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獣の国でお嫁さん  作者: つんどら
おいでませ獣の国
3/28

3 泣きたい事も


「それ、お祈りか何か?」

フォルテが食前と同じ仕草をすると、有馬がそう聞いた。

「……まあ、そうだな。獣人はそれぞれの始祖に祈りを捧げる。俺たちは、始祖ウォルフに感謝する意味で、こうする」

「紫蘇?」

「始祖とは獣と人から生まれた、その種族で最初の獣人ですね。私達にとっては直系の先祖ですが」

(動物と人で子供が生まれるもんかな……まあ異世界だからありか)

無理矢理に納得したが、一体何があって獣人が生まれたのかは怪しいものだ。

それを知るとしたら、建国の頃から生きているごく僅かな者達だけだ。

それから少し雑談を続けつつ、食器が下げられるのを待つ。

皿をワゴンに載せ、侍女は去っていった。

「今の侍女、クレイアか」

不意に狼がそう言って、思い出したようにシヴァが口を開いた。

「殿下、紹介はまだしておられないので?」

「ああ、そうだったな。先ほどの侍女はクレイア、有馬の専属となる」

「せ、専属侍女?」

有馬は面食らった。王妃になる事は理解したし納得したが、そういう事は考え付かなかったらしい。

彼女は一般市民だ。さして金持ちでもない普通の家庭に育っているため、全くもって馴染みが無い。

というか王族の侍女ともなると過保護そうなイメージがあり、なんとなく腰が引けた。

「あと、彼女の母が先王の腹違いの妹でな。一応俺やシヴァの従姉に当たる」

「お、王族じゃん……」

「そうだな。しかし母親が少々やらかして……父親は責任を取る形で転封されたが、一応人質としてこちらに残っている。

だが、幼馴染だからな。信頼は置けるし魔力も強い。教養もあるし、これ以上ない人材だ」

確かに、優秀な人材のように思えたが――有馬は、不信感というか、警戒心を抱いた。

尤も彼女は口を聞く生物全てを警戒している節があるのだが。ただ、程度に差があるだけだ。

「何やらかしたの?」

「先王とその弟への暗殺未遂だ。自らが女王になろうとしてな」

「え、ええっ? 少々じゃないじゃん」

未遂という事は捕らえられたのだろうが、余計に危険ではないだろうか。

母親を捕らえられた恨みを胸に秘め、幼馴染として信頼関係を築いてから暗殺を試みる可能性がある。

やたら回転の速い頭が、そんなストーリーを描き出した。

「アリマ様の言いたい事は分かります。が、安心してください」

「……う、うん?」

「クレイアの母は、父、夫、兄、娘の全員と不仲でした。結局、夫であるダーメルシャン伯爵に捕らえられ、王自ら死刑にしています」

「うわ……ああ、でもそれなら罪が1人で済むしね」

一族郎党皆殺し、と物騒な言葉が浮かぶ。

大昔の日本であれば改易か切腹、悪ければ一族全員処刑だ。

豊臣秀次が最たる例で、一族どころか関わった者達まで処罰されている。

それを考えれば、優しい結末と言えた。

「はい。完璧に無罪とは出来なかったので転封していますがね」

(なるほど。それなら、その程度に済ませてくれた事に感謝してるかも……じゃ、心配しなくていいか)

そう考え、あっさりと警戒心を捨てる。

……どうやら、いきなり侍女を持つ事への抵抗は既に忘れているらしい。

「難しいね」

「そう言う割にしっかり理解しているようだが」

「そうかな」

理解はしっかりしている。難しいと言ったのは、王政国家のしがらみに対してである。

罰を与える事はしたくない、しかししなければ他の貴族への示しもつかない。

それを考えての言葉だったが、まだフォルテはそこまで読み取れないようである。

「とにかく、クレイアが戻ってきたら改めて紹介しよう」

「うん。……あ、そうだ。部屋とか、案内してほしいんだけど……後でもいいか」

そういえば2人はずっとこの部屋で話通しで、ほとんど立ってすらいない。

この部屋は、さほど広くは無い部屋だ。

入ってきた扉以外にも二つ扉があり、壁にはいくつかの装飾品や棚。

しかし先ほどの部屋よりも地味、というか落ち着いた雰囲気の綺麗な部屋だ。

毛足の長い絨毯は赤で、壁と天井はなんとなく落ち着いた赤茶。

天井には光る石がいくつか、芸術的に配置されて部屋を照らしている。

煌びやかな貴族・王族の私室、というよりは年配のセレブがくつろぐような部屋か。

「いや、今しておこう。……まず、この部屋は2人の共有になる」

「ふ、ふたりのね」

共有、と言われてなんとなく気恥ずかしい。どぎまぎした空気が流れた。

かつては年の離れた兄と部屋を共有していたが、男性と同室だったのはその頃のみである。

そもそも、恋愛経験の全てが片思いという有馬には、突然の同棲もどきはハードルが高い。

「……、で、そっちが有馬の部屋だ」

フォルテは誤魔化すように声を出し、立ち上がって片方の扉を開く。

どうやら、入り口から向かって右側が有馬のスペースのようだ。

「広いね」

入った先はまだ寝室ではなく、普通の部屋である。

こちらは先ほどの部屋とは趣きが違い、明るい雰囲気だ。

オフホワイトの壁、淡い水色の絨毯、ガラス張りのテーブルに可愛らしい白のソファ。壁際には淡い色の木で出来た机も置いてある。

家具もパステルカラーで揃えられ、なんとなくファンタジーの世界にそぐわない、愛らしい部屋である。

「かわいいけど、あたしには似合わないような」

「だったらすぐに変えられるが」

「……すぐに? いや、後でいいよ。そっちは?」

部屋の中には二つドアがあり、フォルテは片方がトイレで片方が寝室だと説明する。

寝室へ続くドアを開けると、眠りやすいようにか、やや暗い色合いの部屋が目に入る。

上品な紺色の天井に、星のように光る石が散りばめられている。

壁も同色、絨毯は深い緑。

まるで夜の草原のようで、こっちの方は有馬も気に入った。

こちらの部屋にはドレッサーなどもあり、磨り硝子の扉があってそっちはバスルームに続いているらしい。

「すっごいベッドだね」

そして窓際に、天蓋付きの大きなベッドがある。

お約束といえばお約束だが、やはり目の前にすると圧倒された。

部屋に合わせて青系で揃えられており、見るからに布団も枕も柔らかそうである。

「そうか?」

フォルテは首を傾げた。まあ、生まれついての王子様である。むしろ木とマットと布団だけのベッドの方に馴染みが無いのだろう。

アリマはわくわくした顔でベッドに近づく。

「寝転がっていい?」

柔らかなベッドを見たら、寝たくなるのが人間だ。

フォルテは勿論、と頷く。嬉々とした表情で有馬はその布団に上半身を投げ出した。

思ったとおり柔らかく、至福の表情で顔をぐりぐりと押し付ける。

「はぁー……」

溜息まで吐いて癒されていたが、やがてフォルテに背をとんとんと叩かれて我に返った。

「次だ。……とはいっても、後は俺の部屋だが」

「フォルテの部屋ね、はいはい」

軽く言ったものの、有馬は内心、結構焦っていた。

(お、夫になる人の、部屋ね、うん)

小学生の頃はよく男の友達の部屋でも遊んだが、中学に入ってからは全くといって無い。

寝室と自室を出て、元の部屋に戻る。狼は足元に丸まって眠り、シヴァは立って待っていた。

「ご苦労様です。クレイアはまだ来ておりません」

「そうか。今度はそっちを案内してくる」

「殿下の私室を? おやおや」

「……何だ、その目は」

なんとなくニヤニヤした顔で見られ、照れ隠しの混じった目線で睨む。

「ふふ。隠すものは無いんですか?」

「……無い。有馬、こっちだ」

「あ、うん」

しゃがみこんで狼を撫でていた有馬は、手を止めて立ち上がる。

ドアを開いたその先には、この部屋と似た雰囲気の部屋があった。

ただ色合いは、青系で揃えてある。

家具の類はどれも木で、実用的なものを好むようだ。

「それが、執務用の机だ。ただ、基本的に仕事は最初の部屋でする」

「へぇー。……本がいっぱいあるね」

1つの面に本棚が置かれ、ずらりと並んでいる。

ただ、有馬にはその題名すら読めなかったが。

他に目新しいものは特にない。寝室は流石に案内せず、元の部屋に戻る。

少なくともこの寝室に世話になるのは、六ヶ月は先だと思われる。

……六ヶ月経っても進展しない可能性は高かったが。



「先ほども会いましたが、改めて。

クレイア・フォンティーヌ・ダーメルシャン・ウォルフ・アニマラーナと申します。これからアリマ様の身の回りのお世話をさせていただきます」

有馬の目の前で、肩口でくるりと内側に丸まった銀髪の美女が微笑んだ。

目はやや緑に近い青で、どうやら王族は銀髪と青い目が多いようである。

「あ、よ、よろしくお願いします……?」

条件反射的に、丁寧な相手には丁寧に返す。

クレイアは上品に微笑み、白魚のような指先を伸ばした。

「?」

有馬は僅かに身を強張らせる。――そしてその手が、有馬の頭の上に載ったかと思うと、何度か左右に往復する。

撫でられた、と分かったのはその手が去った後だ。

「緊張なされているようですね。アリマ様は異界からお出でになったのでしょう? この世にたった一人、心細い事でしょう。

ですが、わたくしが誠心誠意、アリマ様をお支えいたしますわ」

アリマは数秒固まっていたが、すぐにはっとしたように片手を顔に当てた。

ぐい、と制服の袖が目を拭う。

(な、な、泣い、てっ)

零れかけた涙は袖に吸い取られたが、鼻がつんとする。

何故泣いてしまったのか、自分でも分からないような顔をしていた。

「……っ」

よく笑う有馬だが、人前で泣く事は大嫌いだった。

とにかく弱みを見せる事を好まない。

他人に対しても同様の考えを持ち、雰囲気悪くなるから落ち込むな家で泣け、と頭の中で文句を言う事すらある。

しかし今、有馬はこれ以上なく慌てていた。まさに自分がその状態になりかねない。

必死に言葉を探し、しかしありきたりな台詞は全て喉につっかえる。

――そこに、ぽすん、と今度は大きな手が乗る。

「大丈夫だ」

その声は夫になる予定の者の声で、有馬はぐっと歯を噛み締めて耐えた。

「たった1人とは心外ですね。殿下に私に守護者殿、もう3人もいるというのに」

今度はシヴァの優しげな声が重なる。

(~~~~っ……うぅ)

暴風雨のように荒れ狂った感情を抑える。

――軽く、言いながらも。平然としながらも、やはり不安はあった。

自分では認めようともしない、漠然とした不安と慄き。

会ったばかりの男が夫になると言われ、いきなり親元からも故郷からも引き離され。

それで完璧に動じない人間がいたら、狂人か廃人だ。

「よく今まで泣かなかったな」

不器用な手が、クレイアとは比べ物にならない大雑把な手付きで頭を撫でる。

子供扱いされている感は否めないし、なんとなく妹に対するような雰囲気だったが、それでも。

「……や、」

言おうとした言葉は揺れて、消える。

有馬は下を向いて、袖で目を押さえ、泣き止もうとする。

それでも溢れ出る涙を止められず、次第に顔から耳まで赤みを帯びてくる。

刹那さと、恥ずかしさと、安心感が入り混じって渦を巻く。

俯いて震える姿は、ひどく年相応に見えた。

「ごめっ、ん、なさ、っ」

小柄な体が益々小さく見え、その姿を見て何故かシヴァとクレイアがぐっと手を握る。色味の違う二対の青の瞳が、物凄く輝いていた。

シヴァは今までにない庇護欲、クレイアは母性を掻きたてられたらしい。

とろけるような満面の笑みで2人が有馬の肩に手を置く。

「おお、よしよし」

「大丈夫ですよー」

「……お前らな」

有馬は頭上で2人を見るフォルテの生温かい視線にも気づく事なく、その手の温かさにますます涙が止まらなくなった。

こうしてシヴァは兄のような存在、クレイアは姉のような存在、と有馬に認識されるのである。

「ひぐっ……う……」

「アリマ様、こちらをどうぞ。袖で拭いてはいけませんよ」

「ごべんなざい゛……」

鼻声でハンカチを受け取り、ごしごしと拭く。

「殿下、絶対にモノにしてくださいよ」

「いや……、まあ、そうだな」

クレイアが穏やかな笑みを時折更に崩しながら、有馬の背を撫でている。

それが余計有馬の涙を増やす事になり、まあ悪循環と言えばそうなのだが。

しかし有馬も、一度泣けば落ち着いてしまうタイプである。明日にはけろっとしているだろう。

「では、アリマ様。今日はもうお休みになった方がいいでしょうし、お風呂にしましょうね」

「うん……フォルテ、シヴァさん、おやすみ」

恥ずかしそうに泣き顔を隠してそそくさと去っていく。

その後にクレイアがしずしずと続き、シヴァとフォルテに頭を下げていった。

「……妹が出来たようで可愛いですね、とても。殿下は?」

「あれでなかなか聡明で、頭も回る。きちんとした教育を施せば、王妃としての仕事も任せられる」

「そういう事より、あの方を愛せるか、という事ですよ」

やや厳しい事を言いつつも、シヴァは未だにその頬を緩ませている。

普段のポーカーフェイスな笑顔ではなく、心から和んでいるようであった。

フォルテは数秒黙り、そして口を開く。

「愛する」

「……愛せるではなく、愛する、ですか。愛している、に変わる事を願いますよ」

「大丈夫だ、多分。友人としてならもう及第点だし、このまま少しずつ進めばいい」

「そういうのが一番失敗するんですよ。女友達に告白して『そういう目では見れない』なんて話、よく聞きますよね」

「お前、励ますのか怖がらせるのかどっちかにしろ」

溜息を吐いてシヴァを見ると、その顔ががらりと真面目な表情になっているのを見て面食らう。

「義務として接すれば、恐らくあの子はすぐ気づきますよ――フォルテ」

この場に2人しか居ないからか、シヴァはフォルテを呼び捨てにした。

――有馬は、人の感情の機微に、鈍いようでいて敏い。

天性の敏さではなく、普段から相手の様子を注視している故に、だ。

嫌われたくないと、無意識下にも強く願っている。

機嫌を損ねさせない、喧嘩をしない、敵対しない、相手が自分を嫌っていると思えば自ら身を引く。

確かに人をからかう事は多いが、相手が怒らないラインは弁えていた。

フォルテに“好きでいて”と言ったのも、単に嫌われる事を厭う故もあった。

勿論、愛の無い結婚への忌避感というのもあったが。

――しかし、けして愛されたい訳でも無い。もし愛されたいのであったら、“愛してくれ”と言えばよかったのだ。

「わかっている」

フォルテは、そういう有馬を少しでも理解しようとしている最中であった。

有馬は自ら、気が合うかも、とまで言ったのだ。

どういう点についてそう言ったのかは分からないが、フォルテはフォルテなりに、それを見出そうとしている。

既に有馬を可愛いと思わないでもないし、彼女が妻になると思うと気恥ずかしい、そんな恋の一歩手前の感情は生まれていたが。

まだ自覚もしていない、その程度のものだ。

「期待していますよ」

「……期待が重い」

「そうですね。何せこれから国も背負うのですよ」

あと半年。

戴冠式を行い――婚約を発表するまでの期間。

19歳のフォルテが背負うには、国というものは過重とも言える。

しかし、国王の息子に生まれた上は背負わねばならない物である。

「ああ」

フォルテは、むしろ国を背負う重さより、有馬を手に収める重さが上であるように感じた。

涙を流す有馬を見て、少なからず罪悪感があったのだ。

いくら王家の為とはいえ、16歳の少女を親元から引き離してしまった。

勿論、不自由をさせる気は全く無かったのだが、それで埋まる訳ではないだろう。

「どうなる事やら」

シヴァが呟く。この言葉にはフォルテも、全くもって同意見であった。


――シヴァもまた、笑顔の裏で責任の重さを感じていた。

有馬の存在は、婚約発表まで完全に隠匿される。

それが慣わしであり、危険から身を守る手段でもあった。

今までの異世界人は魔法を使えない者達であり、自ら身を護る手段が無かったからだ。


異世界から王妃を召喚する事は、王家の最大の機密事項である。

まず人道的にも危ういし、王家でありながら生殖機能に問題があるとなれば色々と面倒事も発生する。

幸か不幸か獣人はさして長命でなく、薄っすら違和感に気づいたとしても5代過ぎれば誰も知るものは居なくなる。

5代前ともなると、相当評判が良い王でなければ忘れ去られるし、王妃なら尚更だ。

だから気づかれる事も殆ど無かったし、代々の諜報部は秘密を守り通した。

下手に反乱の種にされては、王家どころか国自体が荒れる羽目になる。


ここで有馬の存在や秘密がばれると、2つ危険があった。

まず、当然ながら貴族の反発。

王となるフォルテの正妻の座を狙う者は多い。既に何件か、牽制しあった貴族の令嬢同士のいざこざも起きている。

尤も、生まれた瞬間からそういう事は付き纏っているのだが。

そして有馬の存在が露見すれば間違いなく反感を買うだろうし、危険な手段に出る者も出かねない。


もう1つは、人間の国が有馬を攫う可能性だ。

暗殺されるならまた召喚できるからまだしも、拉致されて幽閉されたなら――王家は途絶える。

人間達は獣人を見下し、嫌い、それどころか獣人を従属させて肥沃なアニマラーナの大地を手にしようとしている。

――フォルテは実質、現時点では有馬としか子を作れないのだ。

記録が少ないため正確には分からないが、他の相手では獣や半獣が生まれてしまう。

混血児はまだしも、獣の姿をしたものが王位を継ぐ訳には行かない。

そうなれば養子等の話が上がり、王家は混乱するに違いなかった。


5代ごとの王に付いてまわる問題だが、今までに露見した事は無い。

だからこそ、この代で失敗する訳には行かないのだ、とシヴァもまた重圧を背負っていた。





「ちょっ、」

一方の有馬は、赤くなった目を見開いて言葉を失っていた。

「アリマ様、湯船にお入りくださいませ」

風呂に入ると、そこは広い空間であった。

明らかに間取りがおかしいのだが、そこは魔法の何かだろう、と納得している。

そして全裸の有馬がどうしようかと思案していた所に、クレイアが入ってきたのである。

「えっ……あっ、はい」

クレイアはメイド服の袖を捲くり、石鹸や何かの入った籠を手にしている。

有馬は嫌な予感を感じつつも、ひとまず体を隠すために湯船に沈んだ。

「では頭を濡らしますね。目を閉じていてください」

「……あ、やっぱ洗うの?」

「? アリマ様の国では、頭はお洗いにならないのですか?」

「いや、洗うよ、洗うけど……クレイアさんが洗うの?」

「はい。勿論です――さあ、流しますよ」

歌うように呪文を口ずさむと、頭上から温かい湯が降り注ぐ。

――ちなみに、貴族や王族でも全員が体を人に洗わせる訳ではない。

男性は普段は自分で洗う人が多かった。女性はその限りではないが。

フォルテは生まれてから殆ど自分で洗うし、シヴァも同様である。

また、クレイアのような侍女も自分で洗う。洗う側であるからある意味当然だが。

「アリマ様の髪は綺麗ですね。黒くて艶々していて」

「んな事ないよ、毛先痛んでるし」

滑らかな指が、濡れた髪を漉いて、頭皮を揉む。

有馬は恥ずかしがりつつも、その気持ちよさに負けつつある。

「では頭に石鹸をつけますよ。目に入ると痛いですから、閉じていてくださいませ」

(石鹸っつーか、シャンプーあるんだ……)

とろりとした液体が頭につけられ、クレイアはそれを馴染ませながら粟立てる。

どうやら無臭で、刺激も無いただのシャンプーである。

「流しますね。少し、上を向いてください」

心地よい時間が過ぎる。くいっと上を向くと、再び温水が降り注いでシャンプーを洗い流した。

「匂い、しないんだね」

なんとなく呟くと、クレイアは微笑んで言った。

「獣人の多くは、香水の強い匂いを好まないのですわ。

どちらかといえば、自然の香りを好むのです」

「なるほど……」

「でも、有馬様の御髪は素敵な香りがなさいますね。……花のような香りです」

素敵な香りというか、有馬が使っていたシャンプーの匂いである。

「そっか。ありがと」

(……体臭には気をつけないと)

軽く礼を述べると共に、有馬はそう決意した。

髪を洗い流し終わると、クレイアは手早くタオルで髪を絞り、頭の上に纏めてタオルで包む。

そして今度は、体を洗いにかかった。

「い、いや、体はいいって! 自分で!」

「あらあら、恥ずかしがらずに」

「やっ、いや、ちょっと、ひゃっ――」

クレイアの細腕は、有馬のぷにぷにした腕よりずっと力が強く。

石鹸の泡で全身くまなく洗われ、有馬は結局諦めてクレイアに身を任せたのであった。



数十分後。

洗うだけには飽き足らず、無駄毛の処理をされ、爪を整えられ、髪の先をいくらか切られ、有馬は近年稀に見るほどこざっぱりしていた。

無論普段もしている事ではあったが、クレイアは兎に角細部まで徹底している。

今は風呂から上がり、ベッドの上でおとなしくマッサージされている。

「今のままでもお可愛らしいですけれど、絞る所は絞りましょうね」

そう言われ、有馬は自分の腹を見て赤面する。ぽこんと出た腹の中身は、夕食か、脂肪か。

――クレイアの手は魔法のようであった。

洗う時だってくすぐったさは少なく、むしろ心地よい。

マッサージされている今も、有馬はこれ以上なくリラックスした顔をしていた。

「毎日すれば、1月程ですばらしい体形になれますわ」

ある意味不敬な台詞だが、有馬はふにゅふにゅと微妙に笑っただけで済ませた。

今までマッサージをされた事など無かったためか、肩や腰を少し揉んでもらっただけで憑き物が落ちたようにすっきりしたのだ。

同時に眠気も襲ってきたのだが。

「眠い……」

「ではそろそろ終わりにいたしましょう。お休みなさいませ」

「うん……おやすみ……」

有馬はごそごそと布団の中に潜り込んで、すぐに寝息を立て始める。

クレイアは微笑んで片づけをして、そっと部屋を去ったのであった。


その日、有馬はいつになくぐっすりと眠った。





「というか少しデレデレしていましたよね。どうなんです?」

「……。」

「おや、黙秘ですか。それにしてもアリマ様は本当にお可愛らしい。にこにこ笑っていらっしゃるのに、弱みは見せたがらないところが良いですね。

ああ、私達に警戒心を持っていたのも高得点です。最初は警戒していたのに段々ほっとしていく様子を思い出すと溜息が出ますね。

最初から尻尾を振って近づかれるよりよっぽど素敵ですよね。クレイア」

「ええ、本当に。それでいて警戒心を捨てきらない所も素晴らしいですわ」

そして上品に笑うクレイア。その両手がぐっと握られ、「寝顔も本当に……!」と搾り出すような声。

こいつらの好みは謎だ、とフォルテは1人溜息を吐いたのであった。

定番ですかね。


7/21 最後あたりをちょっと改訂。

特に本筋に関わる事でもないので読み飛ばしても大丈夫です。

ようは“バレると危ないよ”って事です。

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