母殺し
晩餐会が何事もなく終わった。
ヴェルデはオーロからあまり離れないように注意しながら料理を楽しんでいた。
彼女から放れられないならば食べられる種類が少ないのは覚悟したのだが、ぺスカが気を利かせてパン、スープ、肉などを持ってきてくれた。
(ぺスカっていい人だな)
と彼の中で彼女の評価が上がったのだが、本人は別にうれしくないだろう。
王女の部屋に戻ったところで、ぺスカが三人分のお茶を淹れる。
何人もいた侍女たちは今いなかった。
そのせいかオーロとぺスカは先ほどまでよりもリラックスしているようだった。
「ヴェルデは聞こえたわよね? わたくしが【母殺し】と呼ばれていたのを?」
「ええ」
彼が気になっていたことをオーロのほうから触れてくる。
「まさか本当に害したわけではないでしょう?」
ヴェルデの問いに彼女はこくりとうなずく。
「わたくしの母はわたくしを産んですぐ亡くなったの。母上を溺愛していた父上はひどく悲しみ、わたくしを憎んでいるわ。だから 【母殺し】なのよ」
「そうだったのですね」
それではオーロに責任はないのではないか。
彼はそう思わざるを得ない。
「オーロ様にご責任はないのに、お立場が悪いのはそのせいなのよ」
ぺスカは悔しそうに言う。
王に嫌われ、憎まれている王女と仲良くしようとする者などいない。
侍女たちは仕事だからやむをえず従っているだけだ。
「わたくしにとって心を許せる者はぺスカくらいなのよ」
と話すオーロの表情はとても弱弱しく、今にも砕けそうだった。
「だましたみたいでごめんね。あなたが望めばボルドが何とかしてくれるはず。わたくしから逃げるなら、今のうちよ?」
「オーロ様」
ぺスカが驚いたように彼女を見る。
ここでこのようなことを言い出すとは、想像していなかったのだろう。
「いや、辞めませんよ」
ヴェルデはそう答える。
「……どうして?」
オーロは疑うようなまなざしを向けた。
一方のぺスカは希望を見つけたような表情である。
対照的な二人の反応に彼は苦笑に近い感情がこみ上げてきた。
「俺の母も俺を産んだ時に死んだんです」
「えっ」
彼の突然の告白に二人は目を丸くする。
「俺のせいで母は死んだんじゃないかとずっと気にしていたのですが……父には『生まれてくれてよかった』と言われました。俺のおかげで父は孤独にならずにすんだと」
「そう」
オーロは傷ついていた。
自分と同じ境遇でありながら、受け入れられた者がいるという事実は、彼女にとって苦痛そのものだった。
もちろんヴェルデは彼女を傷つけるために打ち明けたわけではない。
彼は彼女の目を見つめながら口を開く。
「だから俺が言いましょう。あなたが生まれてきてくれてよかった。おかげでこうして会えたし、俺は雇い主を見つけることができました」
「……」
オーロは何も答えなかった。
「あなたに会えてよかったと思います」
彼が改めて言うと、彼女の瞳から透明な雫がこぼれ落ちる。
彼女は慌てて彼から顔を背け、そっと目をぬぐう。
「ありがとう」
彼女は小さな声で言った。
気まずくなったヴェルデは自分に宛がわれた部屋に戻った。
(まさか王族に仲間がいるとはな)
と思いながら。
彼は母の顔を知らずに育った。
ぬくもりも知らず、抱きしめられたこともない。
母がいる他の子どもたちを羨む日々だった。
「どうしておかあさんはいないの?」
そう尋ねて父や当時存命だった祖父母を困らせたことは一度や二度ではない。
少し大きくなると、「母なし子」とからかわれたものだ。
悔しくて泣いている時に父が言ったものである。
「お前が産まれたおかげで、俺は孤独にならずにすんだ」
その言葉のおかげでヴェルデは前向きに生きることができた。
他の子どもたちにからかわれても気にならなくなった。
自分が生まれてきたことに意義はあると胸を張れたものだ。
彼にとってオーロは、父親から何も言われなかった自分に近い。
(親父の言葉に救われなかった俺だな)
そう考えると他人事ではなかった。
彼がかけた言葉に涙していた彼女は、父の言葉に涙したかつての自分のようだった。
……この日、ヴェルデにとってオーロは単なる雇い主ではなくなっていた。




