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祭 [MATSURI]  作者: 宮沢弘
第二章: 震災直前
17/26

2−4:

「おやっさん」

 長屋の一間の入口を開け、勇介は声をかけた。

「おぅ、勇介か? 入んな」

 勇介が一歩入ると、障子の影で布団の上に胡座をかき、鉄瓶をかけた火鉢から煙管の火を取っている老人がいた。

「煙草ですか、おやっさん?」

「おうとも、煙草だ。調子がよくなって来てな、そんで久しぶりに飲むと、これがまた旨ぇ(うめぇ)もんだ」

 土間から老人の向いに勇介は上がり、帽子を脇に置いた。

「会うたびに元気になっていますね」

「そうかい? それより茶ぁ(ちゃぁ)淹れてやっからよ、団子とかすてぃーじゃ、そこに置きな」

 老人は煙管で二つの包みを差し、そして火鉢の横の盆を差した。勇介はその盆ら湯呑みと急須、茶筒を火鉢の上に置くと、空いた盆に団子とかすていらの包みを置いた。

 老人は急須に茶葉を入れると、火鉢の鉄瓶から湯を注いだ。

「まぁなぁ、俺が元気になってくってのもよ、いいんだか悪いんだか」

 お茶を淹れながら老人がこぼした。

「狂舞や地震。このままでは終わらないと?」

「そのあたりゃぁどうなんだかなぁ」

 湯呑みの一つを、老人は勇介の前に置いた。

「それはまぁそれとしてだ。失せもんだろ?」

 老人は煙管を置き、お茶をすすると訊ねた。勇介はジャケットの内ポケットに手を入れた。

「おっと、今回なぁ地図ぁいらねぇ。お前ぇ(おめぇ)()の裏のあたりをうろついてらぁ」

「狂舞には参加していないんですか?」

「混じってる時もあるけどよ、一人でいる時もあらぁ」

 返事を聞き、勇介はお茶を一口飲んだ。

「それで、失せものという以外にも……」

 老人はそこまでを聞くとうなずいた。

「まだ気付いちゃぁいねぇが」

「では急げば……」

 老人は首を横に振った。

「どう急いでもよ、お前(おめぇ)が会う時にゃぁ、力ぁ使えるようになっちまってらぁ」

「どうにかその前に会う抜け道はありませんか?」

「ねぇ。どの先見(さきみ)でも、ねぇ。まぁ、そのこたぁお前(おめぇ)には隠すだろうけどよ」

「そうですか」

 老人は火鉢の抽斗(ひきだし)の一つから黒文字の楊枝を二本取り出し、一本を勇介に投げた。かすていらの箱を開けると、楊枝で一切れを切り、口へと運んだ。

甘ぇ(あめぇ)、甘ぇ」

 呟くと、お茶を口へと運んだ。

「いい世んなったもんじゃねぇか。かすてぃーじゃをそのへんの店で売ってるなんてよ」

「それが、その店は狂舞の連中に襲われたそうですが」

 勇介も一切れを口に運んだ。

「そうかい。ふうん。そいじゃぁ総領の小坊主を叱ってやんねぇといけねぇな」

「どこからどこまでかはともかく、やはり総領が絡んでいますか?」

「あ? そりゃぁお前ぇ(おめぇ)、絡んでんじゃねぇかって思っただけよ」

「おやっさんのところには、総領からなにかあったんですね?」

「ねぇよ。俺が起きれるようになったなぁ知ってるだろうがなぁ。死に損ないの(じじい)には用はなかろうよ。先見(さきみ)やらなんやらは珍しくもねぇ。この(じじい)をどうこうする必要もなかろうよ」

 老人はかすていらをもう一口、口に運んだ。

「滋養、滋養。かぁ、甘ぇ(あめぇ)、甘ぇ」

 老人は急いでお茶を飲んだ。

「この先、どうなりますか?」

「どうなるってなにが?」

「地震やらなにやら、ずべてひっくるめて」

「そうさなぁ。火の元に気ぃつけなってとこかねぇ。たぁ言ってもお前ぇ(おめぇ)んとかぁビルヂングか。まぁそんなとこだ」

「気をつけるようにしときます」

 勇介は団子を取り齧ると、答えた。老人も団子を取り、齧った。

「こんくらいの甘味がよ、丁度いいってなもんだ。羊羹なんかもいけねぇ。ありゃぁどこの羊羹だったかな。砂糖がジャリジャリになってるのがあんだろ。ありゃぁいけねぇ」

「今度は羊羹ですね。なんとか見つけてみます」

「おう、俺ぁ(おりゃぁ)催促してねぇぜ。それに今度会う時ぁ(ときゃぁ)…… まぁ、あれだしな」

「胡麻化すのはともかく。おやっさんには、いろいろとどう見えているんですか?」

 老人は湯呑みを火鉢に置いた。

「どうってなぁ。目に見えるもなぁ普通と変らねぇぜ。ただよ、ここんとこにな……」老人は額に右手の人差し指を当てた。「いろいろと見えんのよ。先代もそうだって言ってたからよ、先見(さきみ)とかできる連中はみんなそうなんじゃねぇか?」

「先代?」

「おぉよ。だが、そりゃぁ放っときな。家康の洟垂れ(はなたれ)がお江戸に来たあたりんことだ。あの洟垂れもどうして性根が曲がったんだか。身の上を考えりゃぁ、仕方ねぇかもしんねぇけどよ。それに太閤とか言っててもよ、しょせん猿だろ。洟垂れの方が上だってなこたぁ考えてたのかもな」

 老人は急須から湯呑みにお茶を注ぐと、ぐいっと一飲みにした。

「ま、今日んとかぁそんなとこだ」

 老人は火鉢の抽斗(ひきだし)の一つを開けると、煙草をつまみ、掌で器用に丸めた。煙管に詰め、火鉢から火を取り、一服した。

「ほら、帰れ(けぇれ)帰れ」

 一服ついでというように、老人は煙管で一間の入口に二度、三度と煙管を向けた。

 勇介は帽子を頭に載せ、立ち上がった。

「いろいろ後で聞かせてください」

 老人は深くもう一服した。

「ま、そのうちな」

 老人は応えるともう一服し、煙管に残った灰を火鉢に落とした。


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