あい
「犯人を逃がすなんてバカじゃないの、嶋ァ! しょうがないから恋子、アンタがサンドバッグになりなさい」
「ど、どうして……」
「姉の私に口答えするの……? 素直じゃない子は嫌いって、昔から言ってるでしょう? 物覚えの悪いクソガキねぇ……。お仕置きしなきゃ」
今日もクーにキチガイ扱いされ、姉に暴力を振るわれている。いつもの、流れ。いつも、姉は暴力を振るってしばらくすると急に泣きながら謝罪する。「ごめんね。痛いことして、ごめんね」と。わたしは、なぜかそれで許してしまう。そして、次の日になると忘れたようにまた暴力を振るわれるのだ。
今回の火種は、せっかく姉達が追い詰めた犯人を姉の同僚が取り逃がしてしまったことらしい。普段通り、わたしのせいじゃない。姉の暴力は、毎回理不尽。どんなにわたしが喚いても、姉は観葉植物の鉢でわたしを殴ることをやめない。
そんな姉の暴力は、今に始まったことじゃない。正直、父の病気も、母が認知症にかかったのも、姉の家庭内暴力が原因だと思っている。両親の生前は、三人まとめて標的にされていたから。
「姉さ……お姉様、もう、痛いです……。痛くて、苦しくて…………」
「これも立派な教育よ。これからアンタは社会人になるんだから、もっと強くならなきゃ」
社会人?
わたしは、社会人になるまで生きていられるのだろうか。
クーにイエスと言わせるまで、わたしは……。
「もう、こんな生活嫌だ……」
「あ? ……そんなど阿呆で根性なしだと、私みたいにお嫁に行けないわよ?」
額から生温かいモノを流すわたしに、姉は淡々と宣う。
嫁。嫁、か……。
そうだ。姉には婚約者がいたんだった。あの黒髪で、礼儀正しくて、紳士「のように見え」て、いつも姉が貢いでいる、あの男の人が。
……でも。
その婚約者が、なんだかどうにも胡散臭い。なにか「皮を被っている」ような。いわゆる「女の勘」としか、言えないけれど。皮を被っている人が身近にいるから、なんとなく、分かる。表向きは正義の警察官を名乗っている人が、肉親にいるから。
「お嫁って……。まだ婚約者じゃ……。姉さ……お姉様。……それにあの人、結婚詐欺師なんじゃ…………」
どうせ遅かれ早かれ、わたしは姉に殺されるんだ。だったら、ちょっとぐらい、後味の悪くなるようなことを言っておこう。
「ぐえぇェっ!?」
観葉植物を口に突っ込まれた。
「なに適当なこと言ってんのよ! 私は警察官よ! 偽物を見る目には自信があるわ。そんな私が……私が騙されているはずないでしょ!?」
姉の逆鱗に触れただけだった。二つ目の観葉植物を持ち上げ、姉はそれを振り回した。私はそれをこめかみに受け、吹き飛ばされる。姉が闇雲に振り回しているせいで、観葉植物の先端が当たった窓ガラスが大きな音を立てて割れた。
「ヲ、ヲ……!」
口の中を観葉植物でいっぱいにされ、わたしはこれ以上の発言権を失った。それ以前に、人権すらないけれど。
手で観葉植物を取り出そうにも、帰宅して早々に両腕にタッカーを打たれたせいで腕が痛くて動かせない。
……わたし、今から殺されるんだ。
今の姉は、自分の今後のことさえも考えられなくなっている。ただ単に、妹に反抗されたイライラを発散したいだけなんだ。
わたしの死因は「姉に歯向かったことで招いた返り討ち」。
……お父さん、お母さん、今からそっちへ行きます。
二つ目の観葉植物を振り上げる姉を見上げて、わたしは目を閉じた。
……………………あぁ、でも最期に。
彼女の声が、聞きたかった。
「寅宮恋子に、手を出すな」
……聞こえた。