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天使と悪魔は自由を求め

作者: 輪島仁

初投稿してみました。

風とともに古新聞が飛んできた。

――天使の自殺! これで今月17件目

「昨日●●日、▲▲氏の所有する天使が投身自殺をはかった。天使の自殺は今月に入ってから十七件目となる。有識者らは〝かつて支配階級として自意識を保っていた天使たちが、人類に隷属するという屈辱に耐えかねたためではないか〟などと意見を述べている。すでに天使・悪魔が労働力として社会に占める割合は大きく、これからその扱いに対しては配慮するべきではないか、との世論もあり……」

そこから先は、破れて読めない。


……魔法、奇跡と呼ばれてきたものがすべて解明されてから、すでに五十年ほどが経とうとしている。

かつてその不可思議な能力とそれゆえの秘性によって人類より優位に、そして支配的に振る舞ってきたすべての霊的存在は立場を失った。ことに天使・悪魔と呼ばれてきたものたちの零落ぶりは著しく、現在では人類によって奴隷のように扱われている。

かつての哲学者の言葉を借りるならば〝神は死んだ〟となるだろう。

天使たちは〝人類を導いている〟という大義名分を失ってその権能を失墜させ、悪魔たちは〝人類を堕落させる〟という脅威を失ってその権威を奪われた。存在そのものが魔法に依存する彼らは、すでに人間に対していかなる権利をかざすことも脅威を与えることもできない。なぜなら初等教育を施されただけの人間でさえ、存在そのものが彼らをはるかに超える霊的な強者となって、魔法を操り生まれてくるようになったからだ。

相対的に低い位置になった天使・悪魔はよくて家畜や奴隷扱い、最悪の場合にはただの魔法的〝現象〟として無機物扱いされる結果となった。いまだ人の世に新興・宗教というものは存在するものの、少なくとも天使・悪魔はそのなかでいかなる重要性も持たない存在となったと言っていい。

神は死んだ。

人にとってではなく、天使・悪魔たちにとって。


河岸は切りだした岩を積んで造られている。そこに横付けされた船に、人間の倍ほどもある巨躯をした悪魔がいた。

川べりは涼やかであるものの、日差しは焦げつくように熱い。赤銅色をした肌を汗が伝い落ちてゆく。

「おい木偶の坊、さっさと仕事をしろ。そのでかい体は何のためにある」

背後から近寄ってきた人間の船主が、悪魔の丸太のような足を蹴とばした。

思わず振り返って牙をむこうとした悪魔を一瞥するや、片手をあげる。

その瞬間、悪魔の喉元に輝く鎖が出現した。熊よりも太いだろう首を一気に締め上げられ、彼は呼気を求めて無様にあえぐ。

赤銅色であった顔色が青に変わるにいたり、ようやく船主は手を下ろした。膝をついて喘ぐ悪魔の頭を階段代わりにして、船主は河岸へと登る。

「俺が帰るまでに荷卸しを済ませておけ。さもなくばその役立たずの首を豚頭にすげかえてやる」

鼻を鳴らして悪魔に吐き捨てると、船主は河岸に立ち並ぶなかでも一際どぎついネオンを輝かせる宿へと入っていった。看板にはデフォルメされた女性の乳房らしきものが描かれていた。

要するに風俗店――もっと言えば娼館だ。

ようやく息が整った悪魔は顔をあげ、宿に消えた船主を忌々しげに睨んだ。かつて悪魔は人間を堕落させることに喜びを感じるとされてきた。今ではそのために、自分自身が肉体労働をする羽目になる。

「こんにちは、悪魔さん」

頭上から聞こえてきた声に、彼は顔をあげた。

年齢不詳の女が、娼館の窓の一つから手を振っていた。背中に生えている白い翼から考えれば天使であろう。かつて宗教画で描かれていたような白い服だが、神々しさの象徴であったはずの服装は、このような場ではどこか色褪せ、くたびれた白さだった。

一見すると幼い。しかし天使は人間どころか生命体ですらないので年齢不詳だ。たとえ生まれたのがつい昨日でも〝女〟としての機能に支障はなく、また法的にも罪に問われない。いる場所を考えればすでに日々、客を取っている身であろう。

悪魔はそちらを一瞥し、すぐに仕事に戻る。さぼって船主の不興を買えば、それだけで自分など消滅されかねない。所詮、この時代の悪魔などその程度なのだ。

「川岸が好きなんですか?」

しかし天使は、なおも声をかけてきた。悪魔は眉間にしわを寄せながら、頭上の天使を見上げる。

最初は単なる商売女の愛想かとも思ったが、そうではないらしい。仕草や口調の端々に、大人として熟しきっていないところがうかがえる。本気で擦れてない、ただの少女らしい。

だがそんなことは、彼にはどうでもいいことだ。

「……仕事中だ。構うな」

彼が返したのは、そんなそっけない一言だけだった。それからは少女など見向きもせずに、ただ荷卸しを続けた。

船主は娼館に入ったきりで戻らない。あの場所は宿も兼ねているようだから、このまま泊まってゆくのだろう。

あるいは今日の〝相手〟は彼女かもしれない。


やがて夜が世界を閉じた。

月のない夜だ。

星は出ているのかもしれないが、地上のネオンに主役を奪われ、影になっていることだろう。墨汁を流したような夜空の下に、石工の手による河岸の都が静かに眠る。

それでも歓楽街となれば逆にネオンの灯がともり、男たちが女という蜜を味わうためにやってくる。

彼がいる河岸の通りも、その雰囲気に染まり、ちらほらと明かりがともる。

そこかしこに灯されたネオンの光は、美しいというには煤けていた。悪魔の自分が言えた義理ではないが、地上の不浄が淀んで発光しているようだ。

彼は船舶甲板上で仁王立ちになりながら、そんなことを思った。

荷運びを終えた彼は、そのまま船を警備する番犬となる。しかしながら、人間相手では子供相手にも負けるのがこの時代の悪魔だ。番犬というよりは警報機に近い。

彼は皮肉げにそんなことを考え、闇空を仰いだ。

そして目があった。

「こんばんは、悪魔さん」

部屋のひとつから、例の天使が顔を出していた。細面に薄く化粧をしているが、口紅は溶けかけていた。昼に見た時よりも薄地の服を着ていることといい、仕事中か小休止なのだろう。

天使は昼間よりも大人びて見え……それでもやはり、少女のようなあどけなさで小首を傾げた。

「何が見えますか? ここの空では、星は見えませんよ」

「星も月も見ていない」

「じゃあ、なぜ空を見上げているのですか?」

彼は表情を変えないままで、深々と息を吐き出した。

「悪魔が天を見上げれば、今も昔もするのは一つ。天を呪うことだけだ」

「そうですか……」

天使は、少しだけ残念そうな顔をした。

「もしかしたら、私を探してくれていたのかと思いました」

「……」

彼は何も答えなかった。

「私、今は休憩中なんです。お話してもいいですか?」

「好きにしろ」

悪魔は答える。

昼の荷卸しは時間制限つきであり、余計なことはできなかった。だが今は、名ばかりの警備をしているだけ。無為に過ごすには、夜の一夜は長すぎる。

「よかった。また断られたら、どうしようかと思ってました」

天使ははにかんだように微笑んだ。可愛らしいその笑顔、やはり商売慣れした「女の」の笑顔ではなかった。


天使と悪魔は、そうして言葉を交わすようになった。言葉を交わすと言っても天使が一方的に話、悪魔が聞き役になるだけだが。

「私、自由ってわからないんです」

天使はそう語った。

生まれた時からこの娼館の付属物にすぎず、外の世界も窓から見えるこの景色しか知らないのだという。

製造されてから日が浅いという悪魔の推測は正しかったわけだ。もしも五十年前より以前に造られたのであれば、多くの天使がそうであるように、落ちぶれたわが身を嘆いたことだろう。

「いつか、外に出みたいな……」

そう語って空を見上げる天使には、自由への深い憧憬だけがあった。この無垢で何も知らない少女は、たびたびそんな仕草をする。

そんなとき悪魔は肯定もせず、否定もせず、しかし決まって少女と同様に空を見上げる。

彼は天使の願いが、決して叶わないものであることを知っている。彼の首輪からも、彼女の足環からも、魔法の鎖が消えることは決してない。

彼らがシステムの奴隷である以上、空に飛び立つことはもう二度とない。

ある朝のことだった。

「おい、今日は荷運びはいらんぞ」

船主が悪魔にそんなことを言い出した。これまでがこれまでだけに、悪魔は必要以上に身構えてしまう。

「お前が警備するのは船じゃない。あの建物のなかだ」

船主が指差すのは娼館だ。

これまで船主が入るのを幾度も見かけたが、悪魔自身がそこを通ったことは一度もない。

自らの欲望を満たすために働くのではなく、単に使役されるためにだけ働く存在にすぎない。かつては背徳の極みのように思われていた悪魔だが、今では単なる機械、家畜と同じ扱いだ。

むろん、船主がそんな存在に心をかけてやるなどあり得ない。

不審に思っていると、船主が鼻を鳴らして嘲笑い、新聞を投げてよこす。

――天使争奪戦イベント開催。

方法 魔法による争奪戦。

商品 天使の少女娼婦17年もの。

……期日は明日。


「ここまで来てくれたのは、初めてですね」

天使が弾んだ声で話しかけてくる。表情には一切の屈託というものがない。その微笑みは天使という言葉がかつて象徴していた、無垢なる清純さそのものだった。

悪魔は思った。いまどき、こんな天使などいない、と。

美しくはあるがうつろな表情の、自尊心も尊厳もすべて失った存在――それが彼の知る、いまどきの天使だ。そのはずなのに。

「……うれしそうだな」

「私の部屋には、いつもは人間のお客しかきませんから」

「そうではない。明日にはまたどこかの人間に、道具として引き取られるのだろう? 悔しくはないのか?」

天使は、初めて翳りのある表情をした。

「私は、道具です。私の同世代は、最初からそう生まれました」

それが今の時代における、天使という存在のあり方。

「私は自分の生き方も、生きる場所も選べません。だから誰の手に渡っても、それは運命なんです」

諦めたように語り、しかし少女は顔をあげる。

「でも、嬉しかった。最後の最後に、あなたとこうして、こんな身近なところで話すことができて」

少女がこちらに歩こうとして、つんのめって転んだ。彼女の脚には鎖が巻かれており、それ以上は近づけない。

起き上がった少女は、恥ずかしそうに笑った。やはり屈託のない、純白の笑顔。

悪魔はその笑顔を見つめて思う。

彼女がなぜ、そこまでこだわったかは解らない。しかし自分は彼女にとって特別な位置づけにあるらしい。

では自分は? 自分にとってはどうか……。

下階から激しく争う音が聞こえてくる。参加者たちが争っているのだろう。もうすぐ勝者が現れ、悪魔の〝役割〟である自分を打倒して、囚われの天使を助け出す。

……茶番だ。

少女を拘束している者こそが、彼らだというのに。

「……どうしたのですか?」

突然に立ち上がった彼に、少女が小首をかしげる。

彼は無言のまま少女に使づくと、その足を拘束する鎖に手をかけた。その瞬間、凄まじい雷電が彼の全身を襲った。

それでも彼は全存在を削り、少女の鎖を引きちぎった。

少女がへたり込んだまま、茫然と彼を見上げてくる。彼はその華奢な体をただ一度だけ、強く抱きしめた。

少女は一瞬だけ身をこわばらせ、やがておずおずと彼の逞しい背中に腕を回す。少女が幾人の男をそうして抱きしめてきたのか、これから幾人の手に抱かれてゆくのか、彼には解らない。

だが今この瞬間だけは、少女は、彼のものだった。

そして、彼の身体は消えてゆく。存在そのものが消えてゆく。地上にあり続けるための条件に逆らった悪魔に、魔法が消滅を求めてくる。すべて承知の上である。

だから彼は、最後にこの一言を少女に送った。

「自由になれ」

それを最後に、彼は消える。消えてしまう。

ものの数分と経たないうちに彼は消えてなくなり、少女は虚空を抱くのみとなった。

かつて彼がいた、彼であった空間を、途方に暮れて少女が眺める。

窓の上から声をかける、ただそれだけしかできなかった彼が、こんな近くにいた。それどころか抱きしめてくれさえした。

だがその彼は、もうここにはいない。

空虚だった少女の胸を、たった一時、彼は埋め……そして永遠に消え去った。

下階から足音が聞こえてくる。

争奪戦の勝者がここまでやってくる。

相手がだれかは解らない。しかし自分はその男の手に抱かれて、これまでのように生きてゆくのだろう。

だが、と少女は考えた。本当に自分は、これまでのように生きられるのか。そうしたいと思えるのか。

勝者がやってきた。

少女は窓に手をかける。

そして彼女は、窓から外へと飛び出した。天使の翼は退化している。飛べない翼は空をつかむことはなく。

それでも少女の瞳は、空を映した蒼穹の色をしていた…….

――FIN


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