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祭 [MATSURI]  作者: 宮沢弘
第一章: 震災前
22/26

1−4:

「よう、小僧」

 (やなぎ) 田輔(でんすけ)が老人を訪れた日、勇介は老人に最近の読み物を頼まれた。その数日後に勇介は何冊かを見繕い届け、そして今日、老人の様子を看に来ていた。老人は布団の中で肘をつき頭を支えながら(ページ)をめくっていた。

「最近なぁ、こういうのが多いのかい?」

「こういうのと言いますと?」

 縁側に座った勇介が応えた

「昔もなかったたぁ言わねぇけどよ。好いただのどうなのってなぁばっかじゃねぇか。面白ぇ(おもしれぇ)のかい?」

「読まれてはいるようですが。おやっさんの好みもわかりませんから、評判らしいものを持って来たんですが」

「ふぅん」

 老人はまたページを繰った。

「で、お前(おめぇ)は眺めるくらいはしたのかい?」

「いえ、私はそういう物よりも人間に興味がありますから」

「そうかい。これなんざ、人間を描いているとかあるぜ? そういうなぁ、お前(おめぇ)の好みには入らねぇのかい?」

「入りませんね。そういう俗事が人間を描いているとは思えませんし」

「なんでぇ、少しゃぁ(すこしゃぁ)読んでんじゃねぇか。読んでねぇってなりゃぁ、気に入らねぇとは言えやしねぇだろ?」

「まったく読んでいないとは言いませんが。好んで読もうとは思いませんね」

 勇介は縁側から部屋に戻り、布団の横、火鉢の横に積んである本の中から二冊取り出した。

「両方とも新人のようですが、これらは好みの範疇に入るかもしれません」

「ふぅん」

 老人は持っていた本を脇に置くと、勇介が持った本を受け取った。

「こいつぁ読んだぜ。探偵小説って奴だな、両方とも」†

「えぇ。人間を描いていると言われる著作よりも、こちらの方がよっぽど人間を描いていると思いますね。なにより、論理的なのがいい。仕事柄ということもあるかもしれませんが」

「ふぅん。お前ぇは理屈っぽいのが好きそうだわなぁ」

 老人はくっくっと笑った。

宿儺(すくな)の民が理屈好きたぁなぁ。ま、いけねぇってこたぁねぇ。だが、探偵小説が好きだってわけでもなさそうだな。理屈っぽいったってよ、所詮(しょせん)、書いてる奴の思惑ってのがよ、丸見えじゃねぇか。てこたぁ、なにやらこれってのがあるように思えるぜ。なんかあんのかい?」

「確かにありますね。かなり前に出た著作ですが」

「ふぅん」老人はまたそう応えた。「探偵小説はその代わりかい?」

「そうかもしれません」

「よっこらせ」老人は起き上がり、布団の上に座ると、火鉢の抽斗(ひきだし)から茶筒を引っ張り出し、お茶の用意を始めた。

「これって奴と似たような物ぁ(もなぁ)ねぇのかい?」

「判断が難しいところですね。あると言えばある。ないと言えばない」

「なんでぇ、そいつぁ書くのを止めちまったのかい?」

「書いてはいましたね。既に故人ですが」

 老人は勇介に湯飲みを渡した。

「なら、そいつぁ自分の筋を曲げちまったのかい?」

「そこはわかりませんが。なので、あると言えばある。ないと言えばない。ですが、すこし遅れてもう一人。こちらは存命で、今も著作を出しています」

「とは言え、立て続けにゃぁ出て来ねぇ。それで、探偵小説で我慢してるってわけだ」

「その言い方が正確と言えるかは疑問ですが」

「おおっと」

 地震があった。火鉢の上の鉄瓶が揺れた。

「でかかったな」

 鉄瓶の蔓を持っていた手を離し、老人が言った。

「こいつぁたまんねぇ。寝てたら大火傷になりかねねぇ。小僧、お前ぇ力ぁあんだろ。火鉢をよ、すこぉしそっちに動かせねぇか?」

「手で動かすのは無理ですね。すこし畳を痛めてもかまいませんか?」

「程度によるけどよ」

「では」

 勇介は右手を火鉢にかざした。

「あれ」

 勇介の言葉に応え、掌を広げた程度の輪が火鉢の向こう側に現れた。勇介はその輪を見ていた。その輪は形を変え、火鉢が入る形、大きさになった。

「あれ」

 勇介の掌のすぐ先に光る輪が現れ、同程度の形、大きさになった。勇介は眉間に皺を寄せ、二つの光る長方形の位置を調整した。

「入り、現れる」

 火鉢の向こう側の光る長方形が火鉢を飲み込んだ。手前にあった光る長方形がまた移動し、そこから火鉢が現れた。火鉢は五寸*ほど勇介の側に移動していた。

「ほう、いいもん見たぜ。こいつぁ久しぶりだ。まったく久しぶりだ。お前ぇが理屈が好きだってのもわかんねぇでもねぇ。こいつぁ宿儺(すくな)の民の理屈やら尋常やらの範疇も越えちまってる奴だ。いろいろと気にゃぁなってるだろうなぁ。前の奴も滅法理屈好きだったしよ」

 老人は何度も頷いた。

「こいつぁ、ちぃっとやりすぎたかな」

「動かしすぎましたか?」

「いや、そうじゃねぇ。てっきりよ、異形になるのが精一杯だとか、ちぃっと物ぉ(ものぉ)動かせるとかよ、そんなもんだと思ってたからよ。お前ぇに入りきるかと思ってよ」

「入りきる?」

 勇介は訝しげに訊ねた。

「いや、なんでもねぇ。こっちの話だ。先見(さきみ)はねぇだろうたぁ思っちゃいたがってくらいってことよ。俺が先見(さきみ)やら遠見(とおみ)ができるってもよ、見っぱなしってわけにゃぁいかねぇ。しかも肝心のとかぁ、どうにも見えやしねぇと来たもんだ。だが、よりによってこれたぁなぁ」

「わかりませんが、なにかしたということですか?」

「してねぇ、してねぇ。なんもしてねぇ。神仏にでもなんにでも誓って、なぁんもしてねぇ」

「怪しいですね。ですが私になにか変化があったわけでもないように思います。なにもしてないという言葉をとりあえず信じておきますよ」

「そうしてくれ」

 老人は湯飲みを空けると、横になった。

「まだ本調子じゃぁねぇな。疲れちまった。今度ぁ(こんだぁ)ちょいとした菓子でも持って来てくれねぇか?」

「お茶だけというのも寂しいですね。なにか探してみましょう。今日はこれで帰ります」

「おぉ、帰ぇれ(けぇれ)帰ぇれ。俺ぁ(おらぁ)一眠りすらぁ」

 勇介は長屋から離れ、浅草仲見世周辺をぶらついた。老人の「入りきる」という言葉が引っかかってはいた。

 


† 日本での探偵小説の芽生え、あるいは発展は、史実よりも早かったと設定しています。

‡ ジュール・ヴェルヌの「二十世紀のパリ」が刊行および翻訳されていると設定しています。

* 15cmほど。


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