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祭 [MATSURI]  作者: 宮沢弘
第一章: 震災前
23/26

1−3:

 勇介(ゆうすけ)はラジオのスイッチを入れると、事務所の窓から外を眺め、真空管が暖まるのを待っていた。

「西からの狂舞(きょうぶ)は愛知に到達し、既に愛知で起こっていた狂舞と合流し、その規模を膨らませています」

 暖まったラジオからはニュースが聞こえた。

「また、静岡東部、長野、山梨での狂舞が報告されています。また関東以北でも同様の狂舞が栃木などで報告されております」

 老人が言った地脈、富士山の噴火の話を思い出していた。狂舞は、これまでにあったお陰参りとは規模が違うようだった。もっともこれまでにあったお陰参りでも数百万人規模とのことだから、数倍という程度ではあったが。

 この規模は富士山の噴火、あるいはそれ以外のなにかの規模と関係しているのだろうか。関係するならば、どれほどのものになるのだろうか。

 飢饉があったわけでもなく、政治的な問題があったわけでもない。なにもなかったというわけではなかったが。共産主義の団結が日本にも上陸したことは、一部ではどちらであれ問題となっていた。だが、それ、あるいはそれらが狂舞の理由となっているとは思えなかった。

 もっともお陰参りにも理由はなかったのかもしれない。あるいは踊らされていただけか。

 目的地が伊勢ではなく帝都であろうと思われることも、違いの一つではあった。だが、帝都内にこれといった目的地になりそうな場所があるとも思えなかった。帝都を見て回るというのは目的にはなるだろうが、この規模で見て回って帰るというわけでもないだろう。それとも目的地は日光ということもあるのだろうか。そうだとしたら、お陰参りも伊勢だったのにも関わらず、今になってとは思う。

 目的地などない。

 そう考えることもできた。ただ、たまたま帝都がなんらかの尺度において低きにある。そのような理由であり、もし富士山の噴火があるなら、富士山の周辺こそが目的地であっていいように思えた。

 ラジオでは静岡東部でも狂舞が起きていると言っていた。なら、その集団がどう動くのかに注目しておけば、狂舞全体の動きも予想できるかもしれなかった。

 そう考えている間に、ラジオの放送は終わっていた。

明日(あした)先生、お茶とお茶請けが用意できました」

 書斎机の向こうから、小村少年の声が聞こえた。

「君はどう思う?」

「狂舞のことですか?」

 少年は応接テーブルにティー・セットとお茶請けを置きながら応えた。

「あぁ」勇介はソファーに腰を下ろしながら応えた。「帝都までやってくるだろうか? 富士山の噴火という噂もあるが、だとしたら富士山の周辺が目的地なのだろうか?」

 背後にはラジオのノイズが流れていた。

「帝都に来たとして、目的地になるような場所があるんでしょうか?」

 少年は勇介の向かいに座り、カップを手に取った。

「神宮があるし、将門の塚もいくつか残っていただろう。そういう場所が目的地になるとは思わないか?」

「こういうのは、お伊勢参りであったんですよね?」

 少年は紅茶を一口飲むと訊ねた。

「あぁ」

「こう言ったら不敬かもしれませんが。伊勢と比べると神宮では歴史が浅いように思います。東照宮ならとは思いますが、伊勢とは性質が違いますよね。東照宮ならむしろ神宮の方が伊勢と性質は似ていると思いますが。だとしたら、帝都が目的地なら将門の塚の方がしっくりくるように思います」

 勇介も紅茶を一口飲んだ。

「目的地が帝都だという考えと、富士山だという考えではどちらがありえると思う?」

 その問いに少年はしばらく考えた。

「それは、目的地が帝都だとしたら、備えが必要だということですか?」

「そうか。そうだとしたら、確かに備えが必要だ。屋上の蒸気を動かす炭、食べ物、飲み物も必要だな。無駄になるとしても、目的地が帝都だとわかった時には、準備はもう難しいだろうな。そうなると、カフェーも壊滅か」

「カフェーはともかく。それでしたら、下宿の女将さんに頼めば仕入れ易いと思いますよ」

「君の話を聞いていると、そのようだな。何者なんだ、女将さんは?」

 その問いを聞き、小村少年は笑った。

「下宿に入っている人の間でも、いくつも噂がありますよ。なにを聞いても、女将さんは笑っていますけど」

「先程、静岡中部で地震がありました。被害は追って放送します」

 つけっぱなしだったラジオから放送が流れた。勇介も小村少年も、しばらく無言で続報を待ったが、すぐには流れなかった。

「女将さんに、そのあたりを頼んでおいてくれるかな」

 小村少年を見て、勇介は言った。

「伝えておきます」

 小村少年はカップの紅茶を飲み干した。

「あとは、女将さんには手に入れられそうにないものか。それはこっちで備えないとな」

「銃や銃弾ですか?」

「それらや、なにやらというところだな」

「女将さんなら、そういうのもなんとでもなるように思えますね」

 小村少年は笑顔を浮かべながら言った。

「まったくだ」

 勇介も笑うと、お茶請けのクッキーを一つ口に放り込み、カップに残っていた紅茶で流し込んだ。

 小村少年は応接テーブルにあったティー・セットとお茶請けを盆に戻していた。

「静岡からの電信によりますと、大きな被害はなかったとのことです」

 ラジオは、何度かその言葉を繰り返し、そしてまたノイズに戻った。


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