませんわ。高校時代、空手部で負けなしだった彼は大学の時、空手の大会で初戦敗退を経験し、究極の拳を求めて山籠もりを始めたそうですわ。その時、たまたまこの学園を見付け、それ以来、彼は修行の合間にこの学園で休んでいますわ」


「1つ言って良いか? それさ、ここの学生でもないだろ」


「……関係ありませんわ」


「あるだろ」


「とにかく、彼は今、近くの修行場にて待機しているそうですわ。なのであなた達にはそこに行って彼が魔法か阿呆なのか確かめて来て貰いますわ」


「理事長は来やがらないのですか? 敵前逃亡ですか?」


「嫌ですわよ、山の中なんて面倒くさい……コホン、他にも検定の為に呼び出している生徒がいますわ。彼らを放って置いて理事長室を空ける訳にはいきませんわ。思いたければ敵前逃亡とでも何とでも思ってくれて構いませんわ」


「本日最後じゃなかったのか?」


「……明日呼ぶ学生に予め話しを通して置くのですわ! これでも忙しいのですわ!」


「俺としてはそっちの方がやり易いから良いけど」


「それはどうかしら、彼の拳が岩を砕く所を見れば流石にあなたも魔法だと認めざるを得ませんわ」


「随分自信があるみたいだな」


 もしかして何度も岩を砕く所を確認しているのだろうか? だとしたら、危険だ。


「自信? 私が自信もなく可愛い学生をあなたに紹介しませんわ」


「いや、ここの学生じゃないだろ」


「彼の信仰力を見ればあなたにも分かるはずですわ。本物の魔法だと。私は見た事がありませんが、自信を持って断言出来ますわ」


「しかも見た事もないのかよ」


 理事長室から出ると同時に梨華が荒振り始める。


「あの余裕の態度、本当にムカつきます! 空手男の資料を見せて下さい。今回こそは保留に何かさせません! 科学的な事実を白日の下に晒して魔法の可能性を完全否定してやります!」


 梨華は俺の手から空手家の資料を奪う。


「パンチで岩を砕くですか。一見無謀で出来たら魔法に見えますが、岩の種類、形、大きさによっては科学的に可能です」


「何言ってんだよ、岩だぜ、岩。そんなの殴って壊せるなんて魔法以外の何でもないだろ」


「岩とか言いながら大きな瓦を持って来るかも知れないぞ」


「それでも十分魔法だろーが」


「じゃあ、パワードスーツを着てるかも知れないだろ」


「今時山籠もりなんかしてる空手家がどうやってそんな物手に入れんだよ」


「それは浮世を捨てた怪しい科学者に人造人間に改造されるんだぞ」


「それ仮面のライダーじゃねーかよ!」


 校庭を出て、山の中を少し進むと男の息も吐かせぬ程の激しい声が聞こえて来る。


「せいせいせいせい!」


 声のする方向に向かって進むと、白い道場着に身を包んだ髭で顔がライオンの様になった1人の男が、汗だくになりながらも木の幹目掛けて何度も拳を突き出している姿が視界に飛び込んで来る。木の幹は男のパンチによって皮が剥がれ白い肌が見えてしまっている。


「せいせいせいせい! しゅー……はっ! 来たか」


 俺達の存在に気付いたその空手は、息を吐きながらゆっくりと構えを解く。そのがっしりとした体を見て、弱いと思う者等この世に存在しないだろう。


「君達が、この私が空手家人生を掛けて編み出した究極の拳、石破拳を見たいと申す者達か。私がこの生涯を賭して編み出した拳、安くはないぞ。ついて来い」


 空手は俺達の返事を聞く事もなくスタスタと山の中を突き進んで行く。その一切の迷いない足取りに俺は不安を募らせる。そんな俺の不安を余所に空手は静かに語り始める。


「私が自分の弱さ知ったのは、ここで修行を初めてすぐの事だった。この地に修行しに来るきっかけとなったのは、スポーツ大学の代表選手として、プロも参加する大きな大会に出場して決勝戦で敗退してしまった。敗因は僅かな体力の差だった。疲れから出来た僅かな隙を畳みかけられた。あの戦いで勝っていればオリンピックにも出る事になっていただろう。だが負けた。敗者は悔しさ以外何も与えられない、それが空手だ。だから私は山に籠り、本格的に体力作りをする事に決めた」


「トレーニングジムとか先に行くべき所あるだろ」


「かー、香、お前は男のロマンってのが分からねーのか。山で修行つーのは夢があんだよ」


「うむ、しかし現実は、山での生活は何もかもが厳しく、小屋を作るまでは野宿が続き、食料の確保も出来ずに数日食事を抜く事もあった。生き抜く事に全力を注がなくてはならなく、修行なんて行っている暇は何処にもなかった。今から2年前の事だ。この地獄の様な山の中で私と同じく修行を行っている女性を見掛けた。いや、私と同じ等と言ったら師匠に失礼に当たるな」


 空手は懐かしむ様な笑みを漏らしながら、歩み続ける。パッと薄暗かった視界が明るくなる。周囲を見ると切り株が増えており、そのおかげで日差しが遮られずに地面まで確りと届いていた。


「見掛けた時、自分より遥かに年下に見えた彼女に声を掛け様とした。こんな厳しい山の中での生活、私以上に困っている事はないのかと思っての事だ。でもそれはしなかった、いや、出来なかったと言うべきだ。私が声を掛け様と思った直後の事だ。重りを付けた木刀で素振りをしていた彼女の元に、3メートルはあろうかと言う巨大なクマが現れた、クマは巨大な岩の後ろから接近していた為、私も彼女も気付くのに遅れてしまった。明らかに正気を失っていたそのクマは躊躇いもなく彼女に襲い掛かる。その時、起こった光景を私は生涯忘れないだろう。彼女は石を大量に巻き付けたその木刀でクマを一刀両断した……クマだけではない、クマの背後にあった巨大な岩も含めて真っ二つ切り伏せた。その直後、威力に耐えきれなかった木刀が粉々に砕け散った所まで鮮明に覚えている」


「……え? クマ? 待て、え? クマが出るのか? じょ、冗談じゃねーぜ」


「この辺りに出るのはツキノワグマです。ツキノワグマが捕食の為に人に襲い掛かる事はないので慌てて心配する必要はありやがりません」


「襲われてるじゃねーか! 話しに出て来た女性襲われたじゃねーか」


「気の所為だろ」


「明らかに常識外れの話しだからって全部を気の所為で済ませようとすんなや! つーかその女性だけど、絶対道長さんじゃねーか」


 空手が立ち止まる。彼の視線の先には真っ二つに割れた3、4メートルはありそうな巨大な岩があった。


「私は自分の弱さを知った。これまでの自分がどれだけ程度の低い戦いしかしてこなかったのか。自分の目標がどれだけ低かったのか思い知る事となった。人は岩を斬る事が出来る、その事を教えてくれた彼女を私は師匠と仰ぎ、本当の強さ、真の武を求めて、私は来る日も来る日も、木の幹、そして岩へと向かって拳を突き続けた。最初は酷い物だった、木の幹相手にも手の甲はずり剥け血だらけにもなった。何度も心が折れそうになるが、私はその度、自分の問い掛けた、この拳は岩を割れるのかと……。そして私は石破拳を獲得した。あの日、師匠が断ち切った岩を、この拳で粉砕した時、石破拳は空手の究極奥義、石破神拳へと生まれ変わる!」


 空手は近くに落ちていた手の平サイズの大きめの岩を拾い上げ、一呼吸と共に握り潰す。粉々の砂と成り果て、その岩は空手の拳の中から零れ落ちて行く。


「え? え? ……え? 石だったよな……に、握りっ潰したぜ?」


空手はその場で座禅を組み、精神統一を始める。


「あの岩ですか。科学的観点から徹底的に計測して来ます」


 梨華がカバンから道具を色々出して岩に張り付く。


「……こいつはマジのマジだぜ。香、あの岩を砕けたら魔法って事で良いな? リンゴを握り潰すのは見た事あるけど、石だぜ、石。おい、平気か? 言葉なくしてるみたいだけど」


「はは、はっ、少し相手のパフォーマンスに圧倒されただけだ。そんなのに騙されるかよ。砂を固めてた奴を仕込んでただけだ。自分が如何にも岩を壊せるって俺達に思い込ませて岩の仕掛けから目を反らす為のパフォーマンスだ」


「調べた所、典型的な砂岩です。石の内部構造も調べましたが仕掛けは一切ありませんでした」


「そこまで調べなくて良いだろ仕掛けを施せる余地を残させてくれよ!」


「何を言っているのですか。科学に妥協はありません」


 融通が利かないと言うか何と言うか……。何とか岩が砕けても可笑しくないと言う話しに持って行かないと。


「砂岩って言ったら所詮砂を固めて出来た石だろ。それなら簡単に砕けるんじゃないのか。鍛えた男のパンチなら割とあっさり砕けても可笑しくないな」


「おいおい、目の前にある岩を良く見やがれ、石の種類なんて関係ねーよ。あんなの殴って砕ける訳ねーだろ」


 羽間がいないと思って安心していたがそれは間違いだった。顔がデカいだけの工口の癖に中々やる。だが所詮正論を振りかざしているに過ぎない。真顔で暴論を叩きつけて来る羽間と比べると力不足も良い所だ。


 ここは砂岩だから砕けても不思議じゃないと言う方向で話しを強引に進めるとしよう。砕けても可笑しくないとなれば、何が起こっても魔法だと認める必要はない。


「見掛けじゃなくて重要なのは質だぞ。どれだけ硬そうでも――」


「はい、重要なのは強度の一点です。その強度が十分ある事は確認しました。ハンマー等で叩けば簡単に傷付きますが、完全に壊すにはダイナマイト辺りが必要になりやがります」


 俺は思わず真顔になる。梨華に足を引っ張られている気がするのは気の所為だろうか?


「なら拳であの岩が砕けたなら、魔法つー事になるな」


「はあ、これだから科学を理解出来ない単細胞は困りやがります。彼の腕にエタニティマジカルを使いグラビティ・ラインを走らせれば、腕の重力を書き換え強力なパンチを繰り出す事が可能です。それを考慮せずに魔法だなんて早計です」


「だからそれ、魔法だろーが! 明らかに魔法だろ!?」


「しつこいな、科学技術だぞ」


「そんな科学技術聞いた事ねーよ!!!」


「今からその仕掛けが施されてないか調べます。これで魔法なんて存在しない事がハッキリするはずです」


 あの岩が殴っただけで砕けるとは思えない、絶対にあり得ない……と思うが、もしもの事を考えると何か手を打っておかないと……何か良い手は……良い手、空手……あ、そうか。そう、魔法じゃなければ良いのか。


「空手の究極奥義石破神拳か。長い修行の末、鍛えに鍛えて、やっとの思いでその拳技を獲得出来るまでになったんだよな」


 工口は目ざとく俺がしようとしてる事にすぐに気付く。


「おいおい、まさか拳技だから魔法じゃねーとか言い出さねーだろーな」


「羽間も言ってただろ、進んだ武術は魔法と変わらないって」


「科学だろーが! しかもそれ、魔法だって意味を強める為に言ってただろ!」


 俺は工口の言葉を完全に無視して話しを進める。


「つまり本人が拳技だって言うなら拳技って事だ。そもそも長く厳しい修行の果てに獲得した己が技を魔法の一言で片づけるのは、どうかと思うぞ。それだと真の空手家じゃなくて只の魔法使いになるじゃないか」


 工口がジト目で俺の事を睨んで来る。工口、お前はまだ気付いてないかも知れないが、これは戦争、潰し合いだ。どんな手を使っても魔法の可能性を潰さなければならない。


「あのー、1つお尋ねしたいのですが、岩を砕く拳は魔法、ですよね?」


 工口は手もみを繰り返しながら空手に尋ねる。


「私にとって、それはどちらでも構わない。空手の技と言われればそうなのかも知れない。魔法と言われたら魔法でも構わない。重要なのは私の拳が岩を砕く事、それ以外の事に興味等ない」


 空手はゆっくりと立ち上がり、半分に両断された岩の前に立つ。


「あの人の体にグラビティ・ラインの痕跡はありませんでした。普通の生身の人間です。あの体からは威力300キロ前後のパンチしか繰り出せないです」


「その数値が凄いのかどうか分からねーよ」


「凄いボクサーレベルのパンチです。科学的に考えて岩の前に彼の骨が砕けやがります」


「それはつまり岩が砕けたら魔法って事で良いな?」


 梨華の所為で完全に逃げ道を塞がれてしまう。


「……砕けたらな」


「その心配はありません。四方に置いた計測器で確りと計測しているので砕けたとしても科学的に何が起こったのか解明出来ます。魔法なんて結論が出る事はありえません」

空手は俺達の事等気に留める様子も見せず、構えを作り、呼吸を整えて行く。拳を岩に触れるギリギリまで近付けてはゆっくりと離す。


「すう……せいーはっ!」


 そのパンチは既存のパンチと明らかに質が違った。普通、パンチの威力を高めるには速さの他に体重を乗せる事が必要だ。だから体を大きく動かしながら繰り出されるパンチは誰の目にも強く映る。しかし彼のパンチはそっと前に突き出しただけに見えた。そう、あくまで見えただけ。岩と接触した瞬間、インパクトの振動の様な物が地面を通してこちらまで伝わって来る。見ただけでは分からないが、恐ろしい程の威力の籠った一撃が岩に加えられた事は間違いなかった。しかし、それ程の一撃を受けても岩がびくともする事はなかった。


「せいせいせいせい!!!」


 空手は間髪入れずに拳を何度も突き出して行く。俺は空手が何か仕掛けないが注意深く観察を続ける。そんな俺の肩を深刻な表情を作った工口が何度も叩き、森に向かって指を差し始める。


「そうやって俺の視線を反らさせている内に岩に何かするつもりだろ。騙されないぞ」


「そんなんじゃねーよ! あれを見ろ! あれ!」


 工口は俺の頬を叩く様な勢いで森に向けさせる。そこには、こちらに向かって突進して来るイノシシの群れがあった。実物のイノシシは想像の倍くらいの大きさがあり、体感だけで言えばクマと大差なかった。それが群れとして突進して来るのだから、恐怖以外の感情を感じる余地はなかった。


「殿っ!?」


 イノシシの群れの後ろから聞こえて来た声に視線を向けると朱美の姿があった。彼女は俺と目が合った瞬間、一気に加速し、群れの外に居るイノシシを蹴り飛ばしたかと思うと、刀を引き抜き、群れの進行方法にある木に斬撃を飛ばして切り倒す。倒れる木に群れが足を止めた瞬間、彼女は群れの内部に食らいつき、一気に3匹のイノシシを両断する。


 両断されたイノシシは体内から触手の様な物が溢れ出し、朱美に向かって襲い掛かる。彼女はそんな触手のことごとくを切り伏せて、イノシシを徹底的にバラバラに刻んで行く。血しぶきと肉片が舞う中、刀を振るい続ける彼女はまるで修羅の様だった。


「なあ、香、あの生き物は何だよ?」


「イノシシだろ」


「んな訳ねーから! イノシシは体から触手とか生やさねーから!」


「……尻尾だろ」


「尻尾はお尻から1本だけ生える物だろ!!!」


「あれはリジで肥大化しただけの普通の寄生虫です。騒ぎやがる物ではないです」


「騒ぐ物だよ!? 大パニックになるレベルの物だろーが!? つーかリジって何だよ!? 絶対魔法関連の単語だろ!」


 彼女の周囲を舞い散る血しぶきと肉片がゆっくりとだが、意思でも持つ様に一ヶ所に集まって行く。気付けば彼女の正面に血と肉片で作られた大きな扉が出来ていた。


「おい、おい!!! 何か扉みたいなの出来てるけど!? 明らかにヤバそうな物が出来たけど!?」


 工口が俺の肩を激しく揺すって来て、それを俺に見せようとして来る。


「死体の山に大袈裟だぞ、グロイのは苦手なんだ、勘弁してくれ」


「扉じゃん!? 何か出て来そうな扉になってるじゃねーか」


「落ち着いて下さい。イノシシを刀で斬った時、その肉片で扉が出来る確率は0.0006%程度もありやがります」


「なら、騒ぐ程の事でもないな」


「事だろ! つーか、天候も怪しいんだけど!? 昼なのに夜みたいな暗さになって来たんだけど!?」


 ギシギシと骨が軋む様な音がその扉が聞こえて来て、ゆっくりと開かれる。その場にいた誰もが同じだった。本能が扉を直視する事を避けてしまう。開け放たれた扉から2本の赤黒い触手が飛び出して来て、俺達の方を目掛けて真っ直ぐ突っ込んで来る。


「――っ! 殿!? 天魔道長剣技、斬!!!」


 朱美が刀を力強く振り下ろす。その瞬間、刀が向いていた方向に生えていた木が何かに叩き切られた様に縦に真っ二つに斬れて行く。そして俺達に向かって来ていた触手を両断する。だが、触手は止まる事はなかった。斬られた2本の触手は絡まり合いながらイノシシの形を取り、俺達に向かって迫って来る。


「嘘だろ、おい! 不味い不味い不味いって!? あれはヤバいって!?」


 それに対して思った事は『おぞましい』と言う感情だけだった。うごめく触手が僅かに獣の形を保っているに過ぎず。直視するのも避けたい相手であった。


「せいせいせいせ、せいーっはっ!!!」


その時、ピキッと高めの音が聞こえて来ると同時に、空手家の正面にあった岩が大きな音を立てて2つに割れる。


「完成した。今ここに石破神拳の完成を宣言する。私は遂に石破神拳を獲得した!」


「お、おい! 香、あいつ岩を割りやがってぜ、ほら! 見ろ! 拳で割りやがってぜ!? はは、何とか出来る! 岩を砕いたあいつなら、あの化け物もなんとか出来るぜ!」


「はあ? 砕いてないだろ。岩は割れただけだぞ! 勝手に砕いた事にするな!」


「お前はこの状況で何にキレてるんだよ! そんなのどうでもいいだろーが!!! 頼む! あの化け物をその拳で何とかしてくれや!!!」


「これは、おあつらえ向きの相手が登場したらしい。イノシシの化け物か。あの時のクマには程遠いが、私の拳をぶつけるのには十分な相手。石破神拳は確かに完成した。だが技は動かぬ岩に繰り出す物ではない、生きた敵に放ってこそ! こちらだ! イノシシの化け物、掛かって来い!!! この石破神拳でこの岩の様に粉々に粉砕してくれる!!!」


 空手家の声に反応してイノシシの形をした化け物は彼の元に向かって行く。本来岩を砕いたと言う事実は歓迎出来ない所だが、今回ばかりはその事実が何よりも頼もしかった。


「すう……せいーはっぐぶばっ!?」


 彼が突き出した拳はあっさり触手に絡め取られ、イノシシの形をした化け物はスピードに乗ったその巨体を空手に叩き込む。空手はサッカーボールの様に吹き飛び、山の中に消えて行く。


「弱過ぎるだろーが!!! お、おい、どうすんだ!? どうすんだよ!!!」


「その顔で何とかしろ!」


「出来るか! 俺の顔を何だと思ってんだ!」


「BGデストロイなら持ってます。これもエタニティマジカルを利用した道具で――」


「そんな凄そうな魔法アイテムがあるならさっさと使えや!」


「科学道具です。これはグラビティ・ラインによって内部の重力を変化させる事によってBGデストロイと言う虫が嫌う薬品を散布する事が出来ます、これで何とかしやがって下さい」


 そう言って梨華はスプレー缶を工口に渡す。


「……虫よけスプレースプレーじゃねーか!!! これを俺にどうしろと、こんなの渡して俺の後ろに隠れるなや! 香もさりげなく俺を盾にするな! ――っ! 悪いが俺は一抜けさせて貰うぜ!」


 工口は俺達の一瞬の隙をついて駆け出す。イノシシの形をした化け物は耳障りな奇声を上げながらターゲットを駆け出した工口に変えて迫る。


「何で!? 弱い方から狙えや!」


「逃げる者を狙うのは獣の本能です」


「逃げ出したりしたから弱いって思われたんだろうな」


工口が犠牲になるまさにその時だった。横からポチ郎が飛び出し、イノシシ形をした化け物に体当たりする。イノシシの化け物はバランスを崩し、転んだ際地面を滑りながら2本の触手に解けて行く。動きが止まった所で、2本の触手は素早く絡まり合いイノシシの姿を形作って行く。


「ひぃいい、やべーよ、ヤバ過ぎるって」


ポチ郎は付いて来いとも言わんばかりに『わふ』と泣き、来た道を引き返して行く。俺達はポチ郎を追って森の中を走って行く。


俺は1度だけ朱美の姿を求めて振り返ってしまう。扉から辛うじて人の形をした黒い何かが這い出て来ていた。それは一目でヤバいと分かってしまう何かであった。鳥肌に寒気、悪寒、そう言った体が発する危険信号を全て感じてしまう。俺は見なかった事にして全速力で工口達の後を追い掛けるのだった。


 学園の敷地まで全力疾走した俺達は、各々息を切らせながら地面に倒れ込む。昼間の明るい青空を見上げると先程の出来事が全て嘘の様に感じる。


「あっ!」


 梨華があげた大きな声に俺と工口、そしてポチ郎が飛び起きる。


「計測機器の回収を忘れました」


「紛らわしい声を出すな!」


「心臓が飛び出るかと思ったぜ。つーか、何だよあの化け物!」


「化け物? イノシシだろ」


「いやいやいや、どう見てもイノシシじゃねーから!」


「お前、野生のイノシシも見た事ないのか?」


「ねーよ! 普通に暮らしてたら野生のイノシシなんか見ねーから!? つーか、触手が集まってイノシシの形をしてただけだろーが!」


「見た事もないのに断言すんなよな。野生のイノシシって言ったらあれだろ」


「んな訳ねーだろ!!! 全身触手で出来てたからな」


「だから触手じゃなくて尻尾だぞ」


「それでも可笑しいよな!? 全身尻尾で出来たイノシシって可笑しいよな!」


「可笑しくないぞ。遺伝子異常で毛の代わりに尻尾が生えた個体だろ」


「どんな個体だよ!!! ああもう! 頑固と言うか何と言うか……それと、岩、砕けたから魔法つー事で問題ねーよな」


「……砕けてない、割れただけだ」


「んなのどっちでも良いだろーが」


「良い訳ないだろ! 砕けたんじゃない、割れたんだぞ! それの何処が魔法だ!」


「十分魔法だよな! 割れても十分魔法だろーが!!!」


「違う!」


「何処がだよ!!!」


「それにあいつはイノシシの1匹も倒せなかっただろ。あんなパンチで岩がどうこうなる訳ない。何か仕掛けがあったんだよ」


 工口は反撃材料が見つからなかったのか、黙って俯いてしまう。


「それは……そうかも知れねーけど」


安堵の息を吐くのも束の間、犬がグルグルと警戒する様に森を見て唸り始める。次の瞬間、森の中から1本の触手が飛び出して来る。工口が情けのない悲鳴を上げるのと同時に触手は細切れになり、肉片と成り果てる。


「殿……御無事で、何より」


 触手を追う様に出て来た朱美は前進ズタボロで、森から体を出すと同時にその場に倒れ込む。俺は彼女のそんな姿に小学生の時の記憶が蘇る。


「理事長に……報告せねば、贄の扉が……」


「朱美! 確りしろ! 大丈夫か!」


 返事を返してくれない朱美を見て、俺の中で不安が一気に膨らんで行く。


「死に直結する様な外傷は見当たりません。息もありやがります。すぐに保健室に移動させて下さい」


「あ、ああ」


 俺は朱美を負ぶって保健室に急ぐのだった。何かが起こり始めている、そんな一抹の不安を抱えながら……。

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