8 我が子を谷に
原始魔法は簡単のようでいて、凄まじく難しい魔法だ。
有馬は唇を結んで、可愛らしい服装のままソファに胡坐を掻き続けている。
とはいえふんわりしたスカートのせいで、外から座り方は見えないが。
「…………」
体内を巡る魔力を感知しろ、とロボに言われた。
魔力そのものは確かに分かったが、巡る、という感覚が掴めない。
『……ふぁー』
「うるさい。杖入れ」
『ちぇー。あ、じゃあちょっと外出てくる』
「そう」
しかし有馬は粘った。かれこれ1時間は胡坐を掻いて瞑想している。
口数も少なく、その顔は真剣そのもの。
午前中は結局精霊と戯れて終わったが、午後の彼女は今までに無く集中していた。
やや俯き加減で目を伏せ、両手はスカートの上で軽く組んでいる。
一見して寝ているようにも見えるが、意識はどこまでもはっきりとしていた。
(――心臓の上)
1時間で掴めたのは、力の根源が心臓のやや上、鎖骨との間あたりにあること。
コップから溢れる水のように、身体に魔力を送り出している。鼓動のような動きは無いから、ただ生み出されるままに流れるだけなのだろう。
そして体表から少しずつ出て行って――交換されるように、新しく取り込まれているのが分かる。
(マナを、吸い込んでる……? 呼吸? ……あ)
有馬は、なんとなく気づいた。
魔力は魔力を回復させる効果を持っている。なら、マナも同様と考えていいだろう。
呼吸によって体内に入ったマナは、そのまま吐き出される。
けれど体内にある時、ほんの少しずつだが吸収されて、魔力を生んでいるのではないか。
(……それはいいとして。流れを、辿ればいいのかな)
全世界が驚愕しそうな発見はあっさり引っ込めて、集中する。
心臓のやや上から溢れる魔力は、また水面に流れ込むように緩やかに消えていく。
(噴水の、水の出る所と、水が溜まってるところ、みたいな)
そう想像した瞬間、なんとなく――魔力の水面が波立つのを感じ始めた。
波紋が、身体の端まで広がっていくような。
(波紋……ああ、そっか、波紋か……波紋ね! 座ったまま跳ぶアレ――)
思考がぶれて明後日の方向に向かう。同時に、流れがまた分からなくなる。
(ああ! しまった、無駄な事考えた)
再びじっと思考の海に沈むように、真面目に瞑想を再開する。
本人も他の人も与り知らぬ事ではあるが、この世の理をガシガシ暴いているのはまあ、ご愛嬌としよう。
夕方になるとぐったりしたフォルテが部屋のドアを叩き、入ってきた。
「お、おつかれ? あ、座って座って」
「……ああ……何してるんだ?」
瞑想していた有馬は、ソファの上で胡坐を掻いたままである。
スカートの中は見えないので正座でもしているのか、とフォルテは判断したが。
「瞑想。魔力の流れを掴んでみようと思って」
「流れを? 原始魔法でも習うのか」
「うん。ロボが教えてくれるって」
あっさりと言い切る有馬に、フォルテは微妙な顔をする。
原始魔法は、習おうと思って習えるものではないのだ。
言うなれば、感覚。古代の生き物に備わっていた、当然の感覚。
今では殆ど誰も持ち合わせないが、まるで呼吸するように原始魔法は行使されたという。
廃れたのは燃費の悪さと、新たな魔法の便利さ故だ。
しかし単発の威力と応用の幅の広さは、他の追随を許さないと言われる。
そしてもう1つ――
「……そうか。守護者殿が、か」
――ロボ自身についても、フォルテは不思議に思っていた。
「うん? ……うん」
(やべ、そういえば人前でロボって何回も――あれ、でも全く突っ込まれない?)
今更気づく。が、何時もの通りに“魔法だから”と簡単に納得した。
当のロボは有馬の横で寝こけているが、その姿すらフォルテには信じがたい。
「守護者殿は、俺達の師でもあるんだが……厳しいんだ。叱咤して、出来なければ叩き潰して、這い上がれと言いながら頭を押さえつけてくるような」
「うわぁ」
「俺達を見捨てないのが唯一の優しさだ、とまで言われていた」
ちなみにそれは歴代王族の共通見解でもある。
ロボは王族に厳しい。原始魔法と戦闘に関する事を教えるのだが、妥協は一切無い。
出来なければ鞭。出来たら出来たで鞭。飴は無し、そんな感じだ。
「……、ロボは優しい、と、思うけど」
「そうなのか。有馬にだけだと思うが」
「えー」
先日受け取った知識と一緒に、関連する記憶の一部も流れ込んできていた。
教育とやらの記憶は無かったが、王族と接する記憶は大多数を占めていた。
歴代の王族を慈しみ、そっと見守ってきたロボの気持ちを知るからこそ。
ロボがただ厳しいだけとは思えないのである。
(厳しく接するけど、可愛くは思ってるんだよね……?)
有馬は顎に手を当てて考え、そして思い至る。
「……ツンデレ?」
いくら何でもあんまりな結論だが。
「ツンデレ……?」
「う、うん。ついつい意地張っちゃう人、みたいな意味」
「意地を張って俺の肩を外したり、シヴァを塔から投げたりするのか」
「……はは」
乾いた笑いを零しつつ、横で眠るロボをそっと撫でる有馬であった。
ロボは何処で寝ているんだろう。
有馬は寝巻姿でベッドに潜りながら、今更そんな事に思い至った。
「……ロボー」
「何じゃ」
口に出して呼んでみると、すぐに扉が音も無く開いてロボは現れる。
契約というのは便利なもので、ある程度遠くとも言葉は伝わるのだ。
「ロボ、どこで寝てるの?」
「居間かのう。いつもは」
「一緒に寝よー」
「うむ」
何の疑問も無く返事を返す。
ロボは尻尾を一振りし、自らの身体のサイズを変えてベッドにひょい、と上がった。
「便利だねぇ」
「うむ」
「かわい」
有馬は布団の中にロボを引きずり込み、背中を自分の方に向けて抱きしめる。
「ロボってさー」
「何じゃ」
「厳しいんだってね。フォルテとシヴァさんに」
ロボの大きさは丁度いい。有馬の鼻先に後頭部があり、太腿のあたりに尻尾がある。
抱き枕にするなら一番いいサイズだ。
「厳しい、か?」
きょとんとした調子で言うロボに、やっぱりか、と有馬が笑った。
「厳しいよ。でもロボ的にはまだ甘い?」
「そうじゃの。あれらは優秀じゃったから、随分甘くしてやったんじゃが」
「……突き落としたり脱臼させたり以上って、どういう?」
「ふむ。先代の時は何度も魔領に置き去りにしたな」
我が子を谷に突き落とすレベルじゃなかった。
ちなみに魔領とは文字通り魔族の領土であり、魔王が治める地域だ。
国ではないため魔領と呼ぶが、正式にはディーヴィアと言う。
古代語で魔(を)抱く地という意味で、古くはディヴルイアと呼ばれた。
人間と魔族は、人間と獣人以上に致命的に仲が悪い――というか一方的に人間が突っかかり続けている。
殆ど勝てた試しは無いが、稀に勇者のような存在が現れて魔王に肉薄していくらしい。
尤も、残念ながら今代魔王は数千年前から負け無しでピンピンしている。
ちなみに獣人族は性質も心情も魔族寄りだが、やはり人間は好き、という者が多い。何故か。
閑話休題。
「ロボ、さあ」
「うむ」
「それを厳しいと思ってないのが問題だよね。あと、愛が伝わりにくい」
ロボは永遠とも言える長い年月を、王族を見守る事に費やす存在だ。
深い慈しみと愛の篭った視線を送っている、筈である。
「そう……か?」
「もっと可愛がってあげなよ」
「可愛がっておるぞ」
「ええー……」
その可愛がりのせいで怖れられているのは分かっていないらしい。
長命だと色々鈍くなるのだろうか。
「……、てか……守護者って、何? ロボって何でここにいるの?」
「……おお。話しておらぬな、そういえば」
「うん」
ロボの過去を、有馬はほんの断片しか知らない。
ゆっくりと昔話を始めるロボの声は心地よく、有馬はじっと耳をすませる。
「我が父は白銀の毛並みを持つ狼、我が母は海のような蒼い瞳の人間じゃった」
「……ん」
フォルテ達ですら知らない話を、詠うように語っていく。
有馬にとっては、まるで物語のような話だった。
神話にも近いが、有馬はそういう方面にも興味はある。
日本神話は勿論のこと、北欧神話やギリシャ神話も好きだった。
尤も興味を持ったのはつい最近で、学ぶ前にこちらに来てしまったのだが。
「――天高く飛び上がり、神の喉に喰らい付き」
「おおっ……」
手に汗握る展開に低い美声が合わさり、物語と言うかボイスドラマ感覚。
「そして――この口で噛み千切り、神を地に堕とした」
「……!」
「神の血を浴びた我らは、身体を紅に染め――」
さりげなく我らと言ったが、有馬は迫真の演技(声だけだが)に夢中である。
「――永遠の命と力を得た。そして子々孫々を見守るため、今もこの国に暮らしておる」
文句なしのクライマックスだ。有馬はロボの前方で両手をぱちぱちと叩く。
「面白かった」
「うむ、それは重畳」
「また、話して、ね……」
くたり、と力が抜ける。有馬の瞼が降りて、すぐに寝息を立て始める。
「おやすみ」
力の抜けた腕の重みを心地よく思いつつ、ロボも瞼で蒼い目を覆い隠した。
始祖の兄だとは全く気づかないのが有馬です。
今回ちょっと短めかな?