22 竜の背
広い闘技場の片隅に着地して、有馬はようやく地面に足を付いて立った。
メアは手首と手首を結んでいた布を取り、小さく息を吐く。
「……酔った……その布、何の魔法陣?」
「姿隠し。少ししか持たなかった、けど」
なるほど、と頷く。逃げる2人が魔王に悟られなかったのはこのためらしい。
有馬は何度か深呼吸を繰り返した。空の上はどうも空気が薄かったようで、少し苦しい。
それに季節はまだ冬だ。コートのおかげで体は常温だが、顔が物凄く冷たい。
「っはー……酸素補給とか……無いか。あ、来た」
空を切り取ったような闘技場の上の方から、巨大な黒い竜がゆっくりと降りてくる。
どうやら広さは問題ないようだが、降りるのに時間がかかるようだ。
もっと広い場所であればそのまま飛行機のように着地もできるが、ここでは流石にそうもいかない。
ばたばたと巨大な羽を上下に動かし、風を巻き起こしながらも着陸する。
「やっぱラルだなー……」
着地して羽を畳んだ途端に、大きな首を揺らして溜息を吐くドラゴン。
なんとも人間らしい仕草だが、口から出たものは思い切りブレス系の技に見える。
苦笑しながら有馬が見ているとその背中から飛び降りる影があった。
「!?」
翼を広げて100メートルの巨大な竜。
体より圧倒的に翼の方が幅が広いとはいえ、その体も巨大極まりない。
背中から地面まで3、40メートルあるだろうか。
そんな高さをひょいと飛び降りて平然と歩いてくる兄に、有馬は一瞬思考が止まった。
「よお」
「……いよいよ人外だね」
地上40メートルといえば、宇宙から来た銀と赤のウルトラなヒーロー(初代)の身長である。
またはビルにして7階くらいの高さと言えば分かりやすいか。
「軽くビルの屋上から飛び降りた気分だな。……にしてもお前、金髪男と空の散歩か……二度目だっけ? どんだけソフィーだよ」
「……ハ●ルかっ!!」
元より落ち着いていなかった息を再び荒げ、有馬は思い切り突っ込んだ。
「さて、一応心配したぞ。元気か?」
「元気ー。あ、何か攫われる人生らしいよ」
「何だそりゃ」
「手相占いで言われた」
両手の平を見せると、はぁ、と数馬が溜息を吐いた。
なんとも緊張感の足りない兄妹である。
「で、そっちは」
「……メリーディス・クティリリル・ラガルベリー」
「メリーでいいな。俺は数馬だ」
メアはこくりと頷いた後、僅かに首を傾げる。
「アリマ様と、カズマ、似てる」
「ん? 兄妹だよ」
なるほど、とでも言うかのように目を細めるメアを愉快げに眺める。
「目が口ほどに物言ってんなー」
「案外笑うと可愛いしねー。弟にしよう」
「城崎3兄弟か」
「あ、ラル入れて4兄弟で」
人差し指を立てて笑う有馬の頭に、ぽんと、手が乗った。
数馬はどこか意地の悪い微笑みを浮かべてがしがしと頭を撫でる。
「あいつ滅茶苦茶心配してたぞ」
「えー……」
「二度目だからなー。まあ、1人しか付けなかった俺も悪いんだが」
ニヤニヤする数馬を胡乱な目で見る。ついでにその肩の向こう側に居たドラゴンが既にいない事に気付いた。
「アリマっ!!」
「うおぁっ!?」
完璧に死角から抱き締められ、素っ頓狂な声を上げる。
抱き締めるというかもう締め技の一種に近いが。
「――(ギブ)!! ――っ(ギブうぅぅう)!」
「すまんっ……本当にもう俺はもう……!! すまん!」
「3! 2! 1!」
(カウントしてる場合かあぁぁあああ!!)
肺に入っていた空気が抜け、新たに吸い込む事すら出来ない。
ただ残った力で必死に背中を叩くものの、全く動じる事なくただ謝り続ける。
(死ぬ! しぬぅううう! 学習してねええええ!!)
「……はなせ」
不意にその力が緩んだ。がっしりとした肩越しに、僅かに怒気を孕んだ黒い瞳が見える。
「え、あ、……っうわ! すまん!」
血が上ったのか真っ赤になった顔でぜえぜえと息を吸い込み、有馬はへたり込む。
メアがすぐに近寄って背中を擦り、「大丈夫?」と声をかけた。
「しっ、ぬ、から……っ」
「そのうちコルセットに絞め殺されるんだから練習だと思っとけ、有馬」
「死ぬの!? コルセットで!?」
肩で息をしながら赤い顔で立ち上がる有馬を、何とも言えない顔でラルが見ている。
その視線に気付き、有馬はにんまりと笑みを浮かべた。
「心配した?」
「……死ぬほどな」
「いや、死なないでね」
「もし有馬が死んでいたりしたら、俺も死ぬつもりだった」
真剣な声で言われ、有馬は表情を強張らせる。
数馬も驚いたように軽く目を見開いていた。
「はい? ……何故に?」
「二度も攫われるなんて――流石に自分が許せない」
紫の目が、悔やむように細められる。
「ラル」
咎めるように呼びかけ、ランラクルを鋭く睨む。
有馬は困惑したように2人の顔を交互に見ていたが、メアの声が掛かった。
「アリマ様、そろそろ」
「そうだった! 兄ちゃん、睨んでる場合じゃないって」
慌てて事情を説明すると、数馬は面倒そうな顔で有馬の脳天を平手で叩いた。
「面倒だな……」
「何で叩くの!? めっちゃ痛……っ何かじわじわ来る痛みがあああ!」
頭を押さえて蹲る有馬を一瞥し、興味深そうに呟く。
「物理攻撃時追加ダメージ20パーセント。念じてたら本当に付いたか」
「何魔法なのそれ!?」
今だじんじんとする頭を押さえつつも突っ込みを入れる。
魔法についての知識は一通り“貰った”有馬だが、勇者である数馬については今一分からない。
魔法は使えないのに、マナを無意識に操る。そもそも何故魔法が使えないのかも分からないのだ。
「さて、どうすっかね……」
数馬は顎に手を当てて3人を見回した。
「ドラゴラムしか使えない剣士、対人戦ヘタレ魔法使い、謎の少年……よし、逃げよう」
「諦めたしこの人」
「ラル、とっとと竜になれ。逃げるぞ」
「ああ」
傭兵だけあってか、現実的な判断だ。
有馬も特に異論は無いようで、ふぅ、と溜息を吐く。
(……悪い事したかな)
ふと罪悪感が胸を焦がした。自分がすぐに決断していれば、あの3人は魔王と、少なくとも戦えてはいた筈だ。
自分がいなければ抵抗すら出来ないのかと思うと、あの大人気ない魔族たちが可哀想に思えてくる。
(同情するなら契約を、ってか)
自分はそもそも戦う、というラインにまで達していないから兎も角。
戦える彼らがそれを許されない、というのは如何にもどかしいことだろう。
様々な気持ちを押し隠しながら、有馬はドラゴンに姿を変えたランラクルを興味深そうに見つめていた。
ランラクルの背に上ると、あまりの高さに一瞬くらりとした。
「おおー……」
有馬の学校は4階建てで、屋上に上がってもここまでの高さは無かった。
これより高い建物といえば、昔泊まった高級なホテル、県庁の展望台、東京タワーや京都タワーくらいだろうか。
ランラクルは黒い羽をばさりと広げ、羽ばたく。
「おおぉぉぁうああ!?」
両側からの風圧に前のめりになりバランスを崩しかけ、あまりよろしくない悲鳴を上げる。
すると背後から腕が伸び、有馬は数馬の膝の間に収まった。
傍から見ればちょっとしたカップル状態である。
「おお。……メア!」
「?」
「おいでー」
小首を傾げ、相変わらずホラー気味な所作でずるずると寄ってくるメアの服を掴み、引いた。
「3兄弟!」
「お前な……」
かくしてメアは有馬の膝に収まり、3兄弟的な構図が出来上がる。
嫁入り前がそれでいいのか、と言いたげなラルの咆哮と共に空に舞い上がった。
巨大な翼が上下し、黒い巨体が闘技場の石壁を過ぎて天空へと昇って行く。
「……っ!」
強い風の所為で息がしづらい。
有馬は咄嗟に片手を振り、魔法で体の周りの空気の流れを緩めた。
「お、いいなそれ」
「……え、これに耐えてきたの?」
「心肺機能まで強化されててな。海渡る時なんか普通に泳いで渡ったぞ」
「それ心肺の問題なの!?」
純粋に体力問題だと思われる。
騒いでいる間にも高度を増したランラクルは、大きく羽ばたきながらスピードを増す。
体が大きすぎて眼下の様子はあまり窺えないが、それでも中々に雄大な景色である。
「魔領って案外綺麗だよね」
「……東だから」
「ヴラディークの趣味? そういやメア、領地とかは?」
「管理、弟がしてる」
「弟いるんだ」
「インキュバス」
「インキュバス……おお……ほんとに居るの」
こくりと頷く。
因みに、インキュバスとはサキュバスの男バージョンだ。
分類としては夢魔だが、淫魔とも呼ばれ、主に精気を喰らうという。
「メアに似てる?」
「似てる」
「それはまた……何か凄そうな」
露出の多いメアを想像し、有馬と数馬が微妙な顔になる。
「いいんじゃね? エロショタ」
「うわ引くわ」
「まぁ、俺は巨乳美女のサキュバスがいいな」
「それも引く」
「じゃあ何なら良いんだよ」
茶化すように笑う数馬に、うーん、と有馬は考える。
「城でお世話してくれたメイドさんがねー、美人で優しくてちょっと腹黒い感じでいいと思う。クレイアさんって言うんだけどねー……あ、あと魔族のね、フィーリシアさんって人も秘書っぽい感じのクール美女でね」
よく考えてみればこの世界の女性の知り合いはこの2名だけだ。
「胸は?」
「……いや、そこなの?」
「あるに越したことは無いだろうが!」
一応少し緊張するべき場面なのだが、2人は胸談義に花を咲かせ始めた。
その話を聞きながら呆れたようにランラクルが溜息を吐く。鱗で分からないが若干頬が赤い。
そして、溜息というよりドラゴンのブレスにしか見えず、しかも若干火を噴いたのはご愛嬌だ。
有馬は久々に休息を味わいつつ、両手の指をメアの頭上で適当に絡ませている。
今だ自然魔法の維持には動作が必要で、今は風を作って3人の周りを保護し、ついでに落ちないように調整してもいる。
火事場の馬鹿力を発揮した時から、大分魔法の幅が広がったように思えた。
――そしてその時、ゆらりとマナが揺らいだように思えた。
「……ん?」
軽く眉を顰め、マナの流れを掴むように集中する。
マナを操る事が出来るのは、マナを感じる事が出来るという事でもある。
近頃は半径5メートルほどまでマナの流れを読み取れるようになった。
人が動けばマナが揺れる。とはいえ、マナは常に揺れているため人の気配を読むには至らないようだが。
「後ろ、なんか来てる?」
感じたのは、ほんの僅かな魔力。マナとは違う、確かに生物から発せられる魔力だった。
《精霊眼》で見ると、黒い魔力が僅かに流れてきていた。
「……ん? ……ああ、もしかしてあれ、魔王か」
「やっぱりいいい!!」
魔物から発される魔力というのは、総じて黒い。
暇つぶしがてら道行く人々の魔力を観察した事があるが、大抵は明るい色で光っている。
人間からは悪とされる魔族ですらそうなのだ。現に目の前のメアの魔力は桃色で、若干目に痛い。
「ど、どうするの……」
「積んだなー」
「兄ちゃんっ!!」
恐怖からか怒りからか震える有馬の頭をぽすん、と叩いて数馬は立ち上がる。
その腰にこの前は無かった剣がある事に、有馬は今更気付いた。
「ラル、安全飛行でよろしく。有馬、攻撃しなくていいから落ちないようにしてくれ」
「う、うん」
「メア、お前なんか出来るか?」
「……戦える」
「そうか。じゃあ、有馬を頼む」
全く恐れる様子もなく剣を抜き、数馬は広い背の上に立つ。
メアもひょいと立ち上がり、羽を生やして軽く羽ばたいた。
「……アリマ様」
「何?」
「魔力、ほしい」
「あ、うん、いいよ。好きなだけ」
どうせ自分の魔力はあまり使わないし、と簡単に頷く。
すると、メアの目がきらりと光ったように見えた。
「いただきます」
そう言って頭頂部に鼻先を押し当てる。
「……いや、その吸い方はどうなんだろう……クンカクンカすーはー、みたいな」
微妙に変態くさい吸い方に引いた顔をするが、メアは止めない。
むしろ物凄い勢いで魔力が吸い取られていく。
「吸いすぎっ……へ?」
思わず後ろを向いた有馬は、思い切り目を剥いた。
「これで、戦える」
「は!?」
――艶やかに弧を描く唇。
肩口までだった金髪は何故か腰あたりまで伸び、どう見ても身長・肩幅共に成長しまくっている。
何よりその顔立ちから少女らしさが抜け、神秘的な青年司祭が其処に居た。
「年齢が10くらいプラスされてるように見えるんだけど!」
「うん? こっちが本当だけど」
「はいいい!?」
「小さい方が楽だから」
何が、と聞こうとした有馬は響く轟音に身を縮こまらせ、後ろを振り向く。
「有馬ッ!! しっかり支えろっ!」
「へ? あ、う、うんっ」
見れば、既に戦闘は始まっている。
――魔王。
口の中で小さく呟きながら、有馬は恐怖に震える体を叱咤して手を動かした。
兄が来ると多少はっちゃける妹。
本当はこの小説、最初は一人称で進めようと思ってました。楽なので。
まあ色々あって結局これなんですが、なかなか難しいですね……