魔学者と魔学者
“魔学”。
魔学とはエリア11で言うところの科学と同等の意味を持つ単語だ。魔力が存在しているエリア24では、魔力、魔法、魔素が基礎となって様々な事象の研究が進んだ。そのため魔力のなかったエリア11で存在していた人や物を乗せて空を飛ぶ物体、人や物を乗せ魔力で地面を走る物体、というものもエリア24には存在する。
魔学は学問であるため、専門に研究する学者がいる。
それが、魔学者だ。
魔学者を名乗るためには“エリア24魔学学会魔学研究関連機関”にて認定されなければならない。
魔学者は魔力を保有している先天的才能が必要だ。中でも、魔力、魔法、魔素を研究する際に使用するため、できる限り高い魔力を保有していることが優秀な魔学者の条件であると言われる。
現状、エリア24には10人の魔学者と50人の魔学者見習いがいる。しかしながら、広大なエリア24という世界にあって10人の魔学者という数は今後の世界全体の発展のためには足らず、魔学学会は恒久的な人員不足である。そのため、エリア24では身元の保証ができる人物であれば魔学研究の成果を提出することが可能になっており、その研究成果が魔学者というエリア24特別職を与えるに相応しいと判断されることで、誰でも魔学者になる可能性を設けている。無論、一般よりも、魔学者の元で研究や学ぶ魔学者見習いの方が知識をつけることもでき、身元確認も早く済むため、一般からの研究成果の提出例は年に1、2回であるが。
「お役所仕事はどこも時間がかかるのね」
「これでも早い方だぞ?リエは魔学者見習いだから数時間待つだけで済むが、一般だと丸一日かかることもあるからな」
「うげぇ。変えた方が良いんじゃないの?仕組み」
エリア24魔学学会魔学研究関連機関に首環解除と魔学者の認定を受けるためにヴィクトールとリエは訪れていた。ヴィクトールから昼飯を持って行くべき、と聞いていたがこんなにかかるとはさすがにリエは思っておらず、不快感が顔から出ていた。
「ふん、さすがに……時間かかりすぎだが……こう時間がかかるのも魔学の重要性を伝えるためだとか、どっかの阿呆が言っていた。俺はその必要はないと思うんだがな。仕方ない、今度の会議で言ってみるか」
「会議って、3年に1度開かれるとかって言う“エリア24魔学学会魔学者会議”のこと?」
「そうだ。毎回出席することが義務づけられててかなり面倒なんだが、面子もあるし仕方なく参加してんだ……。たまに良い刺激を受けるが」
「あの癖のある人たちがまともに参加してるのは義務だったからなんだ」
「そうだぞ?言っていなかったか」
どの国家にも属していないエリア24魔学学会魔学研究関連機関には研究施設の他に異世界人学院などもおかれている。通常、エリア24にやってきた異世界人は“異世界物在留登録法”という法律で拾得者が責任を持ち、エリア24魔学学会魔学研究関連機関で在留登録を受けることとなる。その後、異世界人学院に入学し首環解除までエリア24の常識や知識、今後エリア24で生きていくにあたり支障が起きないよう学ぶのだ。
だが、リエの場合は拾得者がヴィクトール・エドゥルアルト・ヴィクトロという世界全体に影響力を及ぼす魔学者の生ける伝説であったため、拾得者の権力により特例が適用された。当の拾得された本人はこの事実を知らず、魔学者が拾った場合は学院に通わないのだと独自に解釈し理解していたのであるが……。であるから、リエは首環解除が叶った暁には他の異世界人に会いに行こうと決めていた。
「首環解除も無事にできたし、魔学者にも認定されたし、ヴィクトールとの正式な共同研究者の登録もできたし……。他の異世界人に会ってきていいわよね!」
「……俺に許可を求めてるようで求めてないよな」
「ってことはいいのね?ここの“異世界人学院”行ってくる!」
「あ?いやまて、おいっ……!あーあ、行っちまいやがった。あいつ、自分が有名になってきたっていう自覚ないもんな……そうしたのは俺だが」
静止の言葉を聞かずに飛び跳ねるかのように走って行ったリエを心配するするヴィクトールだが、言葉とは裏腹にひどく悪質そうな笑みを浮かべていた。
ヴィクトール・エドゥルアルト・ヴィクトロ。エリア24における魔学者であり、無性体。エリア11からの異世界人の魔学者リエ・サカキにとっては元師匠であり共同研究者。そして、気に食わないことにリエ・サカキの異世界物在住登録証明の後見人でもある。
「もしかして!あなたはリエ・サカキ魔学者ですか?」
「え、そうです」
「わぁ!お会いしたかった!申し遅れました、僕はこの異世界人学院で教師をしているエディと言います」
「先生だなんて、凄いですね」
「いやいや!僕は魔学者見習いにもなれない魔学者志望のただの教師ですから。僕に敬語は使わないでください。サカキ魔学者」
「そういうもの?……なら、お言葉に甘えて。あなた、私のこと知ってるの?」
「ええ!と言ってもあなたの論文やヴィクトロ魔学者と共同で研究されている魔学具を拝見させていただき、知っているということなのですが……」
「あら、嬉しい。私の論文を読んでくれた人がいるのね」
「何を言ってるんですか、あなたの論文を読んでないやつは馬鹿ですよ!」
「そ、そう?えっと、初めてまともに感想を聞けたから嬉しいわ」
「それは素晴らしい。…さすがはサカキ魔学者。お会いすることができて良かった」
「…私もあなたに会えて良かったわ。もうちょっと校内を見学せてね」
「ありがとうございます。いいですよ。では、何かありましたら、僕にでも声をかけてください」
緩やかにうねる青髪を風に揺らしながら、自らの論文の感想を聞けたとリエは嬉しそうに笑みを見せるが、この異世界人学院教師エディとの会話は成り立っておらず、互いに互いの考え方を常識であると認識していたことがそもそもの間違いであった。
エディはリエが普段どれだけ外界に閉ざされて生活しているか知らなかったし、リエ自身もその生活がおかしいとは一切思っていなかった。ヴィクトールはそれだけ悪辣であったのだ。
リエの素直な嬉しさと驚きに満ちた言葉は魔学者なりの謙遜だと熱心な教師には理解され、世界的に有名なあなたの論文を読んでないやつは馬鹿であると、謙遜の必要がないことを伝えた。しかし、意図せず外界と隔絶した暮らしを送っている魔学者は初めて聞いた共同研究者以外の感想に心を躍らしたのだ。その様子を周囲の反応を気にすることなく研究を続ける魔学者の精神的な芯の強さだと理解した教師は魔学者に尊敬の念を抱いたのである。
結論すると、当人同士が話が噛み合っていないことに気が付いていないがまとまった会話であるから、何も問題はないのだろう。
果たしてこうなることを当代随一の賢者ヴィクトール・エドゥルアルト・ヴィクトロの考えが及んでいたかは定かではない。
「ヴィクトール・エドゥルアルト・ヴィクトロ卿、いや、ヴィクトロ魔学博士閣下とお呼びしたほうがいいかな?そんなところでうろうろしてないで入ってよ」
「ちっ……アルノーリト」
ヴィクトールは自分を呼ぶ小憎たらしい声の主を確認し、秀麗な顔に似合わない舌打ちをした。
「久々の再会だっていうのに舌打ちされるとはね」
「アルノーリト、お前に顔を出しただけいいだろ」
舌打ちされた本人は苦笑いするだけで、むしろ笑顔を浮かべながらヴィクトールを招き入れた。ここはエリア24魔学学会魔学研究関連機関にある研究棟の一室である。舌打ちされながらも笑顔で部屋へ招き入れたフリストフォル・アルノーリト・ユーリエヴィチ・ルスランの研究室であった。アルノーリトは白銀に煌めく長髪を背後で1つにまとめ、印象的な大きな瞳を楽しそうに光らせていた。
「…そうだね。閣下にしちゃ、良い方かな。良かったよ。僕が機関にいるときで。僕もあの子に会いたかったんだ」
「あの子?」
「分かってるくせに。閣下が大切にしている新人魔学者のあの子のことだよ。会わせてよ。じゃないとまた城を抜け出して会いにいっちゃうよ」
適当な椅子にヴィクトールを促し、反対側に座ったアルノーリトは機嫌の悪そうなエリア24唯一の魔学博士に更に笑いかけた。
「ふん、フリストフォル・アルノーリト・ユーリエヴィチ・ルスラン……お前はルスランの国王だろ。いちいち抜け出して来るな」
「ははっ、そんなに睨まないでよ。ただ興味があるだけだってば。異世界人の上に元女性体の無性体でしょ?気になる」
「……俺は別にルスラン王国がどうなっても構わんのだが?お前の国ぐらい俺1人でどうだってなるぞ」
「ごめんて、冗談冗談。でもさあ、一度だけでいいから会わせてよ。あの子にルスラン国王として会っておきたいし。あの子のためにもなるよ?」
弱冠15歳の第322代ルスラン国国王フリストフォル・アルノーリト・ユーリエヴィチ・ルスランは心の弱い人物であれば目にしただけでも失神してしまいそうなほど凶悪な顔をする生ける伝説ヴィクトール・エドゥルアルト・ヴィクトルの反応を分かり切っていたかのように、ひらひらと片手を振りへらへらと緩い笑みを浮かべた。
「……分かった。ルスラン国王」
「国王としてじゃなくて、ただのアルノーリトとしても気になるんだけど、親しくなるのは閣下が許してくれそうにないしね」
「何が言いたい」
「ははっ、バレてた?……無性体で魔学者の閣下は世界各国の文献に載ってないぐらい昔から生きてるけど、ほとんど他人と関わってこなかったはずでしょ?その閣下が傍にあの子を置くなんて、どんな心境の変化なのかなって」
「……知らんな」
「そっかぁ。僕は閣下からの返事は期待してなかったし、それでいいけど、本人には会わせてね」
「……ああ」