第92話 安心 あのヒトなら間違いない
今から18年前、イァイ国の王都ファタにて現国王レンドルト・ホースロウ=イァイの皇太子時代。
若き日のレンドルトは、事あるごとにまた何も無くても城内で行われる授業をさぼっていた。
こんなに多様な知識を詰め込んだところで、どれだけ治世に活かせるというのか、それよりも現地を見て廻る事こそが必要なんじゃなかろうか。
盤上でコマを動かすわけでは無い、我々は王国民をいかに幸せに導くのかを成すべきであろうと。
相変わらず自由に動くことはままならなかったが、そんな欲求を解消してくれたのが黒い制服の似合う侍女の一人だった。
宮中に勤める侍女一人一人に話を聞けば、もっと様々な村での生活の声ともいうべき生の意見が聞けたことだろう。
しかしそんな機会は無い上に、皇太子相手に面と向かって緊張せず話ができる者などこれまでいなかった。
それだけに新鮮だった、驚きだった、興味深かった。
高いところから見下ろすだけではダメなのだ、よりよく世を統べるには同じ地面に立ち視線を合わせてこそなのだ。
色々な事に気づかせてくれた彼女こそ、共に歩むに足る女性であるとの考えに至るのは至極当然でもあった。
勿論その事は大きな要因ではあったが、それだけという事もない。
良く動く表情、明るい笑顔、物怖じしない態度、なによりも快活で生命力に溢れている様に見えた彼女はまぶしかった。
そんな彼女を見つめていると、一緒に過ごす事でわくわくする未来が待っているのではないかと夢想してしまう。
レンドルトが授業をさぼるタイミングと、侍女が城内を探検している中での出会いがきっかけだった。
二度三度と出くわすと、今度は時間を示し合わせて待ち合わせるようになる。
教師陣が皇太子を探す中、一緒に隠れた馬小屋に隣接する干し草小屋の中で初めてキスをかわした。
その後も、週に一度の割合で密会を続けた。
ある雨の日は武器庫で語らい、またある晴れた日には屋上でお茶をして、そして半年を過ぎた頃には使われていない部屋で体を重ねる関係に。
楽しい時間は瞬く間に過ぎていく、聡明な皇太子はこれを手放したくないと強く感じるようになった。
しかし、一国の皇太子ともなると結婚相手をおいそれと決めるわけにはいかない。
奔放な考えを持つレンドルトでも、そこは考慮せざるを得ないところだ。
各国の王家と縁戚を結ぶことが、後の火種を回避しひいては王国民の安寧につながる一助たりえる。
この事から、正妻を娶りその上で彼女を側室として迎えるというのが目指す形であった。
そしてその時から、レンドルトは授業を一切さぼらなくなった。
一日も早く一人前だと認められる事、そして結婚相手として他国の王家から認められることを目標に日々を過ごす事にしたのだ。
一口に侍女というと、宮廷魔術師や教師陣を除く城内で働く女性全般を指す。
しかし、その中でも実際に王族の身の回りの世話をする者と、雑役女中並の仕事の者とに分かれていた。
それは着用する制服の色で区別されていた、前者は清潔感のある白を基調とし、後者は汚れる事を前提に黒を基調としている。
黒の制服を着用する侍女の仕事は、主に人目につかない所での雑用である。
起床し身支度を整えると調理場へ行き、朝食自体は調理人が作るがその下ごしらえの手伝いに給仕。
後片付けと食器洗いを済ませると、洗濯と清掃が待っている、そしてこれらはすべて王族では無く宮中で働く者たちに向けたものであった。
食事をする場所からして、当然王族と使用人たちとは違う為、そちらは白の制服を着用した者たちが行っている。
王族の自室のベッドメイクや清掃は白の制服の者が、そして普段使われない迎賓館や玄関や廊下といった共用部分などの清掃は黒の制服の者が。
はっきりと職場が別れており、常の日々の中では王族と黒の制服を着た侍女とは接点が無かった。
レンドルトが真面目に授業に取り組む、そのこと自体は喜ばしい事だったが、会えない時間は侍女を不安にさせる。
一日のスケジュールは隙無く埋まっている、特に次期国王の座がほぼ確定している皇太子ともなると時間はいくらあっても足りない。
そのほとんどが、これまでさぼってたツケなのは自業自得である。
そうなるのはわかっていたので、事前に二人は連絡手段を用意していた、すなわち手紙である。
とはいうものの、手渡しできるわけでは無いし誰かに頼むわけにもいかない。
そこで、置き場所を決めておいて相手が回収するという方法をとった。
但しこれは一方通行、皇太子から侍女に宛てたものだけで逆は不可能だった。
同じ時間とはいかないものの、レンドルトが手紙を隠しておく事が出来きて、またそれを黒服の侍女が回収するのに立ち入る事も出来る場所。
それが可能なのは、唯一乗馬の時間でありその場所とは干し草小屋であった。
手順は皇太子が乗馬の折、馬と意思疎通をはかる為エサやりをするということで、しばらく席をはずすようにおつきの者に命じる。
そして干し草小屋にエサを取りに行った際、あらかじめ決めておいた小屋の隅の干し草の下に手紙を置いておく。
乗馬の時間が終わりレンドルト達が引き揚げた後、休憩時間を利用して侍女が手紙を回収するというもの。
しかし、結果的にこの方法は初回から失敗してしまう。
侍女が手紙を回収する前に、訪問客の馬車が到着し普段よりも多く干し草が減ったことにより、厩舎の使用人に手紙が見つかってしまったのだ。
困惑した使用人は侍従長に渡し、王族が使う封ろうだった為開封出来ずに国王のお伺いを立てという流れで、国王の知るところとなってしまった。
躊躇なく封を開け中身を読んだ国王は考えた、相手の名前は書いていないがレンドルトの字なのは間違いない、どうやら使用人の女性宛てらしい。
さぼりがちなのは聞き及んでいる、ここは浮ついている気持ちをたしなめる意味で手紙については没収しておこう。
次期国王として王国民を背負う者として、この辺りでしっかりと自覚を持って取り組んで欲しいという願いをこめて。
こうして皇太子の状況がわからないまま月日が過ぎていく。
近頃は真面目になったと評判の皇太子に、他国から縁談も舞い込んでいると宮中でも噂になっていた。
そして、それを裏付けるかのように、半年と短期ながら先方の国へ留学するらしいと。
旅立つ直前にしたためた手紙には、この留学を終えたら時間が出来るそうしたら以前の様にと書かれていたが、これが侍女の手に渡る事は無かった。
残されたのは、今後の不安を抱えた身重の体のみ、侍女はレンドルトの子を身ごもっていた。
直接会えなくなってから一度も連絡が無いのはそういう事かと、自分が淡い期待を抱き続ける事に日増しに大きくなるお腹が足枷となり、そう結論付けるしかそれしか選べる答えがなくなっていた。
そして侍女は、自分の存在が縁談の妨げになってはいけないと職を辞する事にした。
レンドルトがその事を知ったのは、留学から戻り正式に結婚が決まってからで、彼女が城を去ってかれこれ五カ月が過ぎてからの事。
当然すぐに捜索させたが、王都ファタから故郷のイセイ村までの道のりを辿ったところ、その一つ手前のニケロ村を出た後の消息がつかめない。
これは少し不思議だった、村や街への出入りの際には必ず門の所で身分証をチェックする。
ニケロ村を出た後どこの村にも街にも入っていないという事は、道中で魔物に襲われて命を落したと考えるのが最も確率が高い。
しかし、通常日中に移動していれば目撃者がいないというのは滅多にない。
ただ、五カ月も前の事となると目撃情報も中々集まらない。
焦燥するレンドルトとは裏腹に、他国の姫との結婚を控えてあまり目立つ噂を立てたくないと、国王が密かに捜索の打ち切りを指示する。
結果、侍女が職を辞する時お腹が大きかったことは告げられず、捜索の末行方不明と報告を受けた。
傷心の中、皇太子の結婚がとり行われイァイ国はお祭りムード一色に。
自分の方が振られたのかと勘違いして、その事は吹っ切って夫婦仲睦まじく過ごしたが、子供には恵まれず妻は病気で他界してしまう。
以来ずっと独り身でとおしてきた。
事態が動いたのは、昨年前国王レンドルトの父親が病死した事だった。
すでに病床にあった父親から十年前に王位を継承していたので、国政には特段のダメージは無い。
問題は父の遺品を整理する中で出てきた、若き日のレンドルトが書いた手紙が見つかった事だった。
母親に問いただすも何も知らないという事で、侍従長に聞いてみたところ事の次第が判明した。
激情にかられ侍従長にあたりそうになるも、彼は職務を全うしただけで悪くは無いと必死に己に言い聞かせる。
しかし、彼女が城を去る際に身重だったのを聞かされた時は、思わず怒鳴り散らしてしまった。
そこで改めて彼女の捜索と、もしも出産していればその子の行方を配下の者に命ずることになった。
◇◇◇◇◇◇
【つまりアリーは国王の子供を探していて、アルがそうじゃないかと思ってるって事だ】
ここ国境都市ドゥノーエルでは、到着ラッシュがひと段落したのか通りに馬車が少なくなるのと反対に、歩くヒトがその数を増やしていた。
時刻は夕方、僕らは宿屋に泣き崩れるアリーを残して、四人で公衆浴場へ向かうべく歩いている。
その道すがら、エイジと魂話していた。
【ねえ、本当に大丈夫? 僕捕まったりしない?】
【おそらくはだがな】
【だったら、放っておいてもよかったんじゃないの?】
【それだと逆に強制的に拘束される恐れがある、向こうも流石にこれ以上他国へ行くのを黙って見てるって事もないだろう。
だったら一度ここらではっきりさせておいた方がいい、こっちもファタまで行く手間が省ける、丁度向こうが来るしな】
【面倒でやだなー】
【何度も言ってるだろう、この方が後々楽になるって】
【だってさー、違ってたらいいけどもし王様の子供だなんてなったらさー】
【いいじゃないか、お城で暮らせるぞ?】
【そんなどこにも出かけられないなんてやだよー】
【冗談だよ、そんな事にはならんさ、少なくともしばらくの間は。
それにそれが嫌だったら、アルが王族が自由に外に出られるようにすればいいじゃないか?】
【えっ? そんな事できるの?】
【さあな、でも可能性はあるだろうよ】
【うーん、でもなー】
【あきらめろ】
いつもは僕になんでも自分で決めろって言う割には、今回はエイジが色々決めてしまっている。
だからか、なんだかちょっと文句を言いたくなってしまった。
まあ八つ当たりなんだけど。
【なんで今回は全部エイジが仕切るのさー】
【いや、それについては申し訳ないとしか言えん】
【? なんか素直じゃん】
【失敬な、俺はひねくれてるつもりはないぞ】
【そういう訳じゃないけど・・】
【本来アルが判断すべきところを、俺がしゃしゃり出たことについてはすまないと思っている。
ただ、今はパーティー組んでるからな、アルの都合だけで他のメンバーに迷惑かけるのも、かえってアルがいたたまれなくなるんじゃないかと思ってな】
【そう言われちゃうとなー、なんか僕が駄々こねてるみたいでなー】
【それに、アリーの今後の立ち位置や旅の同行も関係してくる。
なんだかんだ今の構成はバランスいいみたいだからな、変えるのは得策じゃないだろう】
【そうなのかなー】
なんとなく上手く誤魔化された気がしないでも無いけど・・。
まあいいか、エイジがこれまで僕の為にならない事なんてしたことないしな。
はっきりさせた方がいいっていうのはわかるし、違ってれば何の問題もないんだから。
【ところでエイジはさ、その、どっちだと思ってるの?】
【国王の子かどうかって事か?】
【うん】
【アルを産んだ母親を知らないからなんとも言えないが、可能性は高いと思う】
【・・根拠は?】
【ない】
【はあ?】
【だってそうだろ? 確たる証拠はどこにもないんだから。
ただなんとなく、この状況がそれっぽいなって思ったんだ】
【どういう意味?】
【アルが怪しいって思われてるのに、特になにも強制されず監視役が張り付いてるってとこがさ。
イァイ国の王国民である以上、国からファタへ出頭するように命じられたら従わざるを得ない。
それこそ逆らったら、なんのかんのと理由をつけて強制的に連行されるだろうからな。
そうすりゃあすぐにでもどっちか判明する。
じゃあなんでそうしないのか、あくまでもこちらの意思を尊重するなんて回りくどい時間のかかる真似をなんでしてるのか。
他にアルみたいな候補がいるかどうかはわからないけど、向こうにしてみればなんらかの確証があるんじゃないかと思うんだ。
その上で、無理強いしないって意思を感じる。
とまあそんなだから、勘みたいなもんだよ、なんとなくって感じさ】
勘って言われてもなー、といっても僕もわかんないんだけど。
そんな魂話をしたり考えてたりしたら、公衆浴場に到着した。
シャルになんかあったら頼むとお願いして、いつものように男女別れてそれぞれの湯殿へ。
「あれっ? おーアル! アルじゃねえか! 久しぶり!」
と思ったら突然声を掛けられて、顔を向けると『尻尾』の湯上りの女性が。
誰かと思ったら、『雪華』の副団長のレイベルさんだ、隣にマリテュールさんと団長のパルフィーナさんも居る。
そう見えたのもつかの間、すでにパルフィーナさんは超速の動きでアーセの前にしゃがんでニコニコしている。
「お久しぶりです、お手紙読んでいただけましたか?」
アーセがそう言うと、ウンウンと頷いている。
確かラムシェさんに言われて、アーセがパルフィーナさん宛てに書いてあげてたやつだな。
なんて書いたのか中身は知らないけど、今度会ったらご飯でもとかなんとかかな?
パルフィーナさんとマリテュールさん姉妹は、見たところレイベルさんと一緒に今お風呂上りって感じだけど。
しきりに姉であるパルフィーナさんが「もう一回入ろう」と妹のマリテュールさんを誘い「えー、今出たばっかりでしょ」と窘められている。
押し引きあって、結局二人はシャルとアーセと一緒にお風呂に入っていってしまった。
「ったく団長はよー」
一人残されたレイベルさんは、そうつぶやくと僕とセルに狙いを定めたようで。
「ちょっと団長たちが出てくるまで付き合えよ!」
という訳で、僕とセルの意見はすっぱり無視されかくしてお風呂に入れずその前でUターンして、レイベルさんに酒場へと連れて行かれた。
まだ夕食前なので軽くという事で、四人が出てくるまで付き合う事に。
そういえばと思い、なんでドゥノーエルに居るのか尋ねてみた。
「仕事だよ、お前らも知ってんだろ? 例の結婚式の件でイァイ国の王族の護衛任務だ」




