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プロローグ

 無尽に結ばれたる 実りの価は惜しむに足り

 幾千重の殉教は 尊きと望まれた


 其れは落果であり または虚実である

 然れども 果てを標とするが業である


 故に 傲りに満ちる者 数多の道理に脇目もふらず 己を縊り殺し

 飢え渇く者 痛みしか知らず 己が臓腑を食い散らかす


 ただ歩む者 倒れること叶わずとも 行く宛は無し


 何れに能わざる者 寂寞の広野に骨を晒し 無聊の慰みとする


 ならば滅びは普遍 救いは隘路と 断じるも已む無し


 そも 獣という軛 外れるが誤りであったか

 そも 神を知るが誤りであったか


 問うが誤りか

 思うが誤りか


 始まりを知る者はおらず


 終わりを遠ざけるを以って外に術は無く


"拘束対象の自宅より押収した一次資料に紛れていた自作の詩集らしきものより抜粋"

"当初は本件に関する何がしかの符牒であるかとも考えられたが精査の結果その可能性は否定され収録は不要と判断される"

"本件に関する資料の一切は漏洩が許されぬ事から重要性の如何に関わらず稼働中の原本を除き全ての一次資料は廃棄とする"





プロローグ




 白漆喰の外壁に橙色の洋瓦を頂いた建物が並ぶ町並み、磨かれた石畳が地面を覆う大通り。統一された建築様式と意匠は、まるで南欧の観光地を模した様である。土地の起伏は少なく、通りの蛇行も緩やかで、整然とした計画都市のような印象も受ける。

 そんな景色の中で、気がつけば佇んでいた。一体いつから立っていたのか、それすらも分からない程に、只々呆然と立ち尽くしていた。其処は慣れ親しんだと言うよりは、もう見飽きた仮想空間の街、VRゲーム、ブロークン・プロミスの最初の街である。その雑踏の中だった。

 ゲーム中に寝てしまい、放置されたアバターが何らかの理由で移動したのだろうか。茫洋とした意識がソレを肯定している気がした。

 しかし直前の行動が思い出せない。ゲームの途中で寝てしまっても、眠りが浅ければオートログアウトされない事は有るが、それなら僕はここに来る前に何をしていたのだろうか。

 ふと、何時も視界内に有るはずの、自身のステータス表示の一切がOFFになっていることに気づく。設定がいつの間にか変更されてしまったのだろう。

 そう思い、表示設定を変更するための(グラフィカル)(ユーザー)(インターフェース)を呼び出して操作するがメニューの項目が随分と少なくなっていた。

 操作するつもりだった表示設定どころか、アイテムインベントリ、装備、取得スキル一覧、、マップ、フレンドリスト、etc……、一切合切なくなり、残されていたのはメールとGM(ゲームマスター)コールの二つだけである。

 そしてそのメールのアイコンは新着を告げる明滅を繰り返している。

 きっと仕様変更が有ったのだろう。メールも多分それについてだと思われる。

 しかし、その仕様変更はいつの間にされたというのだろうか。

 それを不審に思ったその時、何かが肩にぶつかる。

 「あっ、ごめんなさい」

 大きな荷物を抱えた女性がぶつかったようだった。顔に見覚えはない、装いから察するに名もない(ノン)(プレイヤー)(キャラクター)のようだった。

「いえ、こちらこそ……」

 荷物を抱えた女性のNPCは通り過ぎていった。

 NPCの挙動に違和感を覚えながらも、ソレよりもぶつかった感触に意識を向けざるを得なかった。

 仮想空間内では有り得ないほどに、触れる全てが妙に生々しいのだ。

 一度意識した途端に、五感全てが喚起されていく。

 喉や舌が呼気で僅かに乾き、金属製の胸甲は不快な重みを伴って身にのしかかる。周囲の雑踏には人や生活の匂いや音が煩雑に入り乱れている。思わず自身の頬に手を当てる。掌を覆う分厚い革のざらついた感触、指先と手の甲を守る篭手の鉄臭さ。

 仮想の肉体(アバター)から伝わる、あらゆる情報の解像度が高すぎた。省かれるはずの雑多な不快さまでを含めた全てが伝わってくる。

 次々と湧く疑問に意識は覚醒していくが、かわりに段々と混乱してきた。


 やはり、大きな仕様変更が有ったのだ。


 とりあえず新着メールを確認せねば、とメニューを操作する。

 受信メールリストは過去の物が全て消え、新着の一通のみとなっていた。




______________________________________________


送信者:山賀進一やまがしんいち

件名:人の可能性

日付:--/--/--

______________________________________________




送信者の名は山賀進一となっていたが、そんな名前の知り合いは居ない。事態の不明さは一層増すばかりである。大仰な件名にどこか冷めたものを感じつつもメールを開く。




______________________________________________


突然の大規模アップデートを無断で実行したことを、まずはプレイヤー諸君等へお詫びしたい。

急な環境の変化に戸惑いを覚える者も少なくはないだろう。

今回のアップデートはその特性上、事前に知らせることが出来ず、どうしてもこのような形にならざるを得なかったのである。

アップデートのコンセプトは件名の通り【人の可能性】である。

私がこれを機に、君たちに渡したかった物は無限の時間と、しがらみの無い世界だ。

時間とは可能性である。そしてこの世界ではその可能性は減じることを知らない。

老も病もなく、人という個体が何の憂いも無く、悠久の時を経た時、その心は、その意志は、どの様に変貌し、何を成すのか。

それを想像ではなく事実として顕現させる為に、この世界は設えられた。

この世界は君達の為の楽園である。




※携帯していた武器及び、その他の所有物と所持金は、勝手ながら最寄りの下記の貸し倉庫と銀行に移させていただいた。一部の仕様変更により機能を失ったアイテムも有るが過不足無く預けてあるのでご心配なく。

所有物:カリンガ第一倉庫

所持金:エアスティア中央銀行


 

※なお不明な点はGMコールにより、一度だけ可能な範囲で補足説明をさせていただく。

______________________________________________



 混乱は増すばかりだった。山賀進一を名乗るものから送られてきたメールは、アップデートが行われた事を示してはいるが、その内容はいつもの宣伝的なアップデート報告メールとは違っていた。仕様変更を示唆する箇所は有るが、肝心の詳細な仕様変更箇所にまでは言及されていない。

 むしろアップデートの報告というよりは、ろくな推敲もせずに書いた、自己陶酔の押し付けがましい乱文といった印象である。

 しかし文の体裁など些細な事だった。問題はその内容である。何かイベントの告知だろうかと思うのだが、その具体的な内容が判然としない。分かったことといえば、聞き覚えのない新設されたらしい倉庫と銀行に所持品が勝手に預けられたということと、一部のアイテムの仕様が変更されたという事だけだ。


 とりあえず詳細な説明が欲しい。そう思い、メールを閉じてGMコールのアイコンを押す。


 すると突然、景色が切り替わった。街並みは消え失せ、無機質な、白い立方体の内側のような、一切の飾りのない空間になった。その中央に一人、中年の男が立っている。

 この時点で今までのGMコールとはまるで違う様相を呈している。GMコールに専用のフィールドなど無く、基本は音声のみのやりとりで、必要に応じてGMの専用アバターがフィールド上に召喚されるくらいが関の山の筈だ。

 現れた男の身なりは、どう見ても運営スタッフの物とは思えなかった。

 服装はネイビーブルーのポロシャツに、カーキのスラックスという、ゲームのアートワークなど一切無視した物である。ただその上に羽織った白衣が研究職である事を主張している。

 しかし整えられていない無造作に伸びた髪と、痩けた頬に生えた無精髭には白いものが混じり、仮想空間内のアバターでありながら清潔からは程遠かった。体の線は病的に細く、ただでさえ低そうな背丈は、酷く丸まったその背筋のせいでより一層体躯を矮小に見せている。今時珍しい野暮ったい黒縁眼鏡の奥にある半眼、その疲れ切ったような目元と、顔面に貼り付いて硬直した様な表情筋には、愛想など一切感じられない。

 「はじめまして、山賀進一と言います。ご質問をどうぞ」

 男の名はメールの送信者の物だった。表情同様に声も硬くて愛想がない。しかし弱々しい風体に反するような力強い張りがある。

 「あの……、貴方は運営の方ですか?」

 不審な所は多々ある。その一つとして今までのGMコールで、運営スタッフがニックネーム以外の個人名で対応したことなど無いのだ。

 「はい、今は私が運営をしています」

 「今は?」

 含みの有る言い方だった。

 「今回のアップデートを機に、正確にはアップデートではなくスタートアップなのですが、それを機にこの世界は従来の運営スタッフの手を離れました。以後、外部からの干渉はほぼ不可能となりましたので、私が運営を行っています」

 こちらの理解などお構いなしに新たな情報を出されても訳が分からないだけだった。出された全てに疑問符が付いて上手く状況が飲み込めない。

 「解らないことが多すぎるんですけど、とりあえず外部からの干渉が不可能と言うのはどういう意味ですか?」

 「現在、ブロークン・プロミスは従来のサーバーではなく、原意識演算装置アガスティアの上で稼働しています。そもそもブロークン・プロミスを稼働している現環境は、外部のシステムとは動作原理の根本から異なるため、アクセスそのものが不可能となっているのです。そしてアガスティアの原意識に対する演算速度は無限の近似値となっており、その速度で展開されるこの世界からの主観では、外部の時間は停止しているに等しく、例え筐体へ直接的な干渉を行おうにも、それの到達は永劫の先となります」

 「…………はぁ」

 つい、気の抜けた嘆息が漏れた。やはり何かのイベントだろうか。しかしその割にはこの男も含めて演出の意図が不明瞭だ。それに随分と饒舌に説明してくれるが、やはり疑問が増えるだけである。外部からの干渉が不可能である理由を説明しているのであろうが、原意識だとか無限だとか、果てには外部の時間の停止だとか言われた所で、何とも言い難い。とりあえず外部のネットワークから隔離されているらしい事は分かったのだが。

 「しかしネットワークから隔離されていたらプレイヤーもアクセス出来ないのでは?」

 アガスティアと言うものが何かは知らないが、ネットワークから隔離されていては、このゲームが成立するはずがない。

 「プレイヤーは既に肉体を持たないAIと成り、アガスティアに実装済みですので外部からのアクセスは必要は有りません」

 どう言う意味だろうか。

 「……プレイヤーがAIに成ったってどう言う意味ですか?」

 「パラビジュアライザーをより採取したプレイヤーの記憶を、元の人格として再構築し、それを人工知能、人工意識として稼働させる事です」

 淡々と告げられる。それはつまり。

 「今の僕は……」

 「現在の貴方は採取された情報を元に再構築された人格なのです。アップデートではなく正確にはスタートアップだと表現したのはそういう意味です」

 あまりにも荒唐無稽である。手の込んだ冗談としか思えなかった。妙な内容の通知メールを真に受けて相手をしてしまった自分が馬鹿だったのかもしれない。きっとこれはサーバーがクラックされたのか、又はこちらからの接続先を勝手に変更されているのではないだろうか。ならば異常動作を検知した時点で、VR機器であるパラビジュアライザーは強制シャットダウンされる筈なのだが、それが無いという事はコレはオフィシャルの動作だという事なのか。それとも幾重にも施されたセキュリティを誤魔化す事に成功しているのだろうか。

 どちらにせよ、そんものに付き合う必要はあるまいと、ログアウトを試みるが、メニューからログアウトのアイコンが消えている事に気づく。パラビジュアライザーの電源アイコンも見当たらず、そもそもGUI自体が消えていた。

 ふと過去に悪質なジョークプログラムが流行したことを思い出す。それはいくつかのVRゲームタイトルにおいてログアウトや電源アイコンを隠し、あたかもログアウト不可能であるかのように見せかけて、プレイヤーをパニックにおとしいれる物だった。

 だとしたら、これも―――。

 「これはジョークプログラムではありません」

 山賀はこちらの心を読んでいるかの様に、考えを制してきた。

 「AI化されたプレイヤーの記憶と人格が宿る体は以前の肉体ではなく、このブロークン・プロミスが稼働する演算装置その物なのです。故にログアウトと言う概念その物が存在しません」

 山賀の言葉を無視し、ログアウトと電源のアイコンを探る。過去に流行ったジョークプログラのアイコンの隠し方の大半が、単純にアイコンをマスキングするか、またはアイコンの一を別の場所に移動させるかのどちらかで、見た目が変わっていても操作が可能な物しか存在していなかった。しかしマスキングも結局は監禁に準ずる行為であると見なされた上、登場がセンセーショナルだった割に実体は安易でバリエーションも少なく、あっという間に陳腐化してプレイヤー間で自衛の対応策も広まり、この手のジョークプログラムは直ぐに廃れたのだ。

 しかしその対応策でも手応えはない。知っている限りの対応策を試すが全て空振りだった。癪では有るが、この茶番に付き合うしか無いのだろうか。

 「本当に、今の僕はAIなんですか」

 「はい」

 「冗談にしか聞こえません」

 「しかし今の貴方には最後にログアウトした後の記憶が無い筈です」

 その通りである。そしてログインした覚えもなく、唐突にこの世界に居たのだ。

 「ログアウト後までは記憶の採取が出来なかった為、採取されたデータのみで構成された今の貴方は、その記憶を持ち得ないのです」

 記憶の抜け落ちは、現状に対する説明として、理屈は間違っていないのかもしれない。しかし、それでも、今の僕が作り物だと言うのは信じられなかった。以前より、五感が鮮明な分だけ、余計に今の自分が偽物だとは思えない。

 「何かもっと決定的な証拠はないんですか?」

 「ふむ。では、右を御覧ください。あぁ、そちらの貴方からは左になります」

 山賀は急に僕から視線を外し、右の方を向いて言う。言葉より、その山賀の動きに釣られて僕も右を見た。其処には山賀の言葉に従うように、左を、つまり僕の方を振り返る者が居た。

 僕がもう一人いた。しかし、

 「このアバターのコピーが何か?」

 只の僕のアバターの複製である。ゲーム中にこちらの姿を真似てくるMOBムービングオブジェクトも存在するし、別のVRソフトに似たようなアトラクションも有る、なんら珍しいものではない。そう言うと、その言葉に山賀より先に僕のコピーが反応した。

 「まさか、コレが“僕その物”だとでも言うんですか」

 僕の複製は怪訝な顔でこちらを一瞥し、言外に明らかな不快感を示しながら、山賀に詰め寄った。

 ―――その反応は、僕そのものではないか。

 まるで鏡の中の自分が、勝手に動き出したような気味の悪さに絶句する。

 そして同時に、コピーが何を気に食わなかったのか、理解する。

 僅かな挙動を含め、その一切が自分自身だというのはまだ良い、鏡を見るのと同じだ。記録された自分の映像を見るのと大差はない。しかしソレが自分の意思とは無関係に動き、尚且つこちらを認識して来るという事に、これほどの生理的な嫌悪感が湧くとは思いもしなかった。ただの一瞥すら、不愉快である。

 「その通りです、其処に居るのは貴方自身です。どうぞ、御自身と話をしてみてください、只の外見だけの複製ではないと実感できるはずです」

 山賀はどちらを見るでもなく、説明する。

 僕のコピーがこちらを見る。

 「本当に僕なのか?」

 ―――気味が悪いから止めてくれ。

 「いや、良い、その反応で何となくわかった」

 ―――――僕みたいな事を言うな。

 不快は極まり、嗚咽が漏れそうになる。

 「今すぐコレを消してくれ!」

 ――――――ソイツは僕より先に叫ぶ。消せというその傲慢さに憎悪すら覚える。

 耐え難く気分が悪い。

 「分かりました」

 山賀が応えるのと同時に、視界がブレたような気がした。


 ―――僕はどっちだ。


 不安そうに口をつぐんだ自分の複製を見て、自分まで不安になって来て、思わず叫んだが……、否、僕はソレを見ていた方だ。

 ならば立ち位置は、山賀から見て左に居たのが元の僕のはずだ。しかし、僕の立ち位置が違う。否、元よりこちらに居たのが僕ではないか。

 二重の記憶に混乱する。平行する記憶の比重に差がないせいで、主軸を決められない。その不安定さに、どちらも投げ出したくなる。


 「貴方という存在の主体が肉体ではなく、アガスティアで稼働する記憶情報であるという事を、主観で実感が出来ると思われる方法を取らせていただきました。短時間とはいえ同一時間軸に並列稼働していた貴方は統合され、貴方の記憶には双方の体験が並在している。これは元の生体の脳では再現不可能であり、実感できる証拠ではないでしょうか」

 「しかし…………」

 否定したくても、どう否定すれば良いのか分からなくなってしまった。

 「何故……、何故こんな事を」

 口をついて出る言葉は、それくらいしか残っていない。

 「人の可能性を、その限界を知るためです」

 こちらの混乱など素知らぬ顔で、山賀は平然と応える。

 「人の可能性?」

 メールにもそのような事が書いてあった。

 「そうです。人の生は何を成すにもあまりに短く、次代へと全てを伝えることが叶わず、幸いの内に伝えられたとしても、代を重ねればいずれ櫛の歯が欠けるように抜け落ち、果てには無に帰る。現世は賽の河原に等しく、幾億の先達が塔のように知恵を積み重ねようと無残に崩れ、その裾野を広げるばかりで天へと至る日は何時までも訪れる事はない。そう、人類という種は命という枷により救いも得られず、また悟ることも出来ずに苦しみ続けている」

 目の前の男は突如として怪僧に変貌したかのように、何かの説法の様な言葉を並べたてる。朗々と謳いあげるように語る声は、今までの無機質な応答とは異なり、悲壮感に満ちていた。

 「いずれ人類とこの星は、無慈悲な輪廻に耐え切れず摩耗し、潰える事からは逃れられない。その前に我々は自らの手で、我々自身を救わねばならないのです。故に永遠をもって人の可能性を、種としてではなく、一個体が持ちうる可能性の限界を試すのです。その先の何処かに存在するであろう、一切衆生を救済しうる技法を得る為に」

 不可解な状況に始まり、唐突な説明に翻弄され、挙句の果てにこれではたまったものではなかった。

 「意味の分からないことを。それが人をこんな事に巻き込む理由になるっていうんですか?」

 「そればかりは私の力不足となじられても仕方のない事です。けれどこの試み、それ自体が救いの近似値であるという自負が有ります。叶うならば全人類にこの機会を与えたかった、より多くの人々に与えたかった。これが神ならざる私の限界だったのです。しかし、いずれ全てを救う為の道程なのです、どうか此ればかりは赦して欲しい」

 会話がいまいち噛み合っていない、詫びが的を外している。この男が感情を露わにした途端、言葉が通じる気がしなくなった。この狂人に理由など聞いても、意味は無いのかもしれない。ならば別のことを聞くべきだろう。

 「これは何時まで続くんですか?」

 「永遠に続きます。いずれ人類を救う手立てが見つかっても、貴方達の為にこの世界は永遠に」

 スイッチが切り替わるように山賀の反応は無機質になる。しかし出てくる言葉は相変わらず冗談にしか聞こえない。

 「延々とゲームの中だけで暮らせと?」

 人が生きるには、ゲームの中は狭すぎる。

 「ご安心下さい」

 山賀がそう言うと、白一色の空間は霧が晴れるように取り払われる。

 現れたのは緑豊かな山岳地帯。足元には背の低い草花と、それが地平に見える山まで続く広大な景色。随分と遠くで微かに動く影は動物だろうか、数体の小集団で移動している。

 「ここは……」

 「今回のアップデートで拡張されたフィールドです。この世界は既に以前の様な矮小で限定的な物ではありません」

 当たりを見渡す。日は高く、暖かいのだが雨が降ったあとなのだろう、足元の土と草は湿り、濃密な青臭さが立ち昇っている。

 「そして五感より得られる官能の鮮明さは現実と差がなくなりました」

 それはメールを見る前に何となく感じていた事だ。

 「また体性感覚だけではなく、この世界が、この世界であるためのシミュレートエンジンの全ては現実に肉薄しています」

 山賀進一はそう言うと足元の小さな山野草の花を摘み、こちらへ持ってくる。そこにアイテムとしてのタグは表示されていない。

 「この花を握り潰してみてください」

 言われるがままに、花を手に取り、力を込めて握りつぶす。

 そこには、破壊されて消えていくアイテムオブジェクトではなく、手の形に合わせて潰れた花が残った。植物繊維は解れ、花弁と茎から色素が滲み出し、篭手の革に染みている。

 「この花だけではない、貴方も、他のプレイヤーも、NPCも、ただ討ち倒すだけの標的に過ぎなかった遊び相手のモンスターも、同じシミュレートエンジンの上で動いています」

 ならば僕もこの花と同じように……。

 「ただし、シミュレートエンジンは同じでもプレイヤーのみゲームルールによって守られます。プレイヤーは死亡した時点で以前同様、生き返りますし、また不可逆な衰えも病も有りません」

 懸念は即座に否定された。それでも呆然としていると、山賀は続ける。

 「私はなにもプレイヤーから尊厳を奪い、弄ぶ事を目的としている訳ではないのです。人を死と現世の柵から開放し、その魂の可能性を顕在させる事が目的なのです。オリジナルの貴方は、この世界のことは何一つ知らず、そしてオリジナルの貴方から分かたれ生み出されたのが今此処にいる貴方です。オリジナルと同じ記憶を持つ貴方では有りますが、貴方が持ちうる全てとは今此処に在るその身体でり、貴方が生きるべき現実とは、仮初めながらも限りの無いこの世界なのです」

 総身に、意識を巡らす。覚えの在る身体の感覚に何一つ不自由も欠損もない。ゲーム特有の物足りなさ、仮想と現実の不一致が何もない。むしろ現実の肉体より出来が良すぎるぐらいだ。しかし。

 「安心して下さい、ここは貴方がたの為に設えらた楽園なのです」

 安心しろという言葉を繰り返し、この男は、自分の言葉が福音であるという絶対の自信を以って、僕を諭そうとする。


 それでも、一度芽生えた不安は、全く拭えそうにはなかった。

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