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ジャバウォックの騎士  作者: 生肉を揉む
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2.不況


「迷子?」


 難しい顔をして突っ立っている男の子に、それよりも二周りほど年上の少年がそう声を掛ける。

 商店が建ち並ぶ人通りの多い街路。忙しなく生きる人々の中で、男の子の様子に気付いたのは少年ただ一人だけだった。


「うん」


「そっか……お母さんと逸れちゃったか」


「……うん」


 二つ目の返事は涙声。喧騒にかき消されそうなほど朧な声である。男の子は溢れる孤独に押しつぶされそうだった。

 少年は、そんな男の子の頭を「安心しろ」と言わんばかりに、口元に笑みさえ浮かべてそっと撫でる。


「大丈夫。もう悲しくなんかない。だって悲しい理由がお母さんと逸れたからって分かっているんだから。またお母さんと会えば悲しくなんかなくなる。そうだろ?」


 男の子は少しだけ勇気を取り戻したのか、強張る顔を少しだけ柔らにさせた。


「よし、俺が一緒に探してやるよ」


「本当?」


「勿論。で、お母さんはどんな感じの人なの」


 母の特徴を聞こうとする少年。だが、その質問は途中で途切れることになる。


「キッシュ? キッシュなの?」


 声に振り返れば、今にも泣きそうな顔をする女性が居た。


「お母さん!」


 キッシュと呼ばれた男の子は女性の元に走り寄り、抱きついた。

 少年は女性に、男の子の母親かと尋ねると。


「そうです。ちょっと目を離した隙に逸れてしまって」


 と答えが返ってきて少年は安堵する。


「ちょうど今、一緒に探しに行くところだったんです」


「そうでしたか……ご迷惑をお掛けしました」


 うやうやしく頭を下げる男の子の母に謙遜し、少年は男の子に「もう逸れないようにな」と手を振る。


「ありがとう! お兄ちゃん!」


 少年はキザにも振り返らず、軽く手を挙げるのを別れとして親子の元をあとにした。



 恰好つけることが出来て満足だったのか、少年は揚々と歩いていく。


 一日一善。うん良い気分だ。時間もまだ間に合うはず。


 そんな事を考えながら歩く少年であるが、彼はまた一人困っている人間を見つけてしまう。町をよぼよぼと歩く老人。彼は一人で持つにはいささか重すぎる荷物を背負っていた。


 流石にあれを気にかけていては、約束の時間に遅れてしまう。


 少年にはある時間までに向かわなくてはならない場所があった。


「……。だーっ、もう!」


 だが人助けと天秤にかけてしまうと、どうしてもそちらを選ばざるを得ない。そういう性分のせいで、どれだけ失敗してきたか。それでも少年は老人の元へ、走って向かって行った。 


 少年は約束の時間を大幅に過ぎて、目的の場所へ到着した。


 彼の遅刻をその日、咎める者が居なったことを僥倖と思うべきか、悲劇と思うべきか。

 

 少年の目的地は、その町で一番大きな宿屋である。


 午前中はチェックアウトの客で溢れるので、宿屋にとっては活気のある時間帯になるはずである。だがその日の様子は違った。

 人の気配がまるで感じられないのだ。

まるで廃墟のようながらんどう。その理由を、扉に貼られている一枚の頼りない張り紙が代弁していた。


『都合のため、閉店します。いままでご利用ありがとうございました』


 その緊張感のない、まるで簡単なメモ書きのような張り紙に少年にソレを現実として受け止める事は出来ていなかった。


 それもそのはずである。少年はそのホテルの宿泊客ではない。従業員だ。


 全力疾走でやってきたのですっかり上がってしまった息を整えながら、少年は何度も張り紙を読み返す。だが内容が変わるはずもない。


「……ん? んん?」


 少年は数日間、たちの悪い風邪で寝込んでいた。だから今日は数日ぶりの出勤となる。まさに寝耳に水の出来事だろう。


「いやぁ、大変なことになっちゃいましたよねぇ」


 呑気な声に振り返れば、藍色の二つ結びを揺らして菓子パンを齧る少女。

少女――――ユラは少年の同僚である。


「ユラ。なんだよこれ。どうなっちゃってんだ」


「先輩しらないんすか」


「知らないって、知らないけど……。え、お前は知ってるの?」


「そりゃまぁ。っていうか知らないのはずっと休んでいた先輩ぐらいじゃないっすか?」


「あ、そう。……一人ぐらい俺に教えてくれる人が居てもいいんじゃない?」


「!」


「その『思いつきもしなかった』みたいな顔を止めろ。じゃあ今教えてくれ。何だこれは? 支配人は?」


「支配人なら夜逃げしちゃいましたよ」


「夜逃げ!?」


「なんか色々頭まわんなくなっちゃったみたいで」


「俺も今まさに回らなくなっちゃったよ。きゅ、急過ぎるだろ」


「それがそうでもないんすよねぇ。フェスティバルを見越してウチの宿屋、去年増設したじゃないっすか。その費用がフェスティバルの中止のせいで全く回収できてないって噂は前からあったんすよね。他にも従業員の不足問題とか」


「不足分は俺が働いてたじゃないか!」


「その先輩が寝込んじゃったじゃないっすか。ここ数日、相当大変だったんすよ」


「それは、すまん……」


「いやいや、そもそも一人休んだだけで回らなくなる職場環境が悪いんすから謝んなくていいっすよ。ただまぁ、その急激な忙しさが支配人の心をぽきーんと折っちゃったみたいで。


 ほら、儲かる忙しさだったらまだいいんすけど、無駄に増設した部分の設備管理が原因の忙しさだったじゃないっすか。


 そりゃやる気もでないというか、逃げたくなるというか。まぁいずれこうなってたんじゃないすかねアハハ」


 少年は、どこか他人事のようにも思えるユラの態度に少なからず憤る。

こんなご時世に突如無職になってしまうなんて、一体どうすればいいんだと頭を抱えるのが普通のはずだろう。


「お前、やけに落ち着いているな。俺たち、今日から無職なんだぞ」


「いや私違いますけど」


「は?」


「こんなこともあろうかと転職活動は済ませてますからねぇ」


「え、うそ。お前いつから転職活動してたの?」


「そりゃフェスティバルの中止が決定した時からっすよ。あの時からうわここやべーなって思って転職活動始めたんスよ。その結果、私は明日から違う宿屋さんの経理になるんす。やー、このご時世持つべきものは資格っすよ」


 へー。そうなんだ。おめでとう。


 そんな少年の言葉に心が籠っているはずもない。二人の中で無職になったのは少年だけだった。


「えへへ、ありがとうございます。で、先輩はどうするんすか?」


 そう言われ、少年は自分のこれからを少し考えた。約三秒ほどう~んと考えて。


「とりあえず、西の方に行くよ」


 と答える。


「……西って、山と森しかないんすけど何しに行くんスか」

「つりに」


 その瞳に希望はない。男の子を勇気づけた彼はどこへ行ったというのだろうか。


「ちょっとっ! 何を吊りに行く気ですか! 全く、勘弁してくださいよ」


「じゃあ、お前んとこの就職先紹介してくれよ!」


「え、あー、無理っす。私でもう人員、ギリギリだったんで」


「……そりゃそうだよな。こんなご時世だもん。じゃあさっくり死なせてくれよもう!」


「だから止めてくださいって! 前の職場の先輩に死なれたら私のご飯がしばらく美味しくなくなる

じゃないっすか!」


「俺の死の影響はご飯の味が変わる程度かよ。っていうか、さらっとお前の口から前の職場って単語が出たことにもショック受けてるからな! 俺まだ前の職場って言えるほど受け止めきれてないからな! この事態を!」


「なんで体言止めなんすか。結構元気そうに見えますよ」


「空・元・気だ!」


 少年が悲観的な行動に走ろうとするのも無理はない。


 時世は就職難である。国同士の交流が盛んだった時はそれなりに勤め先にも余裕があったのだが、とある問題のせいでその流れが一気に傾いた。


 戦争である。だがそれも直接の原因ではない。むしろ戦争自体は特需を生み、雇用を作った。問題はその戦争が残した爪痕である。


『怪人』


 戦後、そう呼ばれる生き物が現れ始めた。その存在に対して分かっていることはあまりに少なく、どこから現れたのか、意思疎通は可能なのか、何を目的に生きているのかということすら分かっていない。


 分かっているのは、人間に対して危害を加えるということと……敗戦国が生みだした兵器の一種だということである。


 国と国との輸送の要である馬車や牛車は、それと遭遇すれば必ず惨殺された。自衛能力のない村に現れれば皆殺しにされた。


 災害じみた膂力と破壊衝動を併せ持った怪人は、姿も劣らず悪辣である。


 怪「人」と呼ばれるからには人型であるのだが、その多くが合金のような皮膚に覆われていて、飛行能力や光線の放出などの超常的な力を操った。


 怪人は人が平穏に生きるためにはあまりにも危険過ぎる存在である。だがそれを駆除するには人はあまりに無力だった。


 現状可能なのは、怪人の行動範囲をある程度制限させる事ぐらいだ。

 この正体不明の危険は、安定を求める人々から消費を奪う。消費がなくなれば、金銭が回らなくなる。

 

 結果、世の中は大きな不況の煽りを受けていた。

 それはこの少年――――アズマ・オーベルライトもその例に漏れない。


「先輩、まぁ元気だして。このパンあげましょうか? たべかけですけど」

「いるか!」

 

 アズマはユラの余計な優しさにつっぱねた。だがその後、財布の中を覗きこんで今日の昼飯すら危ういことに気付いて後悔に肩を落とすのである。


 失業者とはこんなにも惨めなものか。


 ユラと別れ、昼下がりの帰り道をとぼとぼと歩く。

 日除けに歩いていた路地も終わり、ちょうど迷子の子と出会った広場に出ると、昼下がりの陽の光がアズマをくっきりと照らした。


「迷子助けたら、自分が人生の迷子になったってことか」


 乾いた笑いがこぼれる。全然面白くないのに。


 彼が何を思おうが、太陽はただ彼の背中を照らす。

 羊の国ユエル。そこに属する田舎町――――パルコラは季節通りの快晴だった。



 パルコラでの再就職は想像した以上に厳しい。


 宿泊業での再就職をしばらく目指していたのだが、そもそも求人が殆ど存在しないことにアズマは愕然とした。


 怪人騒動で旅行者は激減しているし、現在の騒動を鑑みて多くの企業が社員の出張を敬遠している。現状は宿泊業界にとって最悪であった。だから今さら新しい社員を雇う余裕などどこもかしこもないのである。


 アズマは考え方を変えて、サービス業という視野で転職活動を行うことにする。


 だが結果は同じだった。自分の食いぶちすら危ういのに、他人を雇って飯を食わせる余裕など、どこにもないのである。


 他の町に働き口でも探そうかと思うが、道中怪人に殺される危険性は捨てきれないし、行ったところで再就職が出来る確証もなかった。


「あ、詰んだ」


 思わずそう呟いたのは、職業を斡旋してくれる役所からの帰り道である。


 初老の職員から散々「何故資格を取らなかったのか」とか、「もっと心からやりたい仕事はないのか」と叱られて「まぁこっちの方でももう少し探してみるからオーベルライトさんも頑張って」という具体性の欠片もない激励を胸に刻むだけで終わってしまった午前中。


 これを詰みと言わずして何と言うのか。


『まぁでも、オーベルライトさんはまだ若いから』


 職員に言われた言葉が脳裏を過る。若いからなんだというのか。若くても失敗したら這いあがれな

い社会でそんなことを言われても慰めにすらならない。


「……まぁ、でも。あのおじさんも励まそうとしてくれたわけだしな……」


 愚痴もよりも明日の食い扶持の稼ぎ方を考えなくては。

 ため息を吐いて、自分の人生を改めて考え直していたその時である。


「アズマか? 久しぶりだな」


 背後から馴染みの声がかけられた。


「ウォレス、か」


 ウォレス・ラングとは十年以上の付き合いがある。まだ風呂にも一人で入れなかった頃からの男友達だ。


「何をしていたんだ?」


「え、いや。何だろう。散歩? いや仕事」


 失業して仕事を探しています、と正直に言う気にはなれなかった。ずっと昔から一緒に居た友人に、自分が惨めな所など見せたくない。


「仕事?」

「ああ、そう仕事。ビジネス」

「そうか、良かった。再就職決まっていたんだな。宿屋の事、聞いたよ。災難だったな」


 なんでそう耳が早いんだお前は。

 ……っていうか、俺よりも早く知ってたんじゃないか。


 アズマは友の耳の速さと、自分が墓穴を掘ってしまったことに背中を冷たくさせる。

 ウォレスに失業中であることがバレる前に、一刻も早く再就職を決める必要がありそうだ。


「そういうお前も仕事か?」


 ひとまず話題を逸らすため、アズマはウォレスの服装を見ながらそう答える。ウォレスは白銀の鎧に身を包み、背には一振りの大剣を背負っていた。


 帯刀、白銀の鎧。


 それは騎士と呼ばれる職業に就く者だけに許される雄々しき姿であった。


「町の境界付近に怪人がまた出たらしい。全く奴ら、日に日に町に近づいている気がするよ」


「そりゃ恐ろしいな」


「お前も気をつけろ。鎧をしていたって奴らの攻撃を受けたら一溜まりもない。生身で食らえば即死は免れないだろう。もしも遭遇したなら」


「一目散に逃げろ、だろ? 分かっているよ。……俺だって、その鎧を着るために奴らの事は必至に勉強してたんだ」


 最後までそう言って、アズマは自分の言葉に後悔する。険のある声色にもなっていたらしい。ウォレスは申し訳なさそうにアズマから視線を逸らす。


「いや、悪い。そんなつもりは」


「分かっているよ。こっちこそ悪い、少しイラついてた」


「気にするな。……同情するつもりじゃないが、少なくともお前の心は誰よりも騎士団らしいと思っている」


「そりゃありがとう」


「適当に返すな。もっと真に受けろ。俺の中じゃ、お前は俺の中の正義そのものなんだぞ」


 冗談でなくウォレスは本気でそう言ってのける。

 だがそれは、今のアズマとウォレスの社会的立場を鑑みると皮肉にしか聞こえない。その事にウォレスは気づいているのだろうか。アズマは困ったように笑って誤魔化す。


 騎士とはユエルの持つ軍事力の一つだ。


 王政時代の名残でその呼称は残ったままであるが、民主制となった今彼らが剣を預けるのは王ではなく民である。


 戦争や、政治的闘争を経て在り方が著しく変わってきた軍隊であるが、その職業に対する憧れは王より洗礼を受けていた頃とさほど変わらない。


 過去から現在に至るまでの英雄譚に名を連ねるのは、いつも彼ら『騎士』だった。

 

 アズマもその英雄譚に名を連ねようと意気込んだ一人である。


 だが彼は選ばれなかった。そして友人のウォレスは見事、選ばれたわけである。


「それじゃ俺は行くよ。アズマも仕事頑張れよ」


「ああ、お前も死ぬなよ」


「死なんさ。俺は強いからな」


 その自信が羨ましい。その自信もまた、騎士となれた者の特権に見えた。

 だが、彼と自分は違うとも理解している。


 ウォレスは一度の受験で騎士となったが、アズマは三度も試験を受けて、結果騎士にはなれなかったのだ。


 思い知らされた。才能がなかった。

 

 そう思うと、アズマはすっぱり夢を諦めて騎士以外の仕事である宿泊業界になんとなく飛び込む。

 思い切りのよさは自分の長所かもしれないとアズマは誰に言うでもなく、心の中で思っていた。

 しかしまさか勤め先まで思い切りよく潰れてしまうとは思わなかっただろう。


「騎士か。……そういや俺、何で」


 何故騎士を目指していたのだろうか。


 うっすらと覚えているようで、思い出せない。だがいくら叶わなかったとはいえ、その夢に思いを馳せた動機を忘れるだろうか。


 それは確かに気味の悪い感覚だが、諦めた夢の動機なんて考えても仕方がない。


「どうした、アズマ?」


「いや、なんでも。早くいけよ」


 ウォレスは頷くと、足早にアズマの元を去って行った。

 

 アズマもさっさと家に帰ると、飼っている犬に餌をやり、明日の予定(おもに職探し)を組み立ててすぐにベッドの中に自分を押し込んでやる。

 

 今日は色々ありすぎて少し疲れた。寝て、忘れよう。

 

 そして、明日また頑張ろう。

 そう自分を激励してやると、アズマはゆっくりと瞳を閉じた。



                      ****



 ――――そんな風に、アズマが就寝した時と丁度同じ頃である。


 ジャバウォックはユエルへの不法入国を成し遂げていた。


 アズマの住む町よりも千里ほど遠く離れた国境の町、リビュネル。


「アズマ……どこですか? ……そこですね」


 国境の城壁の上で、布切れの匂いを勢いよく嗅いだ少女はそう呟いた。

すると、誰かに背中を押されたような力ない動作で城壁から飛び降りる。


 その気配を一瞬感知した警備の騎士が胡乱げに城壁を見上げた。しかし彼が見上げる頃には空には誰もいない。

 

 彼女は既に、騎士よりもずっと遠くの地面を恐ろしい早さで蹴り進んでいたから。



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