魔法は実在する
序章 魔法は実在する
小学校の教室内の見える物全てが赤く染まって行く。机、椅子、床に天井、窓、そしてクラスメイト達。突如として教室の中央に現れた、辛うじて人の形をした真っ黒な何かは、刀の様な黒い影を振り回し、何もかもを赤く染めて行く。耳をつんざく程の複数の悲鳴も1つ、また1つと消えて行く。
恐怖の2文字に表情を歪ませる生徒達の中、薄ら笑みを浮かべていた1人の少女、道長 朱美の姿を見付け、俺は彼女の元に駆け寄る。
「どうして……悪魔、どうして……いや、いや、こんなの、いや、嘘、いやいやいや」
怯える様に屈み込み首を振り続ける彼女に俺は声を掛ける。
「……もしかして、これが朱美ちゃんの言っていた悪魔?」
彼女が突然口走った悪魔の話しを信じたのはクラスで俺だけだった。当時の俺は人の疑う事を知らず何でもかんでも鵜呑みにしてしまう少年だった。だから彼女が急に言い始めた悪魔の話しも何の疑いもなく信じた、信じてしまった。
彼女は幼い少女に似つかわしくない、引きつった様な笑みを浮かべ、静かに涙を流しながら俺を見詰める。
「……知ってる? 嘘って吐き続けると本当になっちゃうって……嘘だったのに……悪魔とか全部、全部! 嘘だったのに、どうして信じちゃったの? 嘘だったのに……全部……本当の事に……なっちゃったよ。悪魔なんて話し、信じて欲しくなかっ――」
次の瞬間、彼女と共に黒い刃が俺のお腹を貫く。その瞬間、世界から音が消え、色が消え、光が消えて行く。
――それ以来、俺は全てを疑う様になった。
体を起す。先程までの悪夢を振り払う様に首を振りながら、目を擦る。ふと、自分が見知らぬ場所に居る事に気付く。そこは茶色を基調とした見知らぬ何処かの応接間の様な場所だった。入口のドアが閉まる音に視線をそちらに向ける。誰かが部屋から出て行った様だった。
「ようやく目を覚ました様ですわね。山本 香さん。ここ四方を山に囲われた秘境に建てられし英才魔法学園付属学園に喜んで転入してくれた事、この学園の理事長であるこの私、羽間 真子が歓迎しますわ」
声がする方に視線を向けると、長く伸びた黒い髪、幼い顔立ちながらも彼女が作る表情は妖艶さを秘めており、妙な色気のある女性が、俺の友人、工口 元気を四つん這いの椅子にして座っていた。
窓から見えるのはそびえ立つ山、歴史を感じる木造の古い校舎が見える。
「……状況が呑み込めないって顔していますわね。本日から、あなたはこの伝統と由緒のある魔法学園……の付属学園で、魔法検定係りをして貰う事になりましたわ」
そう言って学園の理事長を名乗った羽間はニコリと妖艶な笑みを浮かべるのだった。
――ゆっくりとだが、状況を思い出して来る。
何はともあれ、まずは自己紹介から始めよう。俺は、山本 香、現在高校1年。俺は、5年前の教室で起きた辛酸な事件をきっかけに学校をサボる様になった、所謂不良だ。不良と言っても喧嘩に明け暮れ、闘争心を剥きだす事を生き甲斐にしている様なヤンキーとは程遠く、言うなら只の素行不良少年である。
5年前の事件が俺の人生を別物に変えた。あの事件の生き残りだった俺は何処に居てもマスコミやテレビ関係者が付き纏い、事件後も苦しむ事になった。そんな状態のまま中学、そして高校に上がればどうなるか、想像に容易くないだろう。俺はそのまま社会からフェードアウトする様にぐれてしまった。学校をサボってはゲーセンに入り浸る日々が続き、気付けば不良と呼ばれる人間になっていた。
工口と出会ったのは、中学2の夏だった。
不良になればモテると勘違いし、ギャルのナンパに失敗し続けた工口は、ナンパは人数だと考えたのか、良くゲーセンで顔を合わせていた俺に声を掛けて来た、それが彼との出会いの始まりだった。お互いに中身を伴わない不良だった為、すぐに意気投合して、気付けば一緒に過ごす様になっていた。
この日もいつもと同じ様にゲーセンのメダルゲームで時間を潰した後、工口のナンパに付き合って、少し離れた所にある歩道橋の下に来ていた。
「お前、本当に工口か?」
「なあ、香、頼むからトイレに行く度にその確認をするのは止めて欲しいぜ。いい加減うんざりするぜ」
「何言ってるんだ。もしかしたら偽物かも知れないだろ」
「んな訳ねーだろ! トイレ行って戻って来る3分の間に何があったって言うんだ!」
「お前の顔の大きさだとトイレの個室に入ったら爆発するだろ!」
「顔の大きさと爆発に何の因果関係もねーだろ!!! たく、俺の偽物とか何処に需要があるんだよ。目的も分からねーし」
「その人類にはあり得ない顔の大きさだ。何処かの研究機関に連れされて、代わりにアンドロイドをその場しのぎに残して行く可能性もある」
「そこはかとなく、俺の事馬鹿にしてるよな? とにかく本物だぜ、本物、ほら、さっきも話した朝の占いでやってたラッキーアイテムの青いハンカチも持ってるだろ?」
「顔デカい癖に占いなんて信じてるのかよ」
「それ、さっきも言ったよな! 顔の大きさ関係ないだろって、俺、声を張って言ったよな!!! 信じるのはこっちの勝手だろ。このハンカチが風で飛ばされたおかげで、この歩道橋の存在に気付けたんだぜ。やっぱり、ラッキーアイテムって言うのは良い物だぜ」
「はあ、占いなんか疑いもせずに信じるくらいなら、幸運に成るツボを信じろよな、本当にアホな奴だな」
「そっちの方がやばいよな! ツボとか1番信じたらダメな奴だよな!?」
「俺がツボを信じる? そんな訳ないだろ。俺はな、高島さんを信じたんだよ!!!」
「そっちの方が問題だから! ツボの方がマシとか俺に思わせんじゃねーよ! 何で普段からあれこれ疑いまくってる癖に、肝心な所で騙されてるんだ……っと、そんな事より、来たぜ、来た来た、今朝の可愛い子! みえ、みえ、見えたぜ! ぐへへ」
工口は、歩道橋を下り帰宅する女子生徒達を見上げながら気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「顔がデカい癖に気持ち悪い笑みを浮かべるな」
「顔がデカいのは関係ねーだろ!? ほら、香、何してるんだぜ、上手く俺の事を隠してくれ、メダルゲームの賭けで勝った約束だろ」
俺はため息を吐きながら工口の正面に立ち、階段を下りる女子達から工口が見えない様にする。
「何を思ってお前の親は工口なんて酷い名前を付けたんだろうな。その所為で名前の通りの性格になって、名は体を表すって良く言うけど、酷い話しだよな」
「苗字だから両親の意思は関係ねーだろ。まあ、結婚した時、母親の方に苗字に何でしなかったんだって思った事は何度もあるけど。この名前は名前で使い道があるぜ」
工口が急に静かになったかと思うと歩道橋を下りて来るスカート女子に夢中になっていた。そのスカート女子はカバンでスカートを守りながら工口に冷たい視線を向ける。工口は俺を押し退け、階段を下り切ったその女子の元に向かう。
「ねえ、君達、俺の名前知ってる。工口って言うんだぜ。人工の工に口、ぱっと見、エロって見えるんだ、面白くねーか? そんな面白い名前を持つ俺と連絡先――」
俺は自分の名前をナンパの道具にしている工口を見ながら、俺はため息を吐く。男の俺から見ても分かる程に下心を丸出しにしている工口を見て感じるのは嫌悪感だけだった。あんな様子だとナンパなんか成功する訳がない。
案の定、女の子達にあしらわれた工口は、真剣な眼差しで俺の元に戻って来る。
「あー、彼女欲しい、彼女じゃなくて良いから、女の子に俺の名前的な事をしたいぜ。お前もそう思わねーか、何が悲しくて、野郎2人で半日も顔を突き合わせてないとならないんだぜ」
また静かになったかと思うと工口は足元に風で飛ばされて来たスーパーのチラシをジッと見詰めていた。少ししてカッと瞳を見開いた工口は、セールの宣伝をするスーパーのチラシを指さす。
「これだぜ! 合法的に女の子からもみくちゃにされる方法があったぜ、勿論犯罪にもならない。そんな夢みたいな方法を見付けたんだぜ。興味あるよな? 男なら!」
「工口、そんな物はこの世に存在しないだ、いい加減気付いてくれ。この世には痴女も露出魔もマジックスミラー号も存在しないんだ。目を覚ませ、あれは全部嘘なんだ」
「最後のは存在してるだろ!!! じゃねーよ! そんな宝くじに当たる様な夢物語じゃなくて、もっと現実的で確実な奴だぜ」
「言って置くけど透明人間になる薬も存在しないぞ」
「だからもっと現実的な方法だって言っただろ! とにかくまずは話しを聞いてくれ。その方法とはな、バーゲンだぜ……おいおい何だ、その目は? 信じてねーな。バーゲンはパラダイスだぜ? バーゲンセールをちょっと想像してみろよ。女性達が我先にと分け目も振らずに商品を買いあさる。時にそれはキャットファイトにまで発展する。服を奪い合う漫画とか有名だろ? あの中に飛び込むんだ、もう何も言わなくても分かるだろ?」
「夢見すぎだろ」
「そんな事はねーよ! こっちにはラッキーアイテムがあるんだ。今日の俺はこれがある限りする事成す事全てが上手く行くぜ! でも俺も冷静だからよ、このスーパーのバーゲンに飛び付いたりしないぜ。婆達にもみくちゃにされる姿が容易に想像つくからな。狙うなら服だぜ。それも若者をターゲットにしてるブランド……でも、ちょっと待て、スーパーのバーゲンは人妻も参加してるよな……人妻……しかも今日にでも体験出来る。親友よ、共にその桃源郷に行かないか? 共に男になろうぜ」
「普通に痴漢だからな。お前が捕まったら、いつかすると思ってたってインタビューに答えるからな」
「何でだよ!? そこはそんな事をする人じゃないって信じてる、何かの間違いだって言う所だろーが!」
「何でお前の事なんか信じないとならないんだよ、俺がこの世で信じるのは自分と『幸せの会』の高島さんだけだ」
「今すぐそいつの事を信じるのは止めろ!!! 絶対に騙されてびばびぶっ!?」
工口はいきなり痙攣をおこしたかと思うとその場に崩れ落ちる。彼の背後には、まるで時空を超えて来たかと勘違いを起してしまいそうな格好をしたポニーテールの女性が立って居た。黒い袴に、弓道部が付けていそうな赤い胸当て、そして、その腰には真っ赤な鞘の刀が携えられている。
「殿! ご無事か! 人ならざる顔の大きさ、やはり悪魔で相違ないか!」
いきなり昏倒した工口の事も気にはなったが、それ以上に俺は、目の前に立っている女性に意識を持って行かれる。
「な、え? え? あけ、み、ちゃん?」
切れ長の瞳にスラッとした鼻、少し薄めの唇。5年前とはすっかり別人と呼べるまでに顔つきは変わっていたが、面影の様な物が確かにあった。
俺は有り得ないと自分の言葉を疑う。彼女の幻影を追う余り見てしまった幻視だ。目の前に居る時代劇から抜け出して来た様な女性が朱美ちゃんの訳がなかった。
「私の前から消えて貰う、醜き悪魔よ!」
白銀に輝く刃が振り上げられる。刃の狙いは昏倒してピクリとも動かない工口だった。俺は咄嗟に手を伸ばしていた。信用の置けない只の変態だが、それでも俺にとっての数少ない友人の1人だった。
「――っ」
袴姿の女性は正確に工口の首を目掛けて振り下ろそうとした刀を止める。彼女は驚きに満ちた眼差しで俺を見つめて来る。
「何故であるか! 殿!」
僅かな時間とは言え、周囲から視線を集めるのには十分過ぎる時間だった。周囲の視線に気付いた彼女は白銀の刃を素早く真っ赤な鞘の中に収める。そして――。
「殿、先を急ぐ故、失礼」
袴の女性が一瞬で間を詰めて来たと思った直後だった。突然腹部に衝撃が走り、一瞬にして俺の意識は深い闇の中に沈んで行く。あまりに唐突過ぎる出来事に俺は最早何が起こったのかも分からなかった。
そして現在に至る。
どうすれば疑う事が出来るのか。事件の後、俺が最も悩んだ問い掛けだった。疑うと言うのは簡単な様で難しい。世の中に溢れるフェイクニュース、一体どれだけの人が疑いを持てるだろうか。昨日全然寝れなかった。友人のそんな言葉をどれだけの人が疑えるだろうか。一体どれだけの人が、これは現実なのかと朝起きる度に疑いを持てるのか。全てを疑うと決めた俺でも難しいのだから、普通の人はまず出来ないだろう。
疑うのにもコツが必要だ。そのコツが最初に頭の中でこう思う事だ『嘘だ』とその言葉から始める事であらゆる物に疑いを抱く事が出来る。
俺は頬を抓り夢ではない事を確かめる。その後、視線を工口の上に座っている何処か偉そうな態度の少女に向ける。
「まずは確認させて貰う。本物の羽間 真子か?」
「何を言っていますの? ええ、本物ですわ」
「証拠は! ちゃんと証拠を出して貰わないと信じられる訳ないだろ!」
「本物かどうかの証拠なんて持ち合わせていませんわよ」
「だったら信じられないな」
「……証拠を提示したとして! どうやって私が本物だと判断すると言いますの!」
「そんなの決まってるだろ。確実にそして正確に判断する為、提示された証拠を確り精査した後、周辺の人間への聞き込みを済ませ、万全の状態を整えた後、コインを投げて決める」
「前半の行為全部無駄にしてるな!? それなら最初からコイン投げて決めろや!」
「工口、いい加減にしろ。そんな博打みたいな方法で決める事じゃないからな」
「決めてんだろーが! 結局コインで決めてるだろーが!!!」
「それで、これは一体何の冗談だよ。魔法学園? 魔法検定係り? バカらしい、魔法なんてこの世に存在する訳ないだろ」
俺は工口の上に座っている少女を睨みながら吐き捨てる様に言い切る。俺の態度を見て羽間は挑戦の様に受け取ったのかニヤリと笑みを浮かべた後、口を開く。
「魔法と行くと大多数の他人が同じ想像をしますわ。呪文を唱えて火を起したり、魔法陣を描いて精霊を召喚したり、確かにそう言った物の魔法には違いありませんわ。そして血筋や家系と言った一部の選ばれた存在しか使えないと物と思われていますわ。確かにそれは事実ですわ。物心がつく前から魔法の存在を知る、それだけで魔法使いとしての資質を満たしてしまうのですから。ですが――」
工口の上に座る羽間はそのふざけた態度とは裏腹に至極真剣な表情を作り、口を開く。
「魔法とは、神が作りしこの世の理を捻じ曲げる事象の事ですわ。良く当たる占い、ジンクスに、自身を成功に導いてくれるルーティン。雨が降りそうだと思ったら必ず雨が降ったり、必ず当たる嫌な予感……どうして幽霊が居そうな場所に実際に幽霊が現れると思います? 幽霊が出ると言われている場所に本当に幽霊が出てしまうのか、それは誰もがここに幽霊は居ると信じるから、その信仰心が、神が作ったこの世の理を捻じ曲げ、実際に幽霊までも出現させる。この事象をこそを魔法と呼びますわ。そして魔法使いとは、神が作った摂理を捻じ曲げてしまう程の強い信仰心を1人で持った者達の事ですわ」
「それは、つまり信じる事が魔法つーことか?」
「いいえ、信じて、信じ抜いて、それを現実にしてしまう事を魔法と言いますわ」
「じゃ、じゃあ、俺がラッキーアイテムを持ち歩いた日には必ず幸運に恵まれるのも?」
「ええ、ラッキーアイテムを持てば幸運になると信じた事による魔法ですわ」
「朝のルーティンで自分のお尻を左右5回ずつ叩くんだけど、しなかった日は必ず何処かに痣を作ってしまうのも、もしかして」
「ええ、魔法ですわ」
「マジかよ……な、なら、定期テストで一桁の点数を取るのも、俺がどうせ今回も一桁の点数を取るんだろって信じてしまっているから――」
「それは只の阿呆ですわ」
「……それも魔法と言う事で良くないですかね」
羽間は工口の言葉を無視して真っ直ぐと視線を俺に向ける。
「魔法とは本来、万人が使える物ですわ。信仰心、何かを強く信じると言う事は神の理すらも捻じ曲げてしまえる行為ですわ。だから私の父はこの学園を作りましたわ。強い信仰心を持った者達、極めて魔法使いに近い者達を集めた学園を……」
5年前の出来事が脳裏に過る。あってはならない事、それは存在してはならない事、俺は頭の中の光景を振り払いながら、彼女を睨み付ける。そして俺は彼女の話しの全てをたった一言で否定する。
「下らない」
吐き捨てる様に呟いた俺の一言で、余裕を見せていた彼女の表情を曇らせる。
「何が魔法だ。そんなのは全部偶然だろ。工口も騙されるな、本当に魔法があるなら今頃お前はモテモテでハーレムを築けてるんじゃないのか?」
「た、確かに魔法が使えるなら彼女の1人くらい出来ているはずだぜ」
「そんな醜くデカい顔を毎朝鏡で見ながら自分がモテるなんて普通思い込めませんわ」
「……あの、それ、無茶苦茶酷い悪口じゃねーですかね!?」
彼女は工口の言葉を無視して机の上に置かれていたファイルに手を伸ばし中の資料に目を通し始める。
「可笑しいですわね……5年前に悪魔と遭遇した人間の言葉とは思えませんわ」
「――っ!?」
俺は敵意を剥き出しにしながら工口の背中に座る少女を睨み付ける。そんな俺の眼差しを受けても彼女は動じる様子もなく、改めて資料に目を落とす。彼女が別のページを開いた瞬間、幾つか写真が零れ落ち、床に広がる。写真には俺や工口の姿が映っていた。俺はそれらの写真を見て更に警戒心を高める。羽間は写真を拾いながら口を開く。
「友好的にこちらに赴いて貰おうと思い、あなたの知り合いである彼女を迎えに向かわせたのですが、効果はなかったようですわね」
腹部への鈍い痛みを思い出すと同時に袴姿の女性を思い出す。何度も頭の中で『嘘だ』と自分に言い聞かせるが、人の最も厄介な部分、信じたい事を信じてしまうと言う性質が働いてしまう。
「――彼女ってまさか」
「ええ、道長 朱美ですわ」
その名前に一瞬だけ全身の力が抜けそうになる。何とかその場に崩れ落ちるのを堪えた俺は脅迫観念に囚われた精神患者の様に彼女の所在を確かめようとしてしまう。
「彼女は今何処に! 何処に居るんだ!? 答えろ! あの後、突然行方不明になって、警察の捜索もすぐに打ち切られて――っ。彼女もここに居るのか! 答えろ!」
「彼女も今はここの優秀な生徒の1人ですわ。そうですわね、もう1度会わせて上げても良いですわよ。勿論、私に協力する事を約束してくれたらの話しですが、ふふふ」
羽間は俺が断れないと言う確信でも抱いたのか余裕のある笑みを浮かべる。悔しい事に彼女の判断は正しかった。5年前、事件の後、病室で目を覚ました俺に告げられたのは彼女が行方不明になったと言う事実だけだった。その日から片時も彼女の事を忘れた事はなかった。会いたい、会えなくてもどうしているか知りたい、せめて生きているかどうか知りたい、そんな思いでずっと過ごして来ていた。
「……協力って俺に何をさせるつもりなんだ?」
「そんな身構える事はありませんわ。まずはそちらの椅子に座ったらどうですの?」
俺が客用のソファーに腰を下ろすと羽間は続きを話す。
「先程も話した通り、この学園に入学して魔法検定係りになって貰うだけですの」
「本当にそれだけか? その魔法なんとか係りにするだけなのか?」
「……一々疑り深いですわね。それだけですわ」
「工口、今の話し、本当なのか?」
「俺が知る訳ねーだろ」
「工口が知らないって言うなら本当か」
「お前が何を基準に判断してるのか俺には全く分からねーぜ」
「それで魔法なんとか係りって言うのは何だ?」
「その前にこの付属学園の事を改めて説明する必要がありますわ。知っての通り英才魔法学園は数多くの魔法使いを排出している名門中の名門学園ですわ」
「知っての通りって初めて聞いたけど」
「俺は聞いた事あるぜ」
「なんであるんだよ」
「その筋では有名なのですわ。世間に知られている様な有名な占い師や霊媒師達は大半がこの学園の卒業生ですわ。そこを卒業すると言う事は魔法使いとして将来を約束されると言っても過言ではありませんわ。ですがそこは、血筋や家系を重んじる貴族社会の様な場所、入学出来る人物も魔法に携わる血筋や家系だけ、そんな学園に疑問を持ち、私の父は20年前に、この付属学園を作ったのですわ」
「父の考えは正しく、この学園からも毎年数名の魔法使いが生まれていましたわ。ですが最近は、えっと、なんて言いますの、あれですわ、あれ、ピコピコする奴で見られるウンターヘット? あれですわ、情報化社会ですわ」
「ピコピコって、機械音痴の田舎のおばあちゃんかよ」
「なっ! 機械音痴ではありませんわ!!! 安易に情報を取得出来てしまう機械は魔法使いにとって毒なのですわ! だから使わない様にしているだけですわ!」
「ああ、そう」
「……こほん、と、とにかくその情報化社会の影響で、生徒達の信仰心が中途半端になり、先程の退学を宣告したレモン男の様な魔法使いでも何でもない只の阿呆と成り下がった者が増える始末。当然、本学園から魔法学園に入学出来る程の能力を持った魔法使いは激減、赤字経営が続いていた事も相まって、お爺様から、今年中にこの付属学園から英才魔法学園に入学出来る魔法使いを10人出さなければ取り潰しと言う宣告を受けてしまいましたわ。それに伴い極めて魔法使いに近い者達の中からこれは魔法使いだと言う人物を10人見つけ出す必要が出て来ましたわ。その為に作ったのが魔法検定係りですわ。その係りに相応しい人間としてあなたに白羽の矢が立ったのですわ」
「何で、そこで急に矛先が俺に飛んで来るんだよ」
「……因みに両親には話しを付けてありますわ。全寮制の学園でサボってゲーセンに入り浸れない事を伝えると喜んで転入に賛成してくれましたわ」
「無視かよ! ……さっきから魔法が実在するみたいに言ってるけどな、俺は魔法なんて信じる気はさらさらないからな。そんな物は存在しないんだよ、下らない」
「おい、香! いつまでそんな下らない意地を張り続けるつもりだ。5年前の事件、少しだけど聞いたぜ。俺は情けねーよ、いつまで逃げ続けるつもりだ? ちょっとは男らしく向き合ったらどうなんだ?」
「今のお前にだけは、そんな事言われたくない! と言うか、さっきから何してるんだよ!」
「見て分からないのか? ……椅子だぜ」
「本当に何してるんだよ!」
「俺だってしたくてしてる訳じゃねーよ。いきなり拉致されて、そこまで顔を大きく出来るのは魔法使いの素質があるから入学しろとか言われて『ふざけるな』って言って帰ろうとしたら、この学園の理事長であらせられる羽間 真子様に椅子になる魔法を掛けられてしまったんだよ!? 俺は必死に抵抗したさ、いきなり椅子になれだぜ、こんな屈辱的な事、死んでもたまるかって男のプライドを振るって抵抗したんだ。でもよ……『座ってあげますわ』その呪文を聞いた瞬間、俺は椅子になっていたんだ。香、魔法は、確かに存在するんだ。俺はこうして身を持って魔法の存在を実感したから言える、魔法は実在する!!!」
「お前のそれは、スケベ心出しただけだろうが!!! 何処が魔法だよ!!!」
「いいや、これは魔法だぜ。そうでもなければこんな屈辱的な格好する訳ねーだろ。俺にだってプライドはあるんだ。椅子になって喜ぶ訳ねーだろ!」
「鼻の下を伸ばしながら言っても説得力とか皆無だからな。俺を騙そうとしたって無駄だ」
「……分かったぜ。何でもかんでも疑うなら逆に、これが俺のスケベ心だと言ったらどうするんだ?」
「だと思った。自分のスケベ心を名前の所為だけじゃ飽き足らず魔法の所為にまでし始めたのかよ。顔がデカい癖に、情けない事するなよな」
「なんで今の発言は疑わねーんだよ! つーか顔の大きさは関係ねーだろ! ……これはあなたの魔法だと、この分からず屋に言ってやって下さい」
「何を言っていますの? これは魔法でも何でもありませんわ。顔がデカい癖に態度もデカかったので椅子なる様に命令しただけですわ。顔がデカい癖に周りを勘違いさせる様な発言はしないで欲しいですわ」
「あのー、言動に悪意を感じるんですけど!?」
「どうしても魔法の存在を信じる気はないと、そう言いますの?」
「さっきからそう言ってるだろ」
彼女は工口の上から退いて理事長席に戻る。主を失った工口は寂しそうな表情を作ったまま、俺の隣のソファーに腰を下ろして来る。そして小さく息を吐きながら『お尻』とボソボソと呟いていた。
「……如何やらこれは実際に見せない事には魔法の存在を信じて貰えそうにありませんわね。有力な生徒の情報はここにまとめられていますわ。その中から取って置きを見せれば信じるしかなくなるはずですわ。この生徒とか良さそうですわね。自分は石を食べる事が出来ると言う信仰心を持った生徒ですわ」
「何でそいつはそんな事思ったんだよ」
「知りませんわよ。とにかく石を食べる、これは魔法でもなければ出来ない行い、これを目の当たりにしたら魔法の存在を認めますわね」
「……剣を口の中に入れる手品もある、小ぶりの石を呑み込んで食べたとか、簡単に割れる様な岩をパリパリ食べた程度じゃ魔法なんて認めるつもりはないからな」
「自分の体程ある大きな岩を食べているらしいので、その様な詰まらない子供騙しの手品とは格が違いますわ。すぐに呼び出すので……腹痛で緊急入院していますわね」
「只の阿呆だな! 無茶して入院しただけの阿呆だろ!」
「ま、まだですわ。彼女の、彼女なら問題ありませんわ。ホウキに乗って空を飛べると言う信仰心を持った女性ですわ。ホウキで空を飛ぶなんて魔法以外の何物でもありませんわ」
「どうせ、ジャンプして飛んだとかじゃないのか?」
「最高滞空時間は10秒ですわ。ジャンプしただけでは出せない数値ですわ。その記録を出した直後、彼女も何故か入院していますが、既に退院していますわ」
「それ何処かから飛び降りただろ! ホウキに跨って落下しただけだろ!」
その時だった、部屋がノックされ。小学生2,3年くらいの小さな女の子とサングラスを掛けた筋肉隆々の大きな男が部屋に入って来る。
「内の可愛い娘が退学になるかも知れないとは、どう言う事ですかい? 魔法の才能があると言うからこの学校への入学を――」
「も、もう、お父さん止めてよ! 検査でダメな結果だったらって説明したじゃん」
「そんな事を言ってもな! 一方的に退学と言うのは……」
「お父さん、全く見込みがない限り、退学なんて宣告しませんわ。ささ、中に入って欲しいですわ」
「は、はい」
少女が中に入る間に羽間は資料を捲り続ける。やがて彼女の資料を見付けたのか、その手をピタッと止める。そして俺の事をチラリと見て不敵な笑みを作る。
「早速ですが、あなたの魔法をこの検定係りのお兄さんに見せてあげて下さい」
小さな少女が怯える様な眼差しで俺の事をジッと見詰めて来る。俺はどうして良いか分からず視線を背け、羽間を睨み付ける。
「すべき事は説明しましたわ。彼女の力が魔法か、はたまた只の阿呆が見極めるだけですわ」
「あんたが判断するって言うのか……娘の将来と夢が掛かっているんだ、分かっているんだろうな。娘の魔法は本物だ、娘が魔法を使う度、俺がどれだけ驚いているか分かっているか? 驚きのあまり腰を抜かすくらいだ。この俺がだ!」
娘の隣で腕を組みながら威圧する様な視線を向けて来る。俺はその威圧に耐え切れずサングラスのムキムキ男から視線を背ける。
「い、行きます」
下らないと思うが、厳つい彼女の父親の前と言う事もあるが、10歳にも満たない小さな少女の前で悪態を吐く事も出来ず、俺は黙って成り行きを見守る。少女は緊張した面持ちでピンクの可愛らしいクマのポーチから玩具のステッキを取り出す。
「え、えっと、この、魔法のステッキで魔法少女に変身します」
「彼女がステッキを掲げて呪文を唱えると魔法少女に変身すると言う信仰心を持ているみたいですわ。これを魔法と言わずして何を魔法と言うのか私には分かりませんわ」
「魔法少女、懐かしいぜ。香、知ってるか、魔法少女の変身シーンはマジで最高だぜ。その部分だけを集めた動画が欲しいくらいだぜ。それが目の前で見られる、ゴクリ」
俺は軽蔑の視線を工口に向ける。
「待て待て、何か勘違いしてねーか。幾ら俺でもそんな趣味はねーよ。魔法少女物って言うのは変身した時、大人の姿になるって言うのが定番じゃねーか。俺が期待してるのはそれだぜ?」
「どっちにしてもだからな」
俺はタネや仕掛けがあるなら絶対に見逃さない、そんなつもりで少女を見詰める。早着替えなんて言うのは手品でも基本の部類に入る。そんなのを見せられた所で俺が魔法だなんて騙される訳がない。
そんな俺の思いも余所に、少女はステッキを自分の頭の上に掲げてクルクルと回し始める。
「マジカル~、ミラクル~、ルンルンピーン」
少女がステッキを回しながら可愛らしい呪文を唱えた瞬間だった。彼女の体が光に包まれ、宙に浮かぶ。
俺はそんな奇跡の様な光景に思わず息を呑んでしまう。思わず魔法の存在を信じ込みそうになってしまう。俺はそんな気持ちを抑え込み『嘘だ』と口の中で何度も唱える。仕掛けがあるはずだと注意深く観察する。しかし、眩しさが邪魔をして真面に見る事が叶わない。
そうこうしている間に、光に包まれた少女が床にフワリと降り立つと共に、少女から溢れていた光も何処かに霧散してしまう。そして……少女の父親の衣装が魔法少女の物へと変わっていた。
「そっちが変身すんのかい!」
「俺の可愛い娘の魔法に何か文句でもあるのか!!!」
ピンク色のフリフリの衣装を身に纏ったすね毛や腕毛が目立つ彼女の父親に胸倉を掴まれた工口は涙目を浮かべながら必死に首を横に振る。
「月に変わってお仕置きだ!」
そう言って彼女の父親は剛腕から繰り出されるパンチを工口の腹に叩き込む。
「顔だけは止め――くべしっ!?」
「もう、お父さん、それは古いよ」
「そ、そうか、すまん。でも、これで娘の魔法が本物だと分かっただろ」
「い、いや……」
「おい、娘の魔法にケチを付けようって言うのか!」
俺は色々な意味でモンスターとしか表現の出来ない彼女の父親を前に首を横に振る事しか出来なかった。
「……娘が魔法を初めて使ったのは2年前だ。その頃の俺は妻に先立たれ、仕事とお酒に逃げる日々を送っていた」
「……なんか語り始めたし」
「今思い返しても最低だった。娘の事を真面に見ようともせずに、だから魔法が使えると娘が言い始めた時は俺の気を引く為のデタラメだと思い相手にもしなかった。次の日、不意に昨日が娘の誕生日だった事を思い出し、慌てて娘が欲しがりそうな、この魔法のステッキを買ってプレゼントした。彼女が魔法を使ったのは次の日の事だった。それはもう驚いたよ、人生で1番驚いたと言っても良い!」
「でしょうね! そんな姿にされて驚かない訳ないよな!」
「この魔法のおかげで俺は娘と向き合う事を余儀なくされた。確かに娘は魔法少女への強い憧れがある。日曜の朝は必ず早起きしてテレビの前で正座する様な子だ。でもこの魔法は魔法少女に変身したいって思いだけではない。自分と関りを持ちたい、自分と向き合って欲しい、そんな娘のささやかな願いが籠った魔法なんだ! この娘の思い、お前にも分かるだろ! さて、折角変身したんだ、いつもの様に世直しに行って来る!」
「……お父さん、うん、頑張って」
「娘からの応援! うおおおおお! 月に変わってお仕置きされたい奴はいねぇか!」
彼女の父親は理事長室を飛び出して行く。
「どう? これで魔法の存在を信じてくれたかしら」
「なんで、これでそんなドヤ顔が出来るんだよ」
「う、うるさいですわね! どうですの、彼女は魔法使いと言っても差し支えないはずですわ」
手品だとしたら実に巧妙な視線誘導と言える。父親の方には意識を全く向けていなかった。自分に注目を集める間に父親が物凄い速さで着替えたと考えるのが自然だ。この少女は何も知らず、全部あの父親の自演と言う可能性もある。
「……いや」
俺が否定的な意見を言おうとした時だった。突然少女が泣き始める。
「そ、です、よ、ね……魔法、また、失敗、して……お父さん、変身、させちゃって、こんなんじゃ、魔法使い、失格、で、よね」
「……失敗だったのかよ」
俺は涙を必死に拭く少女を横目で見ながら羽間に『卑怯だぞ』と言う視線を向ける。
「でも魔法で変身させた事には変わりありませんわ」
「香、俺の事を最低って言ったけどな、幼女に優しく出来ねー奴はもっと最低だぜ」
「くっ……」
絶えず溢れる涙を両手で拭い続ける少女の姿を見ていると自分の信念が揺らぎそうになる。思い出すのは真っ赤に染まる教室、あの事件だった。魔法なんて認める訳には行かない、認める訳には――。
「そうですわね。判断が難しければ保留でも良いですわよ」
それが助け舟ではなく彼女が仕掛けた罠だとすぐに分かったが、それに飛び付かない選択肢は俺にはなかった。
「……保留で」
「恵美ちゃん、自身が変身出来る様に精進して欲しいですわ。思えば叶う、それが魔法ですわ」
「は、はい!」
目の周りを真っ赤にした少女は、羽間に元気良く返事して部屋を出て行く。部屋を出て行く少女は、もう泣いてはいなかった。
「如何やら魔法の存在を認めてくれた様で良かったですわ」
「認めた訳じゃない!」
「でも保留と言う事は……そう言う事ですわよね」
やはり俺の想像通り、罠だった。俺は1度深呼吸を行い、冷静に魔法だと言う事を否定して行く。
「あの父親がライトを使って俺達の目を潰してる間に着替えたんだ」
「でも変身中、彼女、浮いてたぜ?」
「……それはあの父親が後ろから持ち上げたんだ」
「持ち上げながら着替えるなんて出来ねーと思うけど」
「ぐ……ぬぬぬ」
そもそも俺は手品を見抜く力を持ってない。その為、目の前で手品を見せられても仕掛けを見抜く事なんか出来ない。だから工口なんかにすぐに看破されてしまう。こう言う時に取る手段は1つだけだった。
「うるさい! 手品のタネを見抜けなかったから保留にしただけだ。あんなのは手品でも出来る、魔法の存在を証明する事にはならない!」
俺は疑いの信念を思い出す。そうだ、俺はそもそも魔法検定係り自体に疑いを持つべきだった。その事に気付いた途端、霧がかかった俺の思考が開ける。
「大体そっちの目的も分かった。さっきみたいな手品を俺に見せて、見破られるかどうか試して行くんだろ。所謂手品のデビュー戦。一々魔法とか言わずに最初からそう説明すれば良かったんじゃないか?」
「はあ、まだその様な事を言うのですわね」
その時だった。羽間のお腹が小さな音を鳴らす。羽間は窓の外に視線を向けながら立ち上がる。
「……太陽が天辺を過ぎていますわ。今の時間は……すぐに時間が分からないのは面倒ですわね」
部屋に時計がない事に気付いた工口はポケットからスマホを取り出し、画面を羽間に見せようとする。
「時間ならスマホで見られるぜ、今はもう14時――」
「――その様な危険物を近付けないで貰えます!? 私を殺す気ですの!?」
急に怒りを露わにした彼女は工口のスマホを部屋の窓に向かってぶん投げる。ガラス窓を突き破り、工口のスマホは遥か彼方へと飛んで行く。
「4ヵ月もバイトして勝った8万の俺のスマホが!?」
「さっき言いましたわよね!!! 私達魔法使いは機械に触れると死ぬと!!!」
「言ってねーよ! つーか触れましたよね! 思いっきり掴んで投げましたよね!」
工口は慌てた様子でスマホを取りに割れた窓から外に飛び出して行く。
「ここでは機械類は一切御法度、分かりましたわね!」
「機械は御法度って時間とかはどうするんだよ」
「日時計がありますわ。影の位置から時間は分かりますわ」
彼女は理事長席の上に、小学生の頃、理科の授業で見た様な線が引かれた紙とその中心にペンを立てた道具を引き出しから取り出して置く。
机の上を良く見ると機械類は一切置かれていなかった。パソコンみたいな物は只の白く塗った段ボール箱、電話に限っては紙コップの底に糸を張り付けた糸電話と言う始末。
「この様に機械がなくても問題ありませんわ。電話は糸電話で十分ですし、パソコンは段ボール箱で十分ですわ」
「糸電話は糸繋がってないし、段ボールに至っては只の入れ物だろ」
「資料を入れると言う意味では同じですわ! 糸電話も繋がるので問題ありませんわ」
羽間は真面目な顔をして糸電話を手に取り話し始める。
「セバズ、ええ、お昼だけど、いつものお寿司を、勿論、学園の経費に決まっていますわ」
電話を終えた羽間はドヤ顔で俺の事を見詰めて来る。
「この通り、問題なく通じますわ」
「本当に通じてるかどうか分からないだろ。1人でペラペラ喋ってただけの――」
「そんな事はございません。お嬢様の御声は問題なくこのセバスには聞こえました」
その声に振り返ると、入口にタキシードを着た白髪を蓄えたダンディな老人が糸電話を片手に立っており、俺に向かって恭しく頭を下げて来る。
「どうですの。電話なんて糸電話で十分ですわ」
「……どうも何も糸すら繋がってないだろ」
「糸が繋がって初めて糸電話が成立すると香様は言いたいのですか? 糸が繋がって無ければ相手に声も通じないと……はて、それはつまり現実には起こり得ない事、お嬢様の糸電話は糸が繋がって無くても相手に通じると言う信仰心が現実になった、まさに魔法と言う事にはなりませんか、お嬢様」
セバスの言葉に羽間はハッとした表情を作り、俺に挑発的な視線を向けて来る。
「これで魔法の存在が証明出来ましたわ」
「……いや、近くに隠れてただけだろ」
「ああもう! そうすれば良いですの!? お爺様の最終宣告、このままではこの学園は確実になくなってしまいますわ。何としてもこの学園の中から魔法使いを見付け出さなければなりませんのに」
机にダンと突っ伏したかと思うと、彼女は苛立ちを隠さず、自分の頭を掻きむしり始める。
「お嬢様、先日購入されたバックの請求書が来ていますが、如何いたしますか?」
「そんなのいつもの様に学園の経費で落とせばいいですわ! セバス、こんな時にそんな話しをしないで欲しいですわ! ……あなたの所為ですわ。赤字になったのもこの学園が潰されるのも何もかもあなたの所為ですから!!!」
「お前が経費を使い込んでるから赤字になってるんだろ!!!」
「失礼ですわね。3万のお寿司や20万のバック程度、使い込みの内に入りませんわ」
「入るだろ」
「そもそも経費の使い込みに関しては先日、お爺様に謝ったので解決済みですわ」
「だったら反省をしろよ」
「だから反省して使い込んでいませんわ」
「お嬢様、ここはどうでしょう、お嬢様の魔法をこの者に見せると言うのは……この者の真価を知る良い機会にもなると私は愚行致します」
セバスの言葉に羽間は難しい表情を作り、考え込む。そこに暗い顔をした工口が外から戻って来る。その手には画面がバキバキになったスマホが握られていた。
「まだ2ヶ月しか使ってねーのに……連携してないゲームのデータとかあったのに……」
「確かに、ここでのやり取りも全て無意味になる可能性もありますわ。1度確認して置く必要がありますわね。そこの顔デカ、こっちに来るのですわ」
「はい!」
羽間に呼ばれた工口は先程までの暗い表情は何処へやら、嬉しそうに返事をして、彼女傍に駆け寄り躊躇いもなく四つん這いになる。
「いっ!?」
羽間は工口から数本の髪の毛を引き抜いた後、工口を犬でも追い払うかの様にシッシと追い払う。工口は、頭を抑えながら複雑そうな表情を作り、俺の隣のソファーまで戻って来る。
「焦らされて髪の毛を抜かれる、こう言うのも悪くないぜ。でもハゲたら香の事を恨むぜ」
「何で俺を恨むんだよ。それにハゲるも何もお前の髪の毛はカツラだろ」
「地毛だ! 地毛!? カツラな訳ねーだろ」
「あのな、俺を騙せると思うなよ。そんなデカい頭に合う地毛なんて存在する訳ないからな」
「あるよ!? 寧ろ地毛しか合わねーよ!!! 地毛を何だと思ってやがる」
「……私の信仰心は全て、この魔導書に集約されますわ。私はこの書に掛かれている事、内容を選り分けて簡単に説明するなら、悪魔を召喚して従わせる事が出来る魔法が使えますわ。事情が事情だけにあなたの前での使用は控えるつもりでしたけど、ふふふ、もう、後悔しても遅いですわよ」
そう言った羽間は真っ黒な不気味としか言いようがない古びた本を取り出す。俺は、悪魔と言う言葉に、背筋にゾクッとした物が走り、指先にピリピリとした電流が走る様な感覚が耐えず伝わって来る。自分でも自分の体調が悪化して行くのが分かってしまう。
「悪魔なんてそんな物、居る訳ない、居る訳、ないんだ」
あんな物、存在してはならない、存在すべきじゃない。そう強く否定したいと言う思いとは裏腹に自分の声には力が籠っていなかった。
「あなたがどれだけ否定しようとも、私はそれ以上の信仰心を持っていますわ。それこそ神の作ったこの世の理を捻じ曲げる程に、あなたに決して否定の出来ない本物の魔法を見せて差し上げますわ」
羽間を取り巻く周囲の空気が変わる。不気味な魔導書から放たれる黒々としたオーラが彼女を包み込んで行くようだった。俺の隣でゴクリと工口が生唾を呑む。
「……サキュバス、サキュバス、サキュバス」
アホな呪文を唱え続ける工口を横目に俺は羽間を睨み付ける。
「まず贄として死んで欲しい相手の髪の毛を捧げますわ。呼び出す悪魔の名はラードマン」
「待とうか! ちょっと待とうか!? え? 何? え? 死んで欲しい相手?」
「悪魔を召喚する為の只の呪文ですわよ、顔はデカい癖に細かい事を気にするのですわね」
「顔の大きさ関係ねーから!?」
「落ち着け、これが奴の手だ。そうやってワザと動揺させて判断を鈍らせてるんだ」
「何で俺の判断に鈍らせるんだよ! 普通、香を動揺させる所だろーが!」
「酷い奴だな。お前が死ぬと分かったら俺だって動揺する」
「香……お前……」
「それに安心しろ。羽間の事で1つだけ信用出来る事がある。彼女は冗談で人に『死ね』とか言わない。それは確かだ」
「そうか、それなら安心……出来ねーから!? 寧ろ余計安心出来なくなったけど!?」
「歩道橋でスカートの中を覗く様なゴミだから始末しようなんて気は全くありませんわ」
「あるじゃん!? 完全にある奴じゃん! 呼ぶならサキュバスにして欲しいぜ! いや、むしろサキュバスにして下さい!!! サキュバスなら俺の残りの髪の毛全部差し出したって良いから!? お願いします、羽間様!」
羽間は床に額を擦りつけで拝み倒す工口を無視して悪魔の召喚を続ける。
「……私が呼びかけに応じるのですわ!」
羽間の手を離れた魔導書が宙に浮かび上がる。宙に浮かんだ魔導書が小刻みに震えると同時にまるで地震でも起こっているかの様に室内の机やソファー、戸棚がガタガタと震え始める。パラパラとページを開き終えた魔導書から、煙が溢れ、そして……小太りのサラリーマンらしき男が現れる。
「あ、どうも、斎藤です。普段は食品会社に勤めています。影でラードマンってあだ名を付けられています」
斎藤と名乗った男は俺達に名刺を渡して来る。
「……ふふふ、うふふふふ、どうですの!!! 彼こそ、正真正銘の悪魔、ラードマンですわ」
「只のサラリーマンだろ!」
「ああ、全くだぜ。何でサキュバスじゃねーんだよ! せめてOLにして欲しかったぜ」
「ラードマンは、全身が脂肪分で出来た下級の悪魔ですわ。憑りついた物の中へと入り込み肥え太らせ、死に至らしめる事が出来ますの。『暴食』の眷属で太らせた対象は暴食の贄になると言われていますわ。どうです? 彼が悪魔だと信じてくれたかしら?」
「だからサラリーマンだろ!」
「ああもう! うるさいですわね! 見た目はどうあれ本から現れましたわ! これを魔法と言わずして何と言いますの!!!」
「だからあの程度なら仕掛けを作れば出来るだろ! それを魔法だ、魔法だって、そんなのに騙されるかよ。こんな場所にずっと道長が居たなんて考えたら最悪だ……すぐにでも騙されてる事を教えて連れ帰らないと」
事件後、精神的に不安定になった彼女に心の隙に付け込んだに違いない。怪しい宗教の勧誘の手口と一緒だ。どう考えても真面な場所じゃない。ここに彼女が居るのならすぐにでも見つけ出して連れ帰らないと。
「羽間様、こんな奴に任せるより、俺に任せて欲しいぜ。事情は良く知らねーけど、この学園から魔法使いを見つけ出せば良いんだろ? だったら俺の方が適任だぜ。目の前で起こった事が全て魔法だって俺は信じてるぜ。そして見事貴方様の期待に応えた時は御褒美で――」
「――確かに事実ですわ。先程の変身出来る少女然り、この程度では英才魔法学園に入学出来るレベルには程遠い、魔法と言うには余りにも未熟ですわ」
「あのー、俺の提案は無視ですか?」
「ではこう言うのは如何ですか? これは私からの挑戦ですわ。あなたが魔法じゃないと否定出来ない者が10名現れたら私の勝ち、私の銀行……コホン、学園は存続し、生徒達も変わらず魔法使いを目指せますわ。現れなければあなたの勝ち、そうなれば学園は速やかになくなりますわ。道長さんもあなたの思う様にすれば良いですわ」
俺は彼女からの提案を何も考えずに受けようと考える。しかし寸前の所で疑いの極意を思い出し、思い止まる。
「何か裏があるんじゃないのか? 俺の主観で判断出来るならそっちに随分部の悪い賭けじゃないのか」
「疑うのは自由ですわ。でも、そうですわね、確かにこっちが不利ですわ。ならそこの顔デカに追及を頼みますわ。良いですわね、香に魔法だと認めさせればご褒美を差し上げますわ」
「はっ! 羽間様。香、悪いが俺は今日からお前の敵だぜ。どんな手を使っても魔法だって認めさせるぜ。でも保留はどうすんだ。乱用されると凄い魔法を見せても逃げられるぜ?」
「そうですわね。2週間後にその人の力をもう1度見て、否定する根拠を示せなかったり、論破されれば魔法だと認めると言う事でどうかしら? それでどうしますの?」
俺が断らないと思っているのか、疑いの眼差しを向けても羽間の態度はブレなかった。
「……分かった。引き受ける」
そんな俺達のやり取りをジッと見ていた斎藤がおずおずと手を上げながら口を開く。
「自分は関係なさそうなので、これで……」
「まだ居ましたの? 邪魔だからさっさと出て行って欲しいですわ」
「自分で呼んで置いてその扱いはあんまりだろ」
斎藤はほんのりと頬を赤く染め、僅かな笑みを浮かべながら理事長室を出て行く。
「2人には今日からこの学園の寮で生活して貰う事になるわ。寮の場所は――」
その時だった、廊下から鋭い女性の声が聞こえて来る。
「む、悪魔か!」
「い、いえ、自分は食品会社に勤めるごく普通のサラリーマンでして、その様な――」
「問答無用! 悪魔は須らく私の前から消えて貰う。魔天道長流剣技! 斬派真空剣!」
「ぎょええええぇぇえぇえ!!!」
「ふん、他愛もない。その程度の実力で私に向かって来た事、恥じるがよい――いや、まだ終わっておらぬか! はあああ!」
工口が自分を抱きしめながらその体を震わせる。
「香、何故だろうか、首筋が急に痛み出して、寒くもねーのに、体が震えて来たぜ……あのサラリーマンのオッサンだけどよ、斬られたよな!? 確実に斬られたよな!? 今まで聞いた事がない様な悲鳴が聞こえて来たんだけど!?」
「辻斬りなんて今の時代に居る訳ないだろ」
俺がそう言い終える直後、理事長室のドアが音もなく真っ2つになり崩れ落ちる。そして壊れた入口から、ここに来る直前に見た袴姿の女性が白銀の刀を真っ赤な鞘に納めながら入って来る。
「居るじゃねーかよ!!!」
俺は彼女に登場にそんな工口の言葉さえ耳に届かなくなっていた。羽間も何か言っていたが、それも俺の耳に届く事はない。
「殿!!!」
音が消えて行く中、その声だけはハッキリと俺の耳に届く。彼女は俺を見るなり嬉しそうな表情を作り、駆け寄って来る。そして俺の前で片膝を着きながら頭を深々と下げる。
「殿、改めまして、私の名は道長 朱美。殿は私の事を覚えておられぬか?」
「……本物、なのか?」
疑いの極意も関係なく心からその言葉が自然と出てしまう。
「ええ、幼き日、体育倉庫で閉じ込められた時の事を私は生涯忘れぬ……今でもその時の事は鮮明に思い出せる故」
そう言った彼女は顔を上げ、真っ直ぐと俺の事を見詰めて来る。俺はそんな彼女の顔を見ながらその時の事を静かに思い出すのだった。
「おいおい、道長って女だったかよ。くっ、お前に女の知り合いが居たのかよ。しかもこんな可愛い子って……つーか、こんな可愛い子と体育倉庫に閉じ込められたって羨まし過ぎだろ、その時の事を詳しく聞かせろ、どんなエッチなハプニングがあったのか」
「小学生の時の話しだ。工口が期待してる様な事はない」
「だからこそだろ、無邪気な時だからこそ、無意識にそう言うのがあるんじゃねーか! あー、うらやまけしからんぜ! 体育倉庫とか、最高のシチュエーションだろ!」
俺は工口の卑猥な妄想否定する意味も含めて、懐かしさを胸にその時の事を語り始める。
「あれは6年前、まだ小学生の頃……」
当時の俺は、信じ易く騙され易い性格から、同級生から毎日の様にからかわれていた。その日も騙された俺は悪戯っ子達に放課後、体育倉庫に閉じ込められてしまう。
「へ、えへへ、閉じ込められちゃったね」
薄暗い体育倉庫の中、不安が募って行く最中、彼女が倉庫の奥から顔を覗かせる。その時に見せてくれた彼女の明るい笑みに心が救われた事は今でも覚えている。
「ごめん、僕の所為で巻き込んで」
「香君の所為じゃないよ、あ、か、香君って呼んで良かったかな。私は――」
「道長 朱美ちゃんだよね」
「う、うん、えへへ、名前知っててくれたんだ」
「クラスメイトだから」
「山沼君達、閉じ込めた時にお化け出るって言ってけど、出ないよね?」
「だ、大丈夫だって、ほら御札もあるから」
「それなら安心だよね。でも私、お化けより虫の方が怖いかも」
「ふ、冬だから、虫も居ないと思うよ」
「そ、そうなの? ほ、良かった……うう、安心したら喉乾いて来たかも」
「お茶あるよ、はい」
「ありがとう、でもあんまり飲んでトイレ行きたくなったら困るよね、はい」
俺が水筒のコップに入れたお茶を一口だけ飲んだ彼女は、残ったお茶を俺に帰して来る。
「う、うん、気を付けないとね」
そんな言葉とは裏腹に俺は残ったお茶を全部飲んでしまった。
「どうして体育倉庫に?」
「うん、体育館に落ちてたボールを片付けようとして、そしたら跳び箱の後ろの方に落ちてるボールも気になって。香君は?」
「体育倉庫に先生が呼んでるって言われて」
「それ絶対嘘じゃん……でも、そう言う純粋な所、私は好きかも」
日が落ち、倉庫を満たしていた僅かな光も消えてしまう。物が多い倉庫と言う場所は、とても不気味な上、不意打ちの様に物音まで聞こえて来る。俺と彼女は身を寄せ合いながら、助けが来るのを待ち続けた。その間にお互いの事を色々話した。好きなテレビの話しから家族の愚痴、その時にしていたゲームの話等、話題が尽きる度に交互に話題を出し合い、忍び寄る恐怖を誤魔化す様に放し続けた。
当時、近くで不審者の目撃が相次いでいた事、2人も突然行方不明になったと言う事で騒ぎは当事者達の想像を超えて大きくなり、警察まで出張る事態へと発展した。
俺達が見つかったのは深夜2時を過ぎた辺りだった。俺をからかっていた悪戯っ子達は教師に両親、警察からも大目玉を食らい泣きじゃくっていた事を覚えている。俺はそんないじめっ子達を横目にトイレに走った記憶があった。
「……それからだった、俺と彼女は普段から一緒に過ごす様になったんだ。分かったが、お前が期待する様な出来事はない」
俺はそんな思い出を胸に、もう1度、袴の少女を見詰める。彼女は感激の感情を隠しきれない様子で瞳を涙で滲ませ、そしてあの頃のまま変わらない明るい笑みを見せてくれる。
「殿! 覚えていて、覚えてい下さったか!」
俺は目元が熱くなるのを感じて、それを誤魔化す様に指で両目を抑え込む。
「ああ、勿論……あの頃のままだな」
「別人じゃねーか!?」
「工口、俺の話しをちゃんと聞いてなかったのかよ」
「聞いてたけど!? ええ、聞いてましたよ!? でも回想に出て来た可愛い少女と一致する部分とか1つもねーけど!? 同窓会で初恋相手が子持ちになってた以上の衝撃的な変化を遂げてるだろーが!」
「私はあの時に交わした杯の事、忘れておりませぬ。あの杯が、はみ出し者だった私が殿へ仕える事を決めた、言わば私の原点……」
「待て待て待て! お茶飲んだだじゃねーか! 軽い回し飲みだよな! 羨ましいけど!」
「先程から黙っておれば、無礼であるぞ! 私と殿との思い出に土足で踏み入る許可を出した覚えはない!」
カチャリと微かな金属音が聞こえたかと思った次の瞬間、彼女は剥き出しの刃を工口の喉元に突き付けていた。
「――刀は仕舞おうぜ……仕舞って下さい」
工口から救いを求める様な視線を向けられる。俺は仕方なくその視線に応える。
「危ないから仕舞ってくれないか?」
「殿、危険はありませぬ。我が天魔道長流剣技は悪魔しか斬らぬ剣、この者が悪魔でなければ傷もつきませぬ」
「じゃあ、大丈夫か」
「何でだよ! いつもの様に疑えや! 入口のドア、思いっきり斬ってるだろーが!?」
「あれは斬撃の余波による物、この刃を使った訳ではないわ!」
「じゃあ、大丈夫だな」
「だから疑えや!!! 斬撃の余波って、そっちの方がやべーだろ。つーか、すっかり頭から抜け落ちてたけど、あのサラリーマン斬られてるよな、確実に斬られて死んでるよな!」
「そろそろ私も口を挟んで良いかしら?」
そう囁く様に呟いた羽間は俺達の返事を聞かずに話しを続ける。
「その男を斬るのは待って欲しいですわ。仕事を頼んだ所ですわ」
「は、羽間様……やはりあなたは俺の事を思ってくれるの――」
「待つのは1時間で構いませんわ」
「1時間!? 1日も経ってないけど!?」
「了承した」
「了承されたじゃねーか!?」
朱美は、工口の顔をチラリと見た後、小さく息を吐き、刃を鞘に納める。
「折角ですので紹介しますわ。5年前の事件の後、私が直々にスカウトしてこの学園に来て貰った道長 朱美さんですわ」
「……5年前の事件の後、私は自分の無力感に苛まれていた。かの悲劇を前に私は何も出来なんだ。それ所が、錯乱し、守るべき殿を責めさえした。病室で目を覚ました私は自責の念に駆られ、何度も腹を斬りこの命を絶とうと考えた。そんな私の元にそこの理事長が来て、この学園へのスカウトを持ち掛けて来たのだ。そして私は教えられる事になる、自分がどれ程愚かだったのか。殿への恩義も返せず、あまつさえあの悪魔を野放しにしたまま命を絶とうとしていた私がどれだけ思慮の足りない愚か者だったか……。私はあの悪魔を倒す力を身に着ける為、この魔法学園への入学を決め、ここで魔法の修行をして、こうして魔法使いへの道を歩み始めた訳だ」
「魔法使いじゃなくて別の何かになってるじゃねーか!」
「はあ、彼女の何処が魔法使いではないと言いますの? 修行の際、彼女はその剣で巨大な岩を両断し、滝を引き裂いたと言われていますわ。そんな事、普通の人間に出来ます? これを魔法使いと言わずしてなんと言うつもりですの」
「思いっきり悪魔以外の物を斬ってんじゃねーかよ」
「岩も滝も斬撃を扱い切れなかった私の未熟さ故の過ち、恥じるばかりだ。だが、今はこの剣が悪魔以外の物を斬る事はない。それこそが私の魔法、魔天道長流剣技だ」
「そもそも顔デカは魔法を肯定する側の人間のはずですわ。なのに否定する側に回ってどうしますの」
「そ、そう言えばそうだったぜ。あまりの衝撃に自分の役割を完全に忘れていたぜ」
「彼女は斬撃を飛ばす事で悪魔を引き裂く剣、魔天道長流剣技の存在を信仰していますわ。彼女が刀を振るえば自分の体の3倍の大きさはある物ですらいとも簡単に切り裂く事が出来ますわ。ドアを見てくれれば分かるはずです。そんな事が出来るのは魔法以外の何物でもないですわ」
俺は自問自答を繰り返していた。例え彼女があの時の言葉を謝ったとしても、今更自分の生き方を変える事は出来なかった。悪魔が存在しなければ、魔法も存在しない。その思いを覆す事は出来ない。こうしてやっと出会う事が出来た彼女に否定的な言葉をぶつけると言うのは躊躇いが大きかったが、それでも俺は実行する。
「何が斬撃だよ、漫画の世界か、下らない。外から普通に切っただけだろ」
「殿……」
朱美の寂しそうな切なそうな声が微かに聞こえて来る。俺はそれを無視して、確固たる意志の元、羽間を睨み付ける。
「それでも十分魔法だぜ。畳を叩き切るのは見た事あるけど、木のドアなんてまず切れねーだろ。しかも閉じたままだし、その上、あのドア、枠に金属使ってるぜ」
「……五右衛門は刀で車とかヘリとか斬ってるだろ」
「漫画じゃねーか!? それ、漫画の話しじゃねーか!?」
「じゃあ、それで扉を最初から切ってたんだ。ちょっと衝撃を与えるだけで取れる様になってたんだろ」
「何回あの扉が開け閉めされたと思ってんだよ、しかも魔法少女に変身したオッサン、物凄い勢いで扉開けてただろーが」
「な、なら、扉をこっそり付け替えたんだ。あの父親が出て行った後、全員の視線が外れた時に――」
「それは流石に無理があるぜ。ドアが外されたら今みたいに風通しが良くなって気付かない方が無理あるんじゃねーのか」
「――それは、くっ」
早速躓いてしまう。手品師でも何でもない一般人の限界だった。必死に考えるが、当然何も浮かんでこない。
「如何やら早速、魔法じゃないって否定しきれなくなったみたいだな。これならすぐに御褒美が貰えそう――」
「下らぬ、あんなのは魔法等ではない! 刀は一定の速度を越える事で斬撃を生み出し、この世のあらゆる物を斬る事が可能となる。これを『斬』と呼ぶ。私はそれにより扉を斬ったに過ぎぬ。魔法? 下らぬ、これは剣技よ!」
「さっきと言ってる事、全然違うじゃねーか!? 修行して魔法使いへの道を歩み始めたんじゃねーのかよ!?」
「殿、安心して下され。私は魔法等使えませぬ。全ては修行の末に身に着けた剣技故。剣を目指す者なら誰でもこの程度の事は出来よう」
「出来る訳ねーから!」
「刀の1つも持った事がない者が分かった様な口を聞くでないわ!」
彼女は刀に手を掛けたと思った次の瞬間、剥き出しの刃が工口に額に突き付けられていた。数秒遅れで刀に気付いた工口は、そのまま腰を抜かしてソファーに座り込んでしまう。
「――刀を突き付けるのは止めて欲しいんですけど!? 羽間様、剣技とか無茶苦茶な事言い始めてますけど!?」
工口から助けを求める様な視線を向けられた羽間は「本人が剣技と言うなら仕方ありませんわ」と呟き、朱美に視線を向ける。
「早速ですけど香には検定係りの仕事をして貰いますわ。今日の候補は3人。これが今回の3人の簡易な資料になりますわ」
羽間は3枚の簡易な履歴書の様な紙を渡して来る。そこには生徒の顔写真とその生徒の信仰している事、そして羽間の言葉で凄い魔法だと言う説明が書き足されている。
「いきなりかよ」
「既にそれらの生徒には今日、見せて貰う事を約束していますわ。中には場所を指定している生徒もいます。それを大した理由もなく変更するのは酷ですわ。っと、そうこう言ってる間に最初の生徒が来てくれたみたいですわ」
「理事長、ちーす。俺の魔法を見せて欲しいとかって言われて着たっすけど、ドア、どうしたっすか?」
髪の毛を茶髪に染めた軽薄そうな学生が理事長室に入って来る。俺は貰った資料に目を通す。俺が視線を資料に落とすのに合わせて羽間が解説を始める。
「彼は物を浮かす事が出来る信仰を持っている男……折角ですのでもっとプロフィールっぽく紹介しますわ。最初の学生は風起史 風太男性、年齢14歳。信仰力は、風で物を浮かせる事が出来るですわ。彼の信仰力によって現在枯葉が6秒間もテッシュに至っては10秒間も浮かせていますわ。素晴らしい魔法ですわね」
「何処がだよ」
「……んと、あー、おいおい、6秒も枯葉を浮かせるなんてとんでもない魔法じゃねーか!」
「絶対ショボいって思ったよな! 下から扇げば普通に6秒くらい浮くぞ! それの何処が魔法なんだ」
「見てもないのに決めつけるのは良くないですわ。見詰めるだけで浮かせているかも知れませんわ」
「お前も見てないのかよ……」
「話しはこのくらいにして早速実践をして貰いましょう。全てはそれからですわ」
「さて、久々に本気を出すとするっす。これはさっき中庭で拾って来た枯葉っす。これを6秒浮かせるっす」
枯葉を取り出した風太は今までの軽薄そうな態度から打って変わって、これから死闘を始める戦士の様な真剣な表情を作る。
「はっ! はいはいはいはい!」
彼は枯葉を手から離した瞬間、下からものすごい勢いで扇ぎ始める。
「5,6……6.5秒! 新記録っす!」
俺は冷たい視線を羽間に向ける。
「これの何処が魔法なんだよ」
「あなたの目は節穴ですの? 今、目の前で起こった事を見て何故、魔法の存在を信じられませんの」
「信じられる訳ないだろ! こんなの誰でも出来るぞ」
「チチチ、枯葉を手で扇いで浮かせる事の凄さを誰も分かってないっす。そこまで言うなら6秒、浮かせてみるっす」
「そうですわね、あなたが6秒枯葉を浮かせられたら、彼は魔法使いでも何でもない阿呆だと認めてあげますわ」
「なんで上から目線なんだよ」
「殿、御分を」
俺は渡された枯葉を手放し、下から勢い良く扇ぐ。しかし枯葉は3秒程であっさり地面に着いてしまう。
「如何やら魔法って事で決まりの様ですわね」
「――そんな訳ないだろ! こんなのを魔法なんか認められるか! 下から扇いで風起してるだけだろ! 魔法の要素とか1つもないからな!」
「手で扇いで枯葉を浮かせる程の風を出すのが彼の魔法ですわ。枯葉を6秒も浮かせるなんて魔法以外に考えられませんわ。あなたが再現出来なかった地点で敗北は決まった様な物、大人しく敗北を認めたらどうですの?」
「……ぐぬぬ」
「羽間様、これなら10人も楽勝だぜ」
羽間は俺に勝ち誇った様な視線を向けて来る。ギリっと奥歯から歯の擦れる音が聞こえて来る。如何やら歯ぎしりをしていたらしい。
「保留……保留だ! 保留! 仕掛けがあるに決まってる! 仰ぎ方とか、そう言うのだ! こんなのが魔法な訳ない!」
「分かりましたわ。風太さん、もう行って結構ですわよ」
風太は軽く挨拶をして理事長室を出て行く。
「羽間様、良いのか、あっさり引き下がって、今なら簡単に認められさせそうだぜ」
「保留を使う事を認めたので構いませんわ。さて次の刺客が来た様ですわ」
風太と入れ替わる様に上半身裸の全身が筋肉でムチムチしたボディビルダーの様な男性が理事長室に入って来る。
「彼は肉堂 肉男男性、年齢は17、彼女なし。信仰力は喋る筋肉ですわ。彼の言葉によると筋肉は限界まで鍛えると喋るそうですわ」
「筋肉が喋ったら間違いなく魔法だぜ」
「……頭の可笑しい奴にしか思えないんだけど」
「筋肉が喋らないと思っているそこの君! 分かってないよ、筋肉は限界まで鍛えたら喋るんだ。ふんっ! この筋肉達の声が聞こえない君が不憫だよ」
「鍛え過ぎで脳みそまで筋肉になった頭の可笑しい奴だろ!」
「筋肉達が君を求めている様だ。是非、僕と付き合ってくれませんか。君に筋肉は素晴らしい」
「ふん、刀も持たぬ者と付き合う理由ないないわ。出直して来るが良い」
あっさりフラれた肉男はその場に膝を着き、崩れ落ちる。メンタルは物凄く弱いらしい。
「……おいおい、それって刀を持てば付き合ってくれるって事か? 香、今すぐ刀を買いたいんだが売ってる場所しらねーか」
「その顔で刀なんか持ったら捕まるぞ」
「顔関係なく捕まるつーの!!!」
俺は肉男に疑いの眼差しを向ける。改めて疑うまでもなく疑う場所ばかりだ。
「筋肉が喋るとか言ってるけど、喋ってないぞ」
腹話術とかして来るのか身構えながら肉男に冷たい視線を向け続ける。顔を上げた彼は悲しい者でも見る様な目を俺に向けて来る。
「筋肉達の声が聞こえない君が不憫で仕方ないよ。筋肉達の声もなしに君はどうやって生きて来たんだ? そして生きて行くつもりなんだ?」
「もう、魔法じゃないって事で良いよな、これ以上、話してると頭可笑しくなるぞ」
「良くないですわ。彼は筋肉達の声が聞こえている。重要なのはそこですわ。彼がその筋肉達の声を聞いている以上、彼の信仰力を否定する事は出来ませんわ」
「只の精神患者だろ! もしくは声が聞こえるフリしてるだけかも知れないだろ」
「では彼が嘘を言っていると言うのですか?」
「あ、ああ、そうだ。十分考えられる」
「なら、嘘だと証明する事ですわ。それが出来たのなら彼が筋肉の声が聞こえると信じ込んでいるだけの阿呆だと認めてあげますわ」
「ああ、嘘だって暴いてやるよ」
俺は不敵な笑みを浮かべる羽間から肉男に視線を向け直す。どうやって嘘だと断じるか考えた所で、俺はその難しさに気付く。黙り込む俺を見て羽間は嬉しそうに口を開く。
「ふふ、また、保留にしても良いのですわよ? ちゃんと認められた権利ですわ」
「おい、香、本人しか見えなかったり聞こえない物をどう否定すんだよ。そんなの普通、出来ねーぜ?」
魔法の存在なんか認める訳には行かない、こんな所で引き下がれるか。
「分かった。じゃあ、今から俺が筋肉に話し掛けるから、通訳してくれ」
「香……お前、大丈夫か? 何言ってるか、自分の言葉分かってるのか?」
「うるさい! こっちは真剣なんだぞ! 顔をデカくする事しか出来ない奴は黙ってろ!」
「無茶苦茶酷い事言って来たな! 泣くよ!? いい加減泣くよ!?」
「OK 君も筋肉達と話したいのかい? そのくらいお安い御用さ。では今1番キレてて口数の多い右の上腕二頭筋に話し掛けてごらん」
「……好きな食べ物は」
「ふんっ、プロテイン! とマッスルしてるよ」
「……趣味は」
「勿論筋トレさ」
「休みの日は――」
「見合いの質問じゃねーかよ!」
質問でボロを出さないかと思ったが、このままだと埒が明かないか。勝負に出るか。
「……54×65は!」
いきなりの掛け算、間違えたら『答えられなかった』と言う事実を盾に一点突破を図る。答えられても間違えるまで問題を出し続ければ良い。
「ふんっ、ムキ。と僕の筋肉は答えたよ」
俺は思わず遠くを見詰める。
「……香の奴、トイレに間に合わなくて全てを諦めた子供の様な顔をしてるぜ」
「戦意喪失、保留と言う事にして置いてあげますわ」
「……殿」
俺は何も分かっていなかった。羽間が勝負を持ちかけて来た地点でもっと良く考えるべきだった。魔法なんて下らない、存在しないと思っているにも関わらず、1人も魔法の存在を否定し切る事は出来なかった。
これは知恵比べと言う名の戦いで戦争だ、相手の信仰心を徹底的に否定して叩き潰さなければ、勝利は得られない。俺はそんな戦場に何の武器も持たずに向かってしまった。返り討ちにあうのは至極当然の結果だった。
この日の夜、俺は今日の敗退を教訓に静かに闘志を燃やし続けるのだった。




