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 二日目、朝起きて最初に気付いたことは着替えがない事と、日用品の一切を持っていない事だった。リリヤさんと街を歩き回っていた時には、後で買わねばと思っていたのだが、リリヤさんと別れた後は別のことに気を取られてすっかり忘れていた。

 昨日の内にそれらしい店も見かけていたし、リリヤさんの話を思い出しながら適当に探せば良いだろうと思い、店先を覗きながら街を歩きまわった。

 しかし、思っていた様にはいかなかった。探していた場所が、どうも記憶にある場所と違う気がしていたが、やはり間違っていたらしい。この街は似た様な景色の場所が多すぎる。

 いっその事、もう一度リリヤさんに案内してもらったほうが早いのではないかと思い、路地裏へと足を運んだ。自分は別れ際に言われた「また遊びに来てね」という言葉を真に受けてしまっている様である。

 リリヤさんの店には迷わず到着した。店は看板も出ていない上に、暗い時間に一度しか見ていない筈が迷わず到着している。段々と自分の無意識が言い訳がましくなっていくのを感じる。

 ただ本当に此処で合っているのか少し不安になり、念のため扉をノックしてみる。

 「おぅ!開いてるよ!」

 中から威勢の良い男の声がした。予想外の反応に間違えたかと思ったが、昨晩も同じ声が店に戻ったリリヤさんを出迎えていたのを思い出す。

 「し、失礼します」

 どうも勝手が分からず及び腰になってしまった。意を決して扉を開けて中に入ってみると、建物の外観から想像していたより更に店の中は狭い。煙草のヤニの臭いまでする。その六畳間ほどしか無さそうな狭い部屋の右前方には受付のようなカウンター、左前方は暖簾で仕切られた通路が有り先が続いている様だ。

 「いらっしゃい!……ん?お客さんこの店は初めてだね?」

 カウンターの向こうに白髪交じりの角刈り、額に大きなサンマ傷の有る、浅黒い肌をした筋骨隆々の中年男が座って居た。店員なのだろうが外見だけなら格闘家か何かに見える迫力ある強面だった。しかしそれを愛想の良い笑顔で中和していた。店の中は、この店員以外に人の姿は見えない。

 「昨日こちらのリリヤさんにお世話になった者ですけど」

 「あー、あの道に迷ってたっていう傭兵の旦那ですかい。昨日はどうも、リリヤのほうが良くして貰ったみたいで。ささ、どうぞこちらに掛けて」

 腰の低さもまた見た目に反していた。男はわざわざカウンターから出てきて、壁際に置かれた簡素な椅子と灰皿の置かれたサイドテーブルの有る席を勧めてきた。

 「それで今日はどうします?リリヤをご指名で?」

 勧められた椅子に座ると、早速要件を聞かれた。店員はこちらの機嫌を伺うように揉み手までしているが、それが拳の具合を確かめてるようにさえ見えるほど似合っていない。

 「出来れば、リリヤさんにまた街の案内をしてもらえたらと……」

 暖簾で仕切られた通路の奥の方から、あられもない嬌声が薄っすらとだが聞こえてくる。意識して気にしないようにする。今日はそういう目的で来たのではないのだ。それよりこんな昼前に客がいるのかと驚いた。

 「うちは案内所じゃないんだが……、まぁ、良いでしょう」

 僕の要望に困っているのか喜んでいるのか良く分からない曖昧な顔をするが、承諾してもらえた。

 「おーい、カーラ。リリヤに指名だ」

 店員は暖簾の方に向かって人を呼んだ。暖簾のすぐ先に控えていたのか、鋭い目付きの女性が出てきた。リリヤさんと比べると歳は一回りかそれより上に見える。服装も普通だった。

 「今日はあの娘休みよ?」

 「そうなんだがな、昨日の傭兵の旦那が来たと伝えてくれないか。またリリヤに街の案内をして欲しいとの事だから、出れそうか確認してきてくれ」

 「分かったわ。でも食事当番だから今の時間はお昼の準備してるんじゃないかしら」

 カーラと呼ばれた女性が店の外に出て行った。なぜだか友達の家に遊びに行って、その両親が友達を呼び出してくれている状況に似ている気がしてきた。

 「いやぁ、すみませんね。少し待っていただけますか?」

 「急ぎの用でもないので、大丈夫です」

 そう言うと、店員はカウンターの向こうに戻った。部屋が静かになると、やはり店の奥からの声が嫌でも耳につく。落ち着かない。

 「旦那、失礼ながら、もしかしてこういう店に来るの初めてですかい?」

 落ち着かない様子が目に見えたのか、そんな事を聞かれた。

 「…………はい」

 変な見栄をはっても仕方がないので、素直に答える。

 「それに本当は傭兵でもないんじゃありませんかね?あんな柄の悪い連中と同じには見えない」

 店員は先程の愛想の良い笑顔ではなく、少し悩む様な顔になっていた。

 「そうです」

 訂正するには良い機会だと思うので、これも素直に答える。しかしそうなると、代わりに何と言っていいものか。まだ答えを決めていなかった。

 「道理で……、やっぱりリリヤの勘違いだったか、鎧つけてたから傭兵って早とちりが過ぎる。いや、あいつの事だからわざとか?」

 何やら首を傾げて独り言ちている。

 「すみませんね。リリヤからは傭兵と聞いてたんだが、どうもそうは見えなくて気になっていたんですよ」

 「それは、こっちも何て言ったら良いか……」

 「いやいや、事情がお有りなら話されなくても結構です。詮索はこれくらいにしときますんで」

 店員の顔はまた愛想の良い笑顔に戻った。

 リリヤさんの様子を確認しに行った女性が戻ってきた。

 「あの娘、お昼の支度はもう終わってるからって、こんな時間にお風呂に入ってたわ。あがったらすぐ行くから、傭兵さんには少し待っていて貰ってって。ごめんなさいね、うちの娘ったらタイミング悪くて」

 後半は僕に向かってだった。

 「あ、はい。では待たせてもらいます」

 女性は店の奥に戻っていった。

 「申し訳ない」

 店員にまで謝られてしまった。

 「いえ、約束もせずに休みの日に来たのは僕ですし」

 待っている間、店員が自ら茶とお茶請けまで出してくれた。しかしその出してくれた茶は正直、苦味と渋みが強すぎて、甘いお茶請けがなければ飲みづらかった。

 そしてリリヤさんと同様に、この人も話し好きなのか色々と話しかけてきた。暇なのだろう。

 「本当ならな、リリヤを案内に出させるつもりはなかったんだ。けど俺が口出しする前に金だけ置いて走って出て行くから止める暇もなかったんだよ」

 昨日の話だった。あと何時の間にか店員の口調は随分と砕けたものになっていた。

 「リリヤはあんななりしてるからか変な奴に目をつけられやすくてな、そのせいか普段は警戒心が強い方なんだ。だからまぁ、自分からトラブルに突っ込むような心配無いだろうとは思っていたんだがね、実際にこうやって旦那を見てみたら、リリヤが警戒しないのも頷けると思ったわけだ」

 「……あの、信用してもらえるのは有り難いんですが、怪しくないですか?僕」

 話を聞いていると、随分とリリヤさんの事を気にかけているようだが、その割に素性の怪しい僕をすんなりと信用するのが不思議だった。初対面の筈なのに、なんだかこの人には妙に買われている。

 「正直なところ色々と怪しいさ。とは言え娑婆っ気が強くて、きな臭さもまるで無い。それに、そんな事を自分から聞いてくる呑気さと良い、商売女だろうとちゃんと送り届ける気遣いと良い、これだけ揃えば疑うだけ無駄かと思っちまうよ」

 なるほど、僕はそういう風に見えていたのか。思わぬ所で点数を稼いでいるものである。

 「けど旦那。一応、名前だけでも教えてもらえんかね?」

 僕の名前はリリヤさんからは伝わっていなかったようだ。

 「アマミ、ユキハルです」

 「変わった名前だねぇ。名前の響きからしてアマミの方が家名で、ユキハルが旦那の名前かい?」

 「そうです」

 「ほぅ……」

 また何か勘違いでもされているのでは無いだろうか。

 そう危惧し始めた時、店の扉が音を立てて勢い良く開け放たれた。驚き、そちらを振り返る。

 「傭兵さん!?」

 そこには髪が生乾きのリリヤさんがいた。

 「こら、リリヤ、店の戸はもっと静かに開けないか」

 店員の小言は完全に親のそれだった。話している途中からなんとなくそうなのではないかと思っていたが、リリヤさんが言っていた親代わりだった店の人と言うのは、この人も含まれていたのだろう。

 「はーい、ごめんなさい。それじゃ、傭兵さん、行きましょ?」

 リリヤさんに手を引かれて、椅子から立つ。

 「あの、料金は……?」

 「後で良いさ。リリヤを送るのが面倒になったら、リリヤに金を渡してそのまま帰してくれれば良い」

 多分、それをやると稼いだ点数が一気に差っ引かれる気がする。

 「それじゃあオーナー、行ってきます」

 店員だと思っていた人は店のオーナーだった。そう言えばうちは余計な人を雇う余裕が無いとか、リリヤさんが言っていたような気がする。そうなると接客もオーナーの仕事になるわけか。

 「おぅ、気を付けてな。あんまり遅くなりすぎるなよ」

 しかし、やり取りはやはり何処か家庭的だった。

 「それで、今日は何処に行きたいの?」

 取り敢えず路地裏から表の通りに向かって歩いている途中、リリヤさんは僕の目的地を確認する。

 「今日は服と、あと色々と日用品を揃えたくて」

 店からずっと手を握られっぱなしだった。妙に距離が近いような気がする。悪い気はしないのだが、今だけはもう少し離れて欲しかった。

 「服と……、日用品?」

 「宿暮らしをするにしても、今は何も持っていないので色々と」

 「宿暮らし……」

 リリヤさんは繋いでいない方の手を顎に当て、じっと僕の胸のあたりを見つめてきた。

 「傭兵さん、昨日と同じ服を着てるけど、もしかして」

 そう言うと、急に僕の二の腕の辺りに鼻を寄せてきた。気にしていた事をズバリと突かれ、とっさに身を引いてしまった。

 「やっぱり」

 リリヤさんは少し眉をしかめ、困った顔をした。服だけではなく臭いで僕が風呂に入っていないことにも気付いたのだろう。

 昨日の晩は、シェリーさんと飲んでいた店の二階が客室になっていたので、そこに泊ったのだ。客室と言ってもベッドしか無く、酔って帰るのが面倒になった客が一晩素泊まりしていくだけの部屋だったので、身だしなみの整え様もなかった。

 「……すみません」

 酒臭さも残っていたはずだ。思えば女性の所を訪れるのに、風呂も入っていないのはマナーとして最低である。

 「飲んでて泊まる場所を決めるの忘れてたんでしょ?」

 「その通りです」

 完全に見透かされていた。シェリーさんが別れしなにホテルに戻ると言ったのを聞いて、自分が泊まる場所を決めていなかったことにやっと気付いたくらいだ。これは何か気を取られていることが有ると、途端に粗忽になる僕の欠点ではあるのだが、それが昨日から悪化している。そんな僕に、二階が客室になっていて飛び込みでも泊まれると教えてくれたのはシェリーさんだ。あの分厚いメニューの片隅に載っていた小さな案内を見逃さなかった彼女は僕と違って目敏いようだった。

 「それじゃあ泊まる場所も決めておかないとね。この街は人の出入りが多いから宿もその分多いけど、良いところは限られてるから暗くなる前に決めたほうが良いの」

 こうして当初の予定より案内をしてもらう場所が増える事になった。

 リリヤさんを連れ出すタイミングが昼食前だったので、まずは昼食を共にしながら泊まる場所の質や予算を相談に乗ってもらった。街を回るのはそれからだった。

 昼食後、まずは大通り沿いに長逗留が出来る宿を取り、次に着替えを買いに向かう。

 しかし服屋は何軒か回ったが、どこも僕より先にリリヤさんが幾つか品定めすると、他の店に行こうと言い出すのだった。

 「ホツレとか酷い縫い縮みがある様な服は、そこから直ぐに駄目になるから傭兵さんみたいに宿暮らしで荷物を増やせない人には向かないと思うの。……こんなにハズレが多いと思わなかったけど」

 自分には無い視点だったので、素直に感心してしまった。もしかしたら僕が服に対して無頓着過ぎるだけなのかもしれないが。

 「この辺の店じゃどこも一緒なのかな。なんで男物の服ってあんなに仕立てが酷いのかしら」

 着る本人より店を案内している方が真剣に悩んでしまっていた。

 「傭兵さん……、予算を上げても良い?」

 リリヤさんはとても言いづらそうに提案してきた。

 「別に構いませんけど」

 「じゃあ、遠いけど凄いって評判の店が有るからそこにするね」

 「分かりました」

 遠いという言葉通り、目的の店につくまでに一時間も掛かった。街の区画が変わったのか、出発地点の大通り沿いとは雰囲気が微妙に違う。建物は一軒ごとの大きさが大通り沿いの建物より大きく店舗は少なく、道も大通りと差はないくらい広いのだが人通りは少ない。清潔感が有るので寂れているのではなく、地価が高い区画なのだろう。

 「ここよ」

 「随分と立派な店ですね」

 目的の店も、大通り沿いで見て回った店より明らかに格式が上だった。店構えも二回りくらい大きい。

 「実は評判を聞いた事が有るだけで、私も来るのは初めてなの。でも傭兵さんならこれくらいの店の方が良いかなって思って」

 案内した本人も、少し気後れしているのか苦笑いだった。

 「取り敢えず入ってみましょう」

 「うん、そうだね」

 折角ここまで来たのだ、見るだけならただである。意を決して二人で重厚な扉を開ける。

 店の中は予想外に狭くて雑然としていた。部屋が狭いというより、あちこちに屹立している商品棚が店の中を狭くしている。また肝心の商品である服もろくに整頓もされずに棚に放り込まれていて、色々と台無しである。他に客も見当たらない。

 そんな店の奥にいる店員もこちらに背を向けたまま、足踏みミシンを動かすことに集中しているのか気付いていないようである。

 「評判だと凄い店らしいんだけど……、間違えたかしら」

 リリヤさんの表情がどんどん曇っていく。

 「い、いやまだ駄目と決まったわけじゃ」

 「いらっしゃいませー、ご自由に見ていって下さい。御用が有りましたら、僕にお申し付け下さい。あそこで作業してる店主は気難しいので、話しかけないほうが無難です」

 急に棚の影から布の束を抱えた男の子が出てきた。店員なのだろう、愛想の良い笑顔でそれだけ言い残すと店の隅の螺旋階段を上がり二階に行ってしまった。

 「……取り敢えず物を見てみましょう」

 「そ、そうだね」

 どんどんと削られて行く購買意欲をなんとか奮い立たせて、店の中を見て回ることにする。

 雑に積まれた衣服の中から二人で良さそうなものを見繕っていく。どうやら質の方は問題ないらしく、リリヤさんの御眼鏡に適うようだった。むしろ良すぎるらしい。

 しかし困ったことに男物も女物も一緒くた、更には冬服も夏服も混ざって棚に収められていて陳列が滅茶苦茶だった。何処に何があるのか分からない。しかも同じデザインの服は一つもなく、サイズもバラバラである。良い物揃いでも目的のものが見つからない。

 結局、先程の男の子が一階に降りてきた所を捕まえて、彼に要望を伝えて見繕ってもらう事となる。一週間分の衣類を上下、しかも下着から靴下まで全て含めてという注文に、男の子は喜んで店の中を駆けまわり揃えてくれた。もしかして評判の割に売れ行きは良くないのだろうか。いや、この店内の有様からしたら当然なのかもしれない。

 試着と裾上げの丈の確認も終わり、店内を駆けまわっていた男の子も裾上げをしに店の奥の作業場へ行ってしまった。買ったズボン全て裾上げしないといけなかったのは、決して僕の足が短いからではなく、全てのズボンの丈が妙に長いせいだった。

 リリヤさんの方を見ると、彼女は一着の白いワンピースを見つめていた。殆どの服が棚に詰め込まれているのに、その白いワンピースだけはトルソーに着せられている。タイトなシルエットにロングスリーブのシンプルなデザインだが、襟や袖口の刺繍が凝っている。袖は長いが薄手なので春夏用だろう。

 僕が店員に裾の丈を確認されている最中もずっと、顎に手をやりながら悩み顔で離れて見たり近づいて見たり、しゃがんで下から覗きこんだり、はたまた今度は顔がくっつきそうな位に袖口の刺繍を凝視したりと、失礼な言い方をすれば不審な動きをしていた。

 「その服に何かおかしな所でも?」

 リリヤさんはどう見ても物欲ではなく好奇心を刺激されている。

 「うん、おかしい所だらけ。まずね、身体の線にぴったり合わせた形してるのに裁断の数が極端に少ないの。でも布目を見ても伸び縮みが無いし、織り方で形を出してる訳でもないし、革でもない。こんな素材初めて見る。それにここの飾り縫いも初めて見る形してるの。このバラつきの無さと長さは絶対に手縫いじゃ無理なんだけど、ミシンでやるには形が複雑すぎるのよ。もしかしてこの飾り縫いだけのために専用のミシンまで作ったのかしら、だとしたら凄い贅沢。あとね襟も―――、それに―――」

 矢継ぎ早に説明してくれるリリヤさんは完全に興奮していた。鼻息まで荒い。

 「良ければ買いましょうか?」

 「……あっ、いや、私そんなつもりじゃ」

 僕の言葉にリリヤさんは慌てたように胸の前で両手を振り、遠慮する。

 「趣味じゃありませんでしたか?」

 リリヤさんが遠慮する理由を、わざと分からない振りをしてしまった。

 「好みだけど……、でも、ほらサイズが」

 昨日と似たような事をして、また彼女に引け目を感じさせてしまっている。施しを与えて悦に入ろうとするのはこれ以上やめるべきだろう。

 「そこまで解っているなら特別だ。直ぐに仕立て直してやる」

 自分のしている事を考えなおそうと思ったところで、突然頭上後方から野太い声が降ってきた。それに驚き、思わず横に飛びのく。

 声の方を振り返ると、そこには無愛想な表情だが堀の深い顔をした美丈夫が立っていた。随分と背が高く、2メートル以上は有りそうだった。痩せ細っているわけでもないのに、その手足の長さで針金細工の人形に見えるようなバランスである。

 先程まで店の奥で背を向けてミシンを動かしていた筈の店主が、何時の間にか僕の後ろに立ってたのだ。立ち上がるとこんなに背が高いと思わなかった。

 「でも見たことのない布だから洗い方が」

 「普通に洗える。見た目より頑丈なんだ。そもそも染料すら寄せ付けないからな、汚すほうが難しいくらいだ」

 店主のぶっきらぼうな説明は、リリヤさんの逃げ道を塞ぐ。

 「これ、きっと凄く高いよ?傭兵さん」

 何故か助けを求めるような目で、僕の方を見る。いや、店主は背だけではなく雰囲気にも迫力があるのだからこれは仕方がない。

 「幾らでしょうか?」

 一応確認をしておく。

 「30万。習作だから材料費だけでいい」

 この一着で、さっき買った一週間分の着替えよりも高かった。値段を聞いてリリヤさんが息を呑む。

 「それぐらいなら大丈夫です。リリヤさん、僕からプレゼントさせてもらえませんか?」

 「……じゃあ、お願いします」

 観念してくれたようだった。

 「よし、こっちに来い」

 店主はワンピースの掛かったトルソーを脇に抱えると、店の奥の作業場の方へと行き、リリヤさんに手招きする。すぐに仕立て直すと言っていたので、採寸でもするのだろう。

 それを見た店員の男の子は作業の手を止めて店主に食って掛かった。

 「師匠!夕方までにナヴァラの御令嬢のドレスを仕上げるはずでしょう!そんなワンピースの仕立直しなんて――」

 「黙れ馬鹿弟子。習作といえど俺の作品に優劣は無い、有るのは客の優劣だ。それに仕立て直しぐらいお前の裾上げなんぞより早く終わる。お嬢さん、あんたは其処に立って俺の指示通りに動け」

 店主は男の子に無茶苦茶な一喝すると、次の瞬間にはワンピースの縫い目に合わせて鋏を入れていた。見ている方が冷や汗をかきそうな動きの早さと迷いの無さだった。もしかして採寸せずに目分量で合わせるつもりだろうか。

 「後ろを向いて、両腕を挙げて。もっと高く」

 「は、はい」

 「次は―――」

 店主はリリヤさんに次々と姿勢を変えるよう指示を出し、それを確認する度にワンピースが切り刻まれていく。間断がないのでリリヤさんは店主の指示で踊っているようにすら見える。

 裁断を終えて鋏を置くと次は、足踏みミシンの上に有った縫いかけのドレスを横に退け、ミシンの部品を幾つか付け替え、バラバラになっていたワンピースを縫い合わせ始める。それも唖然として見ている内に終わってしまった。

 「着てみろ」

 淀みなく行われた一連の作業の空気に飲まれ、誰も余計な口を挟めず、リリヤさんも黙ってフィッティングルームで着替える。

 「完璧だ、やはり幅詰めだけではバランスが崩れるからな。……そうだ、連れの兄さん、あんた俺の服をエスコートするならそんな無粋な鎧下はやめてくれ。買った服が有るだろう、それに着替えていってくれないか。おい、馬鹿弟子、まだ弟子で居たかったら呆けてないでさっさと裾上げ済ませて渡してやれ」

 連れの兄さんとは僕の事だろう。店主は言いたいことを言うと、返事も聞かずに背を向けて先程退けた縫いかけのドレスに向かいだした。仕事が済めばもう僕達には興味はないと言わんばかりだった。

 男の子から裾上げの終わったズボンを受け取り、会計を済ませ、店主に言われた通り着替えてから店を出た。店主から馬鹿弟子などと随分と厳しい当たり方をされていた男の子だったが、気にしている様子はなかった。普段からあの様な感じなのかもしれない。

 「……凄い店でしたね」

 店を出てからの第一声はこれだった。

 「うん、凄かった。ちょっと想像してたのと違ったけど」

 “凄いと評判”の“凄い”の中身はリリヤさんまで伝わっていなかったのだろう。伝達の経路は分からないが、あれだけ印象が強烈ならば、普通なら詳細まで広まりそうなものである。それとも印象が強すぎても逆に閉口してしまうということなのだろうか。

 「ま、まぁ、しっかりした良い服が買えたので」

 「そ、そうだね」

 呆気にとられっぱなしだった気を取り直し、来た道を戻る事にする。

 「ところでその服、大丈夫そうですか?目分量で切ってた様に見えましたけど」

 仕立て直した本人は完璧だと言っていたが、まだ着ている本人の感想は聞いていなかった。

 「それが、びっくりするくらいピッタリ。元々伸び縮みし易い布みたいだけど、それでも余る場所もきつい場所も無いって事は本当に体の形にピッタリ合ってるんだと思う」

 本当に完璧だったようだ。

 「それにしてもこの服すごいなぁ。長袖なのに涼しいし、白くて薄いのに下着が透けないし、どれだけ身体をよじっても突っ張らない。うちにある安い布だとどう頑張ってもこんな風にはならないもの。あっ、よく見たら飾り縫いの太さが変わってる……、幅詰めだけじゃないってコレのことかな。やっぱりあのミシンに秘密があるのかしら」

 服への評価は途中から独り言になっていた。

 「もしかしてリリヤさん、自分でも服を作るんですか?」

 服に対する拘りや視点から、そうなのではないかと思えた。

 「まさか。精々お下がりの仕立直ししかした事ないわ。ただそうしてる内に、服を見るのが趣味になってただけだから……、私の言うことなんて素人の勘繰りよ」

 リリヤさんは照れ笑いと苦笑いが混じった顔をする。しかしそれも束の間で、

 「それより、こんな高い服を……、ねだるみたいに見ていてごめんなさい」

 どうしても気になり言わずにはいられなかったのか、今着ている服を見ながら、リリヤさんは謝る。

 「いえ、こっちこそ自分の好みを押し付けてしまったみたいで、すみません……」

 結局はこうなってしまうのかと、居た堪れない気持ちになる。

 僅かな沈黙に気不味さを感じる。

 「……そっか、傭兵さんはこういうのが好みなんだ」

 だから、リリヤさんのこの言葉には虚を突かれた。

 改めてそう言われてしまうと、急に恥ずかしくなってきた。

 「……そうですね、そうだと思います」

 しかし恥ずかしいからと言って、先ほどの趣味というのが適当な言い繕いだったからといって、今更撤回する訳にもいかない。

 「どう?似合ってるかな?」

 リリヤさんは自分の姿を見せるために僕の前に回る。後ろ歩きなのは少し危なっかしかったが、ここは人通りも少ないので誰かにぶつかることはないだろう。

 「とても、良く、似合ってると思います」

 これは言い繕いではない。本当に良く似合っていた。ただこうやって女性を面と向かって褒めるのは慣れていない。どうしても照れが出る。

 「良かった。ありがとう、傭兵さん。この服、大切にするね」

 上機嫌に、僕の横へと戻ってくる。やはり買ってよかったと思えた。

 大通りまでの帰り道は荷物が増えたこともあり、途中で見つけた辻馬車で戻ることにした。

 戻ってからまずは一度宿に寄り、荷物を置いていってから再び買い物に出た。

 宿には置いていないアメニティグッズの数々を買い揃えていく。そもそもこの世界の宿ではアメニティグッズを置いてある場所のほうが少ないらしい。リリヤさんに髭が伸びている事も指摘されて剃刀も買った。アバターなのに髭が伸びるとは思わなかった。

 また荷物が増えた所で雑嚢も買う。宿暮らしなのだから荷物は一括で持ち運べる様にした方が良いだろうと、登山にでも持って行けそうな大きめの物を選んだ。

 「今日はこんな所ですね。大体の物は揃ったし、日も落ちてきましたから、そろそろ送ります」

 空が茜色になるはまだ少し時間が有るが、太陽は既に街壁に掛かっている。

 時間が過ぎるのはあっという間だった。リリヤさんと街を回るのが単純に楽しかったというのも有るが、この世界で物を揃えるには各専門店を回らなければいけないのだ。生活インフラは整備されていて、不便は有ってもストレスというほどではないが、物流は現実世界ほどに洗練されていないのかもしれない。

 「もうそんな時間?」

 「路地裏は暗くなるのが早いですから」

 建物の間隔が狭い路地裏は日の光が届きにくく、街灯も窓からの灯りも無い。昨日は今より少し遅い程度の夕暮れ時だったが、それでも路地裏は暗くなり過ぎていた。

 「そっか、そうだね」

 リリヤさんも肯き、帰路へつく。

 やはり帰り着いた頃には店先は暗くなっていた。真上の空だけはまだ赤い。

 「ただいま」

 「おぅ、おかえり」

 店に入ると、出る時と同様にオーナーがカウンターの向こうに座っていた。店の奥から聞こえる嬌声はなく、今は客は居ないらしかった。夜の方が居そうなものだがこの店は違うのだろうか。

 「なんだ、随分と上品な服になって帰ってきたな。って、旦那も服が変わってるな。ついでに買って貰ったのか?」

 「そうなの。似合うでしょ?」

 「んー、何時もはカーラみたいにケバいの着てるからちょっと違和感があるな」

 「ひっどーい!そんな風に思ってたんだ!カーラ姐さんに言いつけてやる」

 「おい!待て、やめろ!違和感ってのは良い意味でだ!良い意味で!」

 口下手の僕でもその言い訳は無いだろうと思えた。

 「姐さーん?オーナーがね……」

 リリヤさんは暖簾の奥に行ってしまった。

 「あーあ、あの馬鹿、旦那に挨拶もせずに行っちまいやがった。……すまんね、そそっかしい奴で」

 オーナーはボクの方に向き直って謝る。

 「いえ、別に構いません。それより、今日の料金なんですけど」

 「あぁ、そうか。それじゃあ、えーっと……、2000で良いかい?」

 オーナーは置き時計の方を見ながら勘定した。

 「安すぎるのでは?」

 時給換算では昨日の半額だ。

 「街の案内だけで2000なんてむしろボッタクリだぜ?昨日が貰い過ぎだったんだ」

 怪訝な顔をされてしまう。

 「あのな旦那、普通は一人で昼から日没までぶっ続けて客なんて取れねぇから、その半分でも一日の稼ぎとしちゃ上出来なんだ。稼ぎが多いに越した事は無いんだろうがよ、うちらみたいなのが身の丈に合わねぇ銭を貰い慣れると、大抵が碌な事にならねぇんだ。だから勘弁してくれねぇかい」

 含蓄のある言葉だった。昨日今日の自分の行いを思うと身につまされる。

 「それでも払いたいってんなら今からうちで遊んで行くかい?旦那なら綺麗に遊んでいってくれそうだし大歓迎だぜ?ただし差額を考えると豪遊になるから覚悟したほうが良いかもな」

 人が真剣に反省していると、オーナーはニヤつきながらそんな事を提案してきた。

 「すみません、今日はこれで」

 臆病風に吹かれて素直に先程の料金を支払う事にした。

 「はっはっはっ、まいどあり。まぁ、豪遊は冗談にしても、大歓迎ってのは本当なんで、これからも懲りずに贔屓してやってくだせえ」

 オーナーは料金を受け取ると畏まって頭を下げた。見た目に反し腰が低い。妙に頭を下げ慣れている様に見えた。

 「ねぇ、オーナー……」

 突然、恨めしさが滲む底冷えしそうな女の声が聞こえた。

 「私ってそんなにケバいかしら?」

 声の方を見ると暖簾の向こうからカーラさんが顔を覗かせていた。こめかみに青筋を立て、目が据わっている。元々目付きが鋭い印象だったが、今は視線だけで人を射殺せそうな位だ。

 「おっ、おい、客の前で……」

 「その客の前で私の事なんて言ったの?」

 「ごめんなさい」

 オーナーは完全に縮み上がっていた。もしかして頭を下げ慣れている理由はこれなのだろうか。

 「なんて言ったの?」

 謝っても追求は緩めてもらえなかった。

 「あ、あれは、こ、言葉の綾だ、本当はほら、えーっと、もっと別の事を言いたくて……」

 オーナーは視線で僕に助けを求めてきた。

 「……色使いが華やかとか、豪華なのが似合っているとか」

 僕は口元を隠し、小声でオーナーにだけ聞こえるようにアドバイスをする。

 「そ、そう!華やかで豪華だって……」

 「ねぇ、オーナー。私そんな借り物の言葉が聞きたいんじゃないの」

 不満だったのだろう。カーラさんはオーナーに詰め寄り、その強面の顎を持ち上げて目を覗き込む。万事休す、オーナーにはもう視線すら逃がして貰えそうにない。

 二人から目を逸らすと、今度は暖簾から顔だけだしてオーナーとカーラさんを見つめる野次馬を見つけた。店の娘たちである。その先頭でリリヤさんが口に手を当て「やっちゃった」って顔をしている。

 「この際だから正直に白状してみなさいな。普段から私の事どう思っていたの?」

 なんだか妙な修羅場に出くわしてしまったものである。

 「普段からどうって……」

 しかし此処に来てオーナーは表情を引き締め、

 「そりゃあ誰よりも一等で綺麗だと思ってる。お前がどう飾ろうがそれだけは変わらん」

 修羅場を正念場に変えた。野次馬から黄色い歓声が挙がる。

 「……ふん、そんな世辞が言えるなら最初から言いなさいよ」

 カーラさんはオーナーから離れた。

 「あんた達!もどりなさい!」

 そのまま暖簾の向こうに戻りながら野次馬を追い返した。

 「……すまんね、変なところ見せて」

 「いえ、お見事でした」

 「嫌みか!」

 オーナーは一気に疲れが出たかの様に溜め息を吐きながら項垂れた。

 「ごめんなさい、オーナー。姐さんがあんなに怒るとは思わなくて」

 戻ってきてリリヤさんは苦笑しながらオーナーに謝った。

 「女所帯に男一人でただでさえ肩身狭いってのに、これ以上イジメてくれるな。それとだな、仕事は客を見送るまでちゃんとしろと何時も言っているだろう、そこを疎かにしていると……」

 「分かってるって、だから戻ってきたのに」

 行儀に口を出す親と、それを少し煩わしそうにする子のやり取り。昼にも感じた、他所の家庭の一幕を覗いている感覚を思い出す。

 「それじゃあ、傭兵さん。今日は色々とありがとうね」

 「いえ、こちらこそ。お陰で必要な物は大体揃いました」

 「あっ、そうだ。まだ日が沈んだばかりだし、今からうちで遊んでく?傭兵さんなら大歓迎だよ?」

 この店で定番のネタなのだろうか。リリヤさんはオーナーと同じニヤついた顔で同じことを聞いてきた。

 「今日はこれで帰ります。あとそのくだりは、さっきオーナーとやりました」

 「ちぇっ」

 僕の返答にリリヤさんはわざと拗ねたように口を尖らせたが、すぐにいつもの笑顔に戻る。

 「では、失礼します」

 リリヤさはが僕を見送るのに店先まで一緒に出てきた。

 「それじゃあ、道が暗いから気を付けてね」

 「はい」

 小さく手を振る彼女に、こちらも手を振り返しながら踵を返す。

 「ねぇ、傭兵さん」

 しかし、その途中で何故か呼び止められた。

 「あの、その……、私にあまり遠慮とか、しなくても大丈夫だからね?」

 先程の笑顔と違い、何故か途端に心配そうな顔で、歯切れ悪く、そんな事を言う。

 「遠慮ですか?」

 「うん……、困ってることとか悩みとか……、何でも……、相談に乗るから。……あはは、何言ってるんだろう私」

 彼女の中でも上手く纏まっていなかったのか、途中で笑って誤魔化された。

 「分かりました。また今日みたいに、何か探しものとか行きたい場所があったら頼ることにします」

 誤魔化しの笑いに乗って、僕も笑って応える。

 「うん、何時でも大丈夫だから。それじゃあ、呼び止めてごめんなさい。またね」

 「はい、それではまた」

 もう一度、手を振りながら、店先から暗い路地裏へ踵を返す。

 少しして、後ろで見送る彼女が店の中へ戻る気配がした。

 同時に、先程まであった胸の裡を満たしていたものが、彼女へと向けていた作り笑いとともに流れ落ち、冷めていく。

 この虚しさだけは如何ともし難かった。






 ゲームの中に閉じ込められて二日目。目が醒めてまず感じたことは、ゲームの中に閉じ込められたという、この巫山戯た状況が夢ではなかった事に対する大きな落胆だった。

 後先考えず、半ば自棄気味に部屋を取った高級ホテルのベッドの中、目が醒めても一向に起き上がる気になれなかった。キングサイズのベッドは、寝返りをうつ度に人恋しくなってしまうくらいに広い。

 しかし、それを小一時間で切り上げる。今はベッドの中で愚図々々していても、かまってくれる人は居ないのだ。こんな状況だろうと彼ならば、私を助けに来てくれるんじゃないかだなんて、都合の良い妄想を膨らませても余計に虚しくなるだけである。

 昨晩は風呂にも入らず寝てしまったので、あれこれ考えるより先に風呂に入る事にした。

 そしてルームサービスでダイニングルームに用意してもらった遅めの朝食をとりながら、ぼんやりと思い付くままに、これからの方針について考えることにする。

 始めはこの状況が大掛かりな悪戯で、それならば脱出方法を探すべきだと思っていたが、昨日得た情報でそれも怪しくなってしまった。今の自分に元の肉体が無いのならば自身の消滅を、とも思うのだが現状ではどちらにせよそこまでの道程が見えない。

 要はまだままだ情報が少なすぎて、考えがまとまりきらないのだ。どこから手を付けて良いのかすら分からない。出来れば山賀進一という男の素性や、この世界のシステム構造と言った根幹的な所を知りたいが、GMコールはもう出来なくなってしまっている。

 ならば他のプレイヤーをあたってみるのはどうだろうか。俺とは違う情報を引き出せた奴も居るかもしれないし、あわよくばまだGMコールを使っていない奴も見つかるかもしれない。ただ俺とまともに話をしてくれる奴がいるかどうかという不安も有るのだが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 取り敢えず、今日の活動方針は決まった。

 適当に身支度を整えてホテルを出る。フレンドリストが機能していれば、数少ない友好的なプレイヤーとも連絡が取れて情報交換も直ぐに出来るのだろうが、今はコミュニケーションツールの一切が無くなってしまいっているので、自分の足で探し出さねばならない。

 探す場所の目星は付いている。ギルドホールが存在しない今、プレイヤーらが目印にしそうな物と言えば大聖堂くらいだろう。アップデート前から存在し、尚且つ目立つ建物で出入りの自由な所はそれくらいしかない。

 記憶を頼りに大聖堂を目指して歩く。ゲームそのままの今の身体能力なら、屋根伝いに跳躍して道をショートカットできるが、昨日はそれで少なくない数の瓦を踏み壊してしまったので控えることにする。急に現実と変わらない仮想空間の街に放り出され、混乱していたとは言え力任せに街のあちこちを駆け回るのは冷静さが足りなかった。

 途中で道に迷いかけたが、結局は一度だけNPCに道を尋ねただけで大聖堂まで辿り着けた。

 以前より質感の増した大聖堂の大きな扉を開ける。中は思っていた通り、一見してプレイヤーと分かる人間ばかりだった。アバター特有の不自然さを感じる程に整った容姿と、派手な意匠の装備品が目につくのである。

 NPCの挙動が現実の人間と大差なく、数が増えてプレイヤーの方がマイノリティになった事で、以前の装備のまま街を出歩くのは、白昼堂々コスプレをしているようなおかしさを感じたので、自分は早々に普通の服に着替えてしまった。しかし此処にいるプレイヤー達は違うようだった。

 そんな奴等ばかりの身廊の中に知り合いが居ないか探すと、奥の祭壇の脇に見覚えのある人物が立っているのを見つけた。

 「よぉ、ブレイド」

 近付き、声を掛ける。以前、在籍していたことのあるギルドのマスターで、尚且つこのゲームで一番付き合いの長いプレイヤーでもある。真っ先にこいつに出会えたのは運が良かった。

 「シェリーさん、あなたも居たんですね」

 ブレイドは嫌味のない笑顔を向けてくる。その容姿はよくありがちな金髪紅眼の美青年のアバター。しかし既成のモデルの改造でなく一からの手製である。その割に変な癖もなく、骨格にも不自然さが無い。いつ見てもその出来の良さは無類だ。

 「残念ながらな。他の奴らは?」

 ブレイドは一人で立っており、何時もなら近くに噛み付いてくる腰巾着が居るのだが、今は見当たらない。

 「皆でギルドメンバーの捜索に出掛けています。まだ十人も揃っていませんから」

 昨日の今日とはいえ、想像以上に集まりが悪いようだった。街が広がった事より、やはり連絡がつかないせいなのだろう。

 「なるほどな。お前は行かないのか?」

 「此処で目印代わりに待っていて欲しいそうです。これではギルドマスターではなくギルドモニュメントですね」

 ブレイドは飄々と、大して面白くもない冗談を言う。ジョークセンスの無さは相変わらずである。

 「何時もながら余裕が有るな、お前は」

 「私が滅入ってもギルドの空気が悪くなるだけですから、空元気も元気の内ってやつです」

 その容姿とPvP中の苛烈なプレイスタイルに比べると、毒にも薬にもならない無難なことしか言わない。こういう所も相変わらずだった。

 「情報交換がしたい。今のこの世界は分からないことが多すぎる」

 今は世間話をしている気分ではないので、端的に要件を伝える。

 「同感です。この異常事態、ギルドメンバーに限らず皆が不安を抱えています。それを取り除くにはやはり現状の把握が必要ですからね」

 話が早くて助かる。うるさい腰巾着が居なければ、俺とブレイドの話は脱線すること無くスムーズに終わるのだ。

 しかし、そうして得られた情報は期待に沿うものでは無かった。

 ブレイドがGMコール時に山賀進一と話した内容は、俺の時と大差が無かったようだ。ブレイドが知るかぎり、他のプレイヤーも同様だという。

 念のために現役プレイヤーのブレイドに、今が何年の何月何日か確認してみたが、彼も記憶は2160年の12月16日までとなっており、俺と大差がなかった。他にも以前に交わした最後の会話等、共通の記憶を確認し合うがそれにも差異は認められなかった。プレイヤーの記憶が最後のログインまでと言う情報は、ブレイド達も引退済みプレイヤーを見つけていたので知っていた。

 結局、情報交換は仕様の変更箇所や他プレイヤーの目撃情報と言った些事に終始する事となった。途中でブレイドが、身廊に居た他のプレイヤーらにも声をかけて情報交換の輪を広げたが、それでも結果は変わらなかった。

 仕様変更の確認が必要無いとは言わないが、それは現状への適応に必要な情報であって、現状を打破するために必要な情報であるとは言い難い。

 自分の欲する情報は得られそうにないと、諦めかけた所でブレイドの腰巾着が仲間を引き連れて戻ってきたので大聖堂を後にした。今はあいつらと戯れ合う気にはなれなかった。

 情報収集の出鼻を挫かれ、意気消沈のまま大通りの方へと戻る。

 このままホテルに戻って不貞寝でもしてやろうかと思っていたその時、遠目に見知った顔を見つける。アマミ・ユキハル、もといスプリング・スノウである。流石に昨日の今日で忘れるわけがなかった。

 VR内だと喋りすぎて鬱陶しがられる俺の話を、初対面でじっと我慢して聞いてくれるあたり、悪いやつではないのだろうし、適当に合いの手を入れてくれるから話し甲斐がないわけではない。ただし、初日から状況に飲み込まれてしまっている意志の薄弱さが、見ていて心配になる奴だった。

 けれど不貞寝するよりは、スノウと話していたほうが幾らか建設的だろうと思い、声を掛けようと思った所で、彼が女連れである事に気がついた。

 「……なんだ、平気そうじゃん」

 スノウは快活な笑顔を隣を歩く女の子に向けている。あの酒場で一人、ビール相手にこの世の終わりのような暗い顔をしていた男とはまるで別人のようだった。

 「うわぁ、こんな街中で恋人繋ぎまでしちゃって、まぁ。……心配するだけ損だったな」

 ふと、スノウが昨日とは服装が違うことに気が付いた。暑苦しそうな厚手の鎧下ではなく、薄手のシャツとサマーベストという大学生のような格好をしている。

 「……」

 自分の昨日と同じ格好を見下ろし、次に自分の肩の辺りを臭いを嗅いでみたらかなり酒臭かった。風呂に入っても服の臭いは取れないのだから当たり前だ。

 スノウは女の子と薬局らしき店に入り、その姿が見えなくなった。

 それを見て、自分も身の回りの物を用意した方が良さそうだなと思った。この世界からの脱出は、長丁場になりそうなのだから、焦らずに構えるべきだろう。

 そうと決まれば行動あるのみである。そこら辺のNPCに道を尋ねながら、まずは一週間程度の着替えと、筆記用具、それらを入れておく鞄を買い揃えてホテルに戻る。

 自分の泊まっている場所はアメニティグッズが揃っているから、些細な物は買う必要がない。それでも足りない物は気がついたら、その都度に買い揃えればいい。

 服を着替えてから、部屋に備え付けられている調度品の机に向かう。早速買ってきた筆記用具で、白紙のノートに現時点で分かっている情報を全て書き連ね、更には推測と仮定を交えながら自身の考えを纏めていく。そこから必要と判断した検証内容の一覧も作り、次の活動の指針としていく。

 正直なところ、こうやって自分の頭のなかを渦巻く考えを纏めるというのは苦手だ。それでも今はもう誰も宛にならないのだから、自分がやるしか無いのだ。

 時間を掛けて書いたノートは、あまり出来が良いとはいえなかった。主観が多すぎて、なんだか日記みたいになり始めていたので、最後に日付を書き足して取り繕った。

 ノートから顔をあげ、出窓の方を見ると日が傾き始めていた。

 夕食はルームサービスではなく、ホテル内のレストランで採ったが、周りの客層を見ると居心地が悪かったので、食べ終わると早々に退散した。

 部屋に戻っても、一人では何もする事がないのに気がついたので街へと出る。

 もう一度、他のプレイヤーと情報の摺り合わせがしたかった。ノートを纏めている間に、色々と気が付いた事や、思いついた事が有ったからだ。

 そうして昨日と同じ酒場に入ると、奇遇にもまたスノウを見つけた。

 しかも昨日と同じ席で、ビール相手に同じ顔をしていた。

 昼間の笑顔は何処に置いてきたのだろうか。

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