表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

僕の思いは届かない。

作者: 水無月旬

初めて純愛ものを書きました!!

 僕の思いは届かない。

 それでも僕はきっと、歌わなければならないんだと思う。君の前で歌いたいんだと思う。


 耳が切れてしまいそうなほど厳しい寒い風が吹いていた。窓の外にはからからに枯れた桜の樹の並木道があって、その風で残り少ない茶色に染まった桜の葉が今にも取れて、飛ばされてしまいそうだった。

 心臓がばくばくしているのがはっきりとわかった。部屋の中は暖房が利いていて温かかったが、今の僕にはとても暑くて、背中から変な汗が滲み出ていて、手汗で手がべとべとしているのがわかる。

 目の前に、椅子に丁寧に座っている少女が居た。通っている学校の制服を着ていて、下は生足が見えないオーバーニーソックスをはいている。髪は自然な茶色のロングで、前髪は鬱陶しくない長さだった。

 彼女は下の方を一心に見て、そして口をぎゅっと結んでいる。

 僕はどうしたらいいのかわからず、閑散とした外が見える窓から離れ、そして彼女の眼の前にあるもう一つの椅子に座った。

 彼女の座っている椅子は足が四本ある木製の椅子で、僕の座っている椅子はプラスチックでできたデスクワーク用の椅子だった。

 僕と彼女は小さいころから仲が良かった。歳は同じで、お互い家は近かったけれど、初めて会ったのは幼稚園のころで、それから小学校、中学校、高校とずっと一緒だった。

 まるで兄妹みたいに接してきた。

 高校では、僕は軽音部でギターをやっていて、彼女は書道部に入っている。

 外の風景とは違って、密閉されたような部屋で僕と彼女は只、向き合う様に座っている。

 そして今、僕の肩にはアコースティックギターがかけられていて、彼女の手元には太字のマーカーペンと大きめのスケッチブックがあった。

 その異様な光景の中で、微妙な空気と、そして重苦しい沈黙が漂っていた。

「あのさ…」

 僕は居たたまれなくなって、大きな声で呼びかける。

 すると彼女は、ずっと下を向いていた目線を一瞬あげ、僕の顔を見る。そして手に持っていたスケッチブックを開いて、数ページめくる。次に太字のマーカーペンの蓋を取って、それに何かを書きだした。

『なに?』大きくそう書かれていた。

 僕はそれを読み、そのスケッチブックから目を反らした。肩にかかっている茶色のアコースティックギターを見つめて、唾を飲み込む。

「曲、できたんだ…」しっかり言葉を噛み締めて、最期の一語まではっきりと伝えた。


 そうしないと彼女には聞こえない。

『感音性難聴』これがすべての始まりであり、すべての終わりでもあった。


 今年の秋、九月か十月の間の事だった。

 彼女は少しずつ音を失い始めた。突発性の難聴ではなかったから、今でも少しは聞こえている。最初は耳鳴りがする程度のものだったらしい。

 感音声難聴というものは、耳の器官は正常でも、その中身、音を電気信号として送る事ができない難聴の事を言うらしい。

 手術や薬で治る、耳の外部の機能が原因の伝音性難聴とは違う、治療法がまだ見つかっていない難聴らしいという事までは聞いている。

 最初は普通に接することができた。けれども、ある時を境に、彼女の耳はどんどん聞こえなくなる一方だった。終いには、今と同じようにスケッチブックとマーカーペンを持つようになり、文字で話すようになった。デリケートな性格で、悪い発音の言葉を話したくはないようだ。

 僕はどうしたらいいのかわからなくなった。急に彼女とは普通に接することができなくなった。

 ある時を境に、僕達は相容れなくなってしまった。

 けれどもそれは、難聴だけが問題ではなかった。


 僕は今ここで、ギターを持っている。肩に担いで、ギターのネックを握っている。

 彼女の耳はいつ完全に聞こえなくなるのかわからなかった。それでもだんだんと彼女の耳の機能は退化していくばっかりだった。

 僕はそんな彼女を見るのが辛かった。

 今まで僕たちは学校からずっと一緒に帰って来ていた。小学校の時も、中学の時も、高校でも…。

 けれど、彼女はそれを避けるようになった。僕もそれを避けるようになった。

 それでも、僕は彼女と一緒に帰った。僕の親が、彼女を一人で帰らせるのは危ないからという理由で、僕は彼女の後を着いて帰る。背中を只、ずっと見続けて帰る。

 そして思うのだ。

 彼女の、その隣に…。

 もし、誰か居たのなら…と。


 僕はどうしたらいいのかわからない。彼女に話しかけることも、話を聞いてあげることも出来なかった。

 それに彼女は僕を求めてはいなかった。そう、僕はただの幼馴染でしかなかったのだから。


 だから僕ははっきりと思うのだ。

 僕の思いは届かない。

 そう僕は思うのだった。


 彼女は元々明るい性格だった。皆から可愛がられ、頭もよくて、そしてなにより笑顔が素敵だった。

 僕はそんな彼女の事が好きだった。

 隠すことじゃない。僕は彼女の事が好きで、好きでたまらなかった。

 彼女と話している男子が居たら、嫉妬もするし、一緒にいるとどきどきが止まらない。

 誰にもそういう事、あると思う。恋とは誰もが持つ自然なものであって、僕の思いが偶々彼女に向けられていたという事。

 けれども、その思いは簡単に届くものじゃない。簡単に伝えていいものじゃない。そう僕は思うのだ。

 だから彼女もそうだった。そうだったんだろう。

 彼女は同じ学年のあの人の事が好きで、あの人は彼女の事を好きじゃなかった。

 世の中世知辛いよね。本当にそう思う。

 彼女は降られた、失恋した。その瞬間、僕も失恋した。

 そして僕は思うのだった。

 僕の恋心は何処に行ったのだろう。


 それを僕は今まで忘れていた。

 そして僕は思い返す。

 僕は今、なんでギターを持っているのだろう。頭になんで歌詞が浮かぶのだろう。

 僕は今日、彼女のために歌を歌う。


 彼女の聴覚は私生活に支障をきたすようになった。

 突然の事だった。本当に何もかも突然のような気がする。まるで、今外で吹き荒れる、木枯らしのように、一瞬で過ぎ去ってしまう風のようだった。

 ある時、丁度今日みたいに風が強く吹いて、凍えるような寒さの日、彼女から突然メールで呼び出された。彼女の家はすぐ隣にあるので、僕はすぐ向かった。

 彼女の部屋まで行くと、彼女は僕の目の前に立っていて、いつものように疲れた顔をしていた。

 目の前で立っている彼女の手にあるスケッチブックにはこう書いてあった。

『転校します』

 ただその一言だった。

 自分の母親に聞くと、少し遠くにある、聴覚の特別支援学校へ転校することになったという事だった。家も引っ越すらしい。


 僕はその時だったのかもしれない。どうしたらいいのかわからない気持ちに再び駆られて、彼女の前に堂々と立つことができなかった。その知らせを聞いてからも、僕はずっと彼女の後ろに着いて帰り、小さい歩幅で時間をかけて帰る彼女を見守る。

 そうすることしかできなかった。

 それでも僕はきっと、何か、自分は大切な事を忘れているような気がして、そしてあるとき、僕はギターを手に取った。

 思い立って、僕はギターを一度おいて、彼女の家に向かって、玄関である約束をした。

「転校する前に、君に歌を作るよ。君に今までのお礼を言いたい。引っ越しの日、僕の家に来て」

 思い立った行動だったけれど、僕は心臓が張り裂けるように痛かった。何故かわからない。緊張なのか、気持ちの高まりなのかわからない。ただ、僕はその鼓動をいつまでも忘れないだろうと思う。

 彼女は、頷いてくれた。


 今日、彼女は行ってしまう。

 僕は必死で歌を作った。今まで歌を作ったことが無くて、音感も持っていないし、音楽理論もあいまいだ、そして何より僕は音痴だった。

 僕は歌が圧倒的に下手だった。音はすべて外すし、声が良くない。自分でも分かっていた。そんな事は分かっていた。

 それでも僕は、今日彼女の前で歌う。

 彼女は僕の眼を見て、そしてスケッチブックを膝の上に平らにおいて、そしてその上でマーカーペンを強く握っていた。

 僕はそれだけで胸が痛くなった。今、彼女はどういう気持ちで、僕の前に座っているのか、僕はもう気にしなかった。

 自分の気持ちだけで十分だという気がしてきた。

 そして今までの自分の気持ちを改めて知った。思い知らされた。

 僕が彼女を好きでいてさえすればそれでいい。それだけでいい。

 たとえ、僕の思いが君に届かなくても…。


 僕は右手でピックを持って、ギターのネックを左手で持って、そしてコードを押える。

 イントロを引いた。僕は只、間違えないようにと必死で弾いた。

 僕は軽音部だから、ギターが大好きだったから。そして君の事が大好きだったから。僕はギターを弾いて、君のために歌う。


 歌が始まった。僕は歌っている。

 その時、僕はまるで、自分が見ている世界を別の世界で見ているような気がした。僕の目の前では僕がギターを持っていて、弾いていて、歌っている。相変わらず下手くそな歌だった。

 その前で彼女がそれを聞いている。

 いや、目の前に彼女がいるだけで、聞こえているかなんてわからなかった。今彼女がどこまで耳が聴こえなくて、そして僕のギターを、声を、歌をどのように感じているかなんてものは分からなかった。

 それでも僕は、歌い続けた。歌詞を伝えるように歌った。今まで音程がまったく合わなかったくらいの音痴なのに、今日はそれでも少し違った。一つの曲として、しっかり聞こえた。たぶん、自分の作った曲だから、彼女のために作った曲だから、その曲の事を一番知っている。


 彼女の反応を見て、僕は驚いた。驚くというより、どうしたらいいのかわからなかった。まだ曲は続いているのに、僕は歌っているのに、時間が一瞬だけ止まった様な気がした。


 彼女の眼から涙が滴り落ちていた。


 その水は部屋の明かりで一瞬光った。それが僕には冬の寒空の下で眺める流れ星のようだった。

 彼女は自分が涙を出している事には気づかないで、一心に僕を見ていた。まるで自分の脳内に記憶を焼き尽くすみたいに、ずっと離れることなく僕を見ていた。


 僕はまだ驚くばかりだったけれど、安心した。彼女が僕の曲を聞いてくれている。ただそれだけを感じただけなのに、僕の心は抑えきれなかった。歌を歌っている口元で、なんだかしょっぱい味がした。

 液体が一粒流れ込んできた。そのあとに、何粒も何粒もしょっぱい液体が流れ込んできた。

 そして僕は歌い続けた。



 約五分間の歌が終わった。どうだったかな、最期の方ははっきり言って覚えていなかった。ギターを弾き終わって、ピックを持つ右手を見ると、右手が赤かった。赤い血でぬれていた。ピックを持って弾いていたのに、ギターの弦に指のささくれが引っかかって、血が出たらしい。全く気付かなかった。

 僕はその右手を確かめると、それを背中の後ろに隠した。ギターを左手でネックの部分を持って、近くのスタンドに立てかけた。

 その後、彼女の顔を見る。緊張はもうどこかへ消えていた。

 僕はすべてを出して、そのすべてを彼女にぶつけた。今までの気持ち、彼女への気持ちを伝えた。

 彼女は僕と眼が合うと、一心に出していた涙をぬぐった。そして慌ててスケッチブックをめくって、白紙のページを見つけ、マーカーペンで書きだす。

 そして彼女はスケッチブックの書けたページを僕の目の前に膝の上で立てて見せる。

 その手は震えていた。

 それにはこう書いてあった。


『思い、伝わったよ』


 そう書いてあっただけだった。

 彼女はそののち、そのスケッチブックを膝の上に置いて、その言葉が書いてある面が上を向いていた。彼女は下を向いて、自分でそのスケッチブックを見ていた。

 それを見ていた僕が一瞬、そのスケッチブックの紙に水玉が落ちたとおもったら、それが滲んで、マーカーのインクが少しにじみ出た。そしてそれが何粒も流れる。彼女は声を出して泣いていた。

 久しぶりに聞いた彼女の声だった。

 そして泣きながら、何度も何度も彼女は

「ありがとう」とそう伝えた。

 彼女の言葉で、文字じゃなく、声で何度も僕にその言葉を投げかけた。

 彼女の声は何度か音がおかしかった。変に聞こえた。

 それでも僕はそんな彼女を見て、気持ちが抑えきれなかった。

 彼女が好きで、好きでたまらなかった。自分の気持ちが抑えきれなかった。

 蹲りながら泣き続ける彼女を起こし、そしてそのまま抱きしめた。

 その時彼女がどんな顔をしていたのかなんて僕にはわからない。僕は彼女の体を抱きしめ、体温を感じ、顔を近づけた。

「ごめん、少しだけ…」

 僕は耳元で彼女にそう伝えた。

 小さな声だったから彼女に聞こえたのかもどうかわからなかった。それでも彼女は僕の背中に腕を寄せてくれた。


 抱きしめあった後、僕と彼女は二人とも、変な緊張感に包まれ、ぎこちない笑顔を見せた。

 そして彼女は笑顔になった。僕が好きだった彼女の笑顔をもう一度見ることができた。目からはまだ涙が流れていたけれど、顔は笑っていた。


 外はまだ、鋭い音を立てながら風が吹いている。さっきまで枝に付いていた樹の葉っぱがまた一枚飛んだ。

 僕と彼女はそこで別れを告げて、そして彼女は音を失った。

 僕はギターをこれからも弾き続け、そして彼女のためだったらきっとまた歌うのだろうと、その時思った。



 僕の思いは届かない。

 それでも僕はきっと、歌わなければならないんだと思う。君の前で歌いたいんだと思う。


今回は定番の幼馴染との恋の話です。

前々からこの話は書きたいと思っていて、本当は長編にする予定だったんですが、文芸部の文集が原稿を集めていると聞いて、それに向けて書いてみようと思いました。

まあ、結局は原稿は出しませんが…。

難聴っていう重たいテーマを作ったのは、一回だけ、難聴になった人の気持ちを考えてみたことがあって、それでも実際自分たちはなっていないのだから、気持ちを理解するのは難しいのかなって、思ったことがあって、それでその気持ちをわからない気持ちを『僕』というキャラで表現しました。

幼馴染の設定は、まあ普通の女子高生なんですけれど、自分にも女の子の幼馴染がいて、少しだけその子のことを思い出しました。

私の幼馴染は小五の時に、イギリスに転校して、今は疎遠なんですけれど、何かしらの未練が自分の中にもあったような気がします。

そんな気持ちを書きました。

ではまた次期作もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ