18 勇者様の伝説の武器
「……危害を加えるつもりはない」
後ろ手に扉を閉めると、男はそう言った。
身長は数馬より少し高い。190とまでは行かないが、長身だ。
「私はヴラディーク。ヴラディーク・グルーハルト・ディーツベルグ」
(ドイツ人っぽい名前だな……)
ヴラディークと名乗る男は、先ほどまで着ていなかったマントを羽織っている。
襟の立った、表が黒く裏地が真っ赤なマントだ。
色白で痩身、顔は整っているが――その目は凝った血のように赤く、どこか不気味だ。
髪は金で、緩く後ろで結って流している。
(うーん、吸血鬼)
イメージとしてはまさにそれだ。
この世界に来てからやたらと美形を見た気がするが、今までに無いタイプだ。
強烈な色気があり、大輪の薔薇のような存在感がある。
尤も見目が良いだけで惹かれるような人間では無いので、有馬は平然としている。
ヴラディークは有馬をじろりと見てから、重々しく口を開いた。
「聞きたい事がある」
「……はぁ」
この姿を見て、少なくとも金の話では無いような気がした。更に、女にも不自由はしていないと思われる。
なら残された可能性は、兄か傭兵団か、有馬の魔法か、アニマラーナの者か。
有馬はじっと黙って質問を待った。そして、
「前魔王陛下――ネインクルス様の行方を知らないか」
思い掛けない質問に、目をぱちくりとさせた。
ネインクルス陛下。
ネインクルス・アヴロニータ・ディアヴァルシア。すなわち、ルネのことだ。
「……え、もしかして、魔族」
「察しが良いな。私は――」
妙に赤い唇の両端が、つぅ、と上がる。有馬はその妖艶さにごくりと唾を飲んだ。
「屍魔族グルーハルト、族長。吸血鬼のヴラディークだ」
「うわやっぱり」
思わず言った後、はっとして口元を押さえる。
(やべっ……いや、まぁいいや。っていうか、テンプレ通りに吸血鬼だなー)
「やっぱりとは何だ」
「……見た目がすごくヴァンパイア」
「そうか。……早く質問に答えろ。あの方は生きているのか? 何処にいるんだ」
有馬は遠くのルネを恨めしく思いつつ、う、と言葉を詰まらせる。
「……生きてるけど。場所は教えるわけにはいかない、よ」
「何故だ」
「だって、……追っ手だったら、案内したら駄目だし」
ぎろりと睨みつけられる。有馬はびくりと肩を震わせたが、しっかりと睨み返す。
「私は追っ手などではない」
「新魔王には絶対服従でしょ」
「……確かに、奴の命令に逆らう事は出来ん。だが、私の忠誠は新たな魔王には無い」
「……“殺してこい”って命令されてる可能性もあるよ」
「私は“元魔王を追え”と言われただけだ――ふん、あんな若造が私を縛れるものか。
“是非とも私に追跡の役目を”と、少し服従した様子を見せたらあっさり頷いた」
どうやら上手く言いくるめたらしいが、まだ演技という可能性は捨てられない。
その警戒を見て取ったのか、ヴラディークは少し表情を和らげて話した。
「それで、お前はネインクルス様とどういった関係だ? せめてそれくらいは話せ」
「ああ、それなら。……えっと、契約した仲だけど」
「っな!?」
ヴラディークは目を見開く。
(あ、まずった……? いや、元主君が人間の小娘と契約してたら気分悪いか)
「……どちらが名前を与えたっ!」
詰め寄られ、がしっと肩を捕まれる。有馬は一瞬びくつくが、はっきりと答えた。
「あたし」
「~~~~ッ……!!」
がくりとヴラディークが膝を付く。有馬は若干脅えつつも、肩を掴んでいた手を離そうと触れる。
……微動だにしない。
(またか! またかっ!!)
あまりの非力さに、またも切なくなってくる。
骨ばった大きな手。その先の腕にも、あまり筋肉は付いていないように見える。
人間と他種族では根本的に体の強さが違うのだから仕方ないとはいえ、それでも以下略。
「お前……が……ネインクルス様の主、だと……?」
「まあ、そうなるかな」
「喜んでいいのか、悪いのか……!! くそっ!」
床に片手の拳を叩き付ける。有馬はなんとも申し訳ない気分になった。
ヴラディークは複雑な顔をして立ち上がり、有馬から手を離す。
「……何はともあれ、お前と契約しているのならあの方は新しい魔王に従わずに済む。そこは礼を言うが……ッ」
「はぁ。……文句はあると思うけど全面的にあいつのせいだからね」
「……何だと?」
「隠れ住むから名前くれって言われて、付けた直後に耳噛まれて、無理矢理血飲まされたの。不可抗力ってやつ? ひどいよね」
「……ッあの方は全く……!!」
脱力したヴラディークにはあまり敵意というものが感じられず、有馬はひとまず安心した。
少なくとも殺される可能性は薄いように見える。
「それで、どうするの? ヴラディークさんは。会ってどうするつもり?」
「それはもちろん、再び王位を取り戻していただく」
「いや、もう魔王にはなんないって言ってたよ。隠居するって」
「なっ……なんだと!? そんなっ!」
打ちひしがれた表情。ルネが滅多な事では意見を変えないと分かっているのだろう。
有馬は可哀想に思いつつ、若干後退りをする。
するとヴラディークががしりと手を取った。そして、顔を上げる。
「ならばお前が魔王になれ」
そして真剣な顔で言い放つ。有馬は一瞬ぽかんとした後、全力で首を横に振った。
「断るっ!」
「なれ!」
「絶対やだ!」
「お前は黙って頷いて契約さえすれば良い! 後は何も望まん!」
「いーやーだー!!」
「魔領の全てと我ら四天王が手に入るのだぞ!?」
「四天王いんの!?」
「居る! 1人で国を滅ぼせるような魔族が4人だぞ!? 世界すら思いのままだ!」
「いらない! いらないから! どこの竜王だよ!」
詰め寄ってくるヴラディークから逃げるように後ろに下がっていく。
両手を突き出して拒むが、全く意味を為さずにどちらも押しのけられ、ついには壁に背が付いた。
(二重の意味でやばいっ! 待て! この体制はない!)
がしりと両手首を捕まれて壁に押し付けられる。
「ぎゃーーっ!! やだーっ! 襲われる!」
「襲うかッ!! お前のような小娘に興味は無い!」
「言い逃れ出来ない姿勢だっつーの! 離せーっ!!」
ベッドの上で迫られ、手を壁に縫い付けられたこの状態。
人に見られたら完璧に言い逃れが出来ない。
「このっ……いや、確かにそれはいい案かもしれんな」
ヴラディークは不意に、笑う。有馬の背筋にぞくりと悪寒が走った。
「は……はぁ? 何?」
「所詮人間は心弱き生物。快楽で体を縛れば言う事を聞かざるを得ないだろうな」
「うぅぅわああああああ!! 変態だ! ロリコン! ペドフィリア! そういう発想ほんとありえない! きもい!」
「ふん、何とでも言うがいい。……ロリコンとは何だ?」
「真面目な顔して聞くなっ! ロリータコンプレックス、幼女趣味! 分かる!? ペドフィリアは小児性愛!」
大声でロリやらペドやら叫ぶのは年頃の少女として果たしてセーフなのだろうか。
必死に抵抗する有馬をふん、と鼻で笑う。
「そもそも私が幾つだと思っている? 人間など総じて遥か年下、老婆も赤子も同じではないか。今更気にせん」
「んな変態理論知るかっ! ああもう! 助けてーっ!!」
「くく、叫んでも無駄だ。助けなど――」
悪役丸出しの台詞を吐いたその時、盛大な音と共に扉が爆砕した。
粉塵が舞い、一気に視界を奪われる。ぎゅっと目を閉じていると、気付けばヴラディークの手が離れていた。
「……妹に、何をしてやがるこのロリコンペド野郎!」
数馬の声が、した。有馬はへにゃりと体の力が抜けるのを感じ、ずるずると壁に背を預けたまま溜息を吐く。
「にーちゃん」
「おう、有馬。大丈夫か? キスの1つでもされたか?」
「……セーフ。まだ何も」
「そうか。色々削ぎ落とす手間が省けた」
冗談まじりの声音だが、顔が明らかに真剣である。彼は本気だ。
「そこまでする?」
有馬はけほけほと噎せながら、指を前方に向けて振る。風が吹いて、粉塵はドアの方へ抜けていく。
視界が晴れると、堂々たる佇まいで相対する勇者と吸血鬼の姿。
「便利だな。……で、中ボスか? あと魔族だろ。なんか強そうだし、四天王クラスか」
相変わらずの勘の良さである。
「……ふむ、お前……勇者か」
「ご名答だ。どうする? 何もしてないなら半殺しで勘弁してやるが」
「く、くくく……武器も持たずに何を言うか、愚かな勇者よ」
目の前で繰り広げられる、ベタなイベントバトル前会話。
有馬はうんざりした顔で2人を睨んだ。
「やるなら外で。出来れば町の外でよろしく」
「だとよ。どうする?」
「ふん、勇者の力を見ておくとするか。外で待とう――私はヴラディーク・グルーハルト・ディーツベルグだ。逃げるなよ、勇者」
悠々とマントを翻して去っていくヴラディークを、生温かい目で見送る。
「あの人、自分の目的忘れてんのかな……」
「さあ。ま、行ってくるわ」
「あ、うん。武器は?」
「素手」
「……死なないようにねー」
ひらひらと手を振る。数馬はすたすたと出て行き、入れ替わりにランラクルが入ってきた。
「アリマッ! 無事かっ!?」
「あ、うん……ぐぇ」
駆け込んできたランラクルに抱き潰され、蛙が踏まれたような声が出た。
「俺が油断したせいでっ……! 無事で、本当に良かったっ」
竜人族の力は強い。肺の中の空気が急激に押し出され、ひゅ、と喉がか細く鳴る。
声も出せないほど圧迫され、謝罪がヒートアップしているランラクルの背中を弱弱しく叩いた。
折角無事だったというのに、このままでは複雑骨折か呼吸困難で死にそうだ。
「有馬が怪我でもしていたらと思うと……ッ」
(今まさに怪我しそうなんですけど! ギブ! ギブ!!)
「アリマ? ……ああっ! すまん!」
全力で背中を叩く。無意識にだが自然魔法で威力が強まったらしく、漸くランラクルが気付いて力を緩めた。
「っげほ、ひゅっ、……げほっ」
必死に酸素を取り込み、肩を上下させる。
「だ、大丈夫か? すまん!」
「…………っ……しぬ」
「ほ……本当にすまん」
ぜえぜえと荒く息を繰り返す。ランラクルは申し訳なさそうにその背中を擦った。
「……まあ、助けに来てくれてありがと」
「あ、ああ」
涙目のまま礼を言うと、今度は目を見開く。そして思い出したようにばっと体を離した。
「? ……あ、腰抜けて立てないから、またよろしく」
「分かった。……どうする? 宿に戻るか」
「や、兄ちゃんがちょっと心配だから、見に行こう」
「ああ。じゃあ、街の外だな。……ほら、乗れ」
ベッドの横にしゃがんだランラクルの背に、よいしょ、と体重を預ける。
「裾の広いの着ててよかったわー……」
「そうだな」
しみじみと思いつつ、アジトを出る。外から見てもぼろい屋敷は、かなり前に打ち捨てられたものらしい。
街外れの静かな道を歩き、僅かに響いてくる戦闘音に耳をすませる。
「……どうやって渡り合ってんだろ、素手で」
「音からして、……肉弾戦か?」
中ボス戦にしては地味すぎる。
やがて都からの出口が見え、ランラクルは足取りを速めた。
「ここから男が2人出て行ったか?」
「あ、ああ。今は行かない方が……」
「身内なんだ」
足早に、開いたままの門から出る。
――ずっと向こうに、砂埃を上げて本気の殴り合いをしている2人が見えた。
魔法などは全く見えない。有馬は思い切り溜息を吐いた。
「ほんとに殴り合いだし」
「相手は魔族か?」
「うん。吸血鬼で、屍魔族? の族長だって」
「はぁ!? じゃあ、あいつ……ヴラディーク・ディーツベルグか!」
「え、知ってんの」
「竜人族は魔族寄りだからな。そういう話も入ってくるさ」
2人は被害が来ない程度の場所に陣取る。
そしてそのまま、繰り広げられる戦闘を観戦し始めた。
◆
マントを翻らせたヴラディークの鋭い蹴りが腹の横を通り過ぎる。
数馬はそのまま距離を詰めると、思い切り右腕を振りぬいた。
「甘い」
にんまりと笑うと、吸血鬼らしく尖った牙が覗く。
引き戻そうとした腕を取られ、手首に思い切り噛みつかれた。
「ってぇ!」
何かが抜かれるような感覚がし、一瞬の酩酊感。即座にその顔を左手で殴ろうとすると、すぐさま離れる。
ちらりと見た手首には、綺麗に2つの小さな穴が開いていた。
「ちッ、何しやがった」
「吸血鬼だぞ? 私は」
ぞわりと寒気を感じて跳び退る。横薙ぎに走らせたその手の先端に、明らかに先程より尖った爪が付いていた。
有馬が見れば、数馬の体液を媒介に魔力で水増しした物だ、と分かるだろう。
吸血鬼は相手の体液を吸い、相手との親和性を高めて魔力を効率的に吸い取る事が出来る。
その魔力と血を元に細胞を操作したり、相手と自分の繋がりを強める事で精神系魔法を上手く掛けたりといった事が出来る。
ちなみに彼らのメインウェポンはその肉体である。血肉と魔力を操る事に長けた彼らは、魔族でも随一の格闘一族だ。
「身体操作? ……グルーハルトっつーだけあるな」
――グルーは古代語で屍、ハルトは生ける、という意味である。
屍魔族という名は昔からあった訳ではなく、古来にはそのままグルーハルトと呼ばれていたのだ。
「ほう? 今の人間には珍しいな。古代語を知るとは――ああ、勇者だからか」
「便利な魔法がかかってるんでな」
数馬は召喚された際、神の加護という形で翻訳魔法と身体強化、更にある程度の魔法耐性を得た。これらは本人が解こうとしなければ、死ぬまで解除されない。
「しかし、恐ろしい身体能力だな。私と同等とは」
「それも勇者の特権って奴だ」
勢い良く体を屈めると、その頭上を通り抜けた長い足が髪を掠る。
隙の出来た脇腹に拳を叩き込むと、僅かにバランスが崩れた。
「む?」
数馬は思い切りマントを引っ掴み、そのまま絡め取って引く。
「こんなマント着てんなよ」
「これは先祖伝来の品だからな」
「説明どう、もっ!」
引き寄せたヴラディークの襟を引っ掴み、軽く体を捻り――思い切り地面に叩き付ける。
やや変則的だが、柔道のような投げ技である。
「ほう、そう来るか」
ヴラディークは背中から地面に落ちたが、両足で思い切り地面を蹴って体ごと跳ね上がる。
勢い余って1回転したが、見事に着地したと思うとすぐに向かってくる。
「うげっ」
「投げは繋げるのが難しいだろう。道場向きだ」
懐に飛び込み、腹に拳が叩き付けられる。体自体も強化されているのでさしたるダメージにはならないが、それでもその一撃は重く鋭い。
数歩押されて下がるが、戦意を失わない目がぎろりとその手を睨む。
「投げてだめなら」
腕をがしりと取り、そのまま思い切り足を振り上げる。
「折ってみろっ!」
ヴラディークを巻き込んで後ろに倒れる。落下していく事など気にせずに、上向きに掴んだその腕に――思い切り足をかける。
「っぐ!」
足を重力に従って下げ、掴んだ腕は躊躇せず上に向かって上げる。
ぼきり、と音がした。肘の関節が逆向きに曲がり、ヴラディークも流石に呻く。
耐えられるが、痛くない訳では無いのだ。
「もう片方イっとくか?」
「馬鹿め。この体制で反撃など出来ん」
しかし流石は魔族といったところか、すぐに立ち直って容赦なく腹に膝で一撃入れる。
「痛っ……うぐぁっ!」
更に顔面を殴りつけられる。数馬は一瞬くらりとしたが、すぐに目をぎらりと光らせ――
「ってぇな!」
「――!!?」
思い切り、腕に掛けなかった方の足を上に振り上げた。
遠くで見ていた有馬は思い切り噴出した。ランラクルは沈痛な顔で黙り込む。
数馬の片足が思い切り蹴り上げたのは、そう、男性の急所である。
どうやら魔族でもそこは鍛えられないらしい。
「めっ、めっちゃ痛がっ、てるっ! 最高! 変態ざまーみろっ!」
「……」
口には出さないが、ランラクルの表情は明らかに哀れみを浮かべていた。
――そこからは数馬の独壇場だった。
痛がって飛びのいたヴラディークに殴りかかる。腹のド真ん中に渾身の一撃を受け、その体は数メートルも吹き飛んだ。
「兄ちゃんもいよいよ化物じみてるなー」
有馬が《精霊眼》を発動すると、数馬の足や拳にマナが集まったのが見える。
どうやら魔法は使えないが、無意識下でマナを操っているらしい。
(……マナってそのまま使えるもんなの? 身体強化……でもないような)
空中を吹き飛んでいたヴラディークの鳩尾に、思い切り蹴りを叩き付ける。
格闘ゲームさながらに、落ちる前に叩き、落ちる前に蹴り上げ。
大体10発程繰り返した頃、やっと地面に落ちる。
「うわ」
数馬は遠目で分かるほどにんまりと笑い、軽くジャンプしたかと思うと――思い切り、両足でその背中に着地した。
「……容赦無いな」
「ま、まぁ殺さないだけマシかも」
流石に見ていて可哀想になってきた有馬とランラクルであった。
ステゴロは男のロマンだそうです。
戦闘シーンは難しいですね。
戦闘中に普通に投げ技が繰り出せるのは勇者的身体能力の為す所だと思ってください。
屍魔はしまと読んでください。いわゆるアンデッド系です。