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ジャバウォックの騎士  作者: 生肉を揉む
15/17

15.賽

 アズマの意識が戻ったのは、間もなくの頃である。


 地下牢に閉じ込められているらしいと気づいたのは、反響する遠くの水音を聞いたのと、やはり昔に見た事があるからだ。


 一回目の試験を受けた時、無理をいってギルド内を見学させてもらった事が変な場面で役に立つと自嘲するようにアズマは笑う。

 

 身体に手錠や足枷がないのは良い事だが、閉じ込められていることには変わりはない。あれだけ犯罪には手を染めまいとしていたのに、結局、投獄されることになるとは。

 

 仕事を探していた時の自分が馬鹿らしく思えるのと同時に、色んな人の顔が浮かんで申し訳なくなった。何の罪だか分からないが、投獄されてしまったのだから罪人になってしまったのだろう。

 

 店長は自分を解雇するだろうか。……当然そうだろう。謝りにいけるのはいつになるだろうか。

 

 ユラも自分の再就職を喜んでくれたのに。あの喜びを嘘にしてしまったわけだ。

 

 そしてソニア。俺は、あの子を苦しめたモノの正体も分からず、あの子を見捨てることになった。

 

 アズマは自己嫌悪で強く地面を握りしめた手で叩く。叫び、喚きたくなる想いを右手に込めてただ殴りつけた。途中、そんなことしかできない自分の無力に気づいて、力なく天を仰ぐ。低くて暗い天井。あれが急に落ちてくればどれだけ楽か。


「やっぱり無力じゃないか。やっぱり、俺なんて」


「よう」


 突然、軽く声を掛けられてアズマはハッとなる。牢屋の中に他の人間が居たのかと見回してみるが、どうも一人分の牢屋らしくそんな人影は見当たらない。


 声は、廊下を隔てて向かい側にある牢屋からだった。


 その声の主が、自分よりも遥かに年下に見える少女であることにアズマはまず衝撃を受ける。


「君も、ここに閉じ込められているのか」


「ああ。そうだ」


「何で君みたいな幼い子が」


「不思議か? まぁ、罪に容姿は関係ねぇってことだな」


「……騎士たちは何を考えているんだ」


 アズマは少女の犯した罪よりも、少女を閉じ込める騎士の考えに疑問を抱いた。果たしてどんな罪があれば、こんな幼い子を牢に閉じ込める道理が生まれる。


 先の件で騎士に対する不信感が強くなっていたアズマは、改めて自分が憧れていた存在の薄暗さを感じ、怒りよりも悲しさが浮かんできた。


「そうショックを受けるなよ。なるほどウォレスの言っている通り、ぬるいやつだ」


「ウォレス? ウォレスを知っているのか?」


「ああ。他にも知っているやつがいるぜ。お前は多分そっちの方が興味あるんじゃねえかなぁ」


 誰の事かさっぱり分からず、アズマは「誰の事だ」と少女に問う。


「ジャバウォック。いや、昔はソニアって呼ばれていたそうだな」


 ソニアの名前が少女から語られて、アズマはシンプルに驚いた。


「何故ソニアを? 君は、ソニアの事も知っているのか」


「知っているとも。俺様とあいつは同じ場所からこの町に来た」


「同じ場所?」


「竜の国さ。俺様とあいつは、大体同じ体験をした」


 それは、アズマの知らぬ事を目の前の少女が知っている事を表す。アズマは出来るだけ少女の声が聞こえるように、牢の柵へ慌てて近づいた。


「ソニアと同じ? なら教えてくれ。ソニアは何をされたんだ。君たちは一体、何なんだ」


「俺様はハイドラ。そして俺様たちは竜娘と呼ばれている。竜娘は……まぁ早い話、兵器の名前だ」


 ハイドラの語る内容は、決してアズマが容認出来るものではなかった。


 聞いている途中のアズマは何のリアクションもなく、ただ真っすぐにハイドラの事を見て聞いていたが、その心中は常に絶望が渦巻いていた。

 

 竜娘。それは竜の国が開発した兵器である。いや正確にいえば開発しようとして産まれたわけではなく、初めは偶然の産物であった。


 鉱山に恵まれない竜の国が急速に力を手に入れたのは、竜の国にある湖の底から大量の資源が見つかっ

たからである。


  砕くと中から極めて濃度の高い燃料を入手でき、研磨すれば良質な鋼材にもなる夢のような鉱石。だが、その真価はそこではなかった。


 ある病に冒されている者がそれを手にした時、急激に身体能力が向上したのである。


 竜鱗病と呼ばれるその病は、怪我をした場所に瘡蓋ではなく非常に硬質化した鱗が発生してしまう奇病であった。


「竜鱗病?」


「そう、俺様もジャバウォックも元々は同じビョーキの患者ってわけさ。ま、記憶をいじられているお前がアイツの病気の事を覚えているはずもねぇが」


 目の前の少女が一体どこまでの事を知っているのかとアズマは改めて驚嘆するが、ひとまず少女に話の続きを促した。


 竜鱗病は怪我さえしなければ問題はないのだが、竜鱗病患者が大けがをすればたちまち怪我をした部位が鱗に覆われて日常生活すらままならなくなってしまう。


 世間の認識からすれば物珍しい病気があるものだと思うに留まるが、鉱石の力を知る竜の国はそうではなかった。


 どうすればこの力を戦力にする事が出来るのだろう。


 それまで弱小国とされ大国から惨めな扱いを受けてきた竜の国が、資源のお陰で力を持ち始め、復讐の機会を今か今かと窺っているタイミングならばそう思うのも不思議ではなかった。


 当初は患者を兵士にする方向で研究を進めていたが、途中で患者を兵士にするのはリスクの方が大きいと判断する。その力を持って謀反を起こされたらたまったものではない。


 だから竜の国は患者を「人」と思うことを止めた。


 どうすれば使い「物」になるだろう。

 そして竜の国は、いよいよ竜娘の開発に着手し始めたのである。


 研究は難航した。人を物扱いする事に対する兵士たちの抵抗はプロパガンダで上手く丸込めることは出来たが、肝心の研究材料が圧倒的に足りないのである。


 そこで竜の国は資源を元手に集めた莫大な資金を餌に、世界中から竜鱗病の患者を集めた。人身売買、詐欺、拉致などのあらゆる非合法的手段を利用して……。


 集まった研究材料たちに対して竜の国は、手さぐりの研究を躊躇なく行った。無意味に死んだ者も大勢居ただろう。


 しかしその積み重なった死体の山のお陰で、竜娘の研究は完成したのだ。


 竜鱗病の患者を、鉱石の解けた薬剤を注入する。その後、人体を融解させる液体の中でじっくりと煮込むのだ。


 その過程で患者たちは、通常では決して獲得しえない姿を手に入れる。いわば鎧の原型となる姿だ。


 勿論それだけではない。一度その姿を身体に記憶させた後、また元の人間の姿へ戻す。これはさほど時間の掛かるものではなく、薬物を使い時間の経過を待てば可能だった。


 だがそれで人型に戻ったとしても、その者は既に人間ではない。ただ記憶した人間の形状へ戻っただけの化物だ。


 人型に戻した理由。それは兵士が患者たちを兵器にするのに必要なプロセスだったからである。鎧の姿のままでは、人は患者たちを装備する事が出来なかった。どういうわけか、ただ鎧の状態になった患者たちに触れると、触れた者が発火する現象が見られたのである。


 鎧として装着するには、人型の状態で触れている必要があった。


 研究者たちは、『鎧を装着するには、まず装着者が患者たちと分子レベルで結合する必要がある』と見解する。


 あまりにも高すぎる科学の壁であったが、その壁は人間体となった患者たちが自然と乗り越えさせてくれた。患者たちの精神の了解を得れば、分子レベルの結合による装着が可能であると偶然判明したのである。


 それから竜の国は、患者たちの「精神の了解」を強制的に得られるシステムを作り出す。


 羊の国から奪い、辿り着いた――――「ルーン」を持ってして。


「それが私たち竜娘の利用方法ってわけさ。人の姿を残しておきながら物として扱う。なかなか面白い話

だろ。ってお前、何泣いてるんだよ」


 アズマ自身、自分が泣いている事に気付かなかった。ハイドラにそう言われ、服の袖で急いで涙を拭う。


「いや……悪い。ちゃんと聞こうと思ったんだけどな」


 ハイドラはアズマの姿を見て意地悪く嗤った。


「自分の知り合いの身に起きた事を知って、いまさら涙か」


「いや……それもあるけどさ。君も、同じ目に合ったって事だろう」


 ハイドラは自分が労われていることが信じられなくて、思わず茫然とした。だがすぐに込み上げてくる笑いを口から零す。


「は、はははは……。くだらねぇ。俺様の事なんざ、今はどうだっていい。それよりもジャバウォック……いや、ソニアの事を聞けよ」


「ソニア?」


「ああ。ずっとお前に会いたがってたぜ。毎日お前から貰ったっていう小さなハンカチの匂いを嗅いで、

お前の名前を呟いてた。竜娘になったやつは、大抵竜娘になる前の記憶なんてふっとんじまうのに。律義

なやつだろ」


 ソニアがやたら自分の匂いを嗅ぎたがる理由に気づいて、アズマはまた涙がこみ上げそうになる。

 そんな物が頼りになってくれたのか。そんな物しか頼りに出来るものがなかったのか。

 あまりにも惨すぎる。あまりにも重すぎる。あまりにも……。

 想いが思考を上回り、アズマは立ち上がった。ソニアに会いたい。会って、たくさんの言葉と彼女の抱えてしまった物を取り除いてやりたい。


「ここから出なくちゃ」


「それはまだ早いな」


 それはハイドラの言葉ではない。牢屋の外にある廊下から響く声。気づかぬ内に階段を下りる音が聞こ

えていた。声の主はその男のようだ。


「ウォレス? ウォレスの声だろ?」


 声色でアズマはそう判断する。


「お前にも聞きたい事がたっくさんある! 騎士団は何を隠してる? カテゴリー0って何だ? ソニアはどうして――――え?」


 言葉を途中で詰まらせたのは、ウォレスの姿を見てしまったからである。

黒金の鎧。二本の角。それはまるで――――いや、ソニアを装着した時の自分自身そのものだった。


「なんだ、それ。なんでお前が、ソニアを装着している?」


「ああ、これか? なかなかいい鎧だろう」


「そんな事は、聞いてない。その鎧はどうしたって言ってんだ」


「悪いが、今はお前の話に付き合っている暇はないんだ。お前のために、全てを変えてやらねばならない――――ハイドラ」


「ああ」


 ハイドラは気だるげに右手を横一文字に振るう。たったそれだけの動作で鉄製の檻は切断され、吹き飛んだ。


 折れた牢屋が鉄の棒となってアズマの足元に転がる。それを見もしないでアズマはウォレスに叫んだ。


「ソニアに何をした! お前は何を考えているんだよ!」


「破壊だよ。この鎧はそのための物だし、ここに居るハイドラもそのためのものだ」


「破壊?」


 アズマは、ウォレスが何を言っているのかがまるで分からない。

 そんなアズマを、まるで気にした様子も見せずにウォレスはハイドラに向けて手を差し出す。

それに応じてハイドラはウォレスの手を掴んだ。それは丁度、情熱的なダンスが始まるような雰囲気すら感じさせる。


「ハイドラ」


「ああ――――装着『ハイドラ』」


 既に鎧を纏うウォレスは、その上から更にハイドラを装着しようとしているのだ。

 それがあまりにも信じられない上、牢のせいで物理的に干渉しようがないアズマは、ただその場に座りこむことしか出来ない。


 ウォレスを取り巻くのは地面から湧き出た鎖である。それはハイドラによって産み出されたものだ。

 鎖はやがて、鎧を纏うウォレスを繭のように包み始める。鎖の繭から発生する火炎は紫と……蒼炎だ。二色の火炎はやがて竜の形を象り、絡み合い、そして繭の元へと還元する。


 静寂。


 少しの間を置き、鎖の繭は凄まじい衝撃と共に砕け散る。アズマを閉じ込める牢の檻も、その衝撃により歪み歪んだ。当のアズマも吹き飛ばされ、壁に背部を強打する。

騎士たちに付けられた傷も響く。血の絡んだ嗚咽を吐きだし、地面に転がったアズマは尚も痛みに呻き声を上げた。


 朦朧とするアズマの目が捉えたのは、新たな鎧の姿を手に入れたウォレスである。


『二重装着は危険だと聞いていたが、気分はどうだ。ウォレス』


「悪くない。今なら、何もかもを変えられそうな気分だ」


 ハイドラの問いに、ウォレスは愉快そうに答えた。


 アズマはなんとか立ちあがり、自分の鎧を確かめるウォレスに一歩ずつ近づく。

檻は壊れた。ウォレスとアズマを阻むものは僅かな距離だけである。ウォレスに近づくアズマの手には、ハイドラの檻が壊された時に飛んできた鉄の棒が握られていた。


「う。うぉおおおおおおおおお!」


 ただ一心不乱に、アズマは鉄の棒をウォレスの鎧に叩きつける。あらゆる状況、情報に混乱しつつあるアズマだが、目の前の友人がした事、しようとしている事に危機を本能的に察知して攻撃を仕掛けたのだ。


 しかし鉄の棒は易々と砕けて、吹き飛ぶ。アズマは早々に鉄の棒を手放して、ただの拳をウォレスに叩きつける。拳に血が滲んでも構わず、ただただがむしゃらに打撃を加えたのだ。


「丁度あの時と真逆じゃないか」


 アズマの連撃にも、微動だとして動かないウォレスはやはり愉快そうにそう言う。


「あの時お前はなんと言ったかな。お前を殺したくない、か。俺も同じ台詞をお前に言ってやろう。嬉しいか?」


 ウォレスは、中指の腹を軽くアズマの腹に当てる。それとは思えぬ衝撃がアズマの腹部を襲い、再度壁に激突させられた。


「まだ死んでないだろう。意識もあるはずだ。立てるようになったら見てほしい。俺の壊した世界の一部を」


 ウォレスは鎧の形状を変化させる。新たな姿を見せたウォレスの鎧には、両肩背部に鋭いエッジが伸びていた。そのエッジから、エッジを纏う蒼い炎が噴き出し始める。


 それは丁度、蒼い炎の翼のようだった。蒼炎の発生が完成すると、ウォレスの身体が少しばかり宙を浮き始める。


「じゃあな。アズマ」


 ウォレスは天井を見上げると、拳を握り、空を目がけて恐ろしい速度で舞い上がる。幾重もの天井を突き破る衝撃はウォレス自身によるものだ。


 騎士ギルドの最下階にある牢屋であるが、そこから騎士ギルドの最上階の天井まで突き破り進んだウォレスはそのまま空へと姿を消した。


 アズマは疲労困憊の身体をなんとか立ち上がらせて、牢獄の廊下を歩く。途中で壁に寄りかかりながらも、なんとか階段を上って一階まで辿り着いた。


 そこに広がるのは、地獄である。


 ロビーに並ぶ死屍累々の山は騎士と、騎士ギルドを訪れた一般人の者だ。それが友のやった事だと信じられず、アズマは壊れそうな身体に尚も鞭打ち歩いてく。


 そして騎士ギルドの外から町へと出ると――――、町から火が上がり、逃げまどう人々の姿で溢れかえっていた。

 崩壊した町の残骸、泣き叫ぶ子供の声。騎士たちの怒号と、嘆く普通の人々。


 いつかみた夢をもう一度見ているのかと錯覚するアズマだが、すぐにこれは現実であると認識する。夢なんてものは既に終わって、目の前に広がるのはただの現実だけなのだ。


「着任早々これだ」


 その言葉に振り返ると、崩れたギルドの瓦礫に座る男が居る。男は袖のほつれを弄りながら、どこか達観した眼で阿鼻叫喚の町を眺めていた。


 その男が羽織る軍服から、騎士ギルドの長ネイザーである事をアズマはすぐに認識した。


「あなたは」


「やぁ。アズマ・オーベルライト君。君の話は聞いているよ。君もまた、僕と同じようにツいていない男らしい」


「ここで何をやって居るんです」


「助けを待っている」


 その言葉にアズマは怒りが込み上げてくるのを感じた。そして躊躇いなく言葉にする。


「町がこんな状態なのに! あなたが動かないで何を」


 言葉が途中で止まったのは、ネイザーが動かない理由に気付いたからだ。動かないのではなく、動けない。

 ネイザーの背から腹に掛けて、剥きだしの鉄骨が貫通している。

 座っている瓦礫がギルドのどこを支えていた部分なのかは分からないが、そこから伸びる歪んだ鉄の棒が突き上げるような形でネイザーの身体を貫き、縫いつけていた。


「僕はここから指示を出すことしか出来ない。歯がゆいね。まぁ……仕方ないけどさ」


 アズマは、その男が自分が一瞬思い描いたような男ではないと気付いて申し訳なくなる。謝ろうとする アズマだが、それをネイザーは片手で止めた。


「僕はツいていない男だが、君がここを通りかかったのは奇跡だと思っている。とても幸福な奇跡だ。この体たらくをひっくり返せるようなチャンスだからね」


「チャンス?」


「君、怪人になってこの町の危機を何度か救っているだろ?」


 ネイザーの口から出た言葉にアズマは驚く。その事を知っているのは本当に一部の人間だけだ。


「不思議がらずともいい。僕は結構、情報通だからね。それでお願いがあるんだけれど、この危機からも救ってくれやしないかい?」


 さらりと言ってのけるネイザーだが、その頼みがどれだけ厚かましいものかにアズマは気づいていた。騎士は装着したアズマを怪人と見なし、捕まえようともしていた。


 であるのにも関わらず、今さらになって助けてくれと縋るのはあまりにもおこがましい願いだろう。


「なんで、今さら」


「そりゃ君ぐらいだからね。なんとか出来るのがさ」


 アズマの心は揺れていた。頷きたいのは、アズマだって今の状況をなんとかしたいと思うからだ。だが、騎士に対する不信感――――この町がソニアに何をしたのかが分からない。それを知った所で助けたいという意思が弱まるだけなのかもしれないが、不明瞭な現状もまた迷いなく助けようと思うことを妨げていた。


 そもそも、ネイザーの期待する力を今のアズマは持っていない。持っているのはウォレスなのである。


「……ソニアの事を知っていますか」


「知っているとも」


「なら、教えてください。この町がソニアに何をしたのかを。じゃないと何の決断も、出来ません」


「お安いご用だよ。喋っている途中で出血多量で死んじゃったら、まぁ、ごめんね」

 アズマはネイザーが声を張らなくても言葉が聞こえるように、ネイザーの隣に座る。燃え盛る町を正面に、ネイザーは静かに口火を切った。


「君が子供の頃、この町は実に貧乏でね。常に経済が破綻寸前だった。それを町民に悟られないよう、表面上だけは飾って誤魔化す。その誤魔化しに雀の涙ほどの町の金を宛がうようなどうしようもない町だった」


 その真実を知る者が一体町に何人居るだろうか。少なくとも長くその町で生きてきたアズマも知らなかった事である。


「けど、それにも限界が来てね。いよいよお金が底を尽きるって時に、ある所から取り引きが持ちかけられた。そのある所がどこかは分かるよね」


 竜の国。ハイドラから語られた事が、ネイザーの言葉と重なり始める。


「竜鱗病と呼ばれる病気がある。その患者を差し出せば、町一つが立ち上がるのに十分過ぎる資金が支払われる。早い話が人身売買だよね。こんな話に乗っかる馬鹿が当時の役人たちだった。そして具合が悪い事に竜鱗病の患者がこの町には一人だけ居た。それがソニアという一人の女の子。救いようがないのは、その子の両親もまたお金に困っていたんだ。芸術家をやっていたそうだが、作品が泣かず飛ばずだったらしい」


 アズマの中でまた一つ、失われた記憶の欠片が繋がりだす。売れない芸術家といえば、町の外れにある廃墟だ。あの場所こそが、ソニアの実家だったのである。


「そして町は繁栄を取り戻した。一人の女の子と引き換えにね。きっと当時の役人たちは安いもんだと思った事だろう。本当、笑えない話だよ」


「……コード0っていうのは?」


「その人身売買について知った者、暴露しようとしている者を排除する命令だよ。もうすぐで僕が廃止にするけどね。さて、僕は君にもう一つ笑えない話を暴露しよう」


「なんです」


「ウォレスの事だ。彼は――――彼も、僕が何とかしようと思っていた矢先に一番恐ろしい事になってしまった」


 アズマはその時、ネイザーが悲しそうな表情を浮かべている事に気づく。飄々としている男だと思ったから、その様子がやけに印象的だった。


「彼が騎士になり最初に与えられた命令は、ソニアという少女の記憶を町から丸ごと奪うことだった。やることは決して難しい事じゃない。金と一緒に伝来してきた竜の国が開発したルーンを町中に描くだけだ。けれど彼からすればそんな単純な事じゃない。ルーンを書くという事は、友達の帰る場所をその手で奪う事だからね」


 知らなかった。いや、アズマが知ってはならない事だったのである。ウォレスはそんな地獄のような思いを誰にも話せず、ただ一人で耐えてきた。


「最初は反発したそうだけれど、彼は命令に従うことを選んだ。命令に抗うことは、ようやく掴んだ夢を手放すことに他ならないからね。君なら友達のために手放せるかい? 夢を」


 分からない。それがアズマの率直な答えである。彼は夢を掴めなかったことに苦しんだ。だが夢を掴んだ者もまた、得難い苦しみに直面する。何を選んだとしても待ち受けているのは地獄なのかもしれない。


「さて、他に何か聞きたいことはあるかい?」


 アズマは俯き、答えない。他に聞くべきことがあるのかを考えているわけでもない。ただネイザーの話を頭の中で咀嚼していた。それは毒の刃を飲み込むようなもので、噛む度に広がるのは苦く、鋭い痛みだけである。


「なさそうだね。さ、どうする? このクソのような町を君は助けてくれるかい?」


「……あなたは助けるんですか」


「助けるよ。そのためにここに来た」


 迷いなくネイザーはそう言う。アズマは瓦礫から立ち上がると、ネイザーに背を向けたまた歩き始めた。その背中にネイザーは声を張る。


「未だに竜の国から貰った資金を当てにしてる連中が居てね。そういうやつらが未だにコード0なんてものを残すのに躍起になっていた。けれど、そいつらはもう僕が踏みつぶした。町が元に戻れば、もう二度と人身売買なんて事はさせない。だからさ、守ってくれないか?」


 アズマは振り返り、微笑みかけた。


「あなたが来てくれてよかったと思います。でも……俺は」


 走り出すアズマの背中を見て、ネイザーは笑う。彼はまだ迷っている。心の天秤は恐らく、この町を捨てる方に傾いているだろう。


 それでも。


「ようやく、賽を振る事ぐらいは出来たかな」


 男は笑ったまま、少しだけ休むために瞳を閉じた。

 


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