第73話 成分 色恋ってやつは
「あのさ、僕はセルと一緒の部屋なんだけど、その、いいのかい?」
「セルにぃがいいなら、アーセは大丈夫」
「・・あっああ、俺も逆にアーセが良ければかまわないぜ」
公衆浴場にて、アーセに不埒な行いをしたアリーに罰を与えるはずが、どうしてこうなったんだろうか。
シャルはまるで「それだけ?」とでも言いそうなキョトン顔だし、アリーも話の流れからどうしてそうなるのかわからないといった表情。
当然僕も、なんでだろうかと思うものの、アーセはそれ以上を口にすることなく、大層笑顔でご機嫌な様子。
「・・じゃっ、じゃあそういうことで、アリー! 今回だけはこれだけで済んだけど次は無いからね」
「はい、わかりました」
「それじゃ、時間も遅いし部屋に引き上げるとするか」
セルのこの言葉で、僕らは一斉に腰を上げ部屋へ。
アーセを除いた四人が荷物を持って部屋を移動、僕とセルがアーセのいる三人部屋へ。
シャルとアリーが、僕らが居た二人部屋へと移った。
◇◇◇◇◇◇
アーセが女性に囲まれるのは、故郷であるイセイ村でも良く見られた光景であった。
その事にアーセも慣れていて、特に不快に感じる事は無い。
但し、それはあくまでも小さい頃から見知った人たちだからである。
初めて来た街で知り合いもいない中、風呂場という無防備な空間で同性とはいえ、大勢の知らない人たちに囲まれるというのは、それなりな恐怖がありストレスでもある。
そこを助けてくれたのがアリーだった。
だから、アーセはアリーに対して感謝する気持ちを持っていたのだ。
また、アーセはしっかりしている方ではあっても、まだ15歳の女の子である。
村の外に出たのも、親元を離れたのも初めて。
そんなアーセが頼りにしているのが、兄であり想いを寄せる相手のアルだ。
アルが傍に居れば寂しい事は無いし、それどころか幸せを感じるほどであった。
ただ、このところ部屋が別々になってしまっていて、ご褒美が無い事に物足りなさを感じている。
そんな中、アリーと肌を合わせたのはアーセにとっても、足りないものが埋まる充足感があった。
実の所、アーセもまたアル成分が枯渇気味だったのである。
そのようなわけで、アリーには迷惑の大部分が感謝で相殺され、いきすぎに対して多少腹を立てた程度で済んでいたのだ。
同部屋でというのは今回の事とは直接関係は無いが、いい機会だと思ったので言ってみたのだった。
セルと一緒なのは、アーセにとってはとるに足らない事柄だ。
お風呂に行っていれば部屋で体を拭く事も無いし、寝る時にも下着姿という訳では無く、薄手のシャツを着ているので肌を見られる心配は無い。
そんな些末な事よりも、アルと一緒の部屋で過ごす方がアーセにとっては、他のものには代えがたい多幸感があるのだ。
それに、妹としてではあったがさきほどアルに「大事な」と言って貰えたことが、アーセの心を優しさで満たしていた。
アーセは、自分のアルに対する想いを隠す必要があるとは考えていない。
でも、好意で同室になる事を了承してくれたセルには、感謝の意を込めてあまり目の前でべたべたするのは、気を使わせるのが申し訳ないので止めておくことにした。
そこでセルが用を足しに部屋を出たタイミングで、ご褒美タイムを発動したのだ。
アルも、お風呂での事で心細い思いをしたかと勘違いをして、いつもは手をまわして触れる程度だったのを、励ますつもりで強く抱きしめてあげた。
これにはアーセも大喜びで、尚一層の輝かんばかりの笑顔を浮かべている。
人はたとえ楽しく無くても笑っていれば楽しくなってくる、しかもこれだけの笑顔なのだ、もう大丈夫アルはそう思い安心していた。
これからも同室で過ごすであろうと思われたので、休眠しているエイジの事はともかくとして、鏡の事は話しておこうとアルが実演してみせた。
取り出した鏡の蓋を開いて、「アーセナル=ロンド」とアルがつぶやくと、鏡にはアーセの顔がそしてアーセの目の前にはアルの顔がぼんやりと浮かび上がる。
セルは知っていたが、アルも受信する側がこう見えているのは初めて知った。
普段それ程ものに動じないアーセも、「わっ」と言って驚き目の前と横のアルとを交互に見ている。
まあ無理も無い、発信する側と違って受信側は何の触媒も無く、突然に目の前に顔が現れ声を発するのだ。
アルは、今はまだシャルとアリーには秘密にするようにとアーセに言い聞かせた。
その頃、女子部屋のシャルとアリー。
「ああ、アーセちゃん・・・・」
「アーちゃん、そう気を落さないでよ、あれだけで済んで良かったじゃない」
「やっと再会できたアーセちゃんと、離ればなれで夜を過ごすなんて」
「同じ宿なんだし、明日になれば会えるじゃない」
「シャルがあんなこと言わなければ」
「えーっ、そっちー? あれだけしか言わなかったじゃないよー」
「もっとこうなんというか、当たり障りない表現をするとか」
「あれが限界だよー、大体アーちゃん湯船ではアーセちゃんの体を触りまくりの舐めまくりだったじゃないよー」
「失礼な、あれはアーセちゃんの無事を確かめるためで致し方なかったのですよ」
「じゃあ舐めたのは?」
「あんなに可愛らしいお耳が目の前にあったら、ちょっとくらいかぷかぷしてもしょうがないじゃないですか」
「それに、体洗う時だって丁寧にとかなんとか言って直接手でだったし、洗うってより触るっていうかむしろ揉むって感じだったしさー」
「繊細なアーセちゃんの肌を傷つける訳にはいきませんからね、丁寧な揉み洗いは当然の配慮です」
「むしろ、あれだけの情報しか話さなかったのを感謝して欲しいくらいだわ」
心外だと言わんばかりに頬を膨らませているシャルの横のベッドで、アリーは階下に響かん勢いでじたばたと身もだえしていた。
「どっどうしたの? アーちゃん」
アリーは、上気した顔を上げぼそぼそと語りだした。
「これまでは知らなかったから平気でしたが、一度知ってしまうともうアーセちゃんの肌のぬくもり無しには耐えられそうにありません」
「・・・・それは自業自得というか」
「ああ、アーセちゃん」
「いっそアルの事狙っちゃえば? そうすればアーセちゃん妹になるし一緒にいられるじゃない」
「それは私も考えましたが、それで本命であるアーセちゃんが誰かと結婚でもしてしまえば、何の意味も無くなってしまいますから」
「まあそれはそうだけど、でもアーセちゃんアルにべったりで、とても他の人と結婚するとか、少なくとも今は思えないけどなー」
「その点は私も安心していますが、ああもどかしい、今何をしてるんでしょうかアーセちゃんは」
「いや普通にしてると思うけど、もう起きてると考えすぎるみたいだから寝ようか、ね?」
「・・・・しょうがないですね、せめて夢の中でアーセちゃんに会えるのを祈ります」
こうして、目の前が幸せいっぱいでバラ色のアーセと、煩悩漲る頭の中がピンク色のアリーは別々の部屋で眠りについた。
◇◇◇◇◇◇
-某国-
「では?」
「ああ、決めた、手筈は整っておるな?」
「はっ、開催を待たねばなりませんが、すでに潜入しいつでも動けるようにしております」
「うむ、但し諜報活動は継続させるのだ、状況が変化すれば器を変える事もあると心得よ」
「ははっ」
同時にすべてをとは望み過ぎか、まあよいこうなれば一つ一つじっくりと時間をかけるとするか。
「して、何人育ったのだ?」
「はっ、すでに実戦配備されている三名に加えて、新たに二名が開眼致しました」
「5人か・・、少ないな」
「申し訳ございません、何分適性を見極めるのが難しく」
「まあよい、その人数で問題無いのか?」
「それは抜かりなく、継続して育成致しますので今後増える予定でございます」
その時、宰相の元に諜報員からの報告が届いた。
「ガスパ様、これを」
そう言って報告書を手渡す。
「どうなさいますか?」
「・・少し様子を見る、なにまだしばらく猶予はある」
「こういうのもおかしなものですが、何事も無いと良いですな」
「まったくじゃ、はっはっはっはっはっはっはっ」
得体のしれない計略が、誰とも知れぬ地で深く静かに進行していた。
◇◇◇◇◇◇
一夜明けて、メイプル館での朝食時間。
僕とセルとアーセが一階の食堂に入ると、すでにテーブルを確保していたシャルとアリーが手をあげている。
すると、すかさずアリーがアーセの元に跪いた。
「おはようございます、アーセちゃん」
「おはよ、アーちゃん」
「昨夜は寂しかったです、今日はいっぱいお話しましょうね」
「ん」
即答な上満面の笑み、アーセは昨日のご機嫌な気分をそのまま持ち越しているみたいだ。
それを完全に自分への好意と捉えたアリーは、感極まってアーセを抱きしめている。
見ようによっては、生き別れて何年振りかに再会した姉妹のようにも見えなくもない、あのまさぐるような手つきが無ければ。
「はいそこまで、離れて離れて」
僕の忠告も聞き入れずアーセを離さないアリー、なので口頭ではあるが最後通牒を突きつけた。
「本日この時より、僕の制止から三秒以内に改善が認められない場合は、このパーティーからの二度と復帰する事を許さない永久的な脱退措置とする、いーち、にー」
途端にパッとアーセを拘束していた腕を解いて、ノーカウントをアピールしてきた。
「酷いです、お義兄さん、せめて十秒にして下さい」
「そっちかい、伸びた時間分何するつもりなんだ? とにかく、節度ある行動を頼むよ、この件に関しちゃ厳しくいくからね」
「わかっています、私としてもアーセちゃんに会えなくなるのは、生きる意味を失うのと同じですからね」
「いや重すぎだよ、とりあえずご飯食べようよ、予定もある事だしさ」
こうしたある意味予定調和を経て、ようやく朝ごはんにありつけた。
【・・おはよう、アル】
【おはよう、エイジ】
少し前にエイジが覚醒したのは感じていたが、少々立て込んでいたので挨拶が遅くなってしまった。
【まあ分かる行動ではあるけど、なんでアリーは急にアーセに抱きついてたんだ?】
【それが、昨夜お風呂でこんな事があったみたいでね】
シャルから聞いた話と、その後のやり取りを一通りエイジに説明する。
【なるほどなるほど、それでか、まあやっかいだったのが迷惑になったくらいで、そう変わりないっちゃあ変わらないか】
【そうかなー、どっちかっていうと困ったちゃんがより面倒になったって気がするんだけど】
【その割には、アーセはなんかにこにこしてて機嫌いいみたいだな】
【うん、何故か昨夜からこんな調子でね、アリーの事もあんまり怒ってないみたいなんだよね】
本当に不思議だ、なんで色んなことされてアリーを拒絶しないんだろうか。
【そういえばさ、気になってたんだけど】
【なんだ?】
【アリーって、本当に諜報の任務に就いてるのかな?】
【どういう意味だ?】
【僕も実物見たこと無いから憶測でしかないんだけど、そういう人達って任務にあたるに際してもっと慎重っていうか、身分を悟られ無いように大人しくしてるもんじゃ無いかなと思ってさ】
【ああ、まあそうだろうな】
【でもさ、アリー見てると全然そうは見えないんだよね、アーセの事で今にもここ追い出されそうになってるって、本来の任務に支障出まくりじゃない?】
【そうだな】
【もうさ、アーセに言って洗いざらい話すようにしたらどうかな?】
【やめた方がいい、今の状況でそこまでする必要ないだろ、下手に追い詰めると何しでかすかわからんしな】
【えー、大丈夫じゃないかなーアーセに言わせれば】
【そのアーセと一旦別れる決断した事を忘れるなよ、きっと話せない理由があるんだろう】
一体どんな理由が・・、それほどに重要な任務なんだろうか。
【ねえ、エイジはその任務がどんなか見当ついてるの?】
【なんとなくはな、ただ、任務の内容じゃ無くて諜報員ってのを話せないようになってるんだと思うけどな】
【話せないようになってる?】
【例えば、定期的に解毒の注射をしないと発症する毒を受けてるとか、家族を人質とか担保にとられていて下手に話すと命が危ないとかかな】
【そんな過酷なの?】
【おそらくな、だから、すべて話すかパーティー出て行くか二つに一つなんて追い詰めると、アーセさらって逃亡するって可能性がある】
【でも、アーセにだってあの精霊魔術があるんだから、そう力づくでどうにかできるとも思えないけど】
【アリーとアーセがヨルグに来て、一緒にダンジョンに潜る前に互いの得物に付いて教え合ったの覚えてるか?】
【うん】
【あの時アリーは、短槍と操魔術で飛ばす針を見せた、そして精霊魔術は苦手だと話していたが、それが本当かどうかは検証しようがない】
【うん、それが?】
【そして、封印術に関しては使えるかどうか、明言はしなかった】
【・・・・】
【もし封印術が使えるとして、それをアーセに使われたらどうなる?
アーセは体は小さく力も弱い、そして武器も操魔術で使う鎖分銅しか持って無い、戦闘力はほぼゼロになる】
【そんな・・】
【あくまでも可能性があるってだけで、実際の所はどうかわからんが、そうならないように追い詰めすぎるのは良くない】
【うん】
【前にも言ったが、アリー追い出しても叉別の誰かに見張られるだけだろう、だったらこのままの方がいいと思うぞ】
【そうかな?】
【ああ、セルも言ってたろ? アーセ絡まなければそれなりに優秀だよ、今日傭兵ギルド行くんだろう? それにしたって提案したのアリーだったしな】
【そだね、なんとかコントロールしてみるよ】
こんな魂話をしていたら、すでに皆食べ終わっている。
僕も残りを急いでかっ込んで平らげ、多少慌ただしくも朝食を終えた。




