3−1:
雷鳴、そして雨が降り始めた。激しく、黒い雨だった。まだ突き上げる揺れはあったが、あちこちで出た火はこれで納まるだろう。道路には火山灰が流れる筋が現われていた。
勇介は事務所から外を見て、安堵の溜息を吐いた。勇介には、事務所や窓から見える風景が意外なほど無事であるように思えた。すくなくとも、このビルディングは崩れておらず、見える限りにおいてすべて崩壊しているビルディングも見えなかった。だが、いくつかのビルディングの屋上にあったキノトロープ広告の内の二枚が地面へと落下し、砕けていた。
「先生!」小村少年の声が後から響いた。「納まったんでしょうか?」
「そうだな…… まだ余震もあるだろうし、噴火も…… 納まったわけではないだろう」
勇介は西に目を向けた。
「山梨、あるいは静岡か…… どこから噴火したかによるだろうが…… 富士山の噴火†に飲み込まれた村もあるかもしれない」
「ちょっと周りの様子を見て来ます」
「いや、今はまだ雨が……」
勇介の応えを待たず、小村少年は入口脇の上着掛けに並んだ傘立から傘を引き抜き、事務所を飛び出して行った。
地震が来ると予測していた学者はいた。地震と噴火は関係しているのか。そこまでは予測していなかったように思う。だが宿儺の民の力としても、噴火までは起こせまい。
事務所の向かいのビルディングでは、狂舞に興じていた人々——ほとんどは地方からの——は右へ左へと、激しい黒い雨から逃れようとしていた。
「先生!」
また小村少年の声が背後から響いた。
「見通しもよくなかっただろう?」
「そんなことより、早く!」
小村少年は傘立からもう一本の傘を抜き、持ち手を勇介に向けて差し出した。
「なにかあったのか?」
勇介は傘を受け取ると、急いで事務所を出て、階段を登る小村少年を追った。
屋上に出ると小村少年は北東を指差した。
「十二階が!」
激しい雨に遮られながらも、浅草の十二階‡の影がないことに勇介も気づいた。
「おやっさん」
事務所の窓からは南を見ていた勇介は、ここから見える様子から予想できる状況を思い描き、呟いた。
人口が密集していた東京市だけで、どれくらいの被害が出ただろうか。あるいは地震と噴火の全体の影響は。
仮にこれに宿儺の民の力が関係していたとしたら。それは総領の意思によるものだろう。これほどの影響と被害を出して、総領はなにを望んでいるのか。
仮に狂舞に興じていた人びとが宿儺の民であり、それゆえに帝都を目指していたのだとしたら。宿儺の民をこの地に集め、総領はなにを望んでいるのか。
勇介は深く溜息を吐いた。
勇介は振り向くと、炭小屋へと足を向けた。炭小屋に雨が吹き込んでいないこと、床下から溢れてもいないことを確認し、そこから背後にある蒸気機関と発電機に雨が当たり流れ落ちている様子を確認した。
おそらく電気は通っていないだろう。解析機関を動かす必要があれば、これらが必要になる。
「小村少年、雨が上がってからあれが動くか確認してくれないか?」
まだ呆気に取られ北東の浅草へと目を向けていた小村少年へと、勇介は声を張り上げた。
「そして解析機関の動作確認もですね?」
振り返った小村少年もまた、雨音に負けじと声を張り上げた。勇介は頷きでそれに応えた。
「炭が湿気っていなければいいんですが」
小村少年は、浅草の方角を振り向きながら、勇介の元へと足を進めて来た。
「日干しくらいはした方がいいかもしれないな」勇介は炭小屋に目を戻した。「今日、明日というわけにはいきそうにないが」
空を見上げ、勇介は応えた。
これは終わりではない。始まりでもない。現われのただ一つであるに過ぎない。空を見上げながら、勇介は思った。
† 富士山の噴火: 史実では関東大震災においては富士山は噴火していません。
‡ 十二階: 凌雲閣。ここでは、実際よりも崩壊の程度が高かったとしています。
活動報告より転記:
「3−1:」で名前だけでてくる「十二階」、正確な名称は「凌雲閣」の細かい場所はわかっていませんでした。
今日ネットでですが「浅草の工事現場から凌雲閣の基礎が出土」 https://srad.jp/story/18/02/13/148233/ というニュースがありました。




