6 派手好きと契約
一夜明けて、朝である。
先日も徹底したマッサージを受けたせいで、有馬はぐっすりと眠り、そして清々しく起床した。
「あーたーらしーいーあーさがっきったー」
髪を漉かれるのは慣れてみれば心地の良いもので、有馬は小さく歌う。
――それを聞き、クレイアが怪訝な顔をした。
「アリマ様、それは……」
「ん? あ、ごめん、歌ってた」
「いえ、よいのです。……ですが、歌には翻訳魔法がかからないのですね。アリマ様の国の言葉ですか?」
「あ、うん」
クレイアの耳に聞こえたのは、聞きなれた言葉ではなく意味の分からない言葉であった。
つまり日本語である。
「……ま、いいか」
有馬は一応それを心に留め、朝食の時に聞く事にした。
「歌に翻訳が働かない?」
朝食のピラを食べながら、有馬は朝の事について話した。
「……翻訳魔法は、口に出そうとした意味を読み取ってこちらの言葉に変換する。
意味を込めて歌ったらどうだ?」
「意味を込めて……」
「しかし、気になるな。少し歌ってみてくれ」
「ご飯食べたらね」
「……ああ。お前、意外とマナーとか気にするんだな」
「うちの国じゃ、文字習う前に食事の仕方を習うからね」
……勢いで言ったが、あくまでそれは人それぞれである。
「そうなのか」
「日本は礼節の国だからね」
「……お前、本当に日本人か?」
「失礼な。あたしは場を読める人間だから」
「そうか、俺の前では礼節は不要、と?」
「いいじゃん、どうせ長い付き合いになるだろうし。
猫被ってたって仕方ないし、それはそれで化けの皮が剥がれた時にショックだよ」
「……何度も思ったが、よくあっさりと受け入れられるな」
「先の見えない就職氷河期、しかももてない、何を楽しみに生きればいいやらわかんなかったからね。こっちの方が楽しい」
とりとめのない会話。
この世界に来て三日目、五回目の食事だ。
未だ接し方を決めあぐねているものの、有馬の口調は澱みない。
それに、有馬の声は耳に心地よい、それなりに綺麗なものだった。
「ごちそうさま」
女性らしくする気がなくとも、その澄んだアルトは十分に女性らしい。
人間、声質は飾りようが無い。そう考えると有馬は割と恵まれていた。
「では、歌ってみてくれ」
「って言われてもねえ。まぁ、いいけど」
何を歌うか一瞬迷ったが、有馬は小さく口を開いて息を吸い込む。
短く、日本語としても簡単で、歌いやすいもの。
春が来た、と歌い出した声は普段とはまるで違った。
フォルテが僅かに目を見開き、じっと聞き耳を立てる。
普通に喋る時のアルトとは違う、伸びやかなソプラノが一番を歌いきった。
有馬が歌を止めると、フォルテが息を吐いて小さく微笑む。
「……確かに、意味はわからないな」
「うーん」
「だが、上手いな。意味が分からなくとも、心に響く歌声だ」
ストレートな褒め言葉に弱い有馬は、ほんのりと頬を染める。
「う、うん。ありがとう」
たとえ微塵も意味の分からない言語でも、リズムとメロディーに心が惹かれる事は多々ある。
「音楽は、言わば共通言語だからね」
照れ隠しにそう言うと、紅茶のカップを取って飲み干す。
「そうだな」
大人びた所もあるが、こういうところは子供らしい。
フォルテは不意にどきりとする胸に戸惑いを覚えつつ、柔らかく微笑んだ。
有馬は今日もロボの身体を枕にして、すうすうと寝息を立てていた。
ロボとの間で知識の共有が行われ、この世界の言葉や文化を頭に入れているのである。
眠っているのは、負担を減らすためだ。
『ねぇ、早く契約してほしいんだけどな』
「黙っておれ。ブランカが目を覚ますであろう」
『ブランカって。きみ、随分とこの子を慕ってるんだね』
「軽々しく呼ぶな、貴様」
テーブルに置かれた杖に向かって、ぎろりと目を向ける。
『わあ、怖い怖い』
少しも怖がっていない様子で、シェンカが騒ぐ。
緑の宝石がちらちらと輝き、ロボが溜息を吐いた。
「けして懸想するな。あとは好きにしても良い」
『言われなくても分かってるよ。あのフォルテ坊やのお嫁さんでしょ?』
「そうじゃ」
『僕、すっかり気に入っちゃったよ。契約霊具になっちゃおうかな』
「……もう実体になれるのであろう。従者としての契約ではないのか」
『実体に戻っても、僕はもう杖の精霊だもん。見た目は変わんなくてもね』
「そうか」
『君がもうただの半獣に戻れないように、僕もただの妖精には戻れないよ』
精霊と――神獣は、くすくすと、くつくつと、笑いを漏らす。
「じゃが、ブランカは望まぬじゃろうて」
『そうかな――』
しゅるりと杖から出てきたシェンカは、手を伸ばしてさらりと有馬の頬を撫でた。
右側に一房残して左側で結われた長いプラチナブロンドが、百合の花弁のように広がって輝く。
色白の有馬より更に白い透き通るような肌、ピアスが幾つもついた尖った耳。
絶妙なバランスで配置された、中性的ながらはっきりと男だと分かる美貌、宝石のような灰色の瞳。
エルフが好むゆったりとした服には、いくつもの装飾品が輝く。
「派手好きなエルフが居たものじゃ」
背は有馬よりやや高く、身体は華奢で筋肉はあまりついていない。
妖精族、その中でも人に近い容姿を持つエルフ族は、それでも人間に勝る身体能力と丈夫さを持つ。
その恵まれた身体能力と魔力故に、エルフ族の魔法剣士は全種族でも有数の強さを誇る。
『精霊は光り物がすきなんだよ。今となってはいらないけどね』
「……ふむ。おぬし、今は精霊魔法を使えるのか?」
『昔とは感覚が違うけどね。精霊と対話するんじゃなくて、自分より下位の精霊を使役したり、精霊を作ったりできるから』
「そうか。ならばブランカを守るに支障は無いな」
『そーだねぇ』
シェンカは指輪が幾つも嵌った指で、さらさらと有馬を撫でている。
面白がるような、それでいて慈しむような瞳で見つめながら。
「ベル」
有馬は傷つけた指を舐められながら、名前を与えた。
由来は無論、かの妖精だ。
ベル・シェンカ・ルゥは、人差し指を舐め回してから有馬を見上げる。
『僕もたまに、きみのことをブランカと呼んでもいい?』
「いいんじゃないの」
『ありがとう。では僕の“血”を』
ベルが白い手を伸ばし、有馬の掌の上に輝く雫を落とした。
きらきらと光るそれはもやのように揺れるが、蒸発したりしない。
白金の輝きを、口を開けて流し込む。
「……うまい」
それはどこか爽快で、懐かしい甘味。具体的に言うと三○矢サイダーのような。
『“ブランカ”に永久の忠誠と、永遠なる精霊の守護を』
跪いて忠誠と守護を誓うと、仄かな温かみが有馬の心臓の上あたりに生まれる。
マナがぼんやりと体に集まり、きらきらと輝く。
「これ……」
眼のあたりが僅かに温かくなり、思わず眼を擦って閉じて、そして開ける。
――景色が、様変わりしていた。
「……へ、あ、えっ? 何!?」
世界が、比喩でなく輝いて見えた。
目の前のベルが神々しいまでの光を帯び、横で丸まっているロボも白銀の靄のようなものを発している。
自らの手からも瑞々しい金の靄が流れ出て、その異様な風景に度肝を抜かれる。
部屋のそこかしこに色んな色の靄が浮いて、可愛らしい部屋が一気にどこぞの山奥のような神々しさを持っているように見えた。
『眩しいだろうから、止まれって意思を込めながらゆっくり瞬きして』
「う、うん」
――言われた通りにすると、その景色は元に戻る。
『それは《精霊眼》、マナと魔力を見る事が出来るよ。僕と契約したから開眼したんだねぇ』
「はあ……眼が痛くなるから二度とやりたくないんだけど」
『まぁ、使い慣れれば便利だからさぁ~』
有馬の《精霊眼》はただ無差別にマナや魔力を見るだけだ。
人間が使うには処理能力的な意味で足りていないのか、すぐに頭痛がするし、眼も痛む。
しかも集中して見なければいけないため、まだ便利とは言えない。
しかしベルのように洗練された魔導士や精霊の《精霊眼》は、便利だ。
視認する魔力を選べるし、魔力の色を見てとれば相手が使おうとする魔法が分かる。
魔法による罠や呪いを見破ることも出来る。
敵の魔力量や質を見る事も出来るし、魔力状態から健康状態を読み取る事も出来る。
希少なだけでなく、それに見合った特殊なスキルを持つ。それが魔導士というものだ。
「まぁ、たまーにね。頭いたい」
『ゆっくりお休み~』
「うぃ」
有馬は抵抗なく、するりと眠りに入った。
『知識の方は、どこまでいったの?』
「世間一般の知識に、こちらの言語だ。古代語はまだ教えていない」
『じゃあ、僕が古代語と精霊言語を教えるね~』
ベルは有馬の手を取って、ソファの端に座った。
知識共有は離れても可能だが、肌に触れると効率も速度も増す。
高速で与えられる知識の数々を知覚しつつ、ロボは密かに感嘆していた。
(――あれほど膨大な量の知識を詰め込まれておるのに、拒絶反応が全く起こらぬとは。
起きた後も頭痛すら無い……異世界人は頭の出来が良いんじゃろうかの)
契約者同士の知識共有は、現代魔法による知識共有に比べてずっと優秀だ。
しかし、ロボが長い人生(犬生?)の間に見たその行為は、やはりある程度の拒絶反応を伴う。
流し込まれた知識の多寡にもよるが、倦怠感、痺れ、鼻血、頭痛、眩暈、昏倒。
中にはそのまま三日目覚めないような者も居た。
果たして有馬がおかしいのか、それとも異世界人の特性なのか、あるいはロボとベルの力量か。
――それはまだ、誰も知らない。
◆
「言葉の方はどうだ?」
「あと2日もあれば日常会話に問題は無いじゃろ」
「「!?」」
午後になってもぐっすりと眠る有馬を横目に、こんな会話が繰り広げられたのであった。
余談ではあるがベルは杖に戻っていた。まだ姿は見せないようだ。
ファンタジーといえばエルフ。