第55話 挨拶 出会いがあれば
リンドス亭の一階、宿泊客にとっては食堂であるが、
食事処でもあるので飲食のみの客もいる。
セルとシャルはすでにテーブルに座り、食事をはじめていたがそれよりも、
入口付近で酒を飲みつまみを食べている客に目を奪われた。
この場に似つかわしく無い、見目麗しい御婦人という訳では無く、
単純に意外なところで知り合いに会った事で、びっくりしたからである。
「ビンチャーさん? お食事ですか?」
「アルベルトさん、こんばんは、ええ、ちょっと、もうダンジョンからお戻りだったんですね」
「こんばんは、ええ、まあ、あっ、僕の事はアルと呼んでください」
アーセにはセル達のテーブルへ行かせて、僕はビンチャーさんに勧められて同じテーブルについた。
エイジはリンドス亭へ戻る途中で、休眠してしまっている。
アルもここリンドス亭を拠点にして2年が経つ。
城塞都市ヨルグでは、少なくない数の宿屋があり、そのどれもが夜にはお酒と
食事を出す場となっている。
皆が皆という訳でも無いが、それぞれにいきつけというものを持っていたりする
中で、ホーエル商会の仕入れ担当のこの人をここで見るのは初めてだった。
「確か七日間の予定とおっしゃっていましたが、予定よりも早かったんですね」
ビンチャーは実はこの辺りの事は、聞かなくても事前に情報は得ている。
ダンジョン入口の職員に、相応のお礼をして手の者に聞きこませていたのだ。
それによれば、十日ほど前に第8階層まで到達したが、食糧が足りなくなり
その先を断念して帰還したらしい。
ところが、今回も8層までで戻ったとの事、前回より二日長いのに。
「ええ、今回はちょっと準備不足で、10層まではたどり着けませんでした」
怪しい。
この用意周到な若者が、同じ間違いを犯すとは考えにくいと思っている。
四日間で三人で8層の奥まで行って戻ったのに、今回は六日間で五人で行って
同じ8層で戻ったというのは、あまりにも不自然だと考えていた。
「そうですか、それは残念でしたね」
わからないのは、何故そうしているのか。
迷宮を踏破しただとか、最高到達階層を更新したなどは、特別恩賞があるわけ
では無いが、そもそもそんな事を期待している者は挑戦などしない。
ダンジョンに挑む者達は、名誉とか形にならない名声とかを得たいが為に、
あえて命の危険を顧みずに潜るのだ。
「あの、ビンチャーさんはなんでこちらで?」
しかしこの若者は、そういう者達とは雰囲気が違う。
まだ一度依頼を受けて貰っただけだが、事にあたるに際してのリサーチや、
其の堅実な仕事ぶりから、名よりも実をとるタイプだと感じている。
その彼が勝算の無いチャレンジを繰り返すとは信じられない。
そして、その先にあるのがただの評判であるはずがない。
儲かる匂いがする。
ビンチャーは己の商人の勘がそう告げていると確信していた。
「たまたま通りかかりまして、それよりアルさん、この間もちょっとお話ししま
したが、出来ればお願いしたい依頼があるんですが」
まだ正式に取り込むかどうかは別にして、ここは逃がさない様に縁をつない
でおいた方が良い、そして仲を深めてから徐々にこの度の詳細を掴んでいこう。
蜘蛛が獲物を絡め取るように、決して急がず焦らずにじわりじわりと。
その矢先、アルの次のセリフで、其の目論見の雲行きが怪しくなってしまった。
「あーっと、申し訳ないんですが、何日か休養した後旅に出ようと思ってまして」
これは予想外だった。
ダンジョンから戻ったら、休養を二日ほどとってと言っていたので、てっきり
2・3日後には依頼を受けてもらえると思っていたのだ。
ここで逃してなるものかと、まるっきりカモを手放さないかのように畳み掛ける。
「旅ですか? 失礼ですがどちらへ? お戻りはいつ頃でしょうか?」
ここ何日かの調査で、彼がここヨルグを拠点にして二年ほどだという事、
そしてここを定宿にしていることは、調べがついている。
何日か留守にすることはあっても、この地を離れたことは無いと聞いている。
それが旅に出るとは穏やかでは無い。
ヘタしたら、行った先を拠点にして何年も戻らないかもしれない。
そう思い、なんとかならないかを思案していた。
「お隣のミガ国の王都オューへ向かおうと・・・・」
アルがそこまで答えたところで、セルが割って入ってきた。
「お話中すいません、ちょっと仲間内で急ぎ詰めておきたい案件がありまして、
彼がいないと進まないので申し訳ありませんが、こちらにいただきたいんですが」
・・この男はどうもこちらの思惑に気づいている感じがする。
あまり無理に聴きだそうとして、心証を悪くするのは避けたい。
そう瞬時に計算して、この場はこちらが折れる形をとる事にした。
「・・わかりました、それではアルさんまたお会いしましよう」
とりあえず、オューへ行く事だけはわかった。
それだけ分かれば、後を追うのは難しく無い。
そう思い、ビンチャーは席を立った。
「あっ、はい、それではまた」
アルは突然のセルの介入に驚きつつ、ビンチャーとの別れの挨拶をしていた。
セルはテーブルに来たアーセに、「あの人は誰だい?」と尋ねてこの間の依頼
で会った、ホーエル商会の担当の人と聞いて、様子を窺っていたのだ。
するとアルが旅に出る事、そして行先を告げているところで、信をおけるかまだ
分からない相手に明かすのは、まずいと判断して話を切り上げさせたのだ。
ようやく解放され同じテーブルにつくアル。
セルとシャルはすでに食べ終わっており、アーセは小さな口にこまめに食べ物を
運んで、まぐまぐ食べている最中だった。
「アル、お前の手元には結構な代物が握られているんだ、そう簡単に予定などは
話さない方がいい」
セルに小声でそう窘められ、「ごめん」とアルが返す。
この辺りは、警戒心の薄いアルと、幼少の頃から大人たちの腹の探り合いを見て
育ったセルとは、其の嗅覚が著しく違っていた。
「で、二人だけか? アリーはどうしたんだ?」
「それがさ、・・・・・・・・・・って言うから別れたんだ」
「えっ? アーちゃんこのパーティー抜けるの?」
「その辺含めて考えるって事らしくて、それで二人だけで戻ってきたんだ」
「見解としちゃどうなんだ?」
そう言いながらセルは、自身のこめかみをトントンと叩く。
頭の中、つまりエイジはどう考えているのかと聞いているとアルも理解した。
そこで確証はまだ無いが、アリーがイァイ国の諜報員じゃないかという事、
征龍剣を手に入れたことを、ゴナルコで連絡員に報告したんじゃないかという
事を話した上で、こう続けた。
「おそらくは、連絡員とつなぎをとって上司にお伺いをたてるんじゃないかって」
「上司とやらが王都にいるとしたら、連絡が来るのは・・早くて三日ってとこか」
「それ次第だけど、たぶん泳がせるんじゃないかって」
「・・さっきからアルは「かって」って、誰の意見を代弁してるの?」
「いや、そういうわけじゃなくて、その、うん、自信が無いから憶測だよって意味で言ってるだけだよ」
シャルの突っ込みが入って少々危ないところもあったが、大体伝わっただろう。
アーセはお腹が膨れたからか、少し眠そうにしている。
とりあえず、明日は休養日という事で明日の夜にでもまた話そうという事になり、この場はお開きとなった。
各々部屋に引き上げ、僕とアーセも角部屋に戻ってきた。
特製ベルトをはずすと、最近恒例になったアーセのご褒美タイムがはじまる。
短い時間で終わったものの、今日何かあったかなと思い尋ねると、
「ご飯一杯だった」
との事。
・・・・あー、サルギス軒で量が多かったのがって事か。
まあ確かにアーセ効果だからなと、納得してベッドに腰を下ろすとアーセが隣に
座って、僕を見上げて話しかけてくる。
「にぃはあそこで、セルにぃとお話してただけなの?」
「・・勿論、セルが言ったとおり大事な話をしてたんだ」
「ふーん」
・・・・この沈黙が怖い。
とっくに誤解は解けたと思っていたが、どうやら判決はまだだったらしい。
「またあそこに行く事はあるの?」
「うーん、どうだろうなー、セル次第だなー、あるかもしれないし、無いかも
しれない、どっちかわからないな」
「・・出来たら行かないで欲しい」
「そうだね、できるだけそうするよ」
「ん」
少し寂しそうなアーセを見てると、もの凄い罪悪感に襲われる。
本当に何も無かったんだが、セルもシャルに対してこんな風に感じるんだろうか。
今日はもう遅いという事で、そのまま大人しくベッドに横になった。
なんだかいつもよりアーセが近い気がした。
◇◇◇◇◇◇
朝、少し寝過ごしたようで、すでにアーセは起きていて身支度を整えている。
体の疲れというよりも、気疲れの様なものだろうか、若干頭が重い気がする。
支度しようとしたら、エイジに話しかけられた。
【アル、今日は『嵐』と一緒に征龍剣も装備してくれ】
【? なんで?】
【その柄や鞘が片手剣のと同じだからな、もし知ってる奴に見つかると面倒な事になるかもしれん、旅に出る前に偽装しておこう】
【偽装ってどうやるの?】
【わからん、だから後でベルモンドの所へ行って相談してみてくれ】
【うん、わかったよ】
【あっ、後あん時の征龍剣を授けるって書いてた紙、あれも持ってくれ】
こうして、本日は慣れ親しんだ『嵐』に加えて、両手剣の方の征龍剣を特製ベルトに装備した。
ナルちゃんの朝の呼びかけに答えて、アーセと二人階段を下りて食堂へ向かう。
テーブルにつくと、ほどなくセルとシャルが揃ってやってくる。
朝の挨拶を交わして同じテーブルにつくと、シャルが開口一番皆に告げた。
「昨夜はアーちゃんが戻らなかった」
少し考えさせてくれとは言っていたけど、どうやら指示がおりるまでは本人も
動きがとれないってとこだろうか。
まあ心配しないようにとシャルに伝える。
最悪、四人で向かってもオューに行くのは伝えてあるんだから、後から合流する
事も可能だろう。
朝食の後、切り出しにくいが礼儀としてもけじめとしても、ちゃんと言おうと
心に決めて行動に移す。
まだ、正式に何日にとは決めていないが、旅に出る事は決定している。
となれば、これまでお世話になったキアラウさんとロナさん夫婦に加えて、
ナルちゃんのリンドス一家に旅に出る事をちゃんと話さないと。
まずは厨房にいる旦那さんのキアラウさんに打ち明ける。
キアラウさんは、いつもの笑顔で「寂しくなるな、まっ元気でやれよ」とさわや
かに返してくれた。
続いて奥さんのロナさんに。
ロナさんは、「そうですか、長いようで短かったですね、またいつでも来て下さい、ここはアルさんの家みたいなものですからね」とうれしい事を言ってくれる。
最期にナルちゃんに話をした。
またマルちゃんの事を捨てるのかとかなんとか言われちゃうなー、まあ二言三言の文句はしょうがないかなんて、結構軽い気持ちでいたのだが。
「えっ」としばらく絶句し硬直した後、突然涙を流してしまったのには驚いた。
まるで心の準備をしていなかったので、こちらの方がうろたえてしまう。
「あの、ナルちゃん? その大丈夫?」
「なんで? どうして行っちゃうの? 何か嫌だった? 私? 私だったら言って直すから、だからどっか行くなんて言わないで」
「そうじゃないよ、どうしても行かなきゃいけない用事があるんだ」
「ご用事? だったらそれ済んだら戻ってきてくれる?」
「・・・・約束はできない、どのくらいかかるかまだわからないんだ」
「そんな・・・・、じゃあ私付いて行く! アルさんに変な虫がつかないように見張ってないと!」
「いや、そんな無茶な」
「だって、お姉ちゃん学校だし私なら居なくなっても」
そこまで言った時にロナさんから声が飛んだ。
「ナルール、わがまま言うんじゃありません! アルさんが御困りでしょう、いい加減になさい!」
しゅんとなったナルちゃんが、走って奥へ引っ込んでしまう。
ロナさんは「気にしないで下さい」って言うけど、気になって仕方ないんだが。
アーセには、セル達と一緒にいるように言いつけて、ナルちゃんを追って奥へ。
◇◇◇◇◇◇
ナルちゃんは、裏庭にぽつんと立っていた。
声を掛けづらいけど、これまで散々世話になってたのに、こんな別れ方は寂し
すぎる。
気持ちよく次に進むためにもちゃんとしないと、そう思って声をかけた。
「ナルちゃん、その、これまでよくしてくれてありがとう」
「・・・・」
「ここでの事は忘れないよ、・・・・じゃあまたいつか」
そう告げて中へ戻ろうとすると、それまで背を向けていたナルちゃんが、
突然振り向き抱きついてきた。
戸惑いながらも、僕も包むようにやさしく抱きしめた。
しばらくすると、ナルちゃんが「もう戻ってこないの?」と鼻を鳴らしながら
言ってきた。
「本当にどれくらいかかるか、わからないんだ。
三か月かもしれないし、逆に何年もかかるかもしれない」
「じゃあ、・・じゃあね一年経ったら一回戻ってくるっていうのは?
もしまだご用事済んでなかったら、その後また行くの、ねっ一年に一度くらい
ならいいでしょ?」
「・・・・そうだね、うん、じゃあ一年後には顔出すようにするよ」
「うん、だったら我慢する」
どうやら落ち着いたらしいので体を離した。
ナルちゃんは涙を拭いて、少し照れながら右手を差し出してくる。
その手をにぎり、固い握手を交わす。
「いってらっしゃいアルさん、体に気を付けてね」
「行ってきます、ナルちゃんも元気でね」
こうしてリンドス一家とは、一人を除いて別れの挨拶を完了した。




