第50話 鍔際 もしも後悔するとしたら
第9階層、そこはもはや魔物の巣窟というより、混沌とした地獄絵図だった。
これまでの動物型や植物型それに虫型が、ところせましと飛び回り這いまわりそして走り回っている。
アル達がここに姿を見せたということは、未到達階層が更新されたとともに、戦いが開始される合図でもあった。
先陣を切ったのは、ここまでで溜めに溜めていた、シャルとアーセの精霊魔術の同時射出だった。
二つの砲門の内一方は、紫電の稲光が音を置き去りにしながら走り抜け、
もう一方は甲高い風切音と共に、渦巻く衝撃波が真っ直ぐに駆け抜けていく。
開けた前方には動くものは無く、ただ無数の魔核鉱石が転がるのみであった。
再びのチャージに入る二人を、アルとセルとアリーの三人が、自らの得物と操魔術を使うという奇しくも同じスタイルで、襲いくる魔物を蹴散らし突き進む。
セルが前方、アルが左右、そしてアリーが後方からの魔物を迎え撃ち、そのことごとくを撃ち漏らすことも無く確実に命を奪っていく。
そして安全を確保された二人が、溜めが完了したと同時に魔術を放つ、このパターンでフロアを一直線に進んでいった、途中までは。
◇◇◇◇◇◇
このフロアで経過した時間と、戦闘している時間はまったくの同じ、休むという事が許されない過酷な状況下。
まだ見ぬおそらくは最奥にあると思われる、下の階層へ続く階段を目指して、一歩一歩着実に歩んでいく。
そうして、第9階層に到達して一時間二時間、三時間が過ぎていった。
最初に限界が訪れたのは、予想通りアーセだった。
戦闘状態にあるという事は、筋肉の全身運動のみならず、神経は常に緊張状態であり続け且つ、思考をフル回転させて状況を打開する事である。
加えて魔力を行使するという、持ちうる全能力を使い続ける行為であり、体格が小さいがゆえにスタミナが無く、経験が最も少ないがゆえにペース配分が出来ずに、常に全開でことにあたるアーセが脱落するのは自明の理といえる。
すぐさま仲間のカバーする中、アルが背中にアーセを背負う。
二門の砲門の内の一つが使用不能になるという事は、戦線を維持するのが困難となり、自軍が不利になるのはあきらかであった。
一人ひとりにかかる負荷が増えて、疲労を蓄積させた体の動きを一層妨げていく。
それが最も顕著だったのが、やはりシャルだった、精霊魔術を放つ間隔が段々と長くなり、雷の威力は目に見えて落ちてきている。
少しでもその穴をカバーしようとするも、すでにセルもアリーもとっくの昔にほとんどのパラメーターがレッドゾーンに入っており、無理がきく状態にはほど遠い。
そしてさらに深刻なのがアルであった。
リーダーとしての責任感から誰よりも短い睡眠時間しかとらず、小柄で軽いとはいえアーセを背負いながら移動のみならず、剣による戦闘をこなしている。
誰よりも体力を消耗し、もはや『絆』を使える体調では無く、幼少の頃より鍛えた足捌きはなりを潜めている。
すでに、二人分の体重を支えて歩くだけで精一杯となった、足がいうことをきかないのだ。
最悪の事態がヒタヒタと足音を立てて近づいている、そう感じてもなにも出来ず、まだ見ぬゴールが近いのか遠いのかさえわからない状況。
シャルの精霊魔術が途絶えてからしばらく経った、歩くのがそして眠らない様にするのが精一杯であるらしい。
セルとアリーも満身創痍で、最早誰もが自分自身を支えるだけで、仲間をフォローする余裕を失っている。
それでもなんとか未だに一人の犠牲者も出ていないのは、一人? 周りの魔物を蹴散らしているエイジの操魔術が、唯一戦線を支えているせいだった。
しかしそれも時間の問題であった、エイジがでは無くアルの方が。
アルが倒れれば視界を奪われ、エイジもまた無力化してしまう、そうならない様にエイジは必死にアルを叱咤していた。
【しっかりしろ、アル! リーダーだろう!】
【・・うん、そだね・・リーダー・・だもんね】
【寝るなよ、倒れるなよ、お前が目をつぶったら全員終わりだぞ!】
【・・・・う・・ん】
【アル!】
【・・・・・・】
ここがこのパーティーの分水嶺、そう確信したエイジは最後のカードを切る。
『絆』とアーセが持つ鎖分銅を操作し、それぞれを一直線に伸ばした状態で高速回転させ、その二つをランダムに上空に解き放つ。
さながら、空中を飛びまわる回転のこぎりと化した二つは、飛んでいる魔物を片っ端からその凶刃で切り刻み暴れまわる。
己の持つ操魔術における三つを操る力を、『阿』と『雲海』はこれまで通り、
そして残る一つを操るリソースを二つに分けて、二つの高速回転する鎖分銅を狙いを定めず、ただ頭の上を適当に旋回させる。
いつものような精緻で精密な操作をあきらめ、ただ闇雲に動かすだけなら、このように数を増やすことが可能であった。
そして常であれば命中させるのが困難なこのやり方も、これだけの魔物がひしめいているところでは、何の問題も無く戦力となっていた。
足りない手数を少しでも補い、点による攻撃よりも殺傷範囲を広げた武器で、一匹でも多くを相手取る苦肉の策である。
エイジの四つの得物により、一時的に魔物の殲滅度合いが増した事で、
進むスピードがわずかに増す。
そんな一行の前に、待望の下へと続く階段がその姿を見せてくれた。
だが、最後の難関とばかりにその階段の前には、『ランスレパード』と『ブアオスト』に『イードーズ』の三種類の魔物が10匹前後待ち構えている。
此処が勝負どころとばかりに力を振り絞るエイジだったが、階段まであともう少し、魔物との彼我の距離がもう20mといったところで、ついにアルが膝をついてしまう。
目をつぶりこそしていないが、首を項垂れるように前に倒してしまっている為、目の前には地面しか見えていない。
エイジは必死にアルに呼びかける。
【アル! しっかりしろアル! お前こんなところで死ぬ気か!】
【・・・・・・】
【頭を上げろ! 前を見ろ! 死にたく無きゃすべてを振り絞れ!】
エイジの呼びかけに答えるように、アルが最後の力で前を向いた時、
魔物の群れが目の前でこちらに向けて攻撃行動に入っていた。
避ける事も出来ずにその場で膝をついたままのアル。
他のメンバーが足取り重く、やや後方を歩く中、先頭を行くアルに対して、
『ランスレパード』の尾が命を刈り取るべく、アルの顔面目がけ繰りだされる。
その攻撃が命中する寸前、アルの目の前から魔物が前方に、体を刻まれながら
渦を巻いて吹き飛ばされていく。
ここまでアルの背で眠っていたアーセが目覚めて、ほんの少しだけ回復した
魔力を『刃旋風』として放っていたのだ。
これにより窮地を脱したアル達は、残る魔物をエイジがことごとく仕留めて、
全員階段へ倒れるようにして飛び込んでいく。
死を逃れた一行は、全員が体力が尽き魔力枯渇をおこし眠ってしまっている、
第10階層に到達した感慨も何も感じないままに。
◇◇◇◇◇◇
そこは静寂に包まれていた、陽の光は入らないがヒカリダケの数はどの階層より多く、その明るさはここが地下だという事を感じさせない。
階段の最下段から縦1.5m横1mほどの狭い開口部を抜けた先は、
これまで階層を下に潜る度に広くなっていたのが嘘のような、
第1階層最初の広間がせいぜいといった一つの部屋だった。
部屋の中央には、まるで棺のような直方体の箱型のものが鎮座している。
その棺もどきは、高さが1.5mほどで横は2mくらいで縦は5mほどもあり、明らかに開口部よりも大きくて持ち出せないようになっている。
それどころか、その棺自体が床にくっついている、部屋と一体となっているのだ。
正確にはおそらくは元々この部屋の床がこの棺の高さほどあり、
そこから周りを削り中央にこの形を残したと思われる。
ここは床の全面に綺麗な石畳が敷き詰められていて、
魔核鉱石が無い事から魔物が一体もいない。
そんな空間の中で眠りについている5人の中で、
最初に目を覚ましたのはアーセだった。
最後の最後に眠りから覚めた時に、アルの背中に背負われているのを自覚したアーセは、出来るだけの事をやらなければと、回復したばかりのなけなしの魔力を溜めながらタイミングをはかり、あの時に『刃旋風』を放った途端再び魔力枯渇に陥り眠りに落ちてしまっていた。
しかしながら、その前からかなり眠ってもいたので、この中では最も回復が早かったらしい。
最初に心配したのは、アルの安否であった。
しかしこれは密着しているおかげですぐに安心できた、体は温かく首のあたりの動脈がどくどくいっているのが実感できたから。
だが、あまりにもしっかりと固定されているおかげで、突っ伏して眠っているアルが起きない限り、アーセも動こうにも身動きが出来なかった。
どのくらいの時間が経過したのか定かでは無かったが、徐々に寝返りを打っていた仲間たちが覚醒してきはじめる。
最初にシャルが、続いてセルとアリーがほぼ同時に目を覚まし、周りを見回し互いの無事を確認すると、アルの周りに集まり紐をほどいてアーセを自由にした。
大きな怪我を負った者はいなかったものの、細かい切り傷や擦りむいた痕など細かい傷は多く、それらを薬を塗り患部に湿布を貼ったりして簡易ながら治療していった。
体力魔力共に万全には程遠いものの、どうやらここには魔物は発生しないらしいと、弛緩した空気の中渇きを訴えるのどを潤し空っぽの胃を満たしていく。
四人が食事を終えてゆっくりとしている間も、アルはひたすらに眠り続けている。
そんなアルを起こさないように、少し離れたところで4人はここにどうやってたどり着いたのか、それぞれの記憶を持ち寄って補完し合っていた。
「シャル、お前ここに着くまでの事覚えてるか?」
「・・よくは、確かアーセちゃんが倒れてその後しばらくしたら、あたしも限界で魔術打てなくなっちゃって。
もう歩くしかできなかったのは覚えてるけど、ひたすら歩いてて前に階段見えたんで、入った後は寝ちゃったのかなんかで曖昧な感じ」
「アリーは覚えてるか?」
「私も情けないことに、自分の短槍を杖代わりにしないと歩いてられない状態だったんで、シャルと同じで歩いてて階段見えたんで飛び込んだとこまでしか」
「セルは覚えてるの?」
「ああ、なんとなくだがな、アルが一人で操魔術で魔物打ち払って、最後に階段の前に固まってた魔物をアーセが吹っ飛ばしたんだろ?」
「ん、少し前に目が覚めて溜めてたのを打ったら、またすぐ寝ちゃったからその後は覚えて無い」
「じゃあ、最後にアーセちゃんが打ったの以外は、全部アルが一人で引き受けてたって事?」
「ああ、そうなるな、だから未だに目覚めないんだろう、ただでさえアーセ背負って誰よりも体力無くなってたのに・・・・、アル一人に負担かけすぎたな」
「すいませんでした、アーセちゃんを守るどころか自分自身すら己で守れなかったとは」
「それ言ったらあたしもだよ、早々に魔術打てなくなっちゃって足手まといになっちゃった」
「アーセも全然だめだった、にぃに申し訳ない」
「せめて帰りは少しでもアルの負担を減らさなきゃな」
「そういえば帰りがあるんだった、うー、あんなのもう一回抜けなきゃならないのー、なんかどうにかして地上まで一瞬で戻れる方法とか無いのー?」
「あるわけないだろそんなの、ちょっとどんなもんか上の様子を見てくる」
そう言ってセルは一人階段を上がっていった。
セルは一部始終を見ていた、アルが鎖分銅二つと鉄球二つの計四つを同時に操るさまを。
意識がたぶんに朦朧としていたので、その時は見てはいたがどういう事なのかを理解する頭は無かった。
今になって考えると、ここまで使わなかった事からもあれがアルの切り札なんだろうとは思われる。
だが、四つなんて数は埒外どころか、冗談でも通用しない、自分自身も操魔術には多少自信があって、以前に二つを同時に操る事にも挑戦した事がありその難しさを知っているだけに、その非常識な技術には戦慄を覚える。
アルがその気になりさえすれば、どちらにころんでも、つまり良い方向だろうと悪い方向だろうと天下をとれるほどの技術だろう。
なのに、たった一人でひたすらダンジョンに潜っているなんて、セルにはとても信じられなかった。
そんなそら恐ろしいまでの力を持っているにもかかわらず、アルの事が怖くも嫌いにもならないのは、良くも悪くもこの男の普通なありようなんだろう。
しかし、力ある者や治世者にとっては、もしもそのチカラを知られれば、懐に抱え込むか消されるかの二つに一つだろう。
それだけに、この事はたとえ仲間内だろうと明かさない方良い、幸いあれを見てたのは自分だけの様だから。
そう考えながらも、しかし一体どうやってと疑問が尽きる事は無かった。
その時階下の女性陣は、華やかなガールズトークなどでは無く、帰りの際の不安を吐露していた。
「ねぇ、アーちゃんはもう一回あそこ抜けるのいけそう?」
「・・少なくとも今の状態では無理ですね、まずは十二分に休息をとって、よっぽど上手くペース配分しない事には来る時の繰り返しになるでしょう」
「アーセも自信無い、でも頑張る、出来るだけにぃに無理させないように」
「あたしも全然自信無いよー、せめて半分ずつとかならなんとかなりそうなんだけどなー」
そんな話をしていたら、セルが戻ってきた。
「どう? やっぱ凄い?」
「いや、それがいる事はいるけど、ずいぶん数が減ってるような、たぶん俺らがここに辿り着いてからかなりの時間経過してると思うけど、なんか新たに発生してる感じしないな」
「ホント?」
セルも含めて四人全員で階段を上がり、そーっと辺りを窺ってみる。
確かに魔物自体はいるが、かなり数を減らしていて、ここに来る時の半分を切るほどしかいないように見えた。
「今なら抜けられるんじゃない? どう?」
「あほ、アル置いてく気か」
「セルがかついでいけばいいじゃんよー、男でしょー」
「あほ、ここまできて何にもしないで帰るつもりか? 何のために来たんだよ」
「だってー、じゃあどうすんのー?」
セルはおもむろに自分の鉄球を操魔術で飛ばして、近くを飛んでいた『バットル』と『ぐるぐる』を仕留める。
そして転がった魔核鉱石を素早く回収し、階段のすぐ横に動かない様に少し地面にめり込ませるようにして置いた。
「これを観察してどのくらいで魔物が発生するのか、もしくはしないのかを計る」
「それでどうすんの?」
「しないならそれでいいし、発生するとしたら仕留めてから何時間くらいでかを計り、その辺調整して帰りの計画を立てる」
「つまり、あらかじめいくらか減らしておいて、次に発生するまでに素早く抜けるという事ですか?」
「正解、なんか他にあれば言ってくれ」
「うーん、考え付かなーい、それでいいよー」
「アーセもそれでいい」
「私もいいです」
「よし、じゃあ戻ってそろそろあの部屋の壁とか調べようや」
こうして階段を下りて第10階層の部屋の中へ入ると、アルが体を起こして座っていた。
たたたっと駆けだして、アーセがアルに抱きつく。
「にぃ!」
「! おはよう、アーセ、目が覚めたら誰もいないからびっくりしたよ」
「アル、どうだ? どっかおかしいとことか無いか?」
「あーっと、頭が多少ぼーっとするのと、ほら見て、足がぴくぴくしちゃって痙攣してるみたいなんだ、もうしばらく休まないと治らないっぽいよ」
見るとアルの足が小刻みに動いている。
「すまなかったな、お前にばかり背負わせて、このとおりだ」
セルは心底申し訳なく思い、仲間内とはいえ自然と頭を下げていた。
「そんな、頭上げてよ、僕だってずいぶんみんなに助けられてるんだから、お互い様だよお互い様」
「にぃ、ごめんなさい、アーセだめだった」
「ごめんねアル、あたしも早々にへばっちゃった」
「すいませんでしたお義兄さん、こんな有様ではアーセちゃんのフィアンセは名乗れませんね」
「・・どんなに強くても名乗らないで下さい、皆よしてよ、誰も怪我して無い?」
「ああ、大きな怪我は無いよ」
「良かった、僕らたどり着いたんだね、第10階層」
アルはその視界の中央に存在感たっぷりな、石造りの大きな箱状のものをとらえてつぶやいた。
「それなんだがな、アル」
「なに?」
「あれも勿論なんだけど、あっちの壁見てくれ」
「壁?」
部屋に入って右手側の壁には、何がしかの文字が描いてあり、しかもその下には四角い薄いプレートが挟まるようなくぼみがいくつもある。
そして、いかにもそこにハマるような石のプレートが何枚も重なって置いてある。
プレート一枚一枚にそれぞれ一文字ずつが描かれていて、それを並べて何かの単語か文章にするらしかった。
「あれ何?」
「それをこれから調べようと思ったんだ」
これが何を意味するのか、この時点では誰にもわからなかったが、アルはそれよりも最も感謝すべき相手が覚醒していない事に不安を覚えていた。
50話ときりが良いのでキャラクター紹介と用語解説を作りました。
宜しければご覧ください。
漏れがあるかもしれませんがご容赦くださいませ。




