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 GMコールはこちらが呆然とし、問いを見つけられずにいるとそのまま終了してしまった。GUIはそれっきり表示されなくなり、メニューを呼び出すことすら出来なくなった。

 その後、最初の街、王都エアスティアに戻されたは良いが、何をしたら良いのかすら見当がつかなかった。さっきのアレは担がれただけなのではないかと思いもしたが、待っていても一向に何の変化の兆しも無かった。

 そうやって何もしなくても、腹は減るし、疲れるのだ。ただ立ち尽くしているだけでも、以前には感じなかった防具の重みにもうんざりしてくる。

 そのまま何時までも立ち尽くしているわけにもいかず、とりあえず、まずは嵩張る防具を貸し倉庫へ預けるか、当面の活動費をおろしに銀行へ立ち寄ろうと考る。しかし直ぐに、道が分からない事に気付かされる。

 この街はゲームの開始地点でもあり、ゲームプレイ中に入用となる主要施設も多いため、自分も見飽きるくらいには知っている筈の街なのだが、街並みが似ているだけで、その中身は全然別物になっていたのだ。また王都エアスティアは以前から最も大きい街ではあったが、その面積は精々が大型の遊園地程度であったにも関わらず、それが今では少々歩きまわった程度では規模が把握できない広さにまでなっていた。以前なら街を囲む高い街壁が、街の何処にいても目についたのだが、それすら見える距離にはない。そして決定的なのは以前の様にマップ表示が出来ないことだった。

 始めに街並みが似ているからと、高を括って道も聞かずに歩きまわったのがいけなかった。見慣れた筈の街並みが、突如として迷路と化したかのような気分になってくる。何処まで行っても代わり映えのしない景色がそうさせるのかもしれない。風景に既視感は有るのだが、有るのは只それだけで、何の宛にもならないのだ。

 そしてそれに焦り始めた頃には、何時の間にか人気のない薄暗い裏路地に迷い込んでいた。日当たりが悪いせいか、空気が湿っていて少しカビ臭い。こんなに雰囲気の悪い路地裏が、表通りとシームレスに繋がっているとは思いもしなかった。

 あたりを見回すが、今来たばかりの道すらさっきとは違うようにみえる。ここまで自分の位置や、目的地が見えない致命的な迷子は、幼少の時以来ではないだろうか。

 「傭兵さん傭兵さん」

 途方に暮れ、辺りを見渡してると、そんな声が聞こえてきた。

 「ねぇ、傭兵さんってば」

 「あ、はい」

 胸甲の背中側をコツコツと爪で突付く音に、自分が話しかけらてるのだと気付き振り返る。そこには声の通り女の子が居た。光沢の有る金髪、褐色の肌、青い瞳の可愛らしい女の子。しかし、その姿に驚かされる。

 人通りの無い路地裏で、いつの間に僕の後ろに現れたのだろうか。

 「お店ならこっちじゃなくてあっちだよ?」

 そう言いながら路地裏の奥のほうを指さす女の子の服装は、随分と布の面積が少なく、生地も薄かったのだ。その褐色の肌がどうしても目につく。体つきも背が低いというだけで、幼いという訳ではない。

 「い、いや、違うんだ、いや、違うんです。ちょっと道に迷ってしまって……」

 女の子の服装と、言葉に、自分が迷い込んだ場所を察する。しかし、このゲームは推奨年齢15歳以上で、性的な表現も無ければゴア表現も無いはずだった。その変化に戸惑う。

 「あれ?ごめんなさい。こんな路地裏に入って来る傭兵さんみたいな人って、うちのお客さんくらいだからてっきり」

 傭兵ではないのだが、今の自分が何かと問われると、答えに困るので訂正のしようがない。

 「こちらこそ紛らわしくてすみません」

 服装はそのデザインがどう見ても防具には見えず、またその容姿はプレイヤーのアバターでは設定できないものだった。話の内容からしても相手はNPCの筈なのだが、挙動と受け答えの自然さに、とてもNPCを相手にしている様に思えなかった。貴方はNPCですかと、そう問いかける事にすら躊躇いが生じる程にである。故に自ずと、僕の口から出る言葉は畏まっていた。

 「ふふっ、傭兵さん面白いね、傭兵さんなのに傭兵さんじゃないみたい。それにこういう所に慣れてない感じ」

 僕の敬語が可笑しかったのだろうか、彼女は小さく笑う。NPCであるはずなのだがどうみてもその仕草は、生身の人間そのものだった。

 「あの、ところで道を教えてもらってもいいですか?完全に迷ってしまったみたいで」

 NPCと自然に会話が出来る事自体に多少の違和感を覚えるが、今考え込んでも仕方の無い事と割り切る。人と同じように受け答えができるならば、そのまま人と接するように振る舞えば良いだけの事だ。

 「うん、良いよ。何処へ行くの?」

 快諾と、先程の面白そうに笑うのとは違う、愛想の良い笑顔。

 「カリンガ第一倉庫とエアスティア中央銀行なんですけど」

 「んー?あの倉庫ってすっごくでっかいし、銀行は大通り沿いだからすぐに分かると思うんだけど……、傭兵さんもしかしてこの街も初めてなの?」

 初めてではない筈だったのだが、こうも勝手が違ってしまっては初めてと言っても良かった。あと彼女はしれっと、この街‘も’と言ったが、彼女が何を察したのかは分からない。しかし、いずれにせよ図星の様な気がするので余計なことは言うまい。

 「はい、なので土地勘はさっぱり」

 「そっかぁ、じゃあねぇ……」

 そう言うと近くに落ちてた石を拾い、ガリガリと石畳の上に地図を書き始めた。敷石の一つ一つが大きく、磨かれて凹凸も少なく書きやすそうなのだが、色が薄くて見づらかった。あと屈み込んでいるせいで、只でさえ布の面積の少ない衣服の隙間から色々と見えそうになり目のやり場に困る。見るべきものが良く見えず、余計なものばかり目につくのは多分僕のせいではない。

 「ここが今居る場所で……」

 通りの名や、目印になりそうなものを交えて説明してくれているが、いまいち要領を得ない。説明は悪くはないと思う、この場合、非は明らかに僕に有った。彼女の挙げるこの街のランドマークが尽く分からないのでは、彼女も説明のし甲斐がないのではないだろうか。

 「んー」

 二人であーでもない、こーでもないと悩む。そしてこの子は話し好きなのか、話し込むにつれて話題の脱線が増えてきた。しかしそれを少し楽しいと思い始めている自分が居る。おかげで余計に話が纏まらない。

 「これなら私が直接案内した方が良いかも」

 さすがに冗長になってきたかと思ったタイミングでの提案だった。

 「良いんですか?」

 それよりもその格好でうろついても大丈夫なのだろうか。

 「うん、でもね、ちょっと言いにくいんだけど、私、待ち時間だけど一応お仕事中だから……」

 「あぁ……」

 こんな時間から客など居るのだろうか。その業界の事情が全然分からない。

 「えっとね、だからその分を案内賃として貰えたらなぁって……」

 「お幾らですか?」

 そういう事の相場など見当が付かなかった。そもそも今の状態で物価がどうなっているのか、何か変化が有ったのかすら把握できていない。回復薬や基本的な消耗品の価格すら確認できていないのに、以前にはなかった物の価格までも知る由がなかった。

 「大丈夫だよ、私これだから安いもの」

 こちらの不慣れを察して、朗らかに笑いながら、そう言って自分の右目を指さす。奇異の目を向けまいと気をつけていた箇所である。左の透き通るような青い瞳とは違い、そこは黒地に白い花の刺繍が施された眼帯で覆われている。顔の右半分、額から頬まで隠す半ば仮面のような大きく広い眼帯だ。そして眼帯の下から首筋、さらに鎖骨より下、薄い布に隠されたその先へ広がる火傷跡の様な皮膚の引き攣り。赤みはなく、随分前のものだろう。右肩、右腕、掌にも続いている。それが理由で安いと、まるで果物の傷と同列の様に言う。それで商売をすると言うのなら道理なのかも知れないが、しかし釈然としないのは倫理故か。

 「あの、具体的には」

 歯痒さに言葉が詰まるのを堪える。

 「えーっとねぇ、倉庫と銀行を歩いて回ると結構時間かかるからぁ、多分これくらいかなぁ」

 開いた掌に指三本を合わせてこちらに向ける。首を傾げながら、多分というあたり随分とアバウトだが良いのだろうか。あっ、一本下げた。

 しかし、具体的にといったのに上一桁しか教えてくれないのはどうなのだろうか。やっぱり分からない。しかしあまり安いイメージはない。つまり。

 「…………七万?」

 「えーっ!?」

 高過ぎたようだ。驚きながらもちょっと口元が緩んでいる。

 「高すぎたかな?」

 「い、いいえ、七万でございます、大旦那様」

 ぎこちない笑顔で口調まで変わってしまっている。明らかにダウトだった。

 「桁が一つ多い?」

 「…………んーん、二つ」

 正直者だった。そして僕は随分な世間知らずに見えたことだろう。

 「……あぁ、それくらいだったら全然大丈夫です」

 思っていたより安いのでコレなら誰かに聞きながら歩きまわるよりは、直接案内してもらったほうが楽かもしれない。

 地名もランドマークも録に知らずに言葉だけで教えてもらっても、さっき彼女とあれこれ悩んだのと同じ事を、道中で繰り返すだけかもしれないのだ。

 「安いって言ったのは私だけど、それくらいって……、傭兵さんって実はお金持ち。もしかして騎士様?あぁ、だとしたら私ってばさっきから……」

 「いや、僕は別に騎士では」

 「うーん、でも着てる鎧も凄く良い物っぽいし、傭兵さんは傭兵さんでも凄い傭兵さんなんだね、きっと」

 特殊効果の一つも付与されていない、NPCが販売している素の防具なのでそう良いものでもない。それに自分の地位というのはやはり不明なのでどう訂正して良いものか悩む。

 「あの、金額は大丈夫なんですけど、ただ銀行に行くまで手持ちがなくて……」

 「そっかぁ、うん、多分だけど後払いでも大丈夫。……あ、やっぱりお店で確認してくるから待っててね」

 そう言って路地裏の奥へ走って行ってしまった。先程から表情もコロコロ変わるし、動きもバタバタとしていたし、愛嬌が有るぶん妙に忙しない娘である。

 数分もしない内に走って戻ってきた。

 「もう少し待っててね」

 そう言いながら、すぐ近くの建物に飛び込んでいき、間もなくして小さな包みを持って出てきた。そしてまた路地裏の奥へ走っていく。動き出すと本当に忙しない様だ。

 「お待たせ」

 今度は戻ってくるのが更に早かった。

 「それで、後払いでも大丈夫そうですか?」

 「駄目って言われたから立替えて来ちゃった。やっぱり聞いておいて正解だったみたい」

 「えっ、いや、そこまで」

 なんともフットワークが軽い。しかし、其処までしてもらって良いのだろうか。

 「傭兵さんなら真面目そうだし、大丈夫かなって。という訳で、またもう少し待っててもらって良いかな?着替えてこなくちゃ」

 やはりその格好では無理のようだった。

 「もしかしてこの家って」

 先ほど彼女が飛び込んだ家。表の通りに面してる建物と同じ建築様式と意匠の白い漆喰で塗られた建物だが、罅割れや剥げが目立ち、下地が見えてしまっている。戸板は一部腐りかけてるようにすら見えた。

 「うん、私達の家だよ」

 私達、と言うことは一軒家ではなく、職場の寮みたいなものだろうか。これで彼女が何時の間にか僕の後ろに現れた理由が分かった。僕が彼女の家の目の前で突っ立って悩んでいたのだ。

 「すぐに着替えてくるね」

 女性の準備だから時間がかかるかと思ったが、そんな事もなく、本当に直ぐだった。掛かった時間からすると本当に服を着替えただけなのだろう。

 当たり前ではあるが出てきた彼女は先程とは打って変わって普通の服装だった。凝った刺繍とパッチワークが施された、色使いのおしゃれなワンピース。ともすれば悪目立ちしてしまいそうな色合いも、彼女の褐色の肌にはとてもよく似合っている。ただ惜しむらくは、近くで見ると色褪せや毛羽立ちが目につき、チープさが拭えないことだった。

 「それじゃあ、行きましょう?」

 彼女の案内で、まずは銀行を目指す。彼女はやはり話し好きなのだろう、道中で話が途切れることはなかった。ただその大半はこちらが街に不慣れなのを慮ってか、倉庫と銀行以外の街の主要施設や、宿や飲食ならどこに行けばよいのか等で、道案内というよりは観光案内の様になっていた。

 こうやって話をして、それぞれの内情を知るだけで、迷っている内は以前と変わらずにイミテーションにしか見えなかった、NPCや建物が、しっかりと血が通い、時を経た物に見えてくるのだから自分の感性はなんとも都合の良いものである。

 話をしながら歩いている内に銀行に着く。彼女の言っていた通り、銀行は大通り沿いに有り、距離は有ったが道のりは単純で、次からは一人でも迷うことは無さそうだった。

 案内中に教えてもらった宿や飲食店の相場を参考に、当面の生活費を銀行でおろす。忘れない内に案内料を支払い、次はカリンガ第一倉庫を目指す。

 「そうだ、そう言えば傭兵さんの名前ってなんていうの?私はリリヤ」

 そう言えば名前を聞いていなかったのだ。ただの道案内なのだから当然と言えば当然なのだが、問われたのなら答えない理由もなかった。名乗られたのなら尚更である。

 「アマミ・ユキハルです」

 この世界での感覚が、現実と遜色なくなって、ゲームの中にいるという気分が希薄になったせいか、間違えて本名を名乗ってしまう。

 「アマミユキハル?長い名前なのね」

 リリヤさんの口にした僕の名は、繋ぎ目がなく別物みたいになっていた。

 「アマミが苗字でユキハルが名前です」

 「傭兵さん、自分の名前だけじゃなくて家名まで有るんだ……、やっぱり騎士様?でも色々とこの国の人じゃないっぽいし、この街は初めてって言ってたし……」

 リリヤさんは、あれこれ考えた後に、こちらをきょとんと見つめ、目で問うてくる。何者なのかと。自分の存在が、この世界ではどういう存在なのか分からず、答えに窮する。この世界に立脚点を持たず、突然放り込まれただけの自分が、何者かなど分かるわけがなかった。強いて言うならプレイヤーなのだが、それがNPCに通じるのか疑問なのだ。

 「ごめんなさい、訳あり―――」

 彼女の話を遮るように、僕のお腹が大きく鳴った。空腹感は道に迷っている間から有ったが街中でも音が聞き取れるほどの音をたてるとは思いもしなかった。しかもタイミングが悪過ぎて赤面ものである。話を遮られたリリヤさんも笑いをこらえていた。

 「すみません、まだ何も食べてなくて」

 「先に何処かで食事していく?私もまだだったから丁度いいかも」

 「そうして貰えると助かります」

 空腹のまま歩き続けていたせいか、飢餓感は無視できないものになっていた。

 彼女の案内で、道すがらにある大通り沿いの大きめの店に入る。店の看板にはvi……、ヴィなんとかと書いてあるのは分かるがどう読むのか分からなかった。

 内装はレストランと言うよりは酒場に近く、カウンターも有り、その奥には一面に酒瓶が並んでいる。しかし、昼間からも客は多く、店内の雰囲気も明るく食事処としても申し分なさそうだった。

 店内に入ってから防具が邪魔なのに気付き迷ったが、食事中は店の方で預かってくれるとの事だった。防具を付けて来店する客が普段から居るということだろうか。軽装な自分は胸甲と篭手を外すだけで済むが、全身鎧のプレイヤーは一苦労だろう。そもそも武装して来店するほうがおかしいのだろうけれど。

 ウェイトレスの案内で窓際のテーブル席に座る。表の通りがよく見える席だった。

 リリヤさん曰く、この周辺ではこの店がメニューが豊富でありながら、値段と味のバランスが一番良い店らしい。此処以上を求めると値段が跳ね上がり、また以下となると安かろう悪かろうになるのだと、とても自信あり気だった。

「良さそうな店ですね、……メニューが豊富過ぎて迷いますけど」

手にとったお品書きは、品目だけが並ぶ簡素なものであるにも関わらず、それが幾頁にも続き厚みがある。

 「ほとんどお酒だよ、それ。しかも直ぐに入れ替わるから、お酒飲みに来た人以外は見るだけ損なの」

 「なるほど」

 よく見ればルーズリーフの様に綴じられており、差し替え出来るようになっていた。

 「今の時間なら日替わりのランチセットがお薦めかな。私はそのつもり」

 「では僕も同じものを」

 慣れている人の判断に委ねるべきだろう。

 揃って同じランチセットを注文した。

 「この店には良く来るんですか?」

 「私はたまに。外食ばかり出来ないし。姐さん達は仲の良いお客さんに良く連れて来てもらうみたいだいけど」

 「姐さん達、と言うのはリリヤさんと同じお店の?」

 「そう、みんな優しくて良い人達なのよ。お客さんの評判も良いし、私も小さい頃からお世話になってるの」

 世辞ではないのだろう、照れもなく自慢気に褒める。

 「小さい頃から……」

 ただその一言に嫌な想像が浮かぶ。

 「うん、私の親も家も物心つく前に焼けちゃったみたいで、その時に引き取ってくれる親戚も孤児院もあてが無くて、そこを拾ってもらったらしいの」

 想像は的はずれだった。しかしものの弾みとは言え、余計な事を聞いてしまった事に後悔する。火傷痕もその時の物なのだろう。ただ彼女自身は感傷なく、他人事のようにあっけらかんとしている。

 「だから働いていたって言うより、育てて貰ったって感じ。店に出るようになったのはつい最近だし、それまではずっと家事手伝いばかりで、稼ぎなんて殆ど無かったから」

 「それじゃあ、お店の人達は恩人、と言うよりは親代わりなんですね」

 「ふふふっ、そうね。今はもう身請けされて居なくなっちゃったけど、私を引き取ってくれた時の人達を、小さい頃は、お母さんって呼んでたくらいだったもの。それで後から来た人達をお姉ちゃんって。今はもう皆と同じように、姐さんって呼んでるけど」

 「後から来た人が姉ですか」

 「うちみたいな小さなお店だと、本当は稼ぎの無い子供を雇う事なんて、ましてや只で引き取る余裕なんて無いから、私より小さい子が来る事が無くって」

 リリヤさんの居る業界の事情は詳しく分からないが、その手の商売で子供を雇うというのは、推測するに奉公人とかそういう事だろうか。

 「情の深い人達だったんですね」

 「うん。……実はね私達の商売って、値段の割には私達の懐には殆どお金って入ってこないの。大抵が借金の形の身売りなんだから当然だけど、他にも上納金とかも有って生活するのもやっと。なのに皆でお金を出しあって私を育ててくれて。私を育てるのに掛かったお金なんて、全部私の借金にしちゃえば良かったのに、それも無くて……」

 恩を負い目と感じているのだろうか、リリヤさんは初めて暗い顔を見せる。

 「ならリリヤさんが今もそこに居る理由は……」

 幼子に負債を背負わせるような事をしなかったのは、育ての親として、我が子も同然と育てた子に、道を選べる自由を残したと言うこと事のはずである。

 「私の我が儘。姐さん達にも言われたわ、借金なんて無いんだから此処に残ることなんて無いって、むしろ足を洗ってさっさと出て行けって。でもね、私は今の場所も、仕事も、姐さん達も皆好きなの。好きで来たわけじゃない姐さん達ばかりだから、こんな事言ったら怒られるけど、私は自分で選んだの。体がコレだから向いてないけど、それでも、私を育ててくれたあの場所に……、あぁ、ごめんなさい、変な話になっちゃったね」

 「いえ……」

 話の方向をおかしくしたのは、踏み込んだことを聞いてしまった僕だ。さっきから迂闊が過ぎる。

 「そんな訳で私の身請けはタダ同然なんだけど……、どう?傭兵さん」

 「えっ!?あ、いや、その」

 寸前の流れから声のトーンも表情も変えずに、唐突に放たれた言葉の意味が一瞬分からず、しどろもどろになる。

 「私、傭兵さんみたいな人なら……、ごめんなさい、冗談よ」

 リリヤさんはまだ続けようとしていたのだろうが、こちらの動揺っぷりに、堪え切れず途中で表情を崩してしまっていた。

 反応に困る。動揺しながらもあれこれと脳裏で悩んでしまった僕の純情を返して欲しい。

 結局、ランチが来るまでの間、雑談は続いた。リリヤさんが努めて無難な話題を振って来たように思える。気を使わせてしまったかもしれない。

 そうしている内に出てきたランチは、鶏肉とほうれん草をふんだんに使ったオムレツとキッシュ、サラダとトマトスープとパン。焼き加減の差はあれどオムレツとキッシュのどちらも卵料理で、さらにボリュームが有りそのうえバターとスパイスが効いていて味付けが濃厚だった。

 空腹だった自分にはソレが丁度良く、平らげるのは苦ではなかった。女性には多すぎる様に思えたが、そんな心配は無用だったようでリリヤさんも余裕で完食していた。彼女は小柄な割には健啖なようである。

 お腹も十分に満たされ、今度こそ倉庫へと向かおうと、店を出たのも束の間、急にリリヤさんが立ち止まってしまった。

 彼女の視線の先、その足元を見ると、履いていたミュールの革紐が根本から千切れていたのだ。

 「んー、困ったなぁ。うちに帰れば直せるけど此処じゃあ……」

 そうは言うが、千切れた革紐の根本には何度も修繕された跡が有り、既にボロボロで、例え直せてもすぐに駄目になるように思えた。

 「そうだ」

 リリヤさんはポケットからハンカチを取り出し、土踏まずの辺りで、ミュールを足ごと括った。

 応急処置としては十分かもしれない。しかし

 「靴屋に寄りましょう、それでは長く持ちそうにない」

 あまり歩きやすそうには見えない。それに聞いた話では倉庫まではまだ距離があるはずである、その場しのぎで歩くには酷かもしれない。

 「でも私、新しい靴を買えるほどお金持ってないし、靴屋で直してもらうと高くつくし……」

 「僕が出しますよ、道案内を頼んだのは僕なんですから」

 そう、理由は僕にある。浅はかな憐憫を取ってつけた理由で隠す。

 「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 隠れていなかったかもしれない。少しでも気兼ねさせてしまう位なら、慣れない事はするべきじゃ無いと言うことだろうか。

 靴屋はそう遠くない場所にあった。新しい靴を選んでいる最中ののリリヤさんは、随分と遠慮がちだったが、とある靴を見つけると、それも一転した。本当に買って貰って良いのかと、念を押されたが、特別高い物を選んだわけでもないので、反対する理由もない。新しく買った靴に足を通し、店を出ると、彼女の足取りは目に見えて軽やかだった。

 「それで良かったんですか?もっと御洒落なのも有りましたけど」

 彼女が選んだのは、歩きやすそうではあるけれど、形も飾りも野暮ったい地味目の革靴だった。

 「んーん、コレが良かったの、飾り気の有る靴なら仕事用が有るから。だからもっと外を歩ける、しっかりとした靴が欲しかったの。大きくも小さくもない、ちゃんとした私の靴」

 ただ歩くための靴が、当たり前ではなかったと言う意味だろうか。彼女の養育費は、店の人達が出しあっていたそうだが、僕の想像よりももっと余裕がなかったのかもしれない。

 「小さい頃は裸足でも気にならなかったけど、大きくなるとそういう訳にも行かないもの。石畳が擦れて直ぐに足の裏がボロボロになっちゃう」

 彼女は買ったばかりの靴を、嬉しそうに笑顔で見つめながらがら歩く。爪先ばかり見て、あまりにも周りに不注意だったが、何となく止めるのが憚られた。

 手にはまだ革紐の千切れたミュールを持っていた、捨てる気は無いようである。

 「コレもまだ直せば履けるから。……この服もそう、姐さん達のお下がりを、自分で仕立て直してるの」

 ミュールを見ていた僕の視線に気づいて、そう教えてくれる。

 「貧乏臭いかな」

 「いえ、とても良く出来ていると思います。裁縫、得意なんですね」

 僅かでもチープだなんて思った、少し前の自分が恨めしかった。

 「ふふっ、ありがとう」

 不意にじっと見つめられるが、目を逸らすようなことはしない。きっと、してはいけない。

 「…………優しいのね、本物の騎士様みたい」

 彼女には、僕の底は知れている。その一つの青い目に見つめられると、そんな気がしてくる。出会って間もないにも関わらずである。

 結局、倉庫までの道中は、リリヤさんの履物が壊れたこと以外、特に何も無かった。煩わしい防具を預けて身軽になれば、案内もコレで終わるはずだった。なのに物足りなさが拭えない。

 「良ければ、もう少しこの街を案内してもらえませんか?」

 物足りなさにせっつかれて、柄にも無いことを口走る。

 「この街には、もしかしたら暫くのあいだ留まることになるかもしれないので、もっと良く知っておきたいんです。勿論、その分のお金は払います」

 やはり理由には取ってつけた様な浅薄さが透けてるような気がした。

 「うん、私で良ければ」

 それでもリリヤさんは承諾してくれる。

 引き続き、彼女の案内で街を散策する。先程までとは違い、特に行き先は決めず、気の向くままに歩きまわった。

 途中で思いつきから、街を一望出来る場所に連れて行ってもらった。場所は街の中に佇む古いレンガ造りの塔で、街がまだ小さかった昔の見張り台の名残だという。今ではその役割もなく、僅かな入場料で誰でも入れる観光名所になっているとの事だ。しかし塔自体には大した見所もなく、お金を払ってまで入ろうと思う人は少ないらしい。中は年中閑古鳥が鳴いているそうだ。

 塔の最上階の展望台は、全周がオープンテラスで囲われていた。テラスの手摺に寄り、街を眺める。

 わざわざこんな所に登った理由は、以前と似たような景色の街中を彷徨うばかりではなく、何処からか街を一望できれば、自分のいま居る場所が、街のどの辺りなのかを感覚的にでも把握できるのではないかという期待があったらだ。

 しかし期待は突き放されるように、宛が外れた。高層ビルと比べてしまえば、そう高くない塔だったが、街を俯瞰するには十分だった。現在地だけなら確かに把握できた。その代わりに、いま居るこの世界が自分の知らない世界だと、縁もゆかりも無い場所に放り出されたのだと思い知らされた。

 街は本当に以前のような娯楽の為だけにある限定的な空間ではなくなっている。山賀と名乗ったあの男の言葉の意味を、やっと実感できたと言って良いかもしれない。

 見覚えがあるはずの王城も大聖堂も街壁も、全てが遠く、広い。見下ろせる人々の営みは以前より豊かで煩雑だが、そこには僕が解る道標は何一つ無い。街は泰然とそこに有るだけなのに、自分の居場所が無いという、それだけの理由で、自分がこの景色の中に呑み込まれてしまいそうな気がしてくる。

 正午はとうに過ぎたが日はまだ十分に高い。明るく照らされた白昼の夢。さっきまで、街の中の目線では街を現実その物の様に思えていたはずなのに、こうやって見渡した途端に夢のように現実感が薄まり、このまま自分まであっさりと消えてしまうのではないかと錯覚した。

 僕は何故こんな所に居るのか。

 何処へ行けば良いのか。

 頭の中を巡る全てが曖昧になって、溶けてしまいそうだった。

 不意に手を引かれ、我に返る。

 「行きましょう?」

 リリヤさんは僕の手を引き、展望台のテラスから引き離した。彼女は何故か、塔を降りても僕の手を離さなかった。

 そのまま活気に溢れた青果市場の人混みに出くわす。

 並ぶ露店からは、甘果の纏わり付くような濃密な香りと、それを諌めるような柑橘の清涼な刺激、僅かに混じる青臭さが綯交ぜになって匂い立っている。

 手を繋いでいるからはぐれる心配はないだろうと思いつつも、リリヤさんの方を見ると、彼女は歩きにくそうにしていた。その理由を直ぐに察する。

 「こっちへ」

 リリヤさんの右側に回り、眼帯で覆われている死角を埋めるように、先ほどとは反対側の手を取る。

 僕の所作が急だったせいか、少し強張らせてしまったのが手から伝わってきた。それでも離さずに居ると直ぐに握り返してくれた。

 騒々しい人混みは続く。

 時折現れる人混みの間隙に出る度に、彼女は無言で、その指を段々と僕の指の股に滑りこませ、絡めてきた。

 互いに理由を問うことはしなかった。

 指が絡み合うほどに、彼女の歪な肌が擦れて焦燥と煩悶に苛まれる。

 鼻腔を埋め尽くす市場の芳香に、見当違いな昂ぶりを催す。

 そのくせに薄ぼんやりとした物足りなさは、より鮮明になるだけだった。

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