24 営業魔族オーガス
一先ずアニマラーナ方面に向けて飛ぶか、と決めた直後に有馬はヴラディークとオーガスの存在を思い出した。
慌てて兄とランラクルに言い、方向を変えて貰う。
最初はどうあれ、自分の所為で傷付いていると思われるので助けないと寝覚めが悪い。
それに彼らは一応紳士的だった。その結果がこれなので、やはり強引に契約してしまった方が良かったのでは、と有馬ですら思うが。
「また家から遠ざかる……」
冗談混じりに溜息を吐く有馬の頭を撫でながら、数馬は思わず口元を緩める。
(……ちゃんとした家が出来てよかったな)
生まれ育ったあの場所は確かに“家”だったが、居心地が良かったとは言いがたい。
それに、数馬の喫茶店の二階も有馬にとっての“自宅”ではなかった。
故に、有馬が帰りたいと思える家が出来た事が喜ばしいのだ。
「何ニヤニヤしてんの」
「何でも?」
「嫁さんが降って沸いたからってさあ……」
「ああ、それもあったな」
「それもって」
他に何が、という視線には応えない。
「俺もアニマラーナに住むかな。他種族の風当たりは強いか?」
「人間ほど差別しないよ。カラカ見てるとわかるでしょ」
「ああ、そうだな。魔族と獣人ってどうなんだ?」
「友好的だと思うけど」
他愛ない会話をしながら、時折眠っているフィーを撫でたりつついたりする2名。
有馬は回復魔法を知らないため、少しずつ魔力を注いで自己修復させている。
ヴラディークが魔力を吸って手を強化したように、体の組織を魔力で作る事が出来るのだそうだ。
「結婚式どうするの?」
「白無垢は譲れんな」
「衣装の話っすか……」
「指輪か? オリハルコンに賢者の石とか」
「それはちょっとお目にかかってみたい」
「ちなみにそれはエンゲージリングな」
「……えーっと、マリッジリングは?」
「ミスリルに……そうだな。ブループラネット」
「何アイランドの秘宝だよ」
「強欲アイランド」
「中途半端にぼかすな」
脊髄反射的な会話を繰り返すうちに、眠気が襲ってくる。
時刻は既に夜と言って良い頃合い。両腕は鉛のように重いし、頭はじんわりと鈍痛がする。
今だ大人になりきっていない体は、休養を必要としていた。
「……寝る。ついたら起こして」
「すぐ着くと思うが」
「寝る」
体を丸め、頭だけ数馬の脚に乗せる。五秒もせずに寝息を立て始めた有馬に苦笑しつつ、数馬は見張りを任せているメアに声を掛けた。
「お前も休め」
「……疲れていない」
「その姿、疲れんだろ」
メアは闇色の目を見開く。やっぱりな、と数馬は微笑んだ。
「なぜ?」
「小さいほうが楽」
からかうように、メアの言っていた事を指摘する。
「聞いてたの」
「聞こえた」
「……うん。小さい方が楽」
メアは淡く桃色の光を発し、元の姿に戻る。
魔族はある程度まで成長すれば、殆ど死ぬまで不変である。
種類にもよるが、大抵は20代程度の姿を保つものだ。
――メア、もといメリーディス・クティリリル・ラガルベリーは魔族でも妖魔族でも、夢魔の中でも特異な存在だ。
夢に入る事が出来るのは夢魔の最大の能力だ。その時は肉体ごと消えるため、眠る生物が居るかぎり傷つけられる事のない、最強とも言える能力である。
メアは生まれてから、かなりの期間を夢の中で過ごした。
不可思議な事に、その夢から出る事は出来ず、他の夢に移る事も出来ない。5歳違いの弟が大人になった頃、ようやくメアは戻った。
「年齢で考えると、あれが本来の姿。……でも、まだそこまで成長していない」
「なるほど。……お前、実年齢いくつ?」
「113歳」
「……13歳って事にしとくか」
「かまわない」
その夢は、ほとんど普通の生活だった。赤子の姿のまま歩けるようになり、言葉を覚え、文字を学び、勉学を修めた。面倒を見てくれた者については、一切の記憶が無いのだが。
現実に戻ったメアは、体のちぐはぐさに悩まされた。突然大きくなった体は色んな面で手に余り、始めは動かす事すらままならず――結局は体を赤子に戻してゆっくりと成長する事を選んだ。
けれどもやはり、大人の姿の方が戦いには有利だ。だから生活では子供、戦闘には大人、と使い分けるようになった。
「…………弟で、いい?」
そんな経緯もあり、彼は夢の中でしか子供扱いをされた事が無い。弟は尊敬の目のみを向けてきて、父母はどこか遠巻きに付き合ううちに死んでいった。
孤独、だったのだ。血の繋がる家族が居ながらも。
自分より強大で、自分よりも目上である者――主を求めていたのは、そのためでもある。
懇願するような目に、数馬は笑ってその腕を掴んで引いた。
「おう。今日から兄弟だ」
膝を付いたメアの背中を、ぽんぽんと優しく叩く手。
この世で産声すら上げなかった夢魔は、不覚にも生まれて初めての涙を流した。
――そこには美しい城の影は無く、無残に崩れ落ちた瓦礫の山があった。
「あーあ……」
あの豪華な部屋も跡形も無いだろう。
有馬は《精霊眼》で2人の魔力を探しながら、勿体無い、と溜息を吐いた。
ランラクルも元の姿に戻り、メアと一緒に有馬に付いて周る。
「変だ」
数馬は1人離れた所で、今だ怪我だらけのフィーを背負いながら呟いた。
「……なにが……です?」
「これだけの事が出来る奴なのに、あの程度で終わった事が、だ」
「ええ……手加減、でしょうか」
「まあ俺も少々大人げ無かったんだが」
「……あの槍、は……」
「あいつの言う通りだ。まあ、人外の領域だろうな」
神からしても全くの予想外で前代未聞の事だが、数馬は己に与えられた力を逆手に取ってとんでもない事を成し遂げた。
身体強化、自動翻訳などは魔法に擬態した神の力である。故に、魔力ではなく神力、神気、と呼ばれる類のものが多少含まれ、召喚された者達に少しずつ供給されてもいる。
それを無理矢理に体から引き摺りだして剣に混め、魔力やマナよりも圧倒的に密度の高い神気で強引に形を変えてあんな槍に仕立て上げた。そして神の力の一端を受け、ネメペレゲの擬態が崩れたらしい。
因みにこんな事が出来たのは、契約によるものも大きい。有馬がロボと契約して魔法を使えるようになったのと同様に、数馬もフィーと契約した直後に少しずつ変化があったのだ。
己に流れる魔力、そして僅かな神力の残滓。それをほんの数秒で把握して尚且つ操作できるようになったのは、元々の彼の素質の問題だが。
「あなた、も……とても、魔力が」
「まあ、普通では無いだろうな。若干混じっただろうし」
「……?」
「気にするな」
数馬の魔力は有馬ほど多くはないが、混じった神気の所為でどこか人間離れしている。
《精霊眼》で見れば深い青に金を散りばめたように見えるだろう。
「つーか、眠いな」
「……ええ……」
「せめてベッドで寝たいが……いや、それはそれで眠れなそうだな」
にやりと笑って言うと、フィーは白い頬をほんのりと赤く染める。
成り行きではあるが案外似合いの夫婦かもしれない。
「居たーー!! ってうわ! ぼろっぼろ!」
若干いい雰囲気になった所で有馬の声が響く。
ったく、と小さく呟いて有馬の方に歩き出した。
ヴラディークは右腕が皮一枚で繋がった状態で、顔に大きな切り傷がいくつも付いていた。
オーガスも髪の毛が酷い事になっている上に、腹は抉れ、肉どころか内臓が見え、そこかしこの肉が削げ落ちていた。
2人とも元が美形なだけに見るに耐えない姿であった。
気絶していたのでなんとか起こすと、満身創痍ながらも普段どおりに振舞っている。
「生きていたか。よく四天王が生きて残ったものだな」
「あー、腹痛が……ん? おお、穴開いとる」
魔族の丈夫さに有馬は絶句したが、両側から肩を叩かれて我に帰る。
「あ、えっと、あの、ごめん」
「何がだ?」
「……え、あー、察してよめんどくさいな」
「本当じゃのう、全く」
「私が何をした……」
ぼたぼたと血を流しながら落ち込むヴラディークに、流石に有馬も申し訳なくなる。
しかし説明できるほど器用に出来てはいない。
もごもごと言葉を濁す彼女に、苦笑したオーガスが助け舟を出した。
「つまりアリマが決断せんかったせいで儂らが傷付いた、ごめん、と言いたいんじゃろ」
「……ああ、そういう事か。遠慮なく謝罪しろ」
「…………ごめ」
「ちゃんと謝れ」
「………………ごめ、ん」
「声が小さい」
「……………………ごめっ、な、さっ、う、うぇっ、く」
罪悪感と精神的疲労に屈辱が追加され、あっさりと涙腺は決壊した。
俯いて肩を震わせ始めた有馬を見て、ヴラディークは慌て出す。
「おっ、おい、泣くな、泣くな! 卑怯者!」
じっとりと冷たい目線が周囲から送られる。
流石に怪我人を殴りはしないものの、絶対零度の視線を送る数馬、慰める合間に睨みつけるランラクル、瞳の闇色をますます暗くしてじっと見てくるメア。
そして思い切り白い目で見てくる同僚2名。いや、片方は寿退職かもしれないが。
「早く治せよ」
字面だけなら優しげな言葉が掛けられる。が、その声は冷たいを通り越して凍っている。
「瀕死状態で殴るとすぐ死ぬからな」
殴られるために回復する羽目になった。己のうっかり加減に内心で荒れ狂いつつ、ヴラディークは「……分かった」と渋々言った。自業自得である。
「お主本当に阿呆じゃの」
「……生まれつきだ」
不貞腐れたヴラディークの眼前に、手が差し出される。
ひとしきり泣いてすっきりした顔の有馬がしゃがんで手を差し伸べていた。
「……何だ?」
「魔力でも血でも」
「……ありがたく貰っておく」
「とっとと回復して兄ちゃんにボコられろ」
笑顔で言う有馬に、ヴラディークは口元を引き攣らせて微笑みつつその手を取った。
そして双方、一生いがみ合いそうだな、と思った。
「……ツンデレだな」
「デレてないっ!!」
「未来の夫に申し訳ねーなー」
ニヤニヤする数馬の腹を軽く殴りつけ、有馬は照れたように頭を掻いた。
「オーガスさんも、いる?」
「うむ、すまんが貰っておこう」
「うん。ほんと、あの、ごめんなさい」
「よしよし。怒っておらんよ」
「…………何でそっちには普通に謝るんだっ!!」
年の功である。
魔力をたっぷりと吸った2人はゆっくりと回復していく。
「グロい……」
「ぐろい?」
「グロテスク。奇怪できもちわるい? みたいな」
「ほーれ」
「っひぎゃあ!」
眼前にぼろぼろの手を差し出され、有馬が悲鳴を上げた。
指は一本一本折られたらしく全て妙な方向に曲がり、爪は剥げ、指の股がざっくりと切られ、色々抉れたり骨が丸見えになったりしている。
肌の色が薄緑なだけに、隣の屍魔族よりよっぽどアンデッドに見える。
「びっ、びっくりした……いきなり出さないでよ」
「はっはっは。で、契約は?」
「え?」
まだ続いていたのか、と目を見開く。回復しだした手からは新鮮な血が滴り、確かに契約するにはちょうどいい、かもしれないが。
「……してくれんのかのう?」
「いっ、え、はい? だ、だって、魔王いないし」
「そうじゃのう」
「だって……え、ええ?」
「また新たに現れるやもしれんじゃろ? 備えるに越したことは無いしのう」
「へ? あ、……うん?」
怒涛の勢いで言いくるめられていく有馬に、数馬が溜息を吐く。
昔から男運も友情運も微妙だったが、知人運とでも言うのか。数馬も同じなのだが、変なものばかり引き寄せる性質である。
だからこそ異世界トリップ、などという珍事に2人揃って陥ってしまったのかもしれない。
「本当なら魔王になってほしいんじゃがのう」
「え、やだ」
「じゃろ? だからのう――」
大きな条件を提示し、断られたら少し小さな条件に変える。
思い切り詐欺の定番である。
「亀の甲より年の功とは良く言ったもんだ」
全く止める気配もない数馬が、しみじみとそう言った。
「……カズマ、あれは止めなくていいのか?」
「別に。ようするに絶対に裏切れなくなるんだろ?」
「端的に言えばそうですね」
「強制力とかもあんのか?」
「命令として言えば、ある程度逆らえない筈です」
「いい事聞いたな、そりゃ」
「何に使う気だ、何に」
「そりゃあ、ナニに」
「おいっ!」
思わず声を荒げると、数馬はにやりと笑った。
「お前も新しい恋を探せよ」
「っな……!!」
そんな彼らを他所に有馬は完全に説き伏せられて契約に及んでいた。
相変わらず、なんとも頼りない対人スキルであった。
◆
――魔領の中心部、魔王城と呼ばれる巨大な石造りの城の奥深く。
遥か昔――魔領がまだ魔帝国と呼ばれ、ネインクルスも生まれていなかった頃から変わらずに存在する謁見の間。
主のない玉座の上に、不意に黒い塊が現れる。
そして幾つもの声が聞こえ始めた。
「上手くやったか? にしては小さいんだが」
「……また遊びすぎたんじゃない?」
「馬鹿者め。いいかげんにしろと……」
「いいじゃんっ! じゃ、あたし最初いっきまーーっす!」
にゅ、と塊から細い腕が突き出す。あたりを掻き回すように動いていたそれは、塊をがしりと掴んだ。
「んんんんんーーーーっ! 太ったぁあ?」
ぐいぐいと塊……というよりも穴なのだろうか、もう片方の手が出てきて押し広げるように動き、やがて頭が現れる。
「頭隠して尻隠さずうぅっ! いやん!」
「とっとと出ろ色ボケっ!」
ネジが数本ぶっ飛んだような発言と共に黒い塊から飛び出したのは、コーヒー色の滑らかな肌をギリギリまで晒した女性であった。
――ただし、体つきは全く豊満とは言えない。むしろ痩せすぎで、見ていて切なくなるボリュームの無さだ。背は高めで足も長いが、腰付きもあまり女性的ではない。
亜麻色のショートヘアから覗いた耳はツンと尖り、彼女が人間でない事を示している。
「……ほんっとに小っせえなあの糞豚が!」
「どこがぁー?」
「胸だ! ……ってちげえよ!!」
更に飛び出して来た12、13程度の少年が思い切り女性の背中を蹴り飛ばした。
「いったぁい!」
「うっぜえ!」
「ひどいっ」
少年の髪と目は赤で、いかにも苛烈そうな顔立ちだ。今も怒ったように眉が寄っていた。
小柄だが手足はがっしりとしていて、力がありそうな体躯である。
「狭い! 広げんぞ」
「あいあーい。なんかエロいねっ! きゃんっ!」
「死ね変態っ!」
2人は黒い塊をがしりと掴み、左右に思い切り引く。すると塊がぎしぎしと軋むような音を立てて広がっていき、直径2、3メートル程になった。
――その中から、更に幾人もの奇妙な者達が飛び出す。
「おおおっ、広い広い!」
「ほー。魔王はおらんの?」
「死んだんでしょ?」
「ネメっちは? 死んだかね?」
人種も性別も年頃もバラバラで、共通する要素が何も無い。強いて言うなら、人間に近い姿をしている事くらいか。
最後に上等なフロックコートを纏う壮年の男性が優雅に出てくると、塊は消えた。
「おや、消えてしまったようだね」
白髪交じりのオールバックに銀縁の眼鏡を掛けた男性は、手にしたステッキでこつんと床を突く。
「ではまあ、皆の衆。ひとまず整列しておくれ」
烏合の衆にも思える奇妙な人々は、口々に返事をして横一列に並ぶ。
「楽しい楽しい侵略戦争だ。此度も十分に注意して、蹂躙しなさい」
そして生徒に注意する教師のような口調で、宣戦布告した。
のろのろと休憩中。有馬とヴラディークは順調にライバル路線です。
そして異界からの侵略者編、といきたいところですがそろそろゴーホーム。
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