第88話 強者 負けたわけじゃ無い
夕暮れ時、風が葉を揺らし辺りのざわめく音の中で、こころは静謐さを保っている。
神経を張りつめてはいるが、過度な緊張状態とは程遠いむしろ相反する落ち着きをもって佇む理想的な心持。
剣を構えるこちらがすでに臨戦態勢でいる事を承知しているように、こちらが捉えている五つの気配からは動きが感じられ無い。
ここは村の近くの森の中、魔物が生息する領域へ自ら立ち入った。
ただでさえ視界の悪い森の中で、まもなく薄暮という時間帯がより一層視覚情報を遮っている。
時間の経過は視覚が閉ざされてもそれに匹敵する嗅覚に優れる向こうの有利にしかならない、このままのにらみ合いではじり貧になると事態を動かすことにした。
現状把握している気配は、右に一つ左に三つそして後ろに一つ。
その内の右の気配に向けて移動、すかさず左にあった三つと後ろにいた一つが背を向けたこちらに襲い掛かってくる。
まずは正面にとらえた『ウルフファグ』に、下方に向けて横薙ぎで相手の胴体その横っ腹にフルスィング。
そのままの勢いを利用して、その場で半回転し襲ってくる四体と正対する。
すぐさまサイドに体を入れ替えて、端の一体の脳天に剣を振りおろし命を刈り取る。
続けて残りを掃討、最後にこちらの喉笛に食らいつこうと大口を開けたところへ剣を突き入れ、頭蓋を貫通して絶命せしめる。
完勝、と言いたかったが最後の一体が飛びかかってきた際に、突きを繰り出した手元に魔物の足の爪が引っかかり、皮手袋が破れてしまった。
怪我を防いだという点で役目を果たしたといえるが、せっかく気に入っていたのにと惜しい気持ちが先に立つ。
そろそろ時間も遅いし引きあげるかと、魔物の死体を集めて破れた皮手袋と一緒に苦手な精霊魔術で火をかけて焼いた。
この村には傭兵ギルドは無いが、役場で害獣駆除は出ているだろうと思われる。
死体を運べばそれなりな報酬を貰えるとわかっていたが、金には困っていないしなによりも面倒に思い処分する事に。
携えている黒い鉄剣を鞘に収め、村へ向かって歩き出した。
森へは試合に備えての稽古のつもりで入っていた。
魔物相手の命のやり取り、試合に臨むにあたっての緊張感を得るにはいい練習になると思って。
確かに気構えは充実したが、逆に体の動きについては不十分で不満が残る。
王都オューで開催される王族を前にした御前試合、これの招待選手しかもメインとして呼ばれている。
当然試合は真剣勝負であり、段取りが決まっているわけでも勝敗が決められているわけでも無い。
しかし、だからこそ開始の合図とともに試合が始まれば、高い確率でほんの数瞬で勝負がついてしまうだろう。
自惚れでも不遜でも無い、自己の技量と相手の力量を冷静に判断すれば誰にでも予想がつく。
その証拠に、試合の開催元からは無茶なお達しが出ている。
いわく、すぐに終わらせずにある程度試合を長引かせてから決着をつけるようにと。
あまりにも早く終わってしまっては、八百長を疑われかねない。
それにせっかくの御前試合、瞬きする間に終わってしまってはご覧いただく王族の方々もつまらなかろうというのだ。
確かにそうかもしれないが、面白い見世物がいいのなら大道芸人を呼べばいいんじゃなかろうか。
この要望には困った、当方は機械では無いのだ、そう簡単に8割の力でとか70%でなどと微妙な力加減など出来ない。
なによりも、手を抜いては相手に対しても失礼にあたる。
そこで考えたのが、開始からしばらくは受けに回り相手に攻めさせて、ある程度の時間が経過してから反撃で倒すといった戦法だ。
これなら防御か攻撃のどちらか一方とはいえ常に全力を出すのに偽りは無く、かつ試合時間も稼げるというものである。
其のため、稽古したいのは攻めよりも受けなのだ。
しかし、魔物相手では攻撃手段も体躯もあまりにもヒトと異なるので、受けの練習にならない。
オューに着けば稽古相手は見つかるだろう、それまでは我慢するしかないか。
そんな事を考えながら森を出て村の入口まで歩いていると、一人の青年の姿が目に入った。
どうやら剣の練習をしているらしい、残念なことに動きを止めてしまったので腕前までは良くわからなかったが。
彼に稽古の相手を頼んでみようか? ふとそんな考えを抱いたが、へたに怪我でもさせてしまっては申し訳ない。
それ程焦らないでもいいか、そう思い通り過ぎてそのまま門へ向かおうとした時に、ヒュンと見事な風切音が聞こえてきた。
振り向くと先ほどの彼が素振りをしている、切れがあるいい太刀筋だ。
剣か・・、『羽』で剣を持つのは珍しくは無いが、使い手であるというのは見ないな。
『羽』の剣士とはイァイ国の王以外じゃ・・、? 待てよ、どこかで・・、! そうかあの時か。
そんな思いを巡らせていたら、こちらが見ているのに気付いた彼が、動きを止めてしまった。
少し見ただけだが、あれなら十二分に稽古相手が務まるだろう。
時間的に一度やり合うのがせいぜいか、いや、彼がオューへ向かうのであれば向こうでも。
・・どうも気が急いているな、まずは相手の意思を確認しておかないと。
来た道を引き返すように歩き、彼の前に立つ。
・・なるほど、自分の体格に合わせて刀身を短めにしてあるのか、良く考えられている。
しかし剣の二本差しなんて初めて見たな、おっと、なんとか稽古相手を引き受けてもらえるように、友好的にいかないとな。
しばしのやり取りの後、少し時間が欲しいとの事で待つことに。
こちらと逆のヨルグへ向かっているとは、これでオューでの稽古相手としてってのは無くなったな。
それよりもなによりも、こちらが名乗ったにもかかわらずあの反応の薄さ、知っててとぼけているようには見えない、という事は本当に知らないのか。
しまったな、せっかくこちらを知らないなんておいしい相手、掛かり稽古なんかじゃ無く互角稽古か試合でも申し込めばよかった。
おっ、用意いいみたいだな、さてお手並み拝見っと。
おおっ、鋭い、素振り見てわかってたがいい打ち込みだ。
『羽』だけに体格には恵まれていないので力強さは感じないが、それを補う速さがあるな。
一つ一つの斬撃も切れがあるが、なによりも二撃目へのつなぎが無理なく滑らかなのが鋭さにつながっている。
こうして受けに徹しているからなんとか捌けるが、こちらに攻め気があった場合捌ききれるかは難しい、それほどの連撃だ。
今回は試合に備えての受けの稽古、それだけにいかに体勢を崩さずに捌ききれるかを目標にしている。
会話の受け答えはなんだか覇気が無い感じだったが、こうして剣を交えているとさきほどが嘘のような激しさがある。
これほどの相手と巡り合えるとは、どこに縁が転がっているかわからんものだ。
そろそろ息が上がって来たか? 周りもかなり暗くなってきたことだし切り上げ時か?
向こうもそう感じているらしく、距離をとって一呼吸おいている、なんだ? 何か仕掛けてきそうな予感がする。
そこから一気に突っ込んできた、面白い、最後の一撃と言ったところか? おっ? うぉ!
◇◇◇◇◇◇
かなりな重圧を感じながら、地をけって距離を詰め初撃を振り下ろす。
本来、初顔合わせであれば相手の出方を計ったり警戒するものだが、これは最初に言われた通り掛かり稽古。
向こうはこちらの攻撃を防ぐのみ、であれば全力を持って攻めるだけだ。
ガウマウさんが構える剣は刀身が黒く、御爺ちゃんが持っている鉄剣みたいだ。
実際、切っ先を変えているわけでもないのに、こちら側には刃がついていない。
これが練習用なのか、普段から使い慣れている形状なのかはわからないけど。
切り上げから間髪入れず袈裟、そこから再び切り上げて唐竹に続けて横薙ぎ。
突き以外の斬撃をそれぞれ三セットは繰り出しているが、すべて防がれている。
『縮地』を繰り出す時も思う事だが、相手がこちらに攻撃を仕掛けようとした時が一番決まりやすい。
逆に言えば、防御に徹して受けられている限りそうそうは当てられない、今の様に。
剣を合わせて鍔迫り合いから力任せに崩そうとしても、相手の方が体格もおそらくは力も上。
突破口となりそうな技を封印した状態で、力まかせも通用しないとなると他にどんな手が。
そろそろ本格的に暗くなってきたし、こちらの剣を振る腕も疲れから鈍くなってきている。
最期に何とか一撃入れる事が出来ないか、現状可能性があるのは・・相手が追いつけない程な速さで剣を繰り出す事くらいか。
それには・・、一旦距離をとり素早く呼吸を整えてから再び突進した。
最後に選んだのは切り上げ、切っ先をさげて突っ込み相手の手前で急制動、その場から斬撃を繰り出した。
当然相手から振り下ろされてくる迎撃の剣、こちらの剣と向こうの剣がかち合う寸前、素早く手首を返して向こうの剣をすかし、切っ先を上に向け唐竹に振り下ろす。
決まるかと思われたが、予期していたのか一歩後ろに下がる事で避けられてしまった、こちらも他に打つ手は無く「参りました」と声をかけた。
まさか避けられるとは、こちらの繰り出すこと如くが通じなかったのは普通にショックだった。
防御に比重をおいた相手にどう仕掛け決めるか、これは今後の課題になりそうだ。
ガウマウさんに僕の攻撃がどうだったか感想を聞こうとしたが、門の方からこちらに歩いてきたセルに呼びかけられた。
「アル、どうかしたのか?」
「ううん、何でも無いよ、稽古してただけ、どうしたの?」
「皆戻ってきたから風呂呼びに来たんだよ、早くしないとまた入れ替わっちまう」
「ああ、うん、すぐ行く、じゃああのこれで失礼します」
ガウマウさんは短く「ああ」とだけ言って、その場で何か考えているようだった。
◇◇◇◇◇◇
セルと二人で門をくぐりチョサシャ村の中へ、しばらく無言でただ宿まで歩いていた。
僕も疲れてたのもあり何も発せず、着替えを取りに部屋へ行ってそのまま風呂につかった。
久しぶりにちゃんと体を動かしたのと、昨日入れなかったのもあって湯船の中はとても心地いい。
「なんかあったのか?」
そんな風にセルが声を掛けてきたのは、浴場を出て脱衣所で涼んでいる時だった。
「うーん、まああったというかなかったというか」
「よくわからんな、ちょっと順番にいこう、暗くてよく見えなかったけどあそこに一緒に居たの、あれ誰だったんだ?」
「僕が街道の脇で型の稽古してたら、森から歩いて来て稽古の相手してくれないかって声かけられたんだ」
「それで?」
「僕が攻撃で向こうが防御って稽古だったんだけど、完封されてさ、こっちの攻撃全部通じなかったんだー」
「ほう! アル相手にそりゃあ凄いな、名前は聞かなかったのか?」
「ガウマウって名乗ってたよ」
「!」
なんかセルが固まってる、どうしたんだろう。
「なに? 知ってるヒトなの?」
「ってか知らないのか? ガウマウって言ったら『黒剣』だろ?」
「こっけん? ああそう言えば確かに黒い剣使ってたけど」
「やっぱり・・、ガウマウっていやあ闘技大会に於いて五大会連続で優勝して殿堂入りした、いわば生ける伝説と言われてる剣士だぞ!」
「へー、そんな凄いヒトなんだー、道理で強かったわけだー」
「わけだーってそんな呑気な」
「なんか、オューで開かれる御前試合に出場するって言ってたよ」
「なるほどな、確かに招かれててもおかしくないか」
夕食の後部屋に戻ってもセルがみんなに話したせいで、ガウマウさんの話で持ちきりだった。
ついていけないのは元々知らない僕とアーセだけ、アリーも知ってるみたいだけどなによりシャルの喰い付きが凄かった。
どんなんかっていうと。
「いいなー、あたしも会いたかったなー、ねっやっぱりカッコよかった?」
「うーん、カッコイイってより迫力があった、かな?」
「なんか背中で語るみたいな感じするのよねー、どんなお話したの?」
「特に何も・・、あっオューの御前試合ってのに出るって言ってたよ」
「ホント? 見に行きたいなー、それまでに戻れるかなー」
「戻れたとしてさ、御前試合って誰でも見に行けるもんなの?」
「そんな事も無いだろうけど、ちゃんとした席じゃ無ければ知り合いに頼んで何とかしてもらえると思う、ってかしてもらう!」
「そっそう」
「よーし、少しでも早くオューに戻るためにも、明日は休みなしで夜まで突っ走るわよー!」
「いや、少しは落ち着けよ」
セルに窘められても、シャルは興奮冷めやらずって状態みたいだ。
しっかしガウマウさんって人気あるんだなー、シャルがあーいうヒトが好みだとは知らなかった。
アーセはあんな感じのヒトどうなんだろうな?
ここまで一緒に行動してて、どうも見てるとセルには特別な感情は抱いていないように見える。
もっと色んなヒトを見れば、中にはアーセの好みのタイプがいるかもしれない。
ガウマウさんは、僕ともセルとも違って大人の落ち着きがあるし、無骨そうでありながら話した感じはとても穏やかな人柄に感じた。
色んな男のヒトを見れば、自ずと僕から興味が移るんじゃなかろうか。
そんな事を思いながらアーセを見ると、向こうも僕を見ていて自然と見つめ合う事に。
なんとなくアーセの頭に手をやり撫でてみた、目を細めてる様はちっちゃな子供みたいだ、まあちっちゃいのはちっちゃいんだけど。
「アーセちゃん、お姉ちゃんともスキンシップしましょうねー」
僕とアーセがうらやましくなったのか、すかさずアリーが混ざろうとしてくる。
アーセがアリーから逃げ回る、馬車でもよくある光景を見ながら僕はエイジに話しかけてみた。
【エイジ】
【ん? どうした?】
【いや、どうしたっていうかさ、こんな時間まで覚醒してるなんて珍しいと思ってさ】
【確かにな、因果関係はまだわからないけど、操魔術使わない日は大体休眠するの遅い気がするよ】
【じゃあ、使うと早くなるって事?】
【ダンジョンなんかで操魔術使った日は、比較的早くに休眠してる気がするよ、まあ正確に測ってる訳じゃないからなんとなくそう感じるってだけだけどな】
【ふーん】
【それより、あのガウマウってのは強かったな】
【うん、そだね、こっちの攻撃全然通じないんだもん、まいったよ】
【それに、アル気づいたか? あいつの左の中指だか薬指、あれ義指だったろ?】
【ぎしって?】
【作り物の指だったんじゃないかって事】
【へー、で、それがどうしたの?】
【もしかすると、あいつの奥の手ってあれを操魔術で飛ばしてくるんじゃないかと思ってな】
【!? そんな事できんの?】
【わからん、憶測でしかないからな、やり合う事なんて無いだろうけどもしそんな事があったら、気に留めておけよ、俺も覚えておくからさ】
【うん】
のんびりした平和な夜が、一気に殺伐とした話題になり話が終わるとエイジは休眠状態に移行した。




