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 この二週間、傭兵さんは立て続けでうちの店に訪れ、私は誘われるままに街の案内をしている。銀行と倉庫を案内したあの日以降も、服屋、薬屋、時には大聖堂といった、傭兵さんの要望通りの場所に案内していた。たまに何故こんな所にと不思議に思う場所も有るが、それでもずっと傭兵さんが案内して欲しい場所を指定していたのだけれど、生活に必要な物が揃ってきたのか、段々とそれも少なくなり、今では私が行きたい場所を聞いてきたりなんかして、ただのデートみたいになってしまっている。それでも彼は私を誘いに来る。

 これは彼が私を憎からずと思ってくれている証拠だと思っている。私の方も彼の誘いを楽しみにしている。街に出るのは楽しいし、割の良い仕事だからと言うのも確かに有るけれど、それよりも単純に私が傭兵さんのことを気に入っているという理由の方が大きい。

 その理由とは、彼の視線である。彼が私の右半身へ向ける眼差しが嫌いではないからだ。無遠慮に触れられるのならば嫌っていた。無い物として見ようとしないのなら、何時もどおりに気にもとめなかった。けれど彼は私の傷に触れまいとしながらも、触れずにはいられない憐れみを持っている。そして彼はその憐れみを悟られる事すら恥じるのだ。自身の不出来を申し訳無さそうに、でも怖ず怖ずと私に何かしらの施しを与えようとする。ではと、試しにこちらから醜く露悪的にしてみせると、今度は自らは目を背けまいと意固地になり、こちらの意図を探る様に見つめ返してくる。正直なところ彼は、初心で、不器用で、焦れったい。客として私を抱こうともしない。けれど繊細な人だと思う。少なくとも誠実ではあろうとしてる人だと思う。母達の安心出来る慈愛の眼差しでもなく、薄気味悪い奇異を好む嫌な客の目でもなく、何か企てを隠す不透明で不穏な目でもない。自戒と最善に悩みながらもじっと見つめてくる、くすぐったい眼差し。行きずりでしか無い私には、過ぎた真剣さと熱意が息苦しいくらいだ。それなのに、何故か心地よく感じられる。

 出会って間もないにも関わらず、そんな風に思ってしまえるのは、私がもう傭兵さんに惚れているからじゃないかと思い始めた。一目見て惚れたのではなく、彼の視線に惚れたのだから、一目惚れというにはちょっと変な気がするけど落ちる早さは似たようなものだった。それを姐さん達に言うと、趣味が悪いだの、あんな辛気臭いのはやめろだの、やっぱりあんたはこの仕事に向いてないだのと散々な言われようだった。どうも店の皆には傭兵さんの評判は良くない。彼を良いんじゃないかと言ってくれるのはうちの店ではオーナーだけなのだが、そのオーナーも最初は訝しんでいたくらいだ。

 確かに傭兵さんは色々と不思議な点や怪しい点が多い。この街に来たばかりで、道に迷ったと言っていたが、きっとそれは本当だろう。私が呼びかけて振り返った直後の傭兵さんの不安そうな顔は、どうみても迷子その物だったからだ。でも怪しいのもやはり事実で、この街は初めてだと言っていたのに地元の人間しか知らない様な場所の案内を求めたり、既にこの街の銀行に預金が有ったり、色々とちぐはぐなのだ。他にも、名前はこの国の物とは違うのに街の外の様子に詳しい訳でもく、服装も小綺麗で旅をして来たようにも見えなかった。しかも傷一つ無い鎧を持っているのに着替えすら持っていなかったのはどういう事情だろうか。オーナーは傭兵さんが何処か遠い国の御曹司なんじゃないかと思い込んでいる。身分を隠しているのだと。

 だけど私には自信無さげなあの人が、どうしても御曹司なんかには見えなかった。だからと言って何か企み事に関わってるようにも見えない。この街の何処を案内しても、彼は私から視線を外した時、私の手を握っていない時は、何時も迷子の様な顔をするからだ。見ず知らずの場所に放り出されて、右も左も分からず、不安で今にも泣き出しそうな迷子の顔。

 彼はその不安への慰めを求める自分を恥じつつも、喜ぶ私を理由に施しを続けている。私も彼の安息を理由に自尊心を捨ててしまっている。

 卑怯だと思う。只の気を引くだけのつまらない施しなら振り払えた。けれどあの顔が、彼の手を助けを求める手に錯覚させ、振り払うことを躊躇わさせる。何時も周りに助けてもらってばかりの私が、誰かを助けることが出来ているような気にさせられるから振り払えなくなる。

 与える側と与えられる側の、受け取っているものの中身があべこべでおかしな事になってしまっている。だからきっと、この関係は直ぐに破綻する。誠実であろうとする彼は、そうあろうとする彼の視線が好きな私は、どちらともなくこの関係を精算せずには居られなくなる。

 でも私にっと彼の視線は代え難く、惜しい。どうやったら彼を―――。

 「リリヤっ!」

 「きゃっ!」

 考え事の途中、急に後ろから呼ばれて心臓が飛び出そうになる。振り返るとニィナが居た。

 「ちょっと、急に大声出させないでよ、びっくりするじゃない」

 「急にじゃないわよ、何回も呼んでるのに気づかないそっちが悪いんじゃない」

 「え、うそ」

 「ホント。げっ、ちっとも洗い物終わってない、あんたの事だからもう終わってると思ってたのに……。どれだけボーっとしてたの」

 私の手元見てニィナが変な声を出す。今日の朝食作りと、その食器の片付けの当番は私で、その途中だったのだ。姐さん達はとっくに店の方に行っている。

 「ごめん、何か用だったの?」

 「先にこっち、さっさと終わらせちゃいましょ。私が濯いでくから、どんどん洗っていって」

 そう言うとニィナは横に立ち、洗い物を手伝いだした。

 「そんな、良いのに。ニィナは今日はお休みで家事当番も無しでしょ?」

 「なによ、何時も手伝ってくれるのはそっちなんだから、たまには良いでしょ?それに今日は買い物に少し付き合って欲しいのよ。ほら、手を動かして」

 急かされ、まだ手が止まっていたことに気づく。きまりが悪いので素直に洗い物の続きをする。

 「駄目よ、今日は私も用事があるんだから」

 彼女は外出する際に同じ歳の私をよく誘いに来る。いつもなら二つ返事で承諾するのだが、今日は都合が悪い。むしろ私の予定を知っているであろうに、なぜ誘ったのだろうか。

 「あの人との待ち合わせでしょ?でも待ち合わせの時間はお昼って言ってたじゃない。だからそれまでで良いわ」

 「私はお風呂もまだだから、出かける準備まで始めると結構時間かかっちゃうよ?」

 「別に構わないわ。それに少しでも出る時間早くしようと私も手伝ってるんじゃない」

 「そこまで言うんなら」

 「それじゃ、決まりね。待ち合わせ場所ってヴィーニヤヴィーナでしょ?」

 「うん」

 「私も大通りの方行くつもりだったから丁度いいわ。あ、そうだ、さっきボーっとしてたのってあの人のこと考えてたんでしょ?最近いつもそうよね」

 彼女は私と同じでお喋り好きだ。二人一緒に家事当番をやらせると、止めどなく喋り続けるので五月蝿いと姐さん達に良く怒られる。

 「うん」

 さっき考えていたことを、ニィナに打ち明ける。この店には、自分の事を秘密にしなきゃいけないような人は居なかった。この店に来て、まだ一年目の彼女も例外ではない。

 「はぁ」

 私の話を聞いたニィナはため息をついた。姐さん達と良い、私が傭兵さんの話をすると大抵こんな反応が返ってくる。もう言い返す気も起きない。

 「やっぱり、リリヤって変な娘よね。少し話した感じだと軽そうなのに、すんごく重いんだもの。だから変な人が寄ってくるのよ」

 「傭兵さんは変な人じゃないわ、ああ言う人達と一緒にしないで」

 つい声を荒げてしまう。

 確かに私は、街に出ると変な人に目を付けられやすい。こういう商売をしているなのだから仕方ないと、そう言えないような、客として店に来られては困るような、性根がねじ曲がった人にだ。中には人の火傷痕を気味悪い笑顔で、嬉しそうに凝視してくる人も居る。私が一番嫌悪する目。あんなのと傭兵さんを一緒にしてほしくなかった。

 「ごめんって、そんな怒らないでよ」

 「もう……」

 「でも私、心配なのよ。リリヤってトラブル引き寄せやすいから」

 それは事実だから否定できない。私を追いかけて来た変な人をオーナーに追い払ってもらった事も少なくない。

 「そもそもリリヤは傭兵って言うけど、本当にあの人って傭兵なの?」

 皆に何度も聞かれている。今のところ彼の素性が判るようなものは、何一つ無いから断言できない。

 「……多分、違うと思う」

 最初に呼びかけた時のまま、癖になってそう呼んじゃってるだけだ。

 「それになんて言ったっけ名前」

 「アマミが名前で家名がユキハル」

 間違えた、アマミが家名でユキハル本人の名前で逆だった。好きな人の名前を間違えるとは何事か。

 「アマミって変な名前よね。どう言う意味が込められてるのか分からないけど、男なのに甘そうな名前」

 「実際に甘いと思う。遠慮無しに甘えたら骨抜きにしてくれそうなくらいには」

 いや、流石にコレは私の勝手な想像であって何も根拠が無い。

 「ぷっ」

 ニィナが吹き出す。

 「何よ」

 「何でもない。ほら、後は濯ぐだけだからお風呂行っておいで」

 「ありがとう」

 ニィナの言葉に甘えて、炊事場を後にする。

 部屋にタオルと着替えを取りに行った後、お風呂場に行く。このアパートは古くてあちこちガタが来てるけど、お風呂だけは狭くない。ここだけ改築されている。と言ってもその改築さえ随分と前だから、どちらにせよ古くなりつつある。

 服を脱ぎ、眼帯も外す。ふと脱衣所の隅に置いてある、幅の狭い姿見が目に入る。何時もは、自分の全身を眺めたりなんかしないのに、気まぐれでその前に立つ。

 右半身を姿見に向けて髪をかき上げる。こうすると普段は隠れている自分の火傷痕が全て露わになる。髪型で見えないようにしている右のこめかみと耳の周辺。火傷痕には髪が疎らにしか生えず、耳の縁も大きく欠けしまっている。眼帯の下の右目は瞳が濁り、瞼の皮膚が引き攣って、歪んで閉じきらない。そのせいで眼が乾きやすく、酷く充血している。

 こうやって火傷側だけが見えるようにしてみると、とても人に見せるような物じゃないと、嫌でも思い知る。顔だけではない、胸も背も腹も、腕も脚も、右半身は全て女として通用するものではない。

 時折、これで母達と同じ世界で生きようとなんてしている自分の思いあがりが嫌になる。焼けた側と残った側のそれぞれに別の、妙な自尊心を持ってしまっている事に気づいて愕然とするのだ。

 安さで私を選ぶお客さんの中には、私が服を脱ぐことを望まない人も多い。服の下を目の当たりにすると、曇った顔をして何も言わずに途中で止めてしまう人も居る。私が彼等に文句を言う筋合いはない、これでは仕方ないと思う。心無い言葉を掛けられるよりは、黙って目を背けてくれるだけ、まだ優しさが有る。

 やはりあの人の事が脳裏をよぎる。この体を見たら、どんな顔をするのだろう。何時もの困った様な顔をしながらも、目を逸らさずに見てくれるだろうか。手だけならば、向こうから取ってくれた。指を絡めることも許してくれた。私をそういう女として扱おうとしない彼でも、必要と思ったならば向こうから抱いてくれるのだろうか、私から望めば、受け入れてくれるのだろうか。

 都合の良い想像に、熱くなりかけた頭の中を振り払う。一人素っ裸で何を考えこんでいるのか。さっさと風呂に入らなければ、またニィナに怒られてしまう。

 風呂を上がり、髪さえ乾けば、後は外に出かける準備も直ぐに終わってしまう。化粧品をあまり持っていないというのも有るが、自分であまり必要と感じないからだ。一度これを皆の前で口にしたら、予想外の顰蹙を買ってしまったので、努めて話題に出さないようにしている。

 隣のニィナの部屋に行く。待たせてしまったかと思ったが、そうでもない様だった。彼女は私と違って、出かける準備に時間が掛かる。

 二人揃って家を出る。今からならば昼まで十分に時間に余裕があった。ニィナが付き合ってほしいといった買い物とは服のことだった。なんでも私が傭兵さんに買ってもらった服を見ていたら、自分も新しい服が欲しくなってしまったらしい。私が買ってもらった服、ちょうど今着ているこの服みたいなのが欲しいと。買った店が大通りから離れているのと、値段を聞いて同じ所で買うのを諦めたようだが、刺激されてしまった物欲は中々収まらないらしく、代わりに大通り近辺の服屋を隈無く見て回った。

 結局これといった物も見つからず、ニィナも新しい服を買う事自体を半ば諦めて、店を冷やかすのを楽しんでるように見えた。彼女は気が強く、さっぱりした性格のようで優柔不断なのだ。値が張る物を買いに行くと、こうなるのは目に見えていた。ただ彼女と喋りながらこうやっているのも、嫌いじゃないからそれに付き合うのも苦ではない。

 「そろそろ時間かな、ちょっと早いかもだけど私行くね」

 店の時計を見て、待ち合わせ場所に行くまでの時間を勘定すると、そろそろ向かった方がいい。傭兵さんは待ち合わせには早く来るタイプだ。

 「もう時間なの?じゃあ、待ち合わせ場所まで送るわよ」

 「そっちが暇なだけじゃない」

 「バレた?」

 軽口を叩き合いながら服屋を後にし、待ち合わせ場所へ向かう。

 「あ、そうだ。最近、リリヤは店の方に居なかったから話し聞いてないと思うけど、ストラホラの店が強盗に襲われたんだって」

 「その話なら私も聞いたわ。でも店の金には手付かずだったから物盗りじゃないって話よ」

 うちとは別の元締めが経営する、同業の店の話だ。

 「何だ知ってたんだ。しかし酷い話よね。何も店の娘達まで殺すこと無いじゃない。ああ言うのってこの業界だと多いの?」

 「無いわよ。上同士の争いになっても私達みたいなのまで巻き込まれるなんて殆ど無いもの。巻き込まれたって話を聞いても、殆ど事故みたいなもので、あんな店の人間全員をバラバラにするなんて聞いたこと無いわ」

 又聞きでしか無いが、どれが誰だか分からないほどに刻まれて、店の中は血の海だったという。業界内だけの話で済ますには悲惨すぎて隠し切れず、警邏騎士隊が調査を始めたという話もある。元締めの方では誰も下手人に心当たりが無いと、また抗争に繋がるような因縁も無かったとオーナーが言っていた。

 「そっかぁ、流石にそこまでは無いのかぁ」

 「あんまり外道が過ぎると、吹き溜まりにも居場所なんて無いもの」

 「誰があんな事するのかしら」

 「大方、分別のない流れ者の仕業よ」

 「ふーん、しかし流石に長いだけあって詳しいわね。やくざ者っぽい感じがする。よっ!大先輩!」

 「ちょっと、街中で変な事言わないでよ。それに同い年じゃない」

 「ごめんごめん。でもうちはオーナーが居るから大丈夫よね?」

 「確かにうちのオーナーは強いけど……」

 最近は髪に白髪が僅かに混じり始めているが、それでも身体に衰えは全く無く、過去に店で乱暴狼藉を働こうとした者達を素手で撃退して来た実績がある。中には武器を持っていた者が居たにも関わらずにである。

 「やっぱり、私は身請けされるならオーナーみたいに強くて優しい人がいいな」

 この娘は親程も歳が離れているオーナーに惚れてしまっている。実の父がどうしようもない人間だったから、その反動かもしれないと自分では言っていた。

 「家だと誰かに聞かれそうで話さなかったけど、オーナーは無理よ。あの人って根が真面目だから店の娘に罪悪感持っちゃって、絶対に手を出さないの。だから惚れるとカーラ姐さんみたいに行き遅れる事になっちゃう」

 カーラ姐さんは私の直ぐ後に入ってきたのでもう随分と長い。その後に入ってきた姐さん達は順当に身請けされて出て行ってるのに、彼女だけは未だに店に残っている。

 でもカーラ姐さんまで居なくなってしまうと、あの店で小さい頃から知っているのはオーナーだけになってしまう。カーラ姐さんには早く幸せになって欲しい一方、残ってくれることで寂しい思いもせずに済んでいるので、少し複雑な気分だ。

 「えっ、カーラ姐さんもオーナーに惚れてるの?その割にオーナーに当たり方キツくない?」

 「それがね、カーラ姐さんって昔、逆恨みしてきた客に刺されそうになった所をオーナーに助けられてから惚れちゃったままで、それ以来ずっと身請け話を断ってるのよ」

 「へぇ、カーラ姐さんも昔は私と似たようなことやらかしてたのね。たしかに私もオーナーが格好いいって思えたの、助けてもらった時だし解るわ」

 「ニィナの場合は単にお客さんに喧嘩売ってオーナーに仲裁してもらったただけじゃない、あれは貴方が悪いわよ」

 「うっ、藪蛇……。でもさ、そうなると当たりがキツい理由って何なの?」

 「多分だけど、その一件が有った少し後にオーナーが酔った勢いで『行き遅れたら貰ってやる』なんて、何時もなら絶対に言わないようなこと口走ったのが原因だと思う。あれから少しづつオーナーへの小言が増えてるし。当時の呑気な私はあんな美人が行き遅れるわけ無いのに、オーナーは何を言ってるのって思ってたんだけどね。でもあれよあれよと時が経つ内に、本当に行き遅れちゃって、その癖に貰うって言った本人はどうもその事を忘れているみたいなのよ。そんなこんなで、実はオーナーとカーラ姐さんの関係って、うちの店唯一の見えない爆弾って訳。さすがにこればかりは私もどう転ぶか予想がつかないわ」

 オーナーは確かに優しくて頼りになる。私は小さい頃から世話になっているからどうしても父親にしか見れないが、惚れるのも無理は無いと思う。実際に店の中で、オーナーの事を嫌ってる娘は居ない。他の店みたいに店の娘同士で稼ぎを競わせたりもせず、元締めからの無体や、客の横暴からも守ってくれる。不幸で流れ着いた先の数少ない味方なのだから仕方がない。

 本人はその優しさが店の空気を悪くしない為に必要なのだと言っている。それが働いてる娘達の心の余裕に繋がり、客受けを良くして、他に類を見ない身請け率と借金返済率を実現しているのだとまで豪語している。確かにそれは事実なのだが、実は過去にもオーナーの見えない所で、その八方美人っぷりが働いてる娘達の間で火種になりかけた事が間々有ったのだ。知らぬは本人ばかりなり。

 「全然気が付かなかった……」

 「まぁ、爆弾っていうのは半分冗談、半分本気かな。でもこの話を家で言いふらしたり突っついたりしないでね?私が怒られるから」

 「頼まれてもやらないわよ、そんな恐いこと」

 ニィナはカーラ姐さんに対して苦手意識を持っている。店に来た初日の舐めた態度をキツく叱られた事と、自分以上に堂の入った勝ち気な性格に、完全に格付けされてしまったのだ。カーラ姐さんの方は、自分の身の不幸に潰されず、叱られた後は積極的に店に馴染もうとしたニィナの事を凄く気に入っているのだが、その思いは一方通行である。

 ニィナとの談笑は途切れることがない。昼前の大通りは朝に比べて馬車の往来や人も増え始め、私達の声もその雑踏に紛れていく。

 そんな中、道行く先に一瞬だけ白い物が見えた。まだ距離が有り人影に隠れてよく見えなかったので、隣のニィナと喋りながらも、頭の片隅で何だろうと疑問が浮かぶ。しかし、それが直ぐに人の髪の毛だとわかった。ただ向かいから、目立つ白い髪をした人が歩いて来ていただけだ。

 ただの白髪とは違い斑がなく光沢と艶のある白。老いて枯れたような髪質でもない。段々と近づき、それがとても長く、かつ結い上げられた総髪なのだと分かった。しかし背格好は男性で、やはり年をとっているようにも見えない。真っ白なその珍しい髪と、髪型をつい目で追ってしまう。見れば珍しいのは髪だけでなく、その衣服も見慣れないものだった。明らかにこの国の物とは違う遠い異国の様式の衣服で、フードのない長いローブを前で閉じ、腰を帯で閉めている様な感じだ。しかしシルエットはスマートなのだが、形のせいか派手なバスローブのようにも見えてしまう。腰元の黒い細身の剣らしきものが、不似合いにすら思えた。ただし、この手の珍しさは最近どこかで見たような気がした。確か傭兵さんに大聖堂を案内した時だっただろうか。

 あまりジロジロと見るのも失礼かと目を逸らす。けれど物珍しさについ、すれ違いざまにもう一度横目で見てしまう。人形みたいな顔をした人だった。鼻筋がとおり、顎にも無駄な肉が無く端正な顔立ちで、髪に負けず劣らず、痘痕やシミの一つ無い白い肌。ただその表情は何か不服そうで、憂い気な顔をしていて、それが人形っぽさを打ち消している。

 目が合った。途端に背筋が冷たくなり後悔する。心臓が鷲掴みにされたような息苦しさを覚える。あれは、関わってはいけない類の人だった。彼は私を見て薄く笑ったのだ。私が一番嫌いな顔で、嫌いな目付きで、直前までの不満気な表情を消して、気味の悪い笑顔を浮かべたのだ。過去何度も見た、関わってはいけない男の顔。いや、あの男の素性の分からなさが、今まででとは比べ物にならない程に不安を駆り立ててくる。

 横を通り過ぎた男が振り返る気配を感じた。それが恐くなり、足早に立ち去ろうとしたが、無駄に終わる。時間が飛んだかのように、私が歩みを進めるより先に、何時の間にか男が目の前に回りこんでいたのだ。

 やけに距離が近い。急に回りこまれたので、止まり切れず男にぶつかりそうになった。背の低い私は自然と男の顔を見上げる形になってしまう。

 「君さ、いま俺のこと見てなかった?」

 挨拶もなく聞いてくる。咎めるような声ではない、からかうような軽薄な態度。表情は目が合った時と同じ、薄ら笑い。

 「ご、ごめんなさい、私そんなつもりじゃ」

 声が震えてしまう。

 「あー、違うんだ、俺は怒ってるんじゃないんだ。ん?これが恐いのかな?大丈夫、抜いたりしないよ」

 笑顔を絶やさず帯に吊るした黒い剣を軽く叩き、こちらを安心させるようなことを言う。けれどその言葉が、まるで信用出来ない。

 「ちょっとあんた何よ、ナンパか何か?」

 急に現れた男に驚いていたニィナが食って掛かる。

 「んー、ナンパ……、そうだね、そんな感じだ。良かったら、これから一緒にお昼でもどう?奢るよ」

 今思いついたように提案してくる。

 「残念でした、先約が有るのよ。出直してきて」

 畏縮してしまっている私に代わり、ニィナが答えてくれる。しかし、男は私から目を離そうとせず、話しかけているニィナに見向きもしない。嫌な予感がする。

 「そっか、それは残念だ。それじゃあ暇な日とか有ったら教えてくれないかな、今度一緒に遊ぼうよ」

 男は全く諦めてくれそうにない、このしつこさは間違いなく良くない事に繋がる。

 「ちょっと、しつこいんじゃない?そもそも私らと遊ぶのは只じゃないんだからね、店に来てちゃんと金を払ってからにしなさいよ」

 ニィナはこの男をあしらおうとしているのかも知れないが、この手の人間はそんな理由で引いたりなんかしない。

 「へー、そうだったんだ。という事は先約って客の事?それならさ、その客の倍、いや10倍は払うから今から君を買わせてよ」

 財力に自信があるのか、元の値も聞かずに随分と強気な額を提示してきた。そして案の定、こちらの商売がわかると視線に侮蔑が混じり、そのくせ一層嬉しそうにする。

 「駄目です。店の信用に関わります」

 「ふーん、他所の店と違ってしっかりしてるんだね。くっそ、なんだよ、まともな店もあるんじゃないか。そうだ、お店の名前と場所を教えてよ。ちゃんと客としていくからさ」

 「分かりました。では、この住所へ。うちの店は看板を出してないので、分かり難いとは思いますけど」

 店の住所が書いてあるメモを渡す。厄ネタを店に持ち込むのは気が引けるが、今はこれで良い。オーナーには、変な奴に絡まれたら店を経由させるように言われている。その為に渡されているメモだ、そうすれば守ってやれるからと。

 「ここ、本当に店があるの?随分と寂れてる場所じゃなかった?それに店の名前が入ってないけど」

 メモを一瞥した男に聞かれる。

 「寂れた場所だから安く店を維持できるんです。目立つ看板出したり客引きしなきゃ行けないほど、客には困ってませんし、それに元から大っぴらにやるような商売でも無いですから」

 それに人の多いこの街で、客を選ばない商売をするのは負担が大きいと言うオーナーの方針でもある。

 「へぇ、そんな店も有るんだ。穴場ってやつかな」

 説明にあっさりと納得したようで、メモを懐にしまった。これでやっと開放されるかと思った所で、男はまだ話しかけてきた。

 「しかし意外だな、君みたいな娘が居る店まであるなんて。随分と可愛いらしいのに、こんな派手な傷が有る面白い娘が。やっぱり変態に需要があったりするの?」

 自分の事を棚に上げ、男は調子に乗って私の眼帯に触れようとしてきた。それを強く叩き払ってしまう。つい反射的に怒りが湧いてしまったのだ。最後で失敗したと後悔する、我慢するべきだった。

 「ごめんなさい、私、こっちを触られるのが嫌で」

 直ぐに謝るが、意味がなかった。

 「…………怒ったり恐がったり。一々本物みたいで可愛いなぁ、君達は。心底そう思うよ」

 言ってる事が良く分からない。けれど私のしたことが、男の琴線に触れてしまったことだけは分かる。男は怒っても笑ってもいないのに、嫌な予感は更に膨らむ。その不穏さに湧いた怒りが、あっという間に消し飛ばされてしまった。

 「いい加減にしなさいよ、あんた!いくら私達が金で買われるような女だからって、触って良い場所と悪い場所くらい察しなさいよ馬鹿!」

 ニィナが私を庇うように、男を押しのけて間に割って入った。彼女は私が無遠慮に眼帯に触れらることを嫌がるのを知っている。だけど今は駄目だ。

 「ニィナ、私のことは良いから」 

 「でもリリヤ……」

 男がニィナの方を見る。私に向けたのとは違う、好色の無い心底見下すような顔。

 「なによ」

 「さっきからホントうるせぇな。オメェになんか興味ねぇから割って入ってくんじゃねぇよ、クソ不細工。化粧がクセェんだよ」

 柄の悪い喧嘩腰、コレがこの男の地だろうか。

 「人形みたいに生白くて気持ち悪い奴に言われたくないわよ!アンタみたいな男、幾ら積まれようがこっちからお断りよ!」

 直ぐに熱くなるのはニィナの悪い癖だ。だけどこれ以上は、本当に取り返しの付かないことになる。

 「だめよニィナ!」

 後ろから肩に手をかけて諌め、後ろに下がらせようとする。

 「はぁ……、萎えちまったなぁ。気が変わった」

 男はそう言うと数歩、後ろに下がり、剣の柄に手をかける。はじめの言葉など、意にも介してない。

 「正気?女相手に街中で剣を―――

 「黙れよ」

 ニィナの言葉は、金属がかち合うような音と、男の言葉に遮られた。

 彼女を下がらせようと引っ張っていた手から抵抗が抜ける。一瞬、ニィナが後ろに下がったのかと思った。

 べちゃりと、ニィナの肩が地面に落ちた。私が引っ張って落としてしまった。

 その拍子に、ニィナの全身が裂けて崩れ落ちた。溢れ出た血が、私の靴にかかる。

 訳が分からず呆然としていると、周囲で誰かの悲鳴が挙がった。少し遅れてニィナが斬られたのだと気づく。目の前の光景が信じられず、頭の中が麻痺して、何も考えられない。

 「ハハッ、やっぱり表現規制が無いとグロいし汚いなぁ。……どうしたの?ボーっとしちゃって。逃げないの?」

 男はまた薄ら笑いを浮かべる。

 「それとも今から俺に付き合ってくれる?」

 「…………………いや」

 引き絞るように、やっと出せた声はそれだけ。

 「あっそ」 

 また金属がかち合うような音がした。左肩に痛みが走る。浅い切り傷、血が溢れ服に染みる。 

 「ほら、早く逃げないと君もそこの不細工みたいになっちゃうよ?……あ、途中で気が変わったら何時でも言ってね、考えてあげるから」

 ただ男の言葉通り、逃げ出すことしか出来なかった。

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