2−4:
「おやっさん」
長屋の一間の入口を開け、勇介は声をかけた。
「おぅ、勇介か? 入んな」
勇介が一歩入ると、障子の影で布団の上に胡座をかき、鉄瓶をかけた火鉢から煙管の火を取っている老人がいた。
「煙草ですか、おやっさん?」
「おうとも、煙草だ。調子がよくなって来てな、そんで久しぶりに飲むと、これがまた旨ぇもんだ」
土間から老人の向いに勇介は上がり、帽子を脇に置いた。
「会うたびに元気になっていますね」
「そうかい? それより茶ぁ淹れてやっからよ、団子とかすてぃーじゃ、そこに置きな」
老人は煙管で二つの包みを差し、そして火鉢の横の盆を差した。勇介はその盆ら湯呑みと急須、茶筒を火鉢の上に置くと、空いた盆に団子とかすていらの包みを置いた。
老人は急須に茶葉を入れると、火鉢の鉄瓶から湯を注いだ。
「まぁなぁ、俺が元気になってくってのもよ、いいんだか悪いんだか」
お茶を淹れながら老人がこぼした。
「狂舞や地震。このままでは終わらないと?」
「そのあたりゃぁどうなんだかなぁ」
湯呑みの一つを、老人は勇介の前に置いた。
「それはまぁそれとしてだ。失せもんだろ?」
老人は煙管を置き、お茶をすすると訊ねた。勇介はジャケットの内ポケットに手を入れた。
「おっと、今回なぁ地図ぁいらねぇ。お前ぇん家の裏のあたりをうろついてらぁ」
「狂舞には参加していないんですか?」
「混じってる時もあるけどよ、一人でいる時もあらぁ」
返事を聞き、勇介はお茶を一口飲んだ。
「それで、失せものという以外にも……」
老人はそこまでを聞くとうなずいた。
「まだ気付いちゃぁいねぇが」
「では急げば……」
老人は首を横に振った。
「どう急いでもよ、お前が会う時にゃぁ、力ぁ使えるようになっちまってらぁ」
「どうにかその前に会う抜け道はありませんか?」
「ねぇ。どの先見でも、ねぇ。まぁ、そのこたぁお前には隠すだろうけどよ」
「そうですか」
老人は火鉢の抽斗の一つから黒文字の楊枝を二本取り出し、一本を勇介に投げた。かすていらの箱を開けると、楊枝で一切れを切り、口へと運んだ。
「甘ぇ、甘ぇ」
呟くと、お茶を口へと運んだ。
「いい世んなったもんじゃねぇか。かすてぃーじゃをそのへんの店で売ってるなんてよ」
「それが、その店は狂舞の連中に襲われたそうですが」
勇介も一切れを口に運んだ。
「そうかい。ふうん。そいじゃぁ総領の小坊主を叱ってやんねぇといけねぇな」
「どこからどこまでかはともかく、やはり総領が絡んでいますか?」
「あ? そりゃぁお前ぇ、絡んでんじゃねぇかって思っただけよ」
「おやっさんのところには、総領からなにかあったんですね?」
「ねぇよ。俺が起きれるようになったなぁ知ってるだろうがなぁ。死に損ないの爺には用はなかろうよ。先見やらなんやらは珍しくもねぇ。この爺をどうこうする必要もなかろうよ」
老人はかすていらをもう一口、口に運んだ。
「滋養、滋養。かぁ、甘ぇ、甘ぇ」
老人は急いでお茶を飲んだ。
「この先、どうなりますか?」
「どうなるってなにが?」
「地震やらなにやら、ずべてひっくるめて」
「そうさなぁ。火の元に気ぃつけなってとこかねぇ。たぁ言ってもお前ぇんとかぁビルヂングか。まぁそんなとこだ」
「気をつけるようにしときます」
勇介は団子を取り齧ると、答えた。老人も団子を取り、齧った。
「こんくらいの甘味がよ、丁度いいってなもんだ。羊羹なんかもいけねぇ。ありゃぁどこの羊羹だったかな。砂糖がジャリジャリになってるのがあんだろ。ありゃぁいけねぇ」
「今度は羊羹ですね。なんとか見つけてみます」
「おう、俺ぁ催促してねぇぜ。それに今度会う時ぁ…… まぁ、あれだしな」
「胡麻化すのはともかく。おやっさんには、いろいろとどう見えているんですか?」
老人は湯呑みを火鉢に置いた。
「どうってなぁ。目に見えるもなぁ普通と変らねぇぜ。ただよ、ここんとこにな……」老人は額に右手の人差し指を当てた。「いろいろと見えんのよ。先代もそうだって言ってたからよ、先見とかできる連中はみんなそうなんじゃねぇか?」
「先代?」
「おぉよ。だが、そりゃぁ放っときな。家康の洟垂れがお江戸に来たあたりんことだ。あの洟垂れもどうして性根が曲がったんだか。身の上を考えりゃぁ、仕方ねぇかもしんねぇけどよ。それに太閤とか言っててもよ、しょせん猿だろ。洟垂れの方が上だってなこたぁ考えてたのかもな」
老人は急須から湯呑みにお茶を注ぐと、ぐいっと一飲みにした。
「ま、今日んとかぁそんなとこだ」
老人は火鉢の抽斗の一つを開けると、煙草をつまみ、掌で器用に丸めた。煙管に詰め、火鉢から火を取り、一服した。
「ほら、帰れ帰れ」
一服ついでというように、老人は煙管で一間の入口に二度、三度と煙管を向けた。
勇介は帽子を頭に載せ、立ち上がった。
「いろいろ後で聞かせてください」
老人は深くもう一服した。
「ま、そのうちな」
老人は応えるともう一服し、煙管に残った灰を火鉢に落とした。




