9.邂逅
ドゥルーマウンテン――――最奥部
ルーンの結界より先は、深い森林と崖が満載の危険地帯だ。木の伐採や菌類の採取のために地元の人間がそれなりに出入りしていた事もある。
しかし今となっては警邏の騎士が巡回する程度で、殆どの時は恐ろしいほどの静謐さを保っていた。怪人の出現が、人を山から極端に遠ざけたのである。
その日の喧騒はまさに例外と言えただろう。
「追え! 追いこめ! やつは手負いだ」
「そうは言うが、山の中だぞ。必死こけばこっちが手負いになる! 足元には細心の注意を払え!」
「土砂には細心の注意を払えよ。事故で死んだら死に切れん」
鎧騎士たちが慣れない山中を駆けずり回る。警邏の時は通常三人程度での巡回だが、その日のドゥルーマウンテンには三十人以上の騎士が投入されていた。
「怪人め! 今日こそ我らの手で討つぞ」
手負いの怪人が結界近くで暴れているという情報が警邏兵によって齎されたのが前日の夜。そして明朝である今、人海戦術による捜索が功を成し、怪人を山の最奥部へ追いこむ事に成功していた。
「先へ行きます」
「ウォレス一等騎士? 手柄が欲しいか」
「いえ。借りのある怪人が居ます。そいつだったら、私がこの手で借りを返したい」
五人一組で結成された班の一つにウォレスは居た。偶然にも彼の班が怪人と最も近い距離にあった。
山中を駆けながらのウォレスの上告に、班長である髭面の男は汗を拭いつつ口元を歪ませる。
「化物に借りか。悪いがそれは騎士全体に言える事だ。だが作戦ならば認めないわけにはいかんだろう。先に行き囮になれ、ウォレス」
「感謝します。アンドル伯」
その一連のやり取りを見て、同じ隊に居たダイレスは信じられないと言わんばかりに目を見開く。
「正気ですか、アンドル少佐。ウォレスはまだ経験も浅く」
「少佐と呼ぶなダイレス。伯爵と呼べと言ったろう。私の血筋は貴族が騎士をやっていた頃から騎士なのだ。それに則り、どれだけ制度が変わろうと俺は」
「アンドル少佐、私は反対です」
強い言葉でそういうダイレスに、アンドルは忌々しげに一瞥する。だから平民上がりの騎士は嫌いなのだ。血筋に従わず逆らう。
「ダイレス大尉、心配は無用です。行かせてください」
力のこもった落ちついた声でウォレスはそう言う。
「……ならば行けばいい。だが死ぬなよ」
ウォレスは不敵な笑みで応えると、平らな道を走る班から一人離れ、殆ど崖のような山の斜面を滑るように下っていった。怪人はその崖を下った先の木陰に潜んでいる。
「あいつは問題ない」
そう言うアンドルに、ダイレスは控えめながらも反論した。
「何故そう言えるのです。確かにウォレスは優秀です。だが、怪人は未知の脅威。無鉄砲では命がいくつあっても足りません」
「命など補充すればいい。騎士になりたいやつはゴマンと居るのだからな。騎士は死ぬために戦うのだ」
楽しげに語るアンドルと打って変わって、ダイレスは沈痛な表情を浮かべる。
「お前も試験官だったなら、ウォレスの成長を喜んだらどうだ? あいつは騎士であるためにもっとも必要なものを持っている」
「非情さ、ですか」
「ああ。そうでなくては騎士にはなれん。いや、私がさせないよ」
そんな時代は、戦争の終わりと共に終わっている。そう言いたいのをダイレスは腹の中に閉じ込めた。
「だからあの忌々しいネイザー候には早々に舞台から降りてもらう必要がある。奴と私では考えが違い過ぎる。どうだダイレス、やつを失脚させるのにお前も手伝う気はないか」
「……聞かなかった事にします」
「つまらんやつめ。腕が立つというが、所詮元はただの孤児。せいぜい騎士を目指す馬鹿な貧乏人どもを集める看板をやっていればいい」
税の着服を告発されて、一年前に失脚したギルド長。アンドルはその庇護を最も強く受けていた騎士である。
市政を顧みず、プライドや金を優先させる姿は前ギルド長の影響のせいだろう。
騎士の中には、そうした前ギルド長のシンパは少なくなかった。秘密を共有し、限りある財源を私腹に肥やしていた連中である。
ダイレスはそうした連中を最も憎んでいたが、それを是正する事の出来ない己の無力を恥じていた。
「アンドル伯」
「ん」
「ネイザー候を失脚させるといいますが……お気を付け下さい。藪をつついて、出てくるのが蛇で済めばよろしいですが」
だが恥じるだけでは終わらない。自分に出来ないのなら、出来るものを味方につければ良いとダイレスは考える。
彼を騎士に押し上げたものは、あらゆるものを利用しようと思える器用と度量であった。
「……ふん、何が出てこようと恐れるに足らん」
危なげなく山の斜面を下ると、班で行動していた道以上に平らな場所へと出る。
木々は鬱蒼と立ち並び、太陽が出ていることを忘れてしまうほどに闇が深い。足元がぬかるんでいるのは数日前の雨が未だに乾いていないからで、その場所がどれほど陽から遠い場所にあるかを示していた。
ウォレスは背負う剣に手を掛ける。数日前に折られた『怪人殺しの大剣』であるが、今は鍛え直して少しばかり細くなった『怪人殺しの剣』としてウォレスの手元にある。
「ルーンの敷き詰められたこの剣ならば、今度こそ」
騎士を目指した者の中でも、トップの成績で合格した彼にのみ与えられたその剣は彼の特別性を示す証である。
もっともルーンの装飾は全ての騎士の武器に施されてはいるが、彼の持つそれはそうした武器の最新式なのだ。
「そこか!」
その機能の一つは怪人の察知である。ウォレスは柄から伝わる『振動』から怪人の居場所をある程度限定する事が出来た。
怪人から察せられる特定の波動をキャッチし、それを振動で伝える機能は全ての騎士の武器に搭載するにはあまりにコストが高すぎる。
事実上、その機能のある武器を持っているのはウォレスとウォレスより遥かに階級が上な騎士ぐらいだった。
「……なんだと」
その最新鋭の武器が見つけた怪人の姿は、あまりに凄惨なものである。
生い茂る木々の一本にもたれて座るその怪人は、体中から異色の血を噴き出して小刻みに震えている。
ウォレスは一見して、その怪人が自分を打ち負かした怪人かと思ったが、よくよく観察してみると細部が違うことに気付いた。闇が晴れれば、その姿の殆ど違うことにも気づけただろう。類似点は、怪人というよりも人間がただ鎧を着ている姿に近いように思えることぐらいだ。
「いくらなんでも傷つき過ぎている? 別働隊がやったのか? いや、そんな報告は」
『クソ……無暗ニ装着ナンテ……スルモンジャネーカ』
怪人が言葉を発する。低く、うすら寒くなる様な恐ろしい声色だ。
『他ノ体ニ装着シヨウニモ町ニハ、忌々シイ呪イノセイデ入レナイ……。俺様ガ、コンナ無様な形ニ……クソ』
しかしウォレスは冷静に、剣を死に体の怪人へ向ける。
「お前も喋るのか。つくづく怪人が進化する事の恐ろしさには肝を冷やされる。だが、ここでお前の進化も終わりだ」
『アァ? ……ホォ、オマエ。装着ニムイテイル体ヲシテイルナ』
「装着? 何を言っている」
『コイツハ、モウ、ステル』
その瞬間、怪人の身体から紫色の炎が噴き出し始める。新手の攻撃手段かとウォレスは身構え、一歩半ほど後ろに下がった。体中に気力を込め、全ての感覚を研ぎ澄ませる。
次はどのような攻撃が飛んでくるのかと思い、全ての思考を対処に動員させた。
ウォレスは極めて戦闘的な思考で、今の状況を捉えようとしていた。
だから尚更――――ソレの出現には一切の対応が出来なくなり、脳内には疑問符が満ちる。
紫色の炎に焼かれる怪人の身体の傍に、少女が立っていた。
少女は齢十五、六ほどだろうか。ボロボロのローブを纏い、紅栗毛の髪の毛は肩までで、毛先は外側に跳ねている。
「き、君は?」
「俺様か? 俺様はハイドラだ。で、オマエはなんと言う」
少女の少女らしからぬ不遜な態度に困惑しつつ、ウォレスも名乗る。
「俺はウォレス・ランド。君はハイドラ、というのか。……怪人に捕らえられていたのか?」
「捕らえられる? いいや」
「じゃあ、どうしてこんな所に」
「ふん、決まっているだろう。それは」
ハイドラの裸足が土を踏み、ウォレスの元へ近づこうとした時、ウォレスは無駄のない動作で剣の切っ先をハイドラの喉元へ向けた。
「なんだ、刃がこちらを向いているぞ」
「そうだな。騎士が子供に剣を向けるなんて有るまじき事態だ。けれど、君にはある疑いか掛かっている。それが晴れるかどうかで、君を保護するかそうでないかが決まる」
「勿体つけるなよ。聞きたいことがあるなら聞けばいい」
「なら単刀直入に聞こう。君は、怪人か」
それはウォレスの直感が生み出した質問である。この子はただの少女ではない。そう思わせる凄みがあった。
「ふむ。あえてその質問にはNOと答えてやろうかな。俺様をあんなデキソコナイ共と一緒にするな」
直感が確信へと塗り替えられていく。ウォレスは浮かぶ言葉を慎重に絞り出す。
「質問を変える。そこに転がる亡骸と、君はどんな関係だ」
「関係? く。くくくくくく」
「何が可笑しい」
「だってそうだろう。オマエ、自分の右手を指さされて「それはなんだ?」と聞かれたら笑えて仕方がないじゃないか」
「なら、君は」
「そこに転がるのは俺様で、俺様はそこに転がる亡骸でもある。不本意だが、俺様はお前たちの言うところの怪人にカテゴライズされるんだろうな。さぁ答えたぞ。どうする? 騎士、ウォレス・ランド」
その時、焼け死んだように倒れていた怪人の装甲がボロボロと崩れ落ちる。鎧が完全に消滅した場所には、数日前に失踪した町の農夫が横たわっていた。それを目撃したウォレスは、ハイドラへの疑いが確信へと変わる。
だが、ハイドラの姿はただの少女にしか見えない。その選択を選ぶことに迷うが、既に到着していてウォレスの動向を隠れて見守るダイレスたちの困惑した瞳を木陰に見つけて決断を急いだ。
「君を連行する」
「良いだろう。これからよろしくな、ウォレス」
ハイドラはウォレスを見上げて嗤う。その瞳は妖しく、鈍い金色に輝いていた。
――――騎士ギルド 指令室
「以上がドゥルーマウンテンでの怪人捜索の報告です」
「あ、そう」
秘書の報告に、ネイザー候は袖の糸くずを弄りながらそう頷く。その態度に秘書は辟易とさせられる。いつも通り適当な人だと思い、ため息を吐いた。
彼がその立場に着任してから、そろそろ一年という時が経とうとしていた。
普通ならば、まだ一年。
騎士ギルドの長とは、ただ騎士の仕事をするよりも遥かに業務が膨大で、たった一年そこらで把握できるような仕事ではない。
だがそれを、この男はやり遂げていた。それが先の戦争で華々しい戦果を挙げ、『掌握のネイザー』の異名を与えられた所以と言えよう。
彼の適当なふるまいからはその戦果を想像することは出来ないが、顔面に刻まれる深い皺からは戦いに生きてきた彼の生涯を少しばかり垣間見ることは出来た。
「ハイドラを名乗る少女は現在、此処の地下に幽閉しています」
「ふーん。まだ逃げてないの」
「逃げる、ですか? 堅牢な檻です。とても彼女に破れるとは思えませんが」
「あ、そう。なら大丈夫だね」
気の抜けたような返事に、秘書はまた眉根を寄せる。咳払いで気を取り直して、報告を続けた。
「そして町に現れた怪人の件ですが、依然捜索中です。山に現れた怪人と同一個体だと思われていたので、また振り出しとなりました」
「違ったか……。まぁ優秀な部下に任せているから、その辺は大丈夫だとは思うけどね」
「そうですね。ただ町の動きが少し妙でして、その怪人を英雄視する町民が現れ始めたようです」
「怪人を? 単純だねぇ」
「もっとも、ほんの一部ですが」
「ほっときなさい。他には」
「はい。これは事件なのですが、町民のペットが相次いで失踪を」
「やめやめ。そんなの僕が聞いてどうするの」
「しかし、誰かがその任に当たる必要があります。それを任命するのはネイザー候、あなたです」
ネイザーは少しだけ考える素振りをして。
「ウォレス・ランド君か。彼が例のハイドラを捕らえたんだよね。なら彼に行かせよう。キツイ任務ばかりだと疲れちゃうし、良い息抜きになるんじゃないかな」
そう言葉を続けた。秘書は「了解しました」と手に持った用紙にウォレスの名前を記す。
「それで、他には?」
それから秘書の報告は数十分続く。その度にネイザーは面倒くさげに欠伸をするのだった。