貧乏少年の裏口入学2
「それにしても、二日や三日は動けんもんかと思ってたんだけどなァ……。案外頑丈にできてんだな。」
さて、びしょ濡れの頭をごそごそと掻く彼は気の抜ける様なやる気のない声でそんなことを言った。
「……。」
いきなり現れた謎の人物。
それに反応しない訳にもいかず、マヒルの目は遠慮も配慮も忘れて彼の観察を始めた。
背丈も近いし、恐らくマヒルとも同年代なのだと思われる。
だが、その体つきには目を見張る。
全身に細身だが綿密な筋肉が張り巡らされているのが視認できるが、その表面には生々しい傷跡が幾つも見える。
特に左目の辺りには、眉の上から頬まで鋭い切り傷の跡が走っており、仕舞いには片手に鞘に収まったの日本刀の様な物まで提げている
「……。」
ヤクザか。
そう思った。
その手の連中に追われるのは案外馴れているマヒルなのだが、それでも愛想なんて言葉を忘れて石になってしまった。
パンツ一枚の格好に関してはまだ許せるとし、この銃刀法のご時世に帯刀とはどういうことだ。
流石にマヒルを追ってきた借金取りだって、脅しのフォールディングナイフ以上の刃物は持ち合わせていなかった。
という風に格好も異常だが、それだけでは収まらない何かが滲んでいた。
今は気怠そうだが、猫レベルの動物なら視線だけで殺せそうなこの目付き。
無関心、無感動を装ってはいるが、その目は確実にマヒルを値踏みしていた。
暴力団の次期当主と言われても納得できる、そんな雰囲気だ。
そんな彼が、迷惑そうに切れ味抜群の目を細めた。
「ああ……まぁ、それは良いとしてさ。
ほら、シャワー浴びたいから着替え取りに行きてえんだよ。つか、バカアユ、邪魔。」
シッシッと手を振る。
しかし当のアユムは、両拳を握りしめてプルプルと震えていた。
「ううう~……この……ッ」
「あ?」
ぶちり、と聞こえた気がした。
「アホジぃぃぃーーン!!」
「ぬごぐっ!?」
ラリアット。
アユムの繰り出した一撃が、見事に相手の喉元を捉えた。
受け身さえとれていない相手はもろに受けた衝撃で上半身を泳がせる。
「うえっ!?おっおっおっ……ぬわぁぁぁぁ!?」
そのまま倒れかかる様にして背後の手すりを乗り越え、マヒルの視界から消えた。
転落した訳である。
悲鳴はほんの一瞬だけ上がったものの、すぐにコンセントを抜いたように途絶えた。
後には、一人の人数が減った為の静けさが鎮座していた。
「ちょっとアユムさぁぁぁぁぁん!?」
マヒル、絶叫。
アユムの肩を掴んでぐわんぐわんと揺する。
「何やってるんですか、ねえ!?この高さ、落ちたら怪我じゃ済みませんよ?死にますよ!?」
「うる、うるるぅ、うるさいうるさーい!ジンなんて死ね!死んじゃえ!ここから落っこちてトラックに轢かれて頭爆発して死ねばいい!」
腕をぶんぶん振り回すアユムが喚く。
すると、それに異論を叩きつけるようにカンカンと階段を駆け上る足音が迫ってきた。
「せめて死因くらいはっきりさせやがれこのヒステリック女ぁぁぁぁ!!」
びたんっと水滴を飛び散らせながら最後の一段を踏む。
彼だった。
生け垣か植え込みにでも突っ込んだらしく、葉っぱや枝が突き出た頭はまるで鳥の巣だ。
「……あ、無事だ。」
「無事じゃねェよコンチキショー!」
マヒルの呆けた呟きに対し、枝が刺さったらしい額からはたらりと赤い液体が滴っていた。
泥沼地上戦からの帰還兵の如き有り様である。
「つーかバカアユおらァ!」
そんな彼は憤然、アユムに噛みつくような勢いで掴みかかる。
「いきなり二階から叩き落とす奴があるか!?
こっちは清々しく汗を流してた所を、死ぬかと思ったぞ!」
「こっちは全然清々しくないのこのバカ!
もう一回落ちちゃえ!今度こそ地面にぶつかって死ねばいい!」
「オレがいったい何をした!?
クソ好き勝手癇癪ばらまきやがって!テメェの安定しない周期の為にオレは何度八つ当たりの被害に遭ゃあいいんだよ!!」
「それなら先週乗り切りましたー!もう大丈夫だもんね!お腹痛くないもんね!ていうか元々私、そんなに重い方じゃないもん!ただアンタの粗相に生理的な拒絶反応が起こっちゃっただけだもん!
……ていうか、バカっ……!マヒルもいるのにそんなこと大声で言わないでよ!デリカシー無さすぎ!最悪、最悪!乙女の敵!」
「顔合わせていきなりラリアットの癇癪女にデリカシー説かれてたまるか!!お前はオレの敵だ!」
ぎゃんぎゃん、わいわい。
マヒルは目の前の不毛とも言える争いにまばたきを繰り返す。
これは猿と犬もビックリな仲である。
「イテっ!?やったなこらァ!」
「いたたっ……そっちこそー!ううーっ!!」
遂にはお互いの髪の毛を引っ張りあう様な小学生並みの喧嘩を始めた二人に、やっとマヒルが割って入った。
「ちょっと二人とも!通路は狭いんですからそんなに暴れちゃ……」
「だいたいお前は何でいっつも口より先に手が出る!?文明というものを知れ野蛮人!」
「パンツ一丁でうろつく人間に文明なんて言われても説得力ないもんねアホジン!」
「お前、それじゃオレが常にパンツ一枚みたいじゃねえか!?いつもはきちんと着替えも用意してんだよ!今日はたまたまだっつーの!!」
「たまたまでこんな不愉快になってたまるもんですか!ゆるさないったらゆるさないぃー!!」
それでもマヒルの声など耳には届かない様子の二人。
お互いに目を三角にしたまま、治まる気配は微塵もない。
それどころか、喧嘩は更に過激さを増していく。
舞い上がる土煙のエフェクトの中からは拳やら星やらが飛び出す、絵に書いたような大喧嘩だ。
「ちょっと、いい加減にしてください!」
マヒルが二人の肩に触った瞬間だった。
ギラギラ光る二つの目が同時にマヒルを見た。
「「うるさーい!!」」
見事に同調させると、マヒルの手を振りほどいてしまった。
「わっ……!?」
だが、予想外の力にマヒルは後ろに躓く。
そのまま背後に傾くと
「えっ!?わぁぁぁぁーー!?」
手すりを乗り越えて転落。
「なっ!?」
「マヒル!?」
そこでやっと気がついた二人。
喧嘩など放り出し弾かれた様な勢いで手すりから身を乗り出す。
目玉の飛び出しそうな顔で見下ろすと、そこには汗だくのマヒルがいた。
「……あ……あの、どなたか……手を貸していただいても……?」
間一髪、片手で手すりに掴まり宙ぶらりんになっていた。
「……。」
「……。」
青白い顔の二人は無言で頷き、なんとかマヒルを引き上げたという。
「本当に……二人とももう子供じゃないんですから、あんな派手に喧嘩しちゃ駄目じゃないですか。」
彼にしては珍しく、頬を膨らませ少々ご立腹の貧乏少年である。
「ごめんマヒル……ついカッと来ちゃって」
「あれはすまんかった……あやまる」
反省はしているらしく、二人は頻りに謝罪を口にする。
アユムと、日本刀の彼に挟まれる様な形で階段を降るマヒル。
理由は簡単、また喧嘩が起こるのを防ぐ為である。
あのあと、シャワーは諦めたらしく体を拭いて着替えるだけに落ち着いた日本刀の彼だったが、通路が水浸しになってしまった事についてまたアユムと揉めた。
今度は取っ組み合いになる前に治まったが、それでも止めることになったマヒルは疲れたでは済まない。
ということで、再発を恐れてのこのポジショニングである。
「んで、アユ?これからこのぽぽげ頭をどうする訳だ?」
「……その『ぽぽげ』ってなんなんですか?」
マヒルを挟んだアユムに向かって、彼は訊ねる。
ちなみにマヒルの質問に対しては無視された。
名前を『ジンヤ』と言うらしい。
「ここに入学させられないかなぁって。
ほら、昨日話したでしょ?私のレパルドの引き金に触れたんだよ、マヒル。」
「……ほぇー。そりゃまた珍奇な奴もいたもんだ。お堀で鯛が釣れたか。」
『お堀で鯛』
聞かないフレーズだが、かなりのレアケースであるということは理解できた。
「……ていうかジンヤさんに『珍奇』って言われても……」
マヒルの一言はしっかり無視してジンヤは首を傾げる。
「でも、新規入学は来年だぜ?お前がどうこうして何か進むのか。」
「だからこうやってあのコアラ起こしに行くんでしょ。」
「コアラ?」
この島にはそんな希少動物まで生息しているのか。
不思議に思ってジンヤの方を窺ってみたが、彼もまた頭を掻いていた。
「……なんでアイツがコアラなんだよ」
「知ってた?コアラって哺乳類の中で最も睡眠時間が長いんだって。最大で22時間だよ?もう2時間しか起きてないじゃん。何のために生きてるのか不安になるよね。」
「おいおい馬鹿言うな、寝ててこそのコアラだろ。あの天使の寝顔に人類は救われんだよ。
だが……なるほど、ああ、そういうことか……」
少し得意そうなアユムにジンヤがぽけーっと頷いていた。
「ま、可愛くないけどね。アレ。」
「ああ。つかアレが可愛くてたまるか。」
どうやら随分眠る人らしい。
カツカツと階段を降りると、アユムとジンヤはさっさと寮一階の扉を開けて行った。
「失礼しまーす……」
土足だ。
古めかしい外観の割りには妙に洋式である。
年季を感じる引き戸をギシギシ閉じると、入って早々の廊下を右に曲がった。
すると早速、周りの雰囲気には全くもってミスマッチな新品感漂う木製片開きのドアがあった。
『管理人』と札がかけられたそのドアの前には、既にアユムとジンヤが立っている。
「しーらはー!!」
ゴンゴン、ゴンゴン
大声で呼びながらドアを殴るアユム。
『ノック』と表現すべき行為なのだろうが、少なくともマヒルには『殴る』にしか見えなかった。
だが、その扉の向こうからは返事どころか文句ひとつ上がらない。
「留守……ですかね?」
「違うだろ。たぶん寝てるわ。」
マヒルの呟きに、ジンヤが面倒臭そうに目を細めつつ答えた。
「だいたい、アイツ月一回に歩いて十分のコンビニまで出るか出ないかだ。」
「何ですかその怠惰の化身みたいな人は。」
「しーらーはー!!居るんでしょ、さっさと開けるっ!」
その間もアユムによる扉への攻撃は止まない。
暫くそんな騒音が続くと、やっと扉の向こうから呻き声が聞こえてきた。
「あ……」
「起きたな。」
「白葉!」
畳み掛けるようにアユムが扉を両手で叩くと、あくびの声が聞こえた。
そして、そのまま扉を開けるものかと思うと代わりに厭に怠そうな男の声が聞こえてきた。
「……えー本日、白葉マサヨリは諸事情により絶賛面会謝絶中です。ご用の方はケツ洗って五百万年後の一昨日にでも出直せ。この騒音公害ども」
終始あくび混じりに言うと、それっきり黙り込み、反応が無くなった。
「……」
散々と言えばこちらも相当な物だが、それでも尚散々な対応にマヒルは沈黙する。
「はぁ……」
ため息をついたのはジンヤだった。
「やるか」
アユムの肩をポンと叩いて下がらせた。
「手早くよろしく。」
「おう、三十秒。」
お互い一言は二言交わすと、何事かと不安げに見つめるマヒルの前で、ジンヤが刀に手をかけた。
そのまま寸分の迷いなく鞘走らせると、マッドブラックに塗装された刀身が待ってましたと光を浴びる。
「え?」
「行っくどー」
何処か気の抜ける声で宣言すると、両手で構えた刀を突き出した。
鋭い切っ先がドアノブの真横をめりめりと貫く。
「ファっ!?」
奇声が聞こえたのは扉の向こうからだった。
突然の刃物襲来に驚いたのか、なにかがガタゴトと落下する音がした。
「いいぞーやれやれー」
アユムもジンヤに習ってか、妙に抑揚のない声で煽る。
「かーちゃんのためーなぁらえんやーこらー……」
珍妙なテンポで口ずさみながら、ジンヤはザクザクと扉を掘っていく。
「オイオイオイオイ!?お前らッ……待ッ……この前もドアぶっ壊して……って!!あぁぁー!!やめろやめろ!ストップ!」
「うっし」
そんな悲鳴などは意に介さずと、扉には既に拳二つ三つ分の穴が穿たれていた。
ジンヤがその穴に腕を突っ込み、ガチャガチャと鍵を探り当てた。
「開いたぜ。」
「ナイス仕事。」
それといった感嘆も無しにただ拳だけを突き合わせると、アユムが扉を開けて管理人室に消えていった。
「じゃ、ちょっと待っててね?」
「……はい。」
「……あークソ。辞めてえー……今すぐにでも辞めて隠居してえー……」
「どうせ辞めても今みたいな生産性ゼロの人生が延々続くなら、ただのナマケモノより管理人なナマケモノのほうがいいんじゃない?」
「うるさい!破壊しか生まない連中よりマシだクソガキども!」
座り心地抜群の社長椅子で伸びていた彼は目をひんむいて怒鳴った。
生活用品の詰め込まれたあまり広くない管理人室に、それは酷く響く。
見た目から推測できる齢にして二十歳も後半と言ったところだろう。
頭の左側がいつも寝癖でツノになっている薄飴色の髪。
日に当たっていないという点も考えられるが、それ抜きにも白く思える黄色からは遠い肌。
寝起きで腫れぼったい目は瞳の淵が薄藍色だ。
これで純日本人などと言うから不思議である。
白葉 マサヨリ。
この寮の管理人である。
故に、ここは通称『白葉寮』
一時期『オンボロ白菜寮』などと馬鹿にされたことを、アユムは記憶している。
「悪かったなハクサイで。」
「それは気にしてない。むしろハクサイは美味しいから良いとしてシラハは美味しくないもん。たぶん。」
「言ってる意味が分からんぞ。ていうか俺だってお前に食われたくはない。」
寝起きで怒鳴ったのが響いたのか、白葉は額を軽く叩きながら座り直した。
「あ……クソ、カフェイン不足だ。コーヒーが欲しい……」
「自分で沸かせば?」
「いや。俺は動かずにコーヒーが飲みたい。」
「コーヒーに溺れて死ねばいいのに。」
と、言いつつもアユムはカップを用意し、部屋の隅のコーヒーメーカーに向かった。
インスタントにすれば楽な物を、このナマケモノは妙な所で凝り性だから困る。
ガリガリと豆を挽く音を聞きながら、白葉は伸びをする。
「んで……客か?」
「え?」
振り返るアユムだが、白葉は相変わらず何事もなかったかのように寝惚け面を晒している。
扉は開けてからすぐに閉めたので、マヒルの存在を確認することはできなかった筈だ。
「相変わらず気持ち悪い」
「おう、何とでも言えクソガキめ。」
「寝癖頭のダメ人間。密室で腐って骨になればいい。」
「……。」
眉をひくつかせる白葉に、豆からコーヒーを抽出する湯気がタイミングよく上がる。
「だが……いったい何人来てる?ジンと……あと二人か?」
「二人?」
アユムが聞き返す。
珍しい。
白葉が来客の存在、果てや容姿性別、その用件までもを当ててしまうのには正直慣れきっている。
だが、黙ることはあっても間違えるのは初めて見た。
「ううん。ジンと、あと一人だけだよ。コマちゃんは……どっか行っちゃったぽいし。」
「ああ……コマでもない……ふん。」
これまた珍しく顎に手を当てて考え込む白葉。
アユムはカップに注いだコーヒーを持つと、管理人室の壁に立て掛けている折り畳みのパイプ椅子を白葉の前に引きずってきた。
「すごい、シラハがカロリー消費してるー」
「考え事ひとつで、お前人を何だと思ってるんだ?」
「省エネ人間。」
「地球に優しい呼び名だな。ついでに俺にも優しくしてみないか?」
「えー」
「『えー』か。」
あしらわれつつも、白葉は若干の警戒心を覚えていた。
扉の向こうにいるのは、強いか弱いかで言えば限りなく後者だが、とにかく奇妙な奴である。
「つか勝手に砂糖入れんな。俺は無糖派だ。」
「勝手も何もないでしょ。これ私の。」
言葉通りにカップを傾けるアユム。
白葉は寝起き早々、疲れきった顔で目頭を揉んだ。
「……俺お前のこと嫌いだわ、本気で大嫌いだ。
で?クソガキ、何の用で来た?」
やっと本題に入ると、アユムはコーヒーを啜りながら顔を上げた。
相変わらず寝惚けた顔を一瞥すると、ノブの隣に穴の空いた扉を指差す。
「ちょっとね」
「ちょっとね、とはこの場合何を指している。簡潔かつ包み隠さず言ってみろ。」
「裏口入学。」
「本当に包み隠さないなこの馬鹿は。」
呆れる白葉に、アユムはどこ吹く風といった表情のままで続ける。
「雛由 マヒルっていう子なんだけど、できるでしょ?」
「名前だけ聞かされてもな……。つか、聖職者になんてこと頼んでるんだお前は。」
「どうせ人生の八割は夢の中で過ごしてるんだから、ちょっとはドロッとした現実舐てみなよ。」
「散々だなお前。」
頭を振りつつも、内心で興味を覚える。
この天下の第五白波学園に裏口入学を敢行しようとする馬鹿者である。
面ぐらい拝むべきだろう。
場合によっては、然るべき処置を施す必要さえ出てくる。
「一応……聖職者だしな」
頷いて見せると、アユムに扉を指差して見せた。
「いいぞ。面接くらいしてやる。」
「やった!だいすきシラハ!」
「調子よさすぎだろ。安いキャバ嬢か。」
とんでもないお調子娘にため息を溢すと、取り合えず椅子を引いて客を迎える体制に入った。
「さあて、どんなぶっとんだ奴が……」
「奴が……奴が……」
「えと……すみません、何だか無理言っちゃったみたいで……」
なるほど、ぶっとんだ奴である。
折り目正しく、礼儀よろしく、銀髪にしての紅顔美少年と来た。
予想の斜め上を行った来客に、白葉は対応を思い付けずに頭を掻く。
「ああ……白葉だ。白葉マサヨリだ。その……よろしく。」
「雛由マヒルです」
淡麗なボーイズソプラノはそう言った。
アユムが引きずり出したパイプ椅子に行儀よく座った少年と白葉との間に、奇妙な温度差が生じている。
熱いとも冷たいとも違う、まともであるがそれ故に扱いに困る来客である。
まばたきを繰り返す白葉に対して、マヒルは少し緊張気味に頬を掻いた。
「えっと……これって、面接……なんですよね?」
「……あ……ああ。まあな……」
「すみません……あの、履歴書とかは無いんですけど……」
「いや、十分だ……。」
こんな奴が国家予算運営の国家公認魔術師育成機関への裏口入学希望者か。
とんだ冗談もあったもんである。
いや、もしやこいつは胸に逸物抱え込んでいて、今でこそ猫を被っているだけなのではないか。
そうと仮定すれば全てに納得がいくが、白葉はどうしても腑に落ちない。
そもそもその程度の化けの皮なら白葉の目にかかれば残り物に掛けるラップに等しい。
「あの……」
あれこれ考えていると、目の前の幸薄そうな少年が居心地悪そうに言った。
「やっぱり無理ですよね……?」
「ん?」
随分弱気である。
ここまで来るからには脚にしがみついてきてでも頼み込んでくるものかと思っていたのだが、白葉としては少々拍子抜けした。
「……いや……まあ、普通なら無理だ。だが……俺ならどうにかしてやれなくもないな。
ていうか、お前はなんでまたそこまでしてここに入学したがる?
来年度の入学審査ならまあ顔を利かせてやらないこともないが……今じゃなきゃならんのか?」
「それが……」
雛由マヒルはちらりと視線を横に走らせる。
白葉がそれを追うと、壁にもたれかかってちまちまカップに口をつけているアユムがいた。
「お前か、疫病神め。」
「えへへ……コツンっと」
疫病神ことアユムは舌をちろり出して頭に拳を当てていた。
「という感じです……」
「なるほど……な」
だいたい理解した白葉である。
「アユムお前、人間は猫やら犬やらとは訳が違うんだぞ。研修がある度に色々連れて帰ってくる奴ではあったが、流石にガキ一人拉致って来るとはどういう……」
「とにかく、シラハ。できる?できない?」
「はぁ……」
遮られた。
こうなってしまえば人の話など耳に入らないのが愛沢アユムだということを、白葉はよく知っている。
それを踏まえて白葉は腕を組む。
「駄目だ。」
「えー!」
「駄目なもんは駄目だ。そもそも、こいつも百パーセント同意してるって訳でも無いだろう。」
「そんなこと……」
「この学園都市には、実験施設諸々は勿論、寮という名の高級ホテル並みの宿泊施設があり、飲食店その他大手商業施設も少なからず展開し、それらの職員や親族を中心とした住宅街も存在し、ある程度の娯楽施設まである。
だが同時に……。」
急に険しい表情になると、低い声で言った。
「緊急時でも大がかりな外科処置を可能とする医療施設、果てや葬儀所から墓場まで完備だ。意味わかってるな?
ついでに、何でこの学園都市が絶海の孤島なのかも考えろ。
つまり、ここはそういう場所だ。」
「……。」
これは何もアユムだけに聞かせている話ではないことをマヒルは理解した。
魔法とは、それほどの危険性の伴う技術であり、それを研究することは即ちその危険性と正面からぶつかり合うこと意味する。
「だから、本人の強い要望なしじゃ俺は動けない。」
話は終わりだとでも言うように、白葉は椅子をぐるりと回してそっぽを向いた。
「……。」
アユムはそれ以上何も言わない。
ただ、もの惜しげな表情でマヒルの方をチラチラ見ていた。
マヒルは考える。
椅子から立ち上がらないままで、膝の上の掌を見つめた。
「……あの、白葉さん」
「なんだ?」
社長椅子が数ミリこちらに回転した。
マヒルは意を決して質問を口にする。
とてつもなく重要な質問である。
「ここを卒業できたら、稼げますか?」
「……。」
「……。」
白葉は然り、アユムまでもがフリーズした。
「……は?」
「いや……その……厭らしい話ではあるんですけど……結構、重要じゃないですか……ね?」
場違いなことは本人も理解している様子で、座った膝同士をもじもじさせている。
「……いや、そりゃあ、稼げるには稼げるだろう?
……つーか、お前は聞いてたか?命の危険だって伴うと言っている。生半可な物欲で果てるなんて、小者魔術師のお決まりの最期だぞ。」
「それは分かってますけど……やっぱり気になるのは気になりますよ。」
「……いや、気になるったって……魔術師だぞ?魔法を使って国のために働くという……その魔術師。最低でも一般人の倍は稼ぐだろうな。」
「本当ですか!?」
「ぬをっ!?」
身を乗り出してきたマヒルに、白葉は椅子をひっくり返しそうになった。
借りてきた猫みたいにしていると思えば、金が入るととんでもなくハングリーな奴だ。
「シラハ」
「なんだってんだよマジで……?」
完全に引いている白葉に、そろそろと近寄ってきたアユムが耳打ちする。
「実はマヒル、借金がどうとかで……かくかく然々……」
「……マジかよ、なんつーもん拉致って来てるんだよお前は……」
顔をひきつらせる。
ピュアなか顔をしてがめつい部分に食いついてくると思えば、なるほどそういう理由があってのことらしい。
「つまり、お前には金が必要ということか」
「ハイ、何千万単位で。……あと利子とかも結構張りますから……最終的には何億っていう可能性も……」
「はぁ……」
大きくため息をつくと、白葉は呟くような声で言う。
「……本来ならここで学んでいっぱしの魔術師になろうとすりゃ……まあとんでもない額が要り用になるが……」
「え……」
今度はマヒルの顔がひきつる。
「あの……僕……全財産、千三百六十二円なんですけど……」
「アウトだな。だが、諦めるには早い。」
白葉は椅子から立ち上がると、ごちゃごちゃした部屋の隅から紙切れを引っ張り出してきた。
「返済不要(条件付き)の教育ローン……ま、要は補助金が降りる可能性がある。」
「え?本当ですか!?」
マヒルの目に百万カラットの輝きが宿る。
「ああ、国からの補助なんだが。この学園で学ぶにおいての全ての資金を立て替えてくれる、そんな制度がある。それがあればお前も立派な魔術師になれて、借金完済も見えてくるぞ。」
「まさに夢のような……」
「だが、よく聞け。」
今にも踊り出しそうなマヒルに、白葉は取り出した紙切れを突きつける。
その指はある文章を指差していた。
「俺は(条件付き)と言った。その条件がこれだ。ひとつにして絶対の条件。」
唾を飲み込むマヒル。
白葉は紙を引っ込めると神妙な面持ちになった。
「まず確認しておくべきは……この学園には『ランキング制度』という物が存在する。授業などの成績とは別に設けられた評価制度で、その者の実戦においての魔法能力の高さをランキング形式で並べたものだ。
実戦魔法科に在籍している生徒全てが例外なく対象になり、生徒860人中の何位かで示される。」
「ちなみに私は32位~」
「え、結構上なんですね……」
横から自慢気に胸を張るアユム。
白葉は苛立たし気に頭を掻いた。
「おい聞け。
毎月末に更新されるこのランキングの平均、最終年度末に出る『最終順位』が15位以内で卒業できた場合、学費の百パーセントが国から補助されるという仕組みだ。」
「じゅっ……じゅうご……15位ですか!?」
「そうだ。ま、そこまで登れれば補助金が無くとも、初任給で借金の一つや二つぽんと完済だがな。」
「そんな無茶な!?」
「なら諦めるしかないだろう」
そっぽを向こうとする白葉。
マヒルは慌てて手を振る。
「まま、待ってくださいよ!分かりました、がんばります!!がんばりますから!!」
「よし、その返事が聞きたかった。」
にんまりと笑うと、アユムに指を突きつけた。
「本校の事務担当に電話繋いどけ。『白葉マサヨリ様が理事長に用事だ』とよ。」
「やった!ありがとうシラハ!」
スキップで部屋を出ていったアユムを見送ると、白葉は大きくあくびをした。
目元を擦る彼に、マヒルはまばたきしながら訪ねる。
「白葉さん?」
「面接は終わりだ、雛由マヒル。」
今にも目を閉じそうな顔で言うと、早くも椅子を半回転させてしまった。
「入学の件なら任せろ。手続きは明日の正午までに済ませといてやるから、今のうちにアユムにでも手伝ってもらって準備してろ。」
「てことは……」
「入学おめでとう、雛由……マヒル」
あくびが混じっていたせいで、あまりにも実感に欠ける入学許可だった。
だが、その言葉を脳内で反芻する内に、全身に歓喜の波が押し寄せた。
立ち上がると、マヒルは大きく礼を言い頭を下げる。
「あ、ありがとうございます!」
「あー……うるさいうるさい。礼はいい。つか、分かったならさっさと出ろ。その辺に資料があるだろうから持っていって目を通しておけ。俺は寝る。」
相変わらず怠そうに言ってのける。
マヒルはもう一度深々と頭を下げ、部屋の扉へと踵を返した。
「……ああ。マヒル」
「はい?」
ふと背中にかかった白葉の声に立ち止まる。
その場で返ると、椅子の背凭れを向けたままの白葉がそのままの状態でいた。
「お前……親が外国の生まれだったりするのか?」
「あ……いえ、純日本人です。……その割りには地毛がこんな感じですけど……」
自身の絹のような銀髪を指先で丸めながら答えるマヒル。
それだけではなく、色が白い肌や瞳の色も、全身の色素が薄いようだ。
「ほう……いや、別にここじゃ珍しくもないから気にするな。校則に引っ掛かることもない。
まあ、お前の場合は美形だから目立つには目立つだろうが、悪くは言われんだろう。」
別段と関心を示した様子もなく口先だけで言うと、ひょいと指先だけを向けてきた。
「あと、その……ペンダント?首から下げてる奴だ。」
「あ、はい……」
マヒルはシャツの首もとから細いチェーンに指輪を通した首飾りを引っ張り出す。
立場柄あまり高価な装飾は憚られると思って隠していたのだが、気付かれたらしい。
「……貧乏人が色気出すのもどうかと思ったんですけど……でも大事な物だから、これは手離すわけにはいかなくて……。」
「いいや」
白葉は手を引っ込める。
「なかなかいい品だ。肌身離さず、大事にしろ。」
それきり、何も言わなくなった。
おそらく眠ったのだろう。
小声で「失礼しました」と言い、マヒルは管理人室を後にした。