27 戦争=恋愛=外交
有馬は再びぼんやりとし始めた。いくら支えてくれる人が居たとしても、突然魔王はハードルが高すぎるのではないだろうかと思った。
(せめてこう……足軽組頭から成り上がり形式で……いや、そういうのは兄ちゃんに任せるわ……頑張れ、勇者立志伝)
出来ることなら町娘で一生を終えたかったが、それは既に無理だ。
こうなったら天下取ってやると思案し始めた頃、心配げな声が掛かった。
「……どうしたんだ、難しい顔をして」
「はえっ」
素っ頓狂な声を上げる。今の今までフォルテの存在を忘れていたらしい。
そして寄りかかっている事に気づいて僅かに赤くなる。
「しぎょっ、……とは?」
そして思い切り噛んだ。
フォルテは笑いを堪えながら「休憩だ」と言う。
「そ、そ、そう」
穴があったら入りたい。さりげなく体を起こして離れようとすると、ひょい、と肩に腕が伸ばされた。
「ちょ」
びくりと掴まれた肩が震える。隣で笑う気配がして、いつもと違う、と動揺が走った。
「何で離れる」
「何でも何も……いや、大丈夫? 頭」
「正常だ」
真面目に言われ、有馬は深呼吸してから抗議する。すぐに声を出したら上ずってしまいそうな気がした。
「……恥ずかしいんだけど」
「そうか? いいだろう、誰も見ていない」
「ま、まあ、そっ……いやそれ……あれ?」
イコール2人きり。
それに思い至る。今までも何度も2人きりにはなっているが、帰ってきてからどうも違う。
前はこんなにベタベタしていただろうか。いつも隣に座っていたし触れる事も少なくなかったが、ここまで強引な事は無かった気がする。
有馬は身動ぎして逃げようとし、ちらりと見たフォルテの切なげな目に、びきりと停止した。
「……、フォルテ?」
どうも記憶にある委員長と同じ目をしている気がする。
「顔が赤いな」
思わず両手で目元を覆うと同時に、じわりと涙が滲むのを感じた。
「また熱か?」
はっきりとからかいを込めた声音に、へなりと力が抜ける。
(これで恋愛経験ゼロって、王族の初期ステータスは化物かっ……んな!?)
べりっと片手が剥がされ、潤んだ片目が見開かれる。
「いやほんと恥ずかしいから! 恥ずかしっ――のわっ! ぎゃーっ!」
「……もう少し静かにできないのか?」
「叫ばせるような事をするからっ!」
もう片手も剥ぎ取られ、両手を捉まれる。拘束が解けたため身を引こうとするが、むしろ身を乗り出されて有馬は涙目で悲鳴を上げた。
「……ああ、今、確信が持てた」
「死ぬほど恥ずかしいので離してくださいお願いします」
「死なれては困るな」
フォルテは両手を離す。
そして逃げ出そうとする有馬の背中を巧みに捕まえると思い切り引き寄せる。元より運動能力は雲泥の差、回避できる筈もなかった。
「手じゃなきゃ良いって訳じゃないいい!」
それでも顔を見られない位置の方がまだ落ち着く。抱き締められる方が落ち着くのも変な話だが、真っ向から見詰め合うよりはいくらかマシだ。とポジティブに考えた。
「有馬……」
「なんか嫌な予感がするから逃げていい?」
「……そんなに嫌か……?」
「耳が!」
最早拷問の域だ。耳元に感じるフォルテの低い掠れ声と吐息に、有馬は背筋に寒気が走るのを感じた。もうやだ、と暴れる有馬の背を撫で付ける大きな手。
「……む、無理、こういう空気向いてない」
かつて受けた告白の数十倍は恥ずかしい。あの時は断る意思がはっきりしていたからか、むしろ冷静だった。
こうして行動で訴えられ、しかも悪い気もしないとなるとただただ恥ずかしい。
そしてふと気づいた。
(いやいやいやいや何勝手に好きとか仮定してんの!? 自意識過剰!)
「そうか。そういう所も、好きだ」
(好きだったああああああああ!!)
囁かれた言葉に、嬉しさやら何やらを感じられる余裕がない。むしろ恥ずかしすぎてもう涙が出ていた。
固まった有馬をひょいと膝に乗せる。有馬の口はわなわなと震えて既に言葉もない。
「お前は?」
(やばいやばいやばい王子の本気舐めてました! すいません! 逃げたい!)
「……有馬。意識を飛ばしていないで、答えてほしい」
「え? あっ、はい! 理解した!」
それは答えと言えるのだろうか。
「で?」
悪魔だ。有馬は優しかった当初のフォルテを思い出してますます涙目になった。
頭が沸騰しそうなほど煮え立っている気がする。全身が熱い。インフルエンザで寝込んだときよりも熱い。体温が5度くらいは上がった気がした。
「で、でって、何?」
「有馬はどう思うんだ?」
「あぅぇあっ、……なにを!」
「俺を」
「わかんない!」
「人に言わせておいて……」
批難するように言われ、有馬はあうあうと言葉にならない声を漏らす。
「でも、そういう所って何! 一部分!?」
「……そう反撃してくるか」
「だ、だ、だって」
「そういう所“も”、だ。全部好きだ。満足か?」
「満足っていうか、なんか、なんか……」
満足を通り越してもう限界だ。心臓は煩いほどに鳴るし、じわりと手に汗を掻くほど体温が上がっている。
「どうした」
「……腹たつ!」
「何でだ?」
「なんか、余裕で……もてあそばれてるような……」
「お前な……」
呆れたような声に、有馬は少し余裕を取り戻した。
「最初の頃のウブっぽいフォルテはどこに……」
「慣れだ。……あと、余裕じゃない」
「へえ」
「努力している」
「へえー……」
「気を抜くと、もう、駄目だ」
切なげな吐息は故意だろうか、と有馬は震える手でフォルテの服を握り締めた。
「……それは、言うべきじゃないんじゃ」
「そうだな」
「誰の入れ知恵……」
「義兄上だ」
「……兄?」
「数馬殿だ。俺の兄にもなるだろう」
その言葉に、場違いにも感心してしまった。
(確かにそうだった……あ、じゃあフィーもフォルテの姉に)
同時に、昔兄と交わした会話を思い出した。
『いいか有馬』
『何さ』
『恋は外交と同じだ』
『外交……』
『終始相手のペースで不利な条約結びました、じゃ外交官はクビだ。ペリーになれ』
『日米通商修好……修好通商?』
『日米修好通商条約だ。西暦何年?』
『せ、せんはっぴゃく……ろくじゅう』
『惜しい、1858年。じゃあ日米和親条約は』
『え、えーっと』
(中略)
『くっ……世界史は卑怯!』
『ちなみに恋は戦争とか言って力で押し切るのは脈のある相手にしか通用しないぞ。通報されるのがオチだ』
『そんなリアルなオチはいらない!』
結局最後は変な方向に終着するあたりが城崎兄妹だ。正直な所途中から恋愛の話をしている事を忘れていた。
「どんな入れ知恵?」
「恋は戦争と同じだ、脈はあるから自分の勢いで押して余裕を見せ付ければいい、と」
「あたしに言った事と違うし……」
つまり数馬の目からも、脈有りに見えたのだろう。
そう思うと少し落ち着いていた羞恥心がむずむずと湧き上がる。
「しかし、上手くいかないな」
「いや、動揺させると言う意味なら大成功……」
「落ちていないだろう」
「……どうだろ」
嫌いではない、むしろ好きだ。胸の高鳴りを恋だというなら、十分に恋している。
けれど言葉に出来るようなものでもない。ただただ、熱くて仕方ない。
「恋、というか」
ぼんやりと、頭に浮かぶままにぽつりと呟く。
そう、敢えて言葉にするならば。
「愛?」
「っ……あ、有馬」
「あ、待って今なんか凄い間違った事を言ったような」
我に返ったように慌てるが、フォルテは止まらない。
「間違いだなんて認めるか。聞いたぞ」
「いや、あう、あー、あの、なんか、家族的な、ね?」
「夫婦になるのだからな」
「言葉が通じなーい……」
腰を引き寄せている腕に力が入る。有馬はふと、ひとつの可能性に思い至った。
「……薬とか盛られてない?」
「可能性はあるな」
「ええっ」
「お前の契約した精霊に茶を貰ったんだが」
「ベルうううう……」
情けない声を上げると、くい、と顎を持ち上げられる。
「薬は関係ない。好きだ」
「そう乱発されると希少価値が無くなるというか」
「それでも言いたくて仕方が無い」
「病気じゃないかな」
「かもしれないな。恋の」
「頭の! うぇっ!? ……な、なっ」
柔らかい感触が額に落ちた。すぐ後に軽いリップ音が耳に届く。
何をされたか理解すると、有馬は潤んだ目をぱちくりとさせて唇を震わせる。
掠れた吐息が喉から漏れる。フォルテは目を細め、今度は目の横あたりに口付けた。
「……~~っフォルテ!」
「何だ?」
「そ、そ、そういうの、恥ずかしいから!」
「だから、誰も見ていないと」
「あいつらなら覗き見くらい軽いでしょうがっ!」
あいつらとは言うまでも無い。無駄に魔法に長けた者が多いため、盗視盗聴は常に恐れるべきだと有馬は思った。
「見るなら見ればいい」
「だかっ……ん!」
もう黙れ、とばかりに唇に唇が押し付けられる。やや仰け反るような姿勢でのキスに、見開かれた目は次第にぎゅっと閉じられて眦から涙が零れた。
次第に体から力が抜けていき、服を握り締めていた手が力無く落ちる。
こうなってしまえば従順なもので、フォルテは暫くその唇を堪能するのであった。
◆
翌日、またも熱が出た。といっても38度と少しで、前の時よりはマシらしい。
有馬は悶々としたまま、昨日の熱を引き摺ったような体をベッドに横たえている。
(どいつも、こいつも……うう)
謎の茶を飲ませたベルを締めてやりたい所だが、起き上がるのも億劫だ。
本人は笑って「あれはただのハーブティだよ」と言い訳し、いつの間にか寝室にまで設置されたソファに座って何やら本を見ている。
ベッドの端には頭だけを乗せてメアが熟睡し、その横にロボ。そして枕の横にはルネ。
「みず」
「はいはい」
不機嫌に呟くと、ぱちんと指が鳴らされる。体がふわりと起き上がり、ベッドサイドから水差しとコップが勝手に浮かび上がる。
ゆっくり口元に運ばれたコップは、有馬が口を開くのを待って軽く傾いた。
満足すると、コップは元の位置にふわりと戻り、有馬の体もゆっくり寝かされる。
その時、ドアがノックされた。
「……どーぞ」
ばたんと扉が開き、現れたのは数馬一行である。もうすっかり、数馬にフィー、ランラクル、という組み合わせが定着しつつあった。ちなみに実は一昨日、夕食を共にした。仕事に忙しかったシヴァは不参加だが。
何故かフォルテとランラクルが睨みあっていたが、有馬はクレイアとフィーと一緒にガールズトークに興じていたため全く気づかなかった。
「おう有馬、知恵熱だって?」
「兄ちゃんが……変な……入れ知恵するから」
掠れてはいないがだるそうな声で返答する。すると数馬はにんまりと笑う。
「つー事は、ちゃんと言った訳か」
「おっ、かげさま、で……あー……ベルと兄ちゃんのせいだ」
「僕が飲ませた奴、素直になる効能しかないよ」
「つまり本能に忠実になるんじゃねーか」
「ほんっ、と……に、治ったら、締める」
有馬は潤んだ目でベルと数馬を交互に睨みつけた。
「男は本当にしょうもないですね。こちら、城下で買ったお見舞いです」
「ありがとー……」
へにゃりと力ない笑いを浮かべる。不憫な、という目でフィーがその頭を撫でた。
お見舞いは果物が入った籠である。どうやら異世界でも見舞い品は変わらないらしい。
「俺からも、これを」
「……ジュース?」
「熱さましの薬湯だ。飲み口も甘くて飲み易いらしい」
ランラクルが置いたのは、ワインボトルのような瓶である。中身は薄桃色の透き通った液体で、巻かれたラベルには“熱冷まし”と書かれていた。
「今飲んでおくか?」
あくまで心配するような口調に、有馬は少し和んだ。こくりと頷くと、ランラクルは瓶の口から栓を抜いて少しコップに注ぐ。
「体を起こしますね」
「うーい……」
フィーが背中に手を添える。有馬はゆったりと体を起こし、コップを受け取って口を付けた。
「どうだ?」
「……あー……甘い。カゼシロップ……」
「そんなに甘いのかよ」
数馬がコップに指を突っ込んで少し掬い取り、ぺろりと舐めた。
行儀が悪い、とフィーが睨みつける。既に尻に敷かれていそうな雰囲気だった。
「甘いなこりゃ。薄めるか?」
「いーや……まあ、飲めるし」
一気に傾けて飲みきる。とろりとした甘さは割ときついが、少量なら問題ない。
「よかった」
ランラクルは嬉しそうに笑った。
すると今度は前触れ無くドアが開く。
「お、フォルテ」
「お邪魔しておりますわ」
「……邪魔する」
フォルテはやたら人の多い室内を見回し、「義兄上、義姉上、ようこそ」と挨拶し――最後にランラクルを睨んで、「お前もな」と付け足した。
唐突な訪問と何故か刺々しい態度に、有馬が小首を傾げる。
「仲、悪いの」
「当たり前だ」
「……なんで?」
再び体を寝かせながら、有馬は目をぱちくりとさせた。
種族間の問題は無い筈だ。少なくとも獣人族と竜人族は同じ魔族サイドの種族である。
ならば、馬が合わないのだろうか。
「ふふふふ。青春だねえ」
いつの間にやら起きたルネが楽しげに声を上げる。それを聞き、足元でロボが唸った。
「困った事じゃ」
全く意味が分からず、ますます有馬は困惑する。
ランラクルとフォルテは睨み合った後、同時に溜息を吐く。
「恋敵だからな。仲良くできる筈もない」
そう言ったのはランラクルだ。その視線は真っ直ぐに有馬を向いている。
「……叶わないとは承知しているが、……好きだ、アリマ」
ぼんやりとしていた意識が一気に覚醒した。有馬は目を見開き、うぇ、と声を上げる。
「返事はいらない。本当は言うつもりもなかった」
他の者達は誰も言葉を発さない。面白そうに見ているのが数馬とベルとルネで、ロボは溜息混じりに傍観し、フィーはおろおろしている。メアは熟睡中だ。
有馬は衝撃から立ち直ると、困ったように眉を下げる。
「……意識が朦朧としてきた。……寝ていい?」
そして思い切り現実逃避に走った。
ドーピングありですがようやく甘い話に持っていけて満足です。
真面目なので1度決めたら突っ走ったフォルテですが、休憩時間をとっくに過ぎても戻ってこなかったためブリザードを纏ったシヴァ(疲労)に連れ戻されました。めでたくない。
そして誰もメアに突っ込みを入れない。