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祭 [MATSURI]  作者: 宮沢弘
エピローグ
26/26

ここ(こっ)かい? お前ぇ(おめぇ)が確認したってぇ場所はよ」

 老人は鉄条網のこちら側を、煙管をふかし、左右に歩き回った。

「ふぅん、なるほどなぁ」

 老人は、まばらに貼られた符を何枚も鉄条網越しにめくった。

「ふぅん。ふぅん」

 老人は、さらに符を何枚も鉄条網越しにめくった。

勇介(ゆうすけ)お前(おめぇ)、この符は読めるかい?」

「いえ、私はそちらの方には……」

 老人を眺めていた勇介は応えた。

「だろうなぁ」

 老人は鉄条網越しに二枚の符を引き剥がした。

「おやっさん、それに触れると……」

大丈夫(でぇじょうぶ)大丈夫(でぇじょうぶ)。もうボケちまってるからよ、どうってこともねぇ」

 老人は五芒星が描かれた二枚の符を勇介の前に置いた。

お前(おめぇ)、この違いがわかるかい?」

「違いと言われても……」

「知らねぇこたぁ、わかりゃしねぇやなぁ」

 老人はかんらかんらと笑った。

「なぁ、陰陽寮でしっかり符を書ける奴ぁ(やつぁ)、どんくらいいると思う?」

 老人は自分から見て右側の符を指差した。

「まぁ、昔たぁ規模ぁ(きぼぁ)違ってるかもしれねぇけどよ。陰陽博士、陰陽師、陰陽生(おんようのしょう)、得業生までいれても十人てとこだだったなぁ。学生まで入れても運がよくて十五人てとこだったんじゃねぇか?」

 老人は左側の符を指差した。

「それで、これだけの符を書けると思うかい? 書ける奴が何倍かいたとしてもよ」

「あくまで予想としてしか言えませんが、書くのは無理でしょうね」

「おぉよ。だから、この符は刷られてらぁ。でだ、勇介。この二枚の内、どっちの符が働くかわかるか?」

 勇介は符から老人に目を移した。老人は軽い笑みを浮かべていた。

「働く? その判断なら」

 勇介は符に目を落とすと、左手を一枚めの符に翳そう(かざそう)とした。

「おっと」老人は煙管で勇介の手を叩いた。「そいつぁ、なしだ」

 老人は懐から刻み煙草を取り出し、器用に丸め、煙管に詰めた。

宿儺(すくな)の民によ、鉄条網に突進させる気じゃぁねぇだろ?」

「それは、もちろんそうですが」

「でだ。この二枚をよく見な」

 煙管で老人は二枚の符を叩いた。

「いいかい? こっちの符には星がある。五芒星の上に点があんだろ。そいつが星だ」

「星ですか?」

「おおよ。いいかい、五芒星を上下逆に描くなんてことが言われちゃぁいるようだが、そいつぁ間違いだ。どこのトンガリが上なのかを示すなぁ二つ方法がある。一つは、この星だ。もう一つはな、地を描くことだ。言ってみりゃぁ、三星に一文字ってのがあるだろ、家紋でよ。あれと同じ(おんなじ)ようなもんだ」

 一服し、老人は煙管で地面に三星に一文字を描いた。

「星と地のどっちか一方がありゃぁ、そこのトンガリやらトンガリとトンガリの間が天だったり地だったりするわけよ」

 老人はもう一服し、自分の右側にある符を煙管で叩いた。

「こいつにぁ、星があらぁ。何年かけたかは知らねぇが、地を描くよりゃこっちの方が楽だろうなぁ」

「たったら、星がある符を見つけていけば……」

「そうはなるんだがよ、ここんとこ逆五芒星やらって言われてんるのがあるだろ。そいつぁ、きっちりした描き方だとどうなると思う?」

 勇介は符を見ていた。

「五芒星の上下は関係ないんですね?」

「おぉ、ねぇ」

「上に地があっても?」

「おぉ、そっちが地だ」

「貼るには楽ですね」

 勇介は老人に笑みを向けた。

「だろうなぁ。一々確かめねぇでいいからよ」

「地の右上、左上に当たるとこに星がある場合は?」

「そいつぁ、宵やら明けやらってとこだな」

「そうすると、」勇介は指で地面に五芒星を、そして自身の側に星を描き、地を描いた。「天地が共にある、こういう形が残りますね」

 老人はうなずいていた。

「そうならぁなぁ。ま、三星に一文字の形でも、一文字に三星の形でもいいんだがよ。それともう二個あらぁ」

 勇介は自分が描いた図をしばらく眺め、二つの図を描いた。

「頂点に地が描かれているか、頂点と頂点の間に星があるか」

「出来のいい奴ぁ(やつぁ)楽でいいや」

 老人は背後の鉄条網を振り返った。

「まぁ、話ぁ(はなしぁ)そう楽でもねぇんだけどよ」

 勇介も老人の向こうの鉄条網に目をやった。

「こんだけあるとよ、いくつも集まって意味が通ってりゃぁいいってな場合もあるからなぁ」

「ですが、星か地がある符を壊していけば。特にそのような複雑なものの再現は難しくなりますね」

お前ぇ(おめぇ)、今時の生まれじゃねぇのか? 寫眞(しゃしん)てのがあるだろ?」

「では、閉じ込められたと考えていいのですね?」

「ま、当面はそういうこった」

「当面ですか? 長命の人間は、おそらく多くはありませんが」

 勇介は、また笑みを浮かべ、老人を見た。

「俺を判断に使わなくてかまわねぇよ。なにがあるにせよ、当面だ。朝廷は時期を見誤ったのか。それとも見越してなのか。総領の坊主が見誤ったのか、それとも見越してなのか。意味がねぇってこたぁねぇだろうなぁ」

「おやっさんなら先見(さきみ)で……」

俺ぁ(おらぁ)、言わねぇよ。なにしろ、俺ぁ(おらぁ)、もうお役御免だ。お前ぇ(おめぇ)がお役だからよ」

「私が?」

 勇介は眉間に皺を寄せた。

「おぉよ。お前ぇ(おめぇ)、呼んじまったじゃねぇか。俺を先代ってな」

「それだけのことでですか?」

「おぉよ。こいつにぁ、祝詞も符も要らねぇ。こっちから勝手に押し付けられるからよ。相手が受け取ったとこっちが思っちまえば、それっきりよ。ま、御霊分け(みたまわけ)倣い(ならい)ってな文句は入れといた方がいいな。さもなきゃポックリだ」

 老人はまたかんらかんらと笑った。


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