第66話 傷物 満たしてはいないからな
突然、大きな音と共に周りが暗くなり、しゃがんだ体勢のまま慌てて振り向くと、『マッドベア』が威嚇するように二足で立ち僕らを見下ろしている。
「ガルルグルァー」
咄嗟に転がって避けたが、僕らが居たところに『マッドベア』の爪が振り下ろされる。
僕とアーセは左右に分かれてしまい、僕はすぐさま中腰になり身構えた。
すると、アーセに狙いを定めたのか僕に背を向けて、再び腕を真上に上げて威嚇している。
【エイジ!】
【わかってる!】
言うが早いか、『マッドベア』の後頭部を『雲海』が貫いた。
【ヤバイ! アル借りるぞ!】
【えっ?】
おそらくは、エイジの一撃で絶命したと思われる『マッドベア』が、ゆっくりと倒れようとしていた、アーセのいる方へ。
それを察知したエイジが、『絆』を伸ばして奴の首に引っかけて、こちら側へ引き倒そうとしている。
それを見た僕が慌てて横にずれると、引っ張られるままその死体は重く低い音を響かせて、背中を地面につけた。
たたたっと駆け寄ってくるアーセ。
見た感じ大丈夫そうだが、確認の意味を込め聞いてみた。
「アーセ、怪我してないか?」
「ん、大丈夫、にぃありがと」
念のために『嵐』を構えて残心をとっていたので、抱き合う事は無かったが怖かったのか、アーセは後ろに回り僕の腰に手をまわしてくっ付いている。
どうやら大丈夫そうだなと構えを解き納刀して、心配ないよとアーセの頭をぽんぽんとした。
そりゃあんな至近距離で、こんなでかいのに狙われたらおっかないよなー。
まずは、死体をエイジが端っこに運んで、朝と同じように解体して肝を取り出した。
あの時見てた限りでは、他の部位も色々使えそうだったけど、ここから森の中を運ぶのも無理がある。
当然このままって訳にもいかないんで、勿体無いけど焼却処分する事に。
「アーセ頼む、燃やしちゃって」
「にぃ、火使っていいの?」
「うん、ここは開けてるから森の木々に燃え移る事はないだろうし、このまま放置するわけにもいかないからね」
「ん、わかった」
「あっ、一応火をかけた後水もスタンバイしておいて、風にあおられてってのもあるかもしれないからね」
「ん」
こうして後処理を終えて、改めて採取にかかろうとして唖然とした。
先ほど『マッドベア』が倒れた時に、ゲイカンがいくつも下敷きになってしまっているのだ。
重要なのは根みたいだけど、茎や葉もいるって言われてたしどうするか。
現状、見た感じでは地表に出てたところは折れてぺちゃんこ、まああんだけの重量がかかったんだから当たり前ともいえる。
地中の方はどうかというと、めり込むように埋まってしまっている、おそらくは細かい根は千切れてしまってるだろう。
周りを見渡すと、ここでダメになってる数が6、被害が無かったのが・・12くらいか?
しれっと、無事な中から採取して持っていけばこの依頼は達成となる。
しかし、今後の事を考えるとここで無理すれば、後々響いてくるかもしれない。
丁寧な仕事を期待されながら申し訳ないが、ここはつぶれた中から選んで三つ持って帰ろう。
『マッドベア』に襲われたのは僕らのせいじゃないけど、倒した時にこうなったのは多分に責任があると思う。
ゲイカンは、そもそも数が少ない上に人工的な栽培も出来て無いって話だった。
今回の顛末を話さない訳にはいかない。
黙ってても、僕らに何かの不都合が生じるわけじゃ無いけど、それは僕らにってだけで困る人はきっと沢山いる。
それがわかってて報告しないなんて、そんな事は誰が見て無くても自分自身が許せない。
多分甘いんだろう、いつかこのせいで損しそうだけどこんな事で気持ちに負い目を作りたくは無い。
それでもし「この状態では・・」って言われるようなら、それは甘んじて受け入れよう。
アーセに説明して、埋まってる根の採取を手伝って貰い三つを確保。
他の折れた茎をどうしようかと思案していた。
◇◇◇◇◇◇
エイジはアルがアーセにした説明を聞いて、そういう決断をしたかと今後の展開を予想し、どうするべきかを考えていた。
うーん、どうする、言うべきか言わざるべきか。
俺の考えが正解って決まったわけじゃ無いけど、俺が言えばおそらくはアルはその通りにするだろう。
果たしてそれでいいのか?
子育てとかしたこと無いからわかんないんだよな、どうする事が最も成長につながるのかが。
転ばない様に注意してやることは大切だけど、一度転んでみない事には痛みとか、こうならない様に次から気をつけようとかいう実感が沸かないだろう。
只でさえオューに着いてから口出ししすぎてる自覚はあるんだよな。
・・・・ここはどうなるかわからんが、何も言わずにおくか。
とりあえず、アレだけ指示しておこう。
◇◇◇◇◇◇
折れた茎や葉などは一応持って帰るかと考えをまとめ、これにて終了という事でこの場を後にしようとしたら、エイジに話しかけられた。
【アル、あの折れた茎この辺に挿しておいてくれ】
【どうなんの?】
【うまくすれば育つかもしれん】
【? そんな簡単なの? だって人工的な栽培が出来ないって言ってたよ】
【ああ、俺もそれは聞いてた、ただその理由までは聞いて無いんでな。
土なのか養分なのか日照時間なのか、なにが原因で出来ないのかはわからんが、とりあえずここには現物が生えてるんだ、環境としては問題無いはずだ。
挿し木して生える品種なのかはわからんが、何もしないよりはましだろう。
【そうだね、少しでも可能性あるんならやっておいた方がいいか】
【あっ、葉は少なくしておいてくれ、多いと育たなくなる】
その後エイジに細かい指示を受けつつ、間隔を開けて茎を挿していく。
「アーセ、これに少しでいいから水やってくれ」
「ん」
アーセに水撒きをお願いして、これで本当に終わりかなとエイジにも確認をとった。
【もういいよね? エイジ】
【・・そうだな、いいんじゃないか】
【? なんかあんの? その間が気になるんだけど】
【いや、何でも無い、行くか、帰りは歩きだろ? 遅くならない内に森を抜けないとな】
【怪しいなー、何か隠して無い? これまでの経験からしてこういう時は何かあるっぽいんだよなー】
【(いつになく鋭いな)ほら行こうぜ、あっ大丈夫そうなら途中からでも運んでやるから言えよ】
【まあいいか、うんわかったよ、出発しよう】
状況によって色々ではあるが、アルはエイジと魂話する時に、往々にして立ち止まり一点を見つめて静止している。
アーセはこんなアルを小さい時から見て慣れてはいるが、何をしているかはわからない。
ただ、多くの場面でこうなった後は、何かを決断して行動を開始するというのも、また昔から知っている。
アルに「じゃあ帰ろうか」と言われて、二人でその場を後にした。
◇◇◇◇◇◇
「最後、あの空を見つめてたのは何だったんだ?」
「俺らが居る事に勘付いたのか?」
「わからん、特に何かしてた様には見えなかったが」
アル達が遠く離れたのを見計らって、ツィザレス達はようやく普通に声を出して会話をしていた。
慣れたアーセには何ともなくとも、エイジと魂話している状態のアルを初めて
見た彼らは、ここに空から舞い降りた事といい先ほど『マッドベア』を一撃で
倒したことといい、どこか得体のしれない不気味な印象を植え付けられていた。
「あいつの操魔術は一体どうなってんだ?
『マッドベア』一撃で倒したのもそうだが、あれだけの巨体浮かせて運んでたぞ」
「店の中のでわかってたけど、ありゃあ相当強力だな」
アルの実力もそうだが、行動についてもツィザレス達には疑問だった。
「しかし、なんであいつらわざわざあのつぶれたのなんか摘んでったんだ?」
「周りにある無傷のに気付かなかったって事もないだろうにな」
傭兵を縛る規則というものは存在しない。
犯罪歴が無く成人していれば、誰でも傭兵ギルドへ申請すれば傭兵になれる。
かといって、何をしてもいいという事は無い。
逆に、罰則規定が無くジャッジする審判がいないからこそ、傭兵達は自分達でのルールはなくとも、マナーを重視し守るべきものとしてとらえている。
その為、他者が達成した依頼の成果を横取りしたり、受注した依頼をそのまま別の傭兵に丸投げしたり、虚偽の報告をするなどといった不正は行われない。
信用を落せば、それはそのまま自分達に跳ね返ってくることを自覚しており、共存共栄の為に自浄作用が働いているのである。
本来「力づく」という考え方は、あくまでもこの場で先に採取する権利を
主張し、相手を引かせる為に争い事に発展するのも厭わずに前へ出るという意味で使われるのであり、すべてを力で解決しようという意味ではない。
にもかかわらず、「不意をうって」などと考えたのは、少なくない動揺により短絡的な考え方しか出来なくなっていたせいだった。
慣れた依頼にも拘らず、これまでと違う状況下での過度の緊張と、突然上空から『羽』が降りてくるという光景。
この事に因り、冷静に判断しているつもりでも、つもりなだけでまるでそうは出来ていなかった。
それは、踏みとどまりはしたものの、アーセを人質にとってなどと思った事でも明らかである。
しかし、その後の『マッドベア』の出現とそれをアルが鮮やかに仕留めた事で、あまりにもな事態が連続したせいで動転していた気が一周回って、冷静さを取り戻させていた。
傭兵は、依頼を受注するのに伴い傭兵ギルド並びに依頼者を顧客と認識し、不利益になるような事は極力慎む。
アル達がゲイカンを採取していれば、当然数が少ない事を予め知らされている手前、自分達が摘むことはしなかっただろう。
「・・・・考えても仕方ない、こっちはこっちで依頼どおりにすりゃいいだろう」
「そうだな、あまり長い間ここにいてさっきみたいなでっかいのに会いたくないからな、早いとこ採取して戻ろう」
ツィザレス達は、手慣れた様子でゲイカンを四株採取する、依頼を受けたのは三株であったが。
薬師ギルドからは、傭兵は仕事が粗いと評されるが彼らには彼らの言い分がある。
ここユライ森は、魔物が生息するやつらのテリトリーであり、常に命の危険が付きまとう。
そんな場所で、時間を掛けていては何が起こるかわからないので、とうしても懇切丁寧にという訳にはいかない。
そのせいで、丁度な数であっても必要な薬効成分が抽出できなければ、貴重な薬草が無駄になってしまう。
それを考慮してやや多めにしているのである、ここに現場で命を懸けている者と安全な場所から依頼をしている者との、埋め用の無い温度差があった。
こうして、彼等もまたゲイカンを採取してアル達に気取られぬ様に、その場から離脱した。
◇◇◇◇◇◇
ヒョウルの村に戻ってきたのは、太陽が一際張り切り出すお昼頃。
二時間ほど森の中を歩いた後、残り位ならと行く時と同じくエイジに頼んで空を移動したおかげで、歩くのと比べて半分位の時間で済んだ。
其の為思いの外早く戻れたので、時間が出来てしまった。
ただ、この村に留まっていても特にやる事は無い。
この時間から出発すると、オューに着くのはかなり遅い時間になってしまう。
アーセに相談すると「にぃに任せる」という、信頼されてるのか考えるのが面倒なのか、いつも通りなお答え。
確か、急ぎで必要になったって言ってたなと思いだし、だったら出来るだけ早い方がいいだろうという事で出発する事に。
宿屋にて、お昼の分と夕食分を作ってもらい精算して、来た時と同じ馬車で出発。
走り出してから、アレっと思い立ちエイジに話しかけてみた。
【ねえエイジ、もしかしてこの馬車ごと飛ばしたり出来ない?】
【多分やろうと思えばできると思う】
【じゃあそれでびゅーって帰ろうよ】
【それをやるには、いくつかクリアしないとならない要件がある】
【なに要件って?】
【まず、第一に馬が平気かどうかという件、馬には説明して言い聞かせるって事が出来ない。
だから、うまく順応してくれればいいけど、下手したらパニック起こしてどういう行動に出るかわからない。
それにその時だけじゃ無く、今後馬車を引く馬として自分が動かなくても問題無いと思って、走らなくなったりしたら責任とれない】
【・・まあそうだけど、じゃあ馬は外して馬車だけ飛ばすってのは?】
【これ借り物だろう? そんな勝手な事出来ないだろうよ】
【そりゃあまあ・・、そうだね】
そう上手くはいかないか、それが出来れば簡単なのにな。
【他の理由は何?】
【第二に目立つ、当たり前だけど空飛ぶ馬車なんて他にいないからな、当然もの凄く注目を浴びるしどうやってるのかとか色々聞かれる。
ただまあ、それを我慢できるってんなら特に問題ないけどな、出来れば征龍の武器を持ってる都合上目立たない方がいいと思うけど】
【あんまり注目されるのはちょっとなー】
【第三に】
【まだあんの?】
【これが一番深刻なんだが、どのくらい持つのかが俺自身わからない。
覚醒して間もない時間帯なら大丈夫だと思うが、今日のように操魔術を使った後にどのくらい自分が消耗していて、どのくらい経つと休眠するのかが読めない。
俺自身に疲れるっていう自覚が無く、休眠する時の兆候なども無いので、少しの間ならともかく長時間となるとどうなるか、いきなり墜落って事にもなりかねん。
【そりゃあおっかないね】
【第四にその日はいいとして、使った次の日がどうなるのかがわからない。
ダンジョンの9層抜けた後、俺には自覚が無いけどアルが一日覚醒しなかったって言ってたろ?
よくよく考えてみると、アレ魔力枯渇起こしてたんじゃないかと思うんだよな。
9層じゃフルに使いっぱなしな状況が続いたし、その前も8層でかなり使ってもいたし。
アルが強制的に覚醒させれば出来るのかもしれないけど、やったこと無いからどうなるか不明だしな】
【あの時は心細かったよ】
【まあ、んな訳で現状デメリットが多すぎるのでオススメ出来ない。
その内、何かの機会に試してみてもいいかもしれないけどな、今回はやめた方がいいと思う】
【わかった、あきらめるよ】
馬車屋で借りた馬車というか馬だけあって、特別気難しいわけでもむずがるわけでもない。
始終気を張っていなければという程の事は無いが、御者台に座り操りながら食事をするのは難しい。
そこで、アーセに隣に座って食べさせてもらいながら、馬には申し訳ないが道中止まることなく、遅い時間ながらその日のうちにオューへ到着した。
一応その足で薬師ギルドへ行ってはみたが、案の定事務所棟は閉まっており入れなかった。
時間が遅いんで仕方ないかと、ここには明日再び訪れるとして、本日の宿を探しに街中へ。
この間泊まったメイプル館へ行くと、二人部屋が空いていたので泊まる事に。
「アーセちゃん!」
一階のカウンターで宿泊申し込みをしていたら、突然声をかけられた。
何事かと思い振り向くと、猛ダッシュで近づいてアーセの前で跪き、潤んだ瞳で見上げている女性。
ああ、そうか、ついに追いついてきたのか。
「アーちゃん」
「こんな偶然・・、やはり私たちはめぐり合う運命の二人という事ですね!」
アリーことミアリーヌがここに来たという事は、何らかの指示を受けてということだろう。
まずはトイレに行って、セルに今日の報告はしばらくしてからになるって伝えておかないと。
さて、どんな事になるのやら、とりあえず話を聞いてみようか。




