2 わたしの国は
「半年間はここと、向こうの部屋のみで過ごしていただくのですが」
シヴァが奥のドアを指差す。ふむふむ、と有馬は頷いた。
「蜜月? 引きこもり?」
「まあそのようなものです。今までは成人の方ばかりでしたので、婚姻までの1、2月程度で済んだのですがね」
本来ならば、召喚条件に“婚姻可能である事”が含まれている。
日本でも女性の結婚は16歳からなので、有馬はどちらの世界でもまだ結婚できない事になる。
召喚術の不調なのか、それとも選定術の不調なのか――果たしてそれはまだ不明だが。
「ふーん」
「その期間、こちらの事を学ぶと同時に伴侶同士の親交を深める、とそういう訳です」
「親交っすか……」
「ただし、婚前交渉は一応禁じられておりますので、程々に。……わかりますか?」
「あ、うん。エロい事すんなって事ね」
身も蓋も無い言い方だがそういう事である。
「まあ最後までいかなければ別にかまいませんけど」
「あっはっは。どこまでセーフ?」
愉快そうに笑う有馬は、割と耳年増というか――まあ、下ネタに寛容だ。
歴史小説にはよくそういうシーンが含まれるし、そもそも小学生の頃から親の蔵書を読んでいて、うっかりそういう本を手に取る事もあった。
そう、うっかり。あくまでうっかり。
「どこまででしょうね。一発なら誤射としておいてあげましょう」
「やめろ」
優雅な微笑みに似合わない台詞に、有馬は腹を抱えて笑い、フォルテは漸くストップをかけるのであった。
有馬はその部屋に足を踏み入れ、感嘆した。
先ほどの部屋よりも更に毛足の長いふわふわの絨毯。薄汚れたローファーで踏むのがもったいない程で、思わず「靴脱いでいい?」と聞いた。
「ええ、もちろん。アリマ様の国では、家に入るときに靴を脱ぐのでしたね。
こちらでは、自分の部屋では靴を脱ぎます。ここはアリマ様の私室にもなりますから」
「へー。こっちは外国だと靴履いたまま家入るし、そうなのかと思った」
さりげなく日本の風習まで把握しているシヴァに感心しつつ、靴を脱ぐ。
側面に少し土がついているし、皺がついていてお世辞にも綺麗ではない。
「どこに置けばいい?」
「そこの棚だ」
部屋の入り口は丁度日本の玄関と同じように段差になっていて、低い方は石の床だ。
その脇に、棚が置いてある。高さは有馬の胸ほどだ。
「うぃ」
腕を伸ばしてその一番上の段に靴を入れ、開放された足で絨毯を踏みしめる。
靴下越しに伝わる柔らかさが心地よい。
「守護者殿」
「応」
フォルテの言葉に答えた狼が、さっと尾を振る。
置いてあったテーブルと椅子が低くなり、低いテーブルとソファに変わる。
(呪文とかいらないのかな? ……守護者だから? いや、守護者って何?)
ぽすん、と腰掛ける。先ほどのソファと同じ物のようである。
「さて、私は仕事がありますので、また後ほど」
フォルテと狼が部屋に入ると、シヴァはそのまま去って行った。
残された有馬は内心ひやひやしていた。背中にはじっとりと冷や汗。
――彼女は、実を言うと人見知りである。人付き合いに関しては、兎に角受動的だ。
シヴァのように愛想のいいタイプや、狼のように懐いてくるタイプなら問題は無い。
フォルテはどちらかといえば不器用そうで、真面目に見えた。
仲良くなるに際して、非常に取っ掛かりが掴みづらいタイプである。
(……こ、この人の、妻になるんだよね?)
そう考えると、仲良くしなければいけない。人付き合いは、最初が肝要だ。
「あの」「なあ」
口を開いた瞬間が寸分違わず同じだった。
「……お先にどうぞ?」
「いや、そっちから……」
――フォルテもまた、困りきっていた。
彼は人見知りこそしないが、伴侶となる女性を前にどう接していいのか分からない。
表面上の付き合いで良いのならば彼は完璧な王子になりきって見せるが、将来の妻を前にそういう訳にもいかず。
そもそも、初対面の同年代相手に気まずくなる経験が全く無いのだ。
何せ、彼に近づく者達はそもそも彼に取り入る事を前提にしてくるのだから、ぺらぺらと話してくる。
「似たもの同士じゃのう。はよう、仲良くなれ」
同時に狼を見て、情けない顔をする。
つまり2人は似たもの同士で、それ故に最初の一歩が難しい。
そして、先に口を開いたのは有馬であった。
「フォルテさん、何歳?」
「……19歳だ。それと、呼び捨てでいい」
有馬は人見知りだが、実を言うと、自分よりも対人スキルの低そうな相手には物怖じしない。
決してフォルテが自分より人見知りだと見た訳ではないが、まあ、こういう時に決心が早いのは大抵の場合、女である。
「うん、わかった。シヴァさんは?」
「19だ」
「へぇー、同い年なんだ。仲良さそうだけど、幼馴染?」
「幼馴染でもあるが、あいつは従兄弟だ。先王……俺の父の弟の子だからな」
つまり、シヴァも傍系ではあるが王族という事になる。
「仲いいの?」
「……まあ、比較的良い」
有馬はにやっと微笑む。なんとなくこの相手の性格が掴めて来たらしい。
「案外、フォルテとは気が合うかも」
有馬は、相当仲のいい相手に対しても友情を疑ってかかる。無論心の中で、だが。
常に、相手が実は自分を嫌っている可能性を頭に置いている。
故に、最も仲のいい友人ですら、自分から親友だと公言する事はない。
気恥ずかしいのもあるが、相手が自分を同じくらいに思っていなかったら――という考えが強いのである。
それに、仲良くなりすぎると後が怖い。仲が良ければいい程、嫌われた後の反動は大きい。
「……合わなければ困るがな」
「ま、そうだね」
普通に友達、仲は良いよ、グループ的には同じだよ。
他人との関係をそんな言葉で誤魔化してきたので、フォルテには親近感が湧いた。
「フォルテは王子だけど、シヴァさんは何やってるの?」
「表向きには俺の側近兼護衛魔術師、裏で諜報部総督」
「あー……」
優雅に座ったシヴァが何処からともなく現れた忍者の報告を受ける様子をなんとなく想像し、有馬は納得したように頷いた。
「なんとなく、そういうイメージあるね」
「まあ、将来は親のレトリーヴァ大公領を継ぐんだが……確かにこっちの方が向いているだろうな」
「別に、両立してもいいんじゃない? 有能な兄弟や部下がいればね」
「……そうか?」
有馬の知る限り、日本の歴史上さほど珍しい事ではない。
かの石田三成だって、父に領地経営を任せて飛び回っていたのである。
「この国がどういう風なのか知らないけど、うちの国じゃ珍しい事でもなかったと思うよ。ずっと昔だけどね」
「……この国は、王都を中心とした王領と貴族領がある。貴族領は貴族が治め、あまり口出しはしない。逆も同様で、王領に口出しはしてこない」
説明しろと言った訳では無いが、そう言うと有馬は興味深げに口元に手を当て、少し考えて口を開く。
「つまり、大小の領地を持つ貴族の中で一番力の強い一貴族が王族、みたいな感じ?」
昔読んだ本の受け売りだが、的は射ている。
フォルテは少し驚いた顔をしながらも、妻となる者が案外しっかりしている事に安堵した。
妻とは言えど王族で、それなりに公務にも関わるし、意見を求められる事もあるのだ。
頭の悪い美女と頭の良い不細工ならば、王族としては後者を選ぶべきだ。ただの貴族であるなら兎も角。
「そういう事になる。有馬の国は?」
思わずそう言って、フォルテは内心でしまった、と呟く。
どうやら詳しそうだから聞いてしまったが、これから夫婦になるというのにこんな話ばかりしていいのだろうか、と思ったのだ。
フォルテは王たる者として育ったから、政治には勿論興味がある。
しかし有馬がそうだとも限らない。
「うちの国……日本は、領主とかそういうのは今は無いね。国民が投票で決めた代表者が国を治めてるよ」
「王は居ないのか?」
「天皇陛下がいるけど、政治関係は承認とかするだけだよ。つまりは象徴」
「……象徴?」
「傀儡政治って事じゃないよ。国民が崇める対象と、国民を治める人間は違うってだけ……かな? あ、治めるのは1人じゃなくて――」
フォルテは認識を改める。詳しそう、ではなく詳しい。知っているだけでなく、理解している。教育水準も低く、情報伝達も遅いこの世界ではなかなか難しいことだ。
「地方はどうやって統制するんだ? 領主はいないのだろう」
「えーっと、国を都道府県、更に細かく市町村で分けて、その1つ1つにその町、その県の人たちが選挙で決めたトップを置いてるよ。
誰かの領地って訳じゃなくて、指導者的なもんだけど」
「ふむ……都道府県と市町村とは何だ?」
「土地の単位かな。都道府県は、呼び方は違うけど“領”と同じような感じ。なんとか県、とかなんとか府、みたいな感じでね。
市町村はそのまま、市、町、村。大きさによって呼び方が分かれるけど、都道府県の中はその市町村で分けてるのね。市って呼び方はこっちにはある?」
「無いが……つまり、都という事か?」
「そういう事。絵に描けばわかりやすいんだけど……あ、そうだ」
カバンを開けて、中からお目当てのものを探す。
珍しく勉強しようと思っていたので、それなりに重く、雑多に教科書類が突っ込まれていた。
「あった」
取り出したのは、社会の資料集である。地理ではなく政経のものだが、表紙の裏に日本地図、裏表紙の裏に世界地図が載っていた。
「これが日本。字は読めないだろうけど」
「ほう……この本は?」
「教科書」
有馬は丁寧に都道府県を指差し、名前を言っていく。
「あたしが住んでたのが、ここ」
いつの間にやら話が地理にシフトしているが、お互い真剣である。
「47の大きな地域に分かれるのね。
都道府県にはそれぞれ知事っていうトップがいて――」
その後もひとしきり知る限りの知識を披露しているうち、日も暮れた。
部屋には窓がないため2人とも気づかなかったが、有馬の膝に頭を乗せて寝ていた狼が目を覚まして「腹が減った」と言った事でやっと気づいた。
「そろそろ夕食の時間だな」
「そういえばお腹めっちゃすいてた」
有馬は下校途中、5時半ほどに召喚されたが――こちらではまだ昼だった。
それから6時間ほど経っており、召喚されていなければおそらく眠っている筈の時間である。
「フォルテはどうするの? なんか、晩餐とかそういうのは?」
「ここで食べる。有馬、また後で話してくれ」
フォルテも大分呼びなれたのか、名前の発音がしっかりしてきた。
政治の話で打ち解けるのも変な話だが、そもそもこの2人が変なのだから仕方ない。
知識欲や好奇心が強い有馬は、知りたいものを知りたいだけ学んできた。だから得意分野は本当に得意だ。
しかし使いようの無い知識も多く、話が合う人間が少ない。鬱憤が溜まっていたのだろう。
「うん。フォルテは興味持ってくれるから、喋りやすいね」
幸いにも手元に資料集があり、有馬はそれを見つつ考えを交えて話した。
大勢の前で話すのは苦手だが、1人2人が相手ならばむしろ得意である。
「そうか」
フォルテはそう言って柔らかい笑みを浮かべた。次の話が心底楽しみらしい。
その後やってきたシヴァには呆れられたものの、一先ず打ち解けたため2人ともほっとしていた。
ワゴンに乗った食事が運ばれると、狼が尾を振る。
「わっ」
有馬が驚いた声を上げた。椅子とテーブルが突然高くなり、食事に適したものに変わる。
「アリマ様、お酒はお召しになられますか?」
「飲んだ事無い。うちの国じゃあと5歳は飲めない法律だし、できれば普通の飲み物で」
「分かりました」
有馬は食事が好きだ。テーブルに並べられる料理を見ながら目を輝かせている。
並べられた料理は、有馬にも見覚えがあるものから、全く材料が想像つかない物まで様々だ。
皿に盛られた料理に、それぞれ盛るための大きなスプーンがついている。
スープの横には、スープ用の大きめのマグカップが置かれ、スプーンが置いてある。
最後にどんと置かれた大きな四角い皿には、半円型で袋状のパンが沢山入っていた。
「……手で食べるの?」
有馬の手元に、スプーンやフォーク、箸の類は無かった。
どうやらこのパンに入れて食べるようである。
「ああ。有馬には馴染みが無いか?」
「いや、こういうのも食べた事はあるけど。スープは口をつけて飲んでもいいの?」
「良いぞ。むしろ、スプーンは殆ど使わないな」
「へぇー……」
王族の食事だから少し気を張っていたが、どうやら気にするほどの礼儀は必要なさそうである。
「食事に道具を使う文化が定着しないまま、結局こういう形に落ち着いたんだ」
フォルテが右手を丸めて左胸に触れる。どうやら食前の祈りらしかった。
有馬もなんとなく両手をあわせ、いただきます、と呟いた。
「好きに取って、そこのパンに入れて食べるといい」
「このパン、なんて言うの?」
「ピラと呼ばれている」
有馬は小学校の時に給食によく出た、ピタパンを思い出した。
ピタパンも円形で薄く、固めのパンだ。半分に切って、中に具を入れて食べる。
「うちの世界にもピタパンって言うのがあるけど、そっくりだね」
「そうか。そちらから持ち込まれたのかもしれないな」
無い話ではない。確かにこの世界と有馬の世界は、魔方陣で繋がるのだから。
有馬はピラをひとつ取り、適当に目についた肉料理をスプーンで取って入れた。
(……ん? 獣人の国なんだから、豚とか牛の獣人もいるのかな。つーかこれ何肉?)
口に入れると、どこか鳥肉のような食感。外側は豚肉のようなあっさりさだが、内部はどこか牛肉のように濃厚な旨みがある。
「これ、何の肉?」
「植物だ。人間のように豚や牛を食べる訳には行かないから、この大陸ではこれが“肉”と呼ばれる」
「なるほど……え、植物? これが?」
こんがりと焼けた肉は、どう見ても肉である。
「大昔に発見された物で、ミートプラントという。葉が厚く、薄皮を剥くと中身は本物の肉そっくりだそうだ。茎は固く真っ直ぐで、筆記具に加工される。根も太くて、茶になる」
「そりゃまた、便利な植物があるね」
「ああ。平民から王族まで誰もが食べるし、この大陸ならどこでも育ち、成長も早い」
これさえあればアフリカの食料問題は解決するな、と有馬は思った。
「この国には普通の動物はいないの?」
「いる。ただし食用として飼われる動物はほとんど居ないな。獣人は、自らと同種の動物のみ飼う事を許されている。食べる事も食肉として売る事も種族の意向次第だが、大抵しない」
「そりゃそうだろうね」
人間で言えば、猿を食用肉として売るようなものだろうか。
尤も猿が直接の祖先という訳ではないし、そもそも有馬にとって猿は食用のカテゴリから外れているのだが。
――まあ、獣人達が抱く気持ちも似たような物である。
勿論全域でそういう意識がある訳ではない。地球でも、鯨や犬を食べる事には国ごとに抵抗があったりなかったりだ。人種や種族によって食文化は大きく違う。
それと同じで、同属でない獣を食する獣人はまだ多く残っているし、未開の山間部には獣を狩ったり家畜として育て、食べたりする部族も居る。
「しっかし、ミートプラント……肉の植物ね。そのまんまだ」
「……そういう意味だとは知らなかったが。そちらの言葉なのか?」
「へ? あ、うん。うちの国じゃなくて、外国の言葉だけど……じゃあこっちの人がつけた名前じゃないのか」
「命名者は不明だが、恐らくそういう事だろう」
ピラに、ミートプラント。食事だけで既に二つも前の世界との繋がりを見つけ、なんとなく異世界というより外国にいる感覚になってきた。
(あ、これ……茄子味噌?)
そして3つ目のピラに入れた料理が、あまりに故郷のものと酷似している事に驚く。
かつての召喚者の中に、日本人も居たのかもしれない。
「足りたか?」
「うん」
有馬はその3つで食べる手を止め、スープを一杯飲んで終わりにした。
「小食だな」
「……獣人の女の人って、どれくらい食べるの?」
「種族にもよるが、有馬の倍以上」
獣人は人間より多く食べるが、そもそも有馬は少食な方である。
というか食べる事自体を面倒臭がっていたり、腹痛だったりとあまり食べられない。
ただし、自分の分として出された食事は極力食べきるが。
「まあ、普段ならもっと食べるんだけど、今はもう1つ食べたら半分残しちゃいそうだし」
「残してもいいんだがな、別に」
「……だって、食べかけ残すのってなんかね」
「だったら、半分食べてやる」
有馬はその言葉に、目をぱちくりとさせた。
「……そういうのが普通なの?」
「……あ、いや、親子や夫婦の間でならな」
なんとなく顔を赤くしてお互い顔を逸らす。
まだ恋心がある訳ではなかったが、なんとなく気恥ずかしくなったのだ。
「じ、じゃあもう1つ、食べようかな。お言葉に甘えて」
デザートらしきものもあり、それを取ってピラに挟む。
果物とクリームを混ぜた物は、とても甘く感じた。
案の定半分程で食べ切れなくなり、フォルテに残りを托す。
その様子を、シヴァが微笑ましげに見守っているのであった。
色気のたりない人たち。