1.散会
――――竜の国 フゴク地区 地下空洞
瞳を閉じているような暗闇の中で、彼女たちは耳をそばだてていた。
「足音。殺す?」
「それでもいいし、そうしなくてもいい」
「決めなきゃ」
「なんで?」
彼女たちを攫い、倫理観を冒涜するような実験を行っていた竜の国が滅んで数年。
その数年の月日を彼女たちは、静謐な暗闇の中でじっと過ごしていた。
だから遠くから響いてくるその足音に、彼女たちの一部は過敏な反応を見せた。
彼女たちは集団というよりも、一つの生き物に近い習性がある。暗闇しかないその空間で、長い年月を共に過ごしてきたからだ。
彼女たちを繋ぐものは友情だろうか。
否、もっと自動的な物である。彼女たちは「生きる」というただそれだけの目的を共通項とし、それだけを絆としていた。
互いの事に関しては知らない事ばかりだし、闇の中に居るお陰で互いの顔すら既に忘れてしまっている。自分たちが何人居るのかもハッキリ分かっていない。
分かっている事があるとすれば、それは与えられた名前だけだった。
「ジャバウォック、お前はどうしたい? 俺様は殺すしかねぇと思うが」
暗闇の一人が、暗闇の一人に話しの水を向ける。ジャバウォックと呼ばれた暗闇は、言葉を返すことすらしなかった。
集団はしばし言葉の一切を失くす。だがそうやって黙りこくっている間にも足音は徐々に近づいていた。
「準備をしようか」
「殺しの?」
「それもだけど、もっと大切な準備かな」
「どういうこと?」
「誰かが来たってことは、ここの鍵が開けられたってことだろう。ならいつまでもここに居る理由も
ない。……この暗闇の外に出る。その時が来たのさ」
外に出る。
その言葉を聞いて、ジャバウォックと呼ばれた者はかすかに瞳を大きくさせた。
ジャバウォックは握りしめた掌を微かに開く。その中にはボロボロの布切れが収まっていた。ジャバウォックは蚊の鳴くような声で呟く。
「アズマ。やっと、会えます」
足音はいよいよ暗闇たちの元に迫る。彼らの話し声すら聞こえ始める距離だ。
『この辺りにいるはずだ』『あまりに暗過ぎる』『竜の国はこんなにも広大な空間を隠し持っていたのか』
声は間近である。その時、暗闇の生き物たちの総意は決まった。
『ここだ。……ん?』
ランプを片手に暗闇を迷い歩いた末、ようやく彼らは目的地にたどり着く。
対象の捜索が完了した暁には、国から纏まった報酬を貰う手筈になっていた。
危険性はない。そう聞いていた。
亡国の犯した罪によって苦しむ者たちを解放するという大義名分がある。
そう聞かされていた。
「やぁ、いらっしゃい。竜の見学は初めてかい? なら、楽しんで逝きなよ」
だからこんなにも陰湿な場所で、こんなにも惨たらしく殺されることになるなどと考えてすらいなかっただろう。
人体の破片が飛び散り、金切り音にも近い悲鳴が真っ暗闇に響き渡る。足音はざっと二十人ほどのものだったが、その悉くが五体の全てを失った。
阿鼻叫喚の後、暗闇は静寂を取り戻す。再び響く足音は、ここに来た者のものではなく、ここを出る者のものだ。
「さぁ。外に出ようか、竜娘たち」
竜の国は国という単位を失ってからずっと、瓦礫の平野が広がるだけの貧しい土地である。彼女たちはそんな、瓦礫の底で暮らしていた。
実験や捕虜の収容のために作られた広大な地下空間。そこが彼女たちの棲みかだった。
数年ぶりに浴びる陽の光に、一同は身が焦げるような思いすら抱く。気が遠くなるほど澄んだ碧い空、輝く太陽、崩れた建物に、少女たち。
少女たちにはそれぞれ、身体のどこの部位に鱗のような瘡蓋が見られた。
「幸運を」
それまで集団を纏めていた一人の少女がそう一言。すると少女たちは各々、どこかへ向けて散らばり歩き出す。
誰がどこへ向かうのか。そんなことは、少なくともジャバウォックの名を持つ少女にとってはどうでもよいことだった。
「アズマ」
ジャバウォックは眼の下の切り傷のような銀色の瘡蓋を撫でながら、その名を呟く。何があっても忘れぬようにと、記憶の底に大切に仕舞った名前。
ジャバウォックの目的は決まっていた。彼に会いに行く。
その道がないのなら砕いて作ろう。邪魔するものがあるのなら握り潰そう。この身体が動かなくなったなら身体を捨てて心だけでも彼の元へ辿りつこう。
ジャバウォックは握りしめた布の欠片を鼻に近づけると、些か官能的に身を捩じらせながら匂いを吸い込んだ。
「……あっち」
ジャバウォックは東に向けて歩きだした。布と同じ匂いがする方へ、歩き出した。