表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

七つまでは神のうち

作者: 葵陽

※ここに登場するものはすべてフィクションであり、実際のものとは関係ありません。また、ここに書いてある考えは作者個人の見解であり実際のものとは異なります。作り話として、読んでください。えっ、注意書きが長い?専門的なこと書いて間違ってると、「嘘つき」って言われそうじゃん?


最初から「これは嘘ですよ」って書いてた方が良いっしょ。





「恭子はお見合い結婚したそうです。」シリーズ続きです。



 「前の世界」ではどうかわからないが、今世で神と交信する行為、交信する人を指してかんなぎという。

 巫は神と対話、もしくは神をその身に宿すことで今後の吉凶を占ったり神託を頂いたりする。



 私こと有馬初乃の家は、ただのお金持ちだったわけではない。立派な屋敷を構えてはいたが年貢、税で暮らしていたに過ぎない家だった。

 

 この国、で神職は「公務員」と同等の扱いをされる。

 巫である有馬家もまた、そうだった。

 

 ただし一般的な公務員と違うところは、誰もがなれるわけでもなく血筋も才能も必要となる、なにせ神の声を聴かなくてはならないわけだから。

 血筋は大切だが世襲制というわけでもなく、交信ができることが何より大事だったらしい。実際先祖の幾人かは養子だったとのこと。


 私は才能が皆無だったのか、はたまた転生をした身だからか神の声を聴いたことはない。弟、一佐かずさも同様のようだ。

 一佐に至っては父の血が入っていないためともとれるが、噂によれば父も幼いころから神の声を聴くことは叶わなかった。その弟である叔父も、神の声の受信しかできなかったとか。元一般人の私から言わせれば受信が出来るだけでもスゴイと言うべきなのだが、我が一族はそれでも長子である父に家督を譲ったわけである。


 ここで気になるのは、末弟の壮一郎だ。まだ赤子ゆえに巫としての才があるか否かは不明である。出自は異父弟のはず、であるが母が出奔する時に押し付けてきた子ゆえに父親についてはまったく分かっていない。母の子であるのかどうかも定かではないが。

それを言えば一佐とて同じだが、一佐の場合父親が外国人という点が分かっているだけマシなのだ。



 私は普段、壮一郎を背中に背負って仕事をしている。私は便宜上そうしているに過ぎないが、赤ん坊はダッコするよりも背負っていたほうが子供の成育的に良いという話を思い出した、実際はどちらが良いのかは知らないが。

 

 壮一郎は夜泣きをしない。夜泣きというか昼間も泣かないし、腹が減っても粗相をしても泣かない。ゆえに、いつ壮一郎が腹が減っており、いつ排泄をしたかということに気を配る必要がある。幸い日向子か一佐が気がついて私に知らせるというシステムが出来上がっているため、今まで大事に至ったことはない。

これが普通の赤ん坊ではないことは、前世、今世と育児をしたことがない私でも分かった。

 

 これは私の勝手な想像だが、壮一郎には「聴こえて」いるのではないだろうか。時折何もないところを指さし、楽しそうに笑う壮一郎を見て私は思うのだ。聴こえている、というより「見えている」のが

正しいか。




 根本的な問題だが神は本当に実在しているのか、そんなことを政治までも巫で決められるこの国で疑ってはならない。この国は神の声に従って成立し、神の声によって運営されている。


 この国は「まだ」、政教分離ではないようだ。


 

 巫にも聴ける神と聴けない神とがいる。巫の格、というわけではないがより強い力をもった神と対話するためには巫も強い力を持つ必要がある。例えるならロールプレイングゲームの登場キャラクター、召喚士がレベルをあげないと強い召喚獣を呼び出せない、ことに近い。ただゲームと違って生きている人間のレベルをあげるのは死なない限り不可能だ、実質生まれ持った才能に余剰がなければ対話できる神はおのずと絞られてくる。


 有馬家は、治める土地の産土神うぶすながみと対話することを生業としていた。産土神はその土地の守護神であり、巫は産土神と対話することによってその土地をより良いように治めていくことができた。つまり、有馬家の人間はどれだけほかの神と対話できようとも、自治土地の産土神と対話できなければ意味がないのだ。

 

 有馬家は産土神から土地を借りて治めていたに過ぎない、というのが私の乳母の見解である。


 私は残念なことに何者の声も聴いたことはないが、日向子は神使かみのつかい程度の声を聴けるようだ。実際生家の周りには、「私には見えない」おきつねさまが沢山いたらしい。

 

 エキノコックスが心配です。


 可愛い妹の言うことを疑えるわけがない。

 自分は聴けなくとも神はいるのだと、私はそう信じたい。




 今日は久しぶりに雲一つない晴れだ、と大量の洗濯物を干している。

 勿論、壮一郎には可愛い黄色のお帽子をかぶせた。


 背中でまた、壮一郎が笑っている。

 壮一郎の目線の先を見ると、くぼうさまがテラスに座って本を読んでいた。


定期更新、8つ目、なんとか完成です。

お読みいただければ幸いです。


もう少し書き溜めたら、連載用に編集しようかと考えています。


作中にいろいろと書いてますが、ほとんど私個人の見解なので、信じないでください(切実)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ