第140話 静寂 鈍いにも程がある
御前試合の開始時間まで残り三十分となった闘技場、その貴賓席で僕らはのんび
りと試合が始まるのを待っていた。
「アーセちゃん、どこへ行くんですか?」
とことことアーセが外へ出ようとしているのを、アリーが呼び止める。
「お手洗い」
相変わらず簡潔な物言い、するとそれを聞いたアリーが。
「私も一緒に行きます、一人じゃ危ないですからね」
「一人で大丈夫」
「いえいえ、いつまた不審などこぞの怪力女が襲ってくるかわかりませんから」
根に持つなー、そしてあれは襲ってる訳じゃ無く、普通に話しかけてるだけなん
だが、アリーにとってはアーセに話しかける奴は全員アウトなんだろうな。
「安心してすべてをこのお義姉ちゃんに任せて下さい」
「嫌」
部屋を出てもそんな風な言い合いをしているのが聴こえる、女の子なんだからも
う少し慎みを持って、せめて廊下での話し声が室内に聞こえないくらいになって欲
しいと思う今日この頃。
……あれっ? なんかナルちゃんが大人しいな。
「ナルちゃん、どうしたの? どっか調子でも悪いの?」
「えっ? そっそんな事無いよ」
どう見てもなんとも無いとは思えないんだけど……。
【エイジー、どう思う? 変だと思わない?】
【そら思うよ】
【そうでしょ、でもさ、理由がわからないんだよね】
【……ヒント一、オューに来た理由を言いたがらない。
ヒント二、今朝の朝食の時にこっちをチラチラ見てた。
ヒント三、ここに着いて、アルの隣に座ってからまったくしゃべらない。
それらから導き出される答えは、さてなんだ?】
【えーっと、なんかいたずらをして、それをお母さんのロナさんに見つかって逃げ
てきた】
【……そうきたか、難儀なこったな】
うん、本当に大変だよなー、ロナさん怒ると怖いからなー。
「ナルちゃん、もしかすると心配事があるんじゃないのかな?」
何か言いたそうな、それでいて言えなそうなもじもじするナルちゃん。
これはやっぱり僕の予想通り、家で何かしでかしてしまったに違いない。
まあ、僕もアーセを妹に持つ兄であるし、年下の女の子には慣れてるからね。
こういう時は、追い詰めたりせかしたりせずに、自然に自分から話をしてくれる
まで待つのがいいはず。
そうなると、ここはひとまず話しやすくするために、こちらから何か別の話題を提
供するのがいいかな。
「ナルちゃんは、御前試合みたいな闘技大会は初めて見るんだよね?」
「うっうん」
「僕も初めてなんだけど、闘いって事ならある程度解説出来ると思うから、なんで
も聞いてね」
「あっありがとう、アルさん」
うーん、固いなー、もっとリラックスしないと見ててもつまんないと思うんだけ
どなー。
でもまあ、いつも元気いっぱいなナルちゃんが大人しいってのも、これはこれで新
鮮っていうかいい感じだな。
「やっぱり姉妹だね、そうやって大人しくしてると雰囲気マルちゃんに似てるよ」
「……えっ?」
そういえば、結構会えて無いなーマルちゃんと。
「アルさんはさ、……やっぱりお姉ちゃんに会いたい?」
「そりゃあまあね、ずいぶん会って無いしね」
「……そうだよね、……やっぱりそうなんだよ……ね」
「ナルちゃん?」
なんか急にふさぎこんじゃったけど、どうしたんだろう?
【ねえエイジ、ナルちゃんどうしたのかな?】
【お前な……、いや、俺は口出ししないから自分で考えるんだな】
えー、それがわかんないから聞いてんじゃんかー。
「さっ、このお義姉ちゃんがおんぶしてあげましょうね」
「いい、歩く」
「わかりました、じゃあ抱っこですね」
「嫌」
通路からまたもかしましい声が聞こえてきて、ほどなくアーセとアリーが戻って
来た。
すると、「ちょっと」と入れ違いに部屋を出ていこうとするナルちゃん。
僕が付いて行こうと腰を浮かせると、部屋を出たナルちゃんが気付いたらしく、
通路から振り向いてこう声をかけてきた。
「おにいちゃん、レディが身だしなみを整えるのに付いてこようとしないの」
ぐぅ、そんなつもりじゃ……、キシンさんに大笑いされながら、僕は再び席に腰
を下ろした。
◇◇◇◇◇◇
ガスパは、ミガ国王の私室にて椅子に座り目を閉じて、深く何かを思案している
様にみえる。
だが、傍に控えるゼマ国宰相は、これがガスパの癖である事を理解していた。
報告を待つ間、それが重要なものであればあるほど、はやる心を鎮めるためにあ
えてじっとしていると。
其の為、少し気を紛らわすのに状況についての話を振ってみる事にした。
「そろそろ、ペリーヌが準備を整えカプリが人質を確保している頃でしょうか」
ガスパはゆっくりと目を開き、今の宰相の言葉に相槌を打った。
「ああ、そうだろうな」
「それにしましても、フェリディオが警備の責任者にされるとは誤算でしたな」
「うむ、ここにきてターゲットを変更した儂が言うのもなんじゃが、あれでおかし
な事にならなければ良いのじゃがの」
ゼマ国の諜報部隊では、サンロウと呼ばれる者達が居る。
これは、『サンロウ』という名の背中が枯れ葉に似た擬態が得意な昆虫からとられ
た名称で、つまりは敵国で生活し情報を送る、潜入型の諜報員の事であった。
すでに数十年に渡り、他国への侵略を準備しているゼマ国は、このサンロウを各
国へ放っている。
そして、出来ればその国の中枢に入り込めるように、優秀な者を指名してその任に
就かせていたのだ。
そうはいっても、そうなるのはかなり厳しく、送り込んだ六か国の内宰相の次に
あたる文官トップという地位を得たのは、ミガ国へ送ったフェリディオだけであっ
た。
当初ミガ国の皇太子を対象としたのは、その事も大きく影響している。
最も大きかったのは、王族以外では宰相と文官トップしかしりえない、城外への隠
し通路を知らされた事。
不測の事態の折、王家を絶やさない様に王と皇太子が別々に避難するのと同じよ
うに、国家を滞りなく運営できるようにと、宰相と文官トップもまた別々に行動す
る事が義務付けられている。
具体的には、王と宰相は護衛と共に危機に直面するギリギリまでその場に残る。
これは、周囲を不安にさせない為であり、また困難があろうとも逃げ出さないとい
う国民へのアピールも兼ねていた。
逆に、皇太子は真っ先にその場を離脱し、安全地帯へと速やかに避難する事が求
められる。
その際に、皇太子を先導し王都の外へと続いている、城の隠し通路へと誘導するの
が文官トップの役目なのだ。
サンロウであるフェリディオがミガ国の文官トップとなり、隠し通路の維持管理
を任されたことにより、この計画が立てられた。
すなわち、彼がガスパをはじめとするゼマ国の者達及び、オューでの襲撃に参加し
なかった傀儡術にかけたヒョウル村の住民を、出口から逆に隠し通路へと招き入れ
て、通路内で潜伏させていたのだ。
そして、御前試合にて騒動を起こし、皇太子をその場から避難させる。
当然、その際に先導し隠し通路に共に行くのは、文官トップであるフェリディオで
ある。
こうして、ガスパが待つ隠し通路へと皇太子を招き入れ、憑依術にて体を乗っ取
るという段取りとなっていた。
その後に父であり国王であるジャートルを殺せば、言動や振る舞いに普段の皇太子
と違和感を覚える周りの者も、あれ程の事件の後なのでと勝手にヒトが変わった様
だとか、また成長したとかで片づけてくれるだろうと思われた。
その一連の流れの要であるフェリディオが、警護の総責任者にされ自由に動けな
くなってしまったのは、ゼマ国側としてもまったくの予想外であったのだ。
ただ、二件の襲撃事件の凶悪さから警護に軍が介入して来た事がその理由なので、
ある意味これは自業自得といえた。
「実際どうなのですか? 隠し通路の存在は、王族と奴以外では宰相しか知らぬと
いいます。そうなると、いざという時は宰相が皇太子を案内するのですかな?」
この発言は、宰相がこの後の計画を把握していない事を意味する。
通常は、国のシステムとして宰相が実務を司り、国王は最終的な決定権を持つもの
の、普段は象徴として君臨するというのが一般的だ。
但し、ゼマ国は辛うじて国と呼称してはいるが、大臣はいないし省庁も無い。
それ故、多くの文官は必要としていないし、すでに国としての体裁は保てていない
有様だった。
そんな中でガスパは、一人で全てをまかなっている。
一般に、独裁と言うと悪い方にばかりとらえられがちではあるが、真に力のある
者が居る場合は意思決定が早く、特に乱世に於いては有用な形態だといえる。
それでも、見落としが無いとは限らないし、別視点の意見もあった方が間違いが無
いと思われた。
それらの理由により、ゼマ国のすくなくとも現時点における宰相という地位は、
実務の長では無くいわばガスパの相談役というような役どころとなっている。
其の為、あえて計画の詳細は伝えずその都度疑問があれば聞いてもらう事により、
見落としが無いかの確認や、計画に穴が無いかなどをあぶりだす、監査の様な役目
を担当していた。
「そうなるらしい、奴からの報告で今回は異例という形で本来とは逆の組み合わせ
の、国王と奴そして皇太子と宰相で行動すると事前に申し合わせがあったそうだ」
「では、宰相共々皇太子を通路に引き込んで確保した方がよろしいのでは?」
「確かにな、ただ宰相が城内の異変に気付いた場合、隠し通路に向かわない可能性
がある。これが奴であれば、なんのかんのと理由をつけて引き込むことが可能であ
ろう。若いというより幼い皇太子相手であれば尚の事な。だが、宰相ともなると例
え平常な状況に無いとしても、違和感を感じるかもしれん。確実でない事を計画に
組み込むのは、破たんの原因となるからな。今回は大事をとって見送ったのだ」
そうやってガスパは、宰相の疑問に淡々と答えていった。




