第5話 教育 存在理由って
家の裏手の自称稽古場にて。
【これ、カッコ悪いよー】
【文句言わない】
俺は今、アルに剣の練習として、すり足による送り足をさせている。
剣は無いので持ってるふりで。
アルには、出来るだけ物事を強要しない。
これを自分に言い聞かせてこれまで過ごしてきた、あっとただし、人の生き死にのように、後で取り返しのつかないような事態は別として。
俺もいい歳した大人なので、ある程度の知恵や分別を持っている。
何かあった時にアドバイスするのも、間違いを正して正解へ導くのも簡単だ。
子どものアルと比べれば当然俺の方が失敗はしない。
だが、それではダメなのだ。
俺は、あくまでも同居しているだけで、これはアルの人生なのだ。
例え間違っていようとも、失敗しようともいちいち俺が口出ししては、アルが学習しない。
アルの人生なのに、重要な判断を自分で下せず人に頼るようになってしまう。
俺は、アルの人生を乗っ取る気は無いのだ。
だから、アルに求められればヒントくらいは出すが、基本何も言わずにアルに決めさせている。
だが、剣についてだけは別だ。
アルはよく「大人になったら困ってる人を助けたい」と言っている。
小さい子供のいう事なので、将来何になりたいかなど、どうせコロコロ変わるだろうと思っていたんだが、これまでのところ、アルがこれ以外をいう事は無い。
おそらくは、これを目指した元の感情は「褒められたい」だろう。
世の中には、褒めて伸びる子と叱る事で伸びる子の二種類いると、まことしやかに唱える奴がいるが、叱られたり叩かれたりして伸びる子なんていない。
あれはたまたま、たとえ叱られても叩かれても伸びる子だっただけで、褒めていればもっと伸びたはずだ。
子どものメンタルは単純で素直だ。
褒められればうれしくなり、もっと頑張る。
この時に、間違った方向へ進まないように指導してあげればいいのだ。
反対に叱られれば萎縮し、やる気を失う。
それでも、また叱られるのがいやだから、叱られないように体裁を整える。
だから、実力がついてるんじゃ無くて、ただ怒られないようにその場を取り繕っているだけだ。
なんの話だっけか?
そうそう。
困っている人を助けるって事は、その困っていることを解決するってことだ。
それには、往々にしてチカラが必要になる。
そして、そのチカラの一つはすでにあったりもする。
爺から授かった剣聖の称号だ。
祖父であるシュミッツァーは、若い頃王都で王族の身辺を守る、近衛隊に属してた事があるそうだ。
それが、なんでこの地で農家をやる事にしたのか、さすがに孫に話す内容では無いらしく、未だにわからない。
その祖父から、本物の剣は無理だったが、練習用の鉄剣(刃挽きの刀みたいなやつ)をおねだりして貸してもらい検証した事がある。
結論、アルの体で剣聖の効果は実証できた。
鉄の剣は結構な重さがあり、6歳児のアルではほんの少しの間しか振る事は叶わなかったが、それでも素人の俺の目で見ても、キレがある美しい技の型をやってのけていた。
しかし、その反面弱点とまではいかないが、課題もみえてきた。
剣聖の称号の効果は、あくまでも剣を握り振った時にその剣の能力を十全に引き出し、多彩な技を使えるというものである。
筋力の補正まではない。
技の中には、ある程度の腕力があって初めて可能なものもあり、それは子供のアルでは発現出来ないものでもあった。
また、あくまでも剣を振る時の技術だけであり、そこに至るまでの足捌きであったり、また体捌きなどは含まれていない。
つまり、現時点では飛び込み技も無ければ回避する技も無い。
敵と対峙した時にはただひたすらに待ちに徹して、敵が目の前に来た時のみ、回避ゼロの攻撃特化型として、ようやっと勝負になるといったものでしかなかった。
ちなみに、相手の攻撃を剣を使って受ける技はつかえるが、力のない子供では技で攻撃を受け切れずダメージを負ってしまうので、意味が無い。
これでは、実戦では使えない。
とはいっても、この称号の効果は絶大であり、すでに近接しての技はどうにでもなるのだ。
だったら、せっかくのこれを利用しない手は無い。
というわけで、体が出来上がるであろう成人するとき(この世界では数えで15歳)を目安に、その足りない部分を練習して身に着けようというわけである。
俺は剣道経験者でもなければ、なにかの格闘技や武道の嗜みなどまるで無い。
だが、うろ覚えながら授業で剣道をやった時の事や、テレビで格闘技を見た時の事や、元の世界の知識に加えて、俺に刻まれたこの世界の知識と一般常識を駆使して、アルを指導することにした。
こればっかりは、アルに任せてどうにかなるとは思えないので、口出しすることにしたのだ。
経験者であるシュミッツァーに頼もうかとも思ったが、スタイルが違うのであきらめた。
彼は、王族を守るという職務上、片手剣と盾というスタイルだったからだ。
しかし、アルは両手剣を使う事を予定している。
これは、その方が技の数が豊富だからである。
この村には、剣の道場など無い。
というか、剣を使う者自体がほとんどいない。
これは、種族特性によるものらしい。
アルは、というかロンド家を含めたこの村の者全員が、背中に一対の白い羽を持つ有翼人種であった。
この世界には、六つの種族がいる。
その中でも、有翼人種の種族特性というのは、まず外見的特徴からいうと背中から羽が生えている事である。
肩甲骨の辺りから、左右に一枚ずつあり、普段はたたまれているが、広げると両手を広げたよりも少し長い程度の長さがある。
これで空を飛べるのかというと、これが飛べない。
この体に対してこの羽の大きさでは、いくら羽ばたいても埃が舞うだけで、体を浮かすほどの揚力は得られないのである。
せいぜい、高所から飛び降りた時に風を受けて滑空できる程度である。
つまり、この羽は特に用をなさないものでしかなかった。
唯一あるとすれば、極度に緊張した時に意図せず羽に力が入ってしまい、普段たたまれている羽が広がる「羽ピン」と呼ばれる状態になる事くらいである。
こうなった時は、周りの者に「あーあいつ緊張してやんの」とばれてしまい、とても恥ずかしい思いをすることになる。
外に現れない特徴で優れているものとしては、六種族の中で最も魔力が高いところである。
逆に、劣っているとされるのは、体躯が最も小柄で筋力が一番低い事である。
この為、有翼人種では魔術を主体に闘うスタイルが一般的であり、魔術を併用する時の武器として剣を振るうものは少ない。
戦闘の際は、精霊魔術を使う者は術の威力と精度を上げる杖を、操魔術を使う者は槍まれに金属や木製の棍などの長柄の武器を使う者が多い。
爺は、剣聖なんて称号授けたくせになんだってまた、六種族の中で一番腕力の弱い有翼人種に俺を宿らせたんだろうか。
宝の持ち腐れとまでは言わないが、これだったらもっと体格が良くて力の強い種族にすれば良かったんじゃなかろうか。
それとも、この事自体がなんか意味があるのか?
ご褒美とか抜かしてたこの状態も、状況だけ見れば何かの罰にしか思えない。
何といっても体が無いのが痛い。
これにより、三大欲求はまるで満たされることが無いのだ。
いや、厳密には味覚だけは可能性を残してはいるが、現実はそう甘く無かった。
今、毎日の感覚同調はアルと相談して、視覚と聴覚の二つだけに限定している。
別に、すべてを同調していると不具合があるというわけはなく、単に必要ないと気づいたからである。
眠いという欲求は無い。
何しろ体が無いので疲れるという感覚が無いのだ。
強制的に意識が無くなる時も、逆に覚醒した時も睡眠を得たような満足感はまるで無い。
性欲は無いことはないが、体が無いからか直接的な行動をしたくなる欲求は無い。
さすがに、いつかアルがそういう行為に及ぶときには、モラルの問題としても、わからないとはいえ相手に対する礼儀としても、同調は切ってくれとお願いするだろう。
そこで残るのが味覚である。
白状しよう。
かなり期待していた。
それだけに、悲しかった。
マージの名誉のために言うが、ロンド家の厨房を取り仕切っているマージはかなり頑張っている。
他の家の食卓と比べたことは無いし、外の店で食事をしたこともないので一概には言えないが、料理は結構手が込んでて多彩だと思う。
この世界では、稲作が普通にあり、雑穀と混ぜてだがご飯もちゃんとある。
狩猟もしているので、お肉も定期的に食卓に並ぶ。
食材に文句は無い。
だが、決定的に足りないものがある。
それが、調味料だ。
塩は貴重で値段もそれなりなので、一度の料理でそう多くは使えず、香辛料の類も少ないのでどうしても味が単調になりがちだ。
それでも、アレさえあれば我慢できた。
この世界に決定的に足りないもの。
それは、醤油である。
日本人としてこれが無いのはつらい。
二週間やそこらなら耐えられる。
だがしかし、もう一生味わえないと思うとやるせなくて、料理を味わってもむなしいだけなのだ。
それでもまだ、体があれば空腹を満たせた満腹感でごまかせるが、それも出来ないとあって味覚の同調はしない事にした。
嗅覚も同様である。
触角はあっても無くても特にどうという事はないのではずしてある。
この状態を憂い自殺しようとしてもできない。
それは、アルを殺してしまう事になるから。
こうなると、もはや呪いに近い。
とてもご褒美と呼べるもんじゃない。
自分の意思で自分だけが死ぬことも許されない。
かといって、生きていく事の喜びも少ない。
だとしたら、この状態になにか意味があるとしたら、それはなんだろうか?
こうならないと出来ない事があるとか?
いやいや、出来ないことだらけで不自由極まりないこの状態が意味があるとは思えない。
だったら、ここに来ること自体になにか意味があるとか?
しかし、ここまでで特に変わったことも無い。
それとも、これから何か起きるのだろうか?
どこか他の大陸に何かあるとか、未還の地とか・・・・、いやないか。
一体なにをさせたいのだろうか?
それともただの考えすぎ?
価値観の相違で、本当にこれがご褒美だと思ってるとか。
いや、あのスルーっぷりは、都合が悪い事を聞かなかった事にしたっぽかったように感じる。
こうして、今日も答えの出ない、俺自身の存在理由について、考えを巡らせていた。
◇◇◇◇◇◇
【エイジ、もういーい?】
【ああ、一度にいっぱいやっても意味が無い、毎日やる事になるから今日はこの辺でいいよ】
【うへーこれ毎日やるのー?】
【強くなりたいんだったらな】
地味なトレーニングでやりはじめだし、効果も良く見えないからつまんないんだろう。
【これで本当に強くなれるの?】
【少しずつでもいいから、真面目に毎日やってれば必ず強くなれるよ】
【ふーん】
【続ける事に意味があるんだ、一度にそんなに長い時間はやらないからちゃんとやるんだぞ】
【わかった】
素直ないい子だ。
この子の信頼には答えたい。
それに、俺に残った数少ない楽しみの一つがアルの成長だ。
約10年後、体が成長し今始めた事が実を結んだときに、あの剣聖の技と相まってどんな剣士になるのか、今から楽しみでしょうがない。
そんな事を考えていたら、終わったと思ってか端で大人しくしてたアーセが寄ってきた。
「にぃ何してたの?」
「剣の練習だよ」
「何も持ってないのに?」
「うん、でも大事な事なんだ」
アルもよくわかってないんだろうけど、兄として妹の手前、自分が何してるか良くわからないとは言えないんだろう。
それを聞きながら、なぜかアーセは目をきらきらさせて、アルを見つめている。
相変わらず、一体全体アルのなにがこうもクリティカルヒットを生み出しているのか全然わからん。
体を動かした後は、お勉強の時間だ。
木の枝と地面を使って文字を覚える練習をしている。
この世界で紙は貴重であり、筆記具についてもアルは持っていない。
なのでもっぱら地面に、丈夫な枝をペンに見立てて、文字を書いて練習している。
文字の形状を知らない相手に、言葉だけでその形を説明するのは中々難しかった。
俺が、操魔術で棒を使って地面に書いて教えればいいと気づいたのは、もうずいぶん経ってからだったのは秘密だ。
アルは、頭が悪いわけではないが、かといって一度書いたら完全に覚えて忘れないって訳にはいかない。
一通りの文字を教えた後に、最初の文字を書かせようとしても、どんなんだったか覚えてないという事も多々あった。
俺の言う文字と、自分が練習で書いたどれが対応するのかが、ちゃんとわかってないって感じがする。
本でもあればもっとスムーズにいったかもしれないが、残念ながらこの家に本は無い。
本は貴重だ、それだけに高価であり、持っている家はあまり無い。
村はそれほど大きな部類では無いので、図書館というものも無い。
そもそも、役場以外はほとんどが農家という村で、農業をやるにあたっては、文字を書いたり読めたりする必要は無かった。
義務教育も存在していないので、村には学校も無ければ私塾のようなものも無い。
では、なぜアルに文字を覚えさせているかというと、単に選択肢を増やすためだ。
アルが農業をやりたいと言えばそれでいいし、家の方針や両親の希望でアルにやらせたいことがあり、アル自身が納得するならば何をしてもいいと思う。
ただ、やりたい事をやる為に、読み書きが出来なければだめだという理由で、あきらめないようにとの親心からである。
この世界で学校というのは、13歳の時に二年間勉強しその時点で卒業してもいいし、その後さらに専門的な分野を二年間学ぶ訓練学校というものがある。
これは王都の他大きな街にしかないが、兵士になる為の軍事教練のコースと、文官(公務員)になるコースの二種類あり、入学試験の時に読み書き計算が試されるのである。
理科についても、簡単な事柄を教えている。
なんといっても、俺が難しい事は覚えて無いし、ちゃんと説明できないのである。
だから、ここは丸い惑星なんだよとか、重力ってのがあるから物が下に落ちるんだよとか、火を起こす時には酸素が必要なんだよなどの簡単な内容だ。
それでも、一つ一つに驚くさまは見ていて新鮮だ。
大きくなったら、もう少し突っ込んだ内容を説明していこうと思う。
社会は主に地理だが、これは地図帳などの目で見えるものが無いと、言葉を並べるだけになってしまい中々伝わらない。
俺が地面に描こうとしても、絵心は無いし何より縮尺がちゃんとしてないと、距離感などがおかしくなってしまう。
なので、非常に一般的な事として、この大陸には六つの国があるんだよとか、それぞれの国の名前と王都の名称を教えたり、ここ以外にも大陸が三つありそれぞれに名前があるんだよとか、其のくらいの事をちょこちょこと教えている。
まあ将来何になるのか、どこへ進むのかがわからないが、その時になって困らないようにという配慮である。
というのは後付けで、試しにアルに文字を教えてみたら、気に入ったらしくやりたがるのでそのまま続けている。
それに、娯楽が少なく遊具もあまりないので、これ自体がなにか楽しいらしい。
これもまた、腕力とは違うがチカラである。
こうしてアルは、日々着々と色々なチカラを鍛えて過ごしていた。




