17 自由時間です
有馬は初めて目にするこの世界の都市に興味津々だった。
シャンヤンは巨大な防壁に囲まれた都市だ。防壁の上は歩けるようになっていて、所々に見張りの台がある。
入り口に向かって防壁を回る事数十分、漸く入り口が見えた。
「傭兵団だ。人数は20」
「あいよ。種族は」
「巨人族、獣人族、竜人族、エルフとハーフエルフ、それぞれ1人ずつ。残りが人間」
「……獣人ねぇ」
手続きをしていた男が、眉を顰めて傭兵団を舐めるように見る。
全員が何か文句あるか、という顔で睨み返すと慌てて目を逸らした。
カラカは一見平然としているが、ラグマを初めとする背の高い者に囲まれて向こうからは見えない位置に居る。
借り物のコートに包まって負ぶわれている有馬は、む、と眉を顰めた。
「何か問題でも?」
「いいや、特に。……街の中で騒ぎなんか起こすなよ」
「ご忠告、痛み入る」
団長エリック・アルバルは口元をつい、と歪めた。30代の後半になる彼は、金髪のベリーショートのいかつい男である。その実は少々不器用でシャイなおっさん(数馬談)だ。
慣れているらしく、簡単な手続きの後は平然として「では失礼」と言ってすたすたと歩いていく。
ふぅ、とカラカが肩の力を抜いた。
「毎度の事だけどなー、ったく、疲れるわ」
頭に茶色のキャスケットのような帽子を被り、耳を隠したカラカ。
その姿は人間と何ら変わらないが、耳ひとつ見せれば侮蔑の目を向けられる事も少なくは無い。
「みんなああなの?」
「いんや、みんなって事は無い。若いもんは気にしやしないし、気にしてる奴は大抵がお貴族様か、あるいはじーさんばーさんだよ」
「ふーん。って言うか、何で嫌われてんだっけ?」
「……何でだっけ?」
「……あ、混血が何たらか。でもさー、今じゃ人間だって大抵何かの血が入ってるって聞いたよ」
「そうだな。例えばこのあたりだと、昔はホビットが多かったからその血が流れる者が多い」
「へー。どうりでさっきの人、背が低かった訳だ」
先ほどの男は、傭兵団の者たちと比べて大分背が低かった。
尤も、最近長身の男ばかり見ていたため色々と基準が狂っているのかもしれないが。
「あとはー、あ、そうだ。最初の頃の獣人って随分と野性的な生活してたらしくてねー。しかも言葉もあんまり喋れないし凶暴で、人間からすれば蛮族だったらしいよー」
「もうちょっと歯に衣着せろよ!」
「えー?」
デリカシーの不足したサンドルの発言に、ランラクルが腕を伸ばして小突く。
カラカは「気にしねーって」と苦笑した。
「その時、唯一人間と同じ生活から始めたのが狼一族! 古来から人間に寄り添って生きてきた狼だからこそだね!
白い狼を従えた銀の王伝説とか! かっこいー!」
白き狼、という単語にロボを連想する。銀の王といえばフォルテが思い浮かんだ。
ほんの少し、帰りたい、と思った。けれど、フォルテやロボたちと居たい気持ちは強いが、もう少し外の空気を吸いたいのである。
「……詳しいね?」
「故郷に居た頃は勉強してたんだからねー!」
確かに、黙っていれば勤勉そうなエルフに見える。
後ろでぴょこんと結ったセミロングの金茶髪に、翠の目。特別美しい訳では無いが、素朴な感じだ。
「っていうか、何でみんな傭兵してるの?」
「あ、俺とラルはねー。もう5、6年前かな? 人間の町で冒険者やろうと思ってねー」
「初依頼で一緒になったんだが、人間に捕まってな。人身売買の犯罪集団だった」
「ほら、俺らって一応希少種じゃん? 人間に比べれば、だけど。そのテのオジサマに大人気なんだってー! あっはっは!」
陽気に笑うサンドルに、懐かしそうな顔のランラクル。
(いや、割とヤバいんじゃ)
そう思った有馬は恐らく正しい。カラカは慣れているらしく、もはや生温かい目で見ていた。
「それで、エリック団長に助けて貰って、そのまま弟子入りして入団した」
「うんうん。懐かしいねー、土下座したよね」
「ああ、した」
「頭を地面に必死にこすり付けてお願いしますお願いしますってさー。オロオロしてたね、団長」
「うろたえてる内に他のメンバーが了承してたな」
少々不器用でシャイなおっさん。
有馬は脳内でそれに、ヘタレ属性、と書き加えた。
一行はまず傭兵ギルドに滞在報告をし、仕事を回してくれるように頼んだ。
なにやら大きな仕事があるらしく意気込んでいる。尤も、有馬と数馬は正式に団員ではないし傭兵でも無いのであまり関係無いが。
「仕事までは基本的に自由だ。各自依頼を受けるもよし、遊ぶも良し」
仕事は5日後、都近くの洞窟への討伐任務だそうだ。
喜び勇んだ傭兵達は街に繰り出して行く。有馬はと言えば、ランラクルと数馬と一緒に買い物に行く事にしていた。
サンドルとカラカは遊びたい盛りらしく陽気に去って行ったが。
「靴も欲しいけど、服も欲しいんだよね」
「服か。まぁ、その格好じゃ目立つだろうしな」
「よし、ひとまず兄ちゃんが買ってやろう」
有馬は正真正銘の一文無しである。服はかなりの高級品だが、流石にそれを売るのは最終手段にしたい。
よって暫くは数馬に頼りきりになるだろう。
暫く3人で歩くと、靴屋らしき看板が見えた。
ブーツの絵が描かれた看板だ。識字率が低いため、どの店も絵で分かりやすく示してある。
有馬はこちらの文字も読めるが、数馬は読めないらしく、識字率の低さがむしろ有り難いらしい。
「いらっしゃい」
「こいつに合う靴が欲しいんだが」
店の奥で革靴を磨いていた中年男は、ふむ、と有馬の足を見る。
「24、いや、23と半分か」
「……!? あ、はい」
目測でサイズを当てられ、有馬が目をぱちくりとさせる。
「はは、長年やってると見ただけで分かるんだ。で、どんな靴だい?」
「こういう服に合いそうな普通の靴と、丈夫で軽いブーツを一足ずつ」
「2足も買うのか。高いぞ? うちは」
「構わない。予算はいくらあれば足りる?」
「そうだな、嬢ちゃんの大きさなら普通の靴は一足で400カル……材料によっちゃもう少し高くなるが。ブーツは丈夫な奴で1000カルだな」
「分かった」
数馬はポケットに手を突っ込み、金貨を一枚取り出して中年男の前に置く。
「釣りはいらんから、早めにいい靴を作れ。災難があって無くしちまってな」
「おやま、金払いのいい客だ。じゃ、お嬢さん、そこの椅子に座ってくれ」
有馬はこの世界の金銭感覚が分からないため、首を傾げている。
ちなみに硬貨は金貨・銀貨・半銀貨・青銅貨・銅貨・半銅貨がある。
魔法で製造するので、形も含有率も一定。元の世界の古代人が見たら狂喜するレベルの高水準を保っている。
ちなみに製法は機密事項で、国や大陸によって模様が異なる。
「じゃあ、足に合わせて靴を作る。それまではありあわせの靴を貸そうか?」
「頼む」
「分かった。後で選んでくれ――っと、触っても大丈夫かい」
「うぃ、大丈夫っす」
黒い靴下を履いた足に触れて、幅や高さを測って行く。
中年男の指の皮は固く、まるで肌が革で出来ているような感触だ。
有馬にも、なんとなくいい職人なのかな、と分かる。
「じゃ、どんな靴にするか決めようかね」
有馬はデザインはあまり拘らず、色や形だけ指定した。後は数馬があれこれ口出しする。
図面に起こしてみると、現代日本でも立派に売れるようなデザインが出来ていた。
「ま、そんな感じでよろしく頼む」
「あいよ。ああ、靴下も欲しいなら同じサイズで注文しといてやるが」
「そうだな。10枚くらい頼んでくれ」
「……おう。普通のと、ブーツ用の厚いの、5枚ずつくらいかね?」
「そうしてくれ」
「分かった。靴下代はいらんよ」
ありがとう、と微笑む。その笑顔に裏は見えない。
変わったなあ、と有馬は思った。少なくとも以前の猫を被った愛想笑いとは違うように見える。
「じゃ、靴借りてくぞ。いつになる?」
「普通の靴は明日の夜に出来るから、取りに来とくれ。ブーツは3日後の夕方だな」
「分かった。よろしく頼む」
ドアを開いて外に出る。早速中年男がうきうきと奥の部屋に引っ込んでいくのが見えた。
金払いがいい客だとやる気も出るというものだろう。
「……兄ちゃん、金貨1枚って日本円でどんくらい?」
「10万くらいだな」
「ッ!?」
思い切りむせた。
数馬の考察によれば、金貨が10万円相当、銀貨が1万円、半銀貨が5000円。
青銅貨が500円、銅貨が100円、半銅貨が50円程度らしい。
通貨の名前はカルで、半銅貨=1カル、金貨=2000カルとなる。
「じ、じゅっ、じゅうまん!? 靴2足に!?」
「金が有り余ってんだよ。見ろよこれ」
「……うわっ! 金貨しか無い!」
ほら、と開いて見せた上着のポケットの中は金色だけで輝いている。
ランラクルが驚愕し、有馬もその総額を計算しようとして諦めた。
ぱっと見ただけでも相当の数がある。
「全部で300枚あった。……有馬、いくらだ?」
「……さん……ぜん……まん」
若干計算が怪しいが、一応合っている。
「よくできたな。小遣いをやろう」
「いっ、いや、小遣いレベルじゃないってそれ!」
金貨は500円玉よりも大きく、有馬が親指と人差し指で輪を作った程度のサイズだ。
きらきらと光る金貨。10万円ともなると、一気に使う事は難しい。
「ま、どっかで両替するか。ちなみに銀貨が1万円、半銀貨が5000円、青銅貨が500円、銅貨が100円、半銅貨が50円くらいだと俺は思っている」
「へー……」
「俺らの意識で言うと、100円あればパンやらジュースやらが1つ買えるだろ。それを基準に考えて、まぁこんな感じだな、と。
ああ、ちなみに金貨300枚はあれな。失笑モノの伝説の剣売った金」
「……その手のアイテムにしちゃ安いような」
「そうだな。マイケル・ジャクソンの手袋だってもう少し高かったぞ。あー、金貨300と10枚くらいか」
「……手袋が金貨300枚!? ……そのマイケルって奴は聖人か何かか?」
ぶっ、と2人が同時に噴出した。
「ああ、確かにライブとか神々しいよね……っく、ふっ、ふふ」
「って事はあれか? 聖遺物?」
その言葉に、更に体をくの字に折って笑う。
にやにやと口元を歪める数馬の腕にしがみ付いてひいひい言う有馬を、なんともいえない顔でランラクルが見た。
「変人に見えるぞ」
掛ける言葉が見つからず、ひとまずそう忠告した。
有馬は暫く数馬に引っ付いたまま息を繰り返し、やっと笑いの波を抑える。
「っはー、死ぬ、ほんと、もー、ひどい」
何がひどいのか全く不明である。
「何がだ。ほら、しゃんとしろ」
ぽんぽんと背中を叩き、歩け、と促す。
やっと落ち着いた有馬は、何故かまじまじとランラクルの顔を眺めた。
「……何だよ?」
「いや、兄ちゃんが増えたみたいで面白い」
「同い年だろ……」
呆れた顔でそう言うと、数馬が素っ頓狂な声を上げる。
「え、お前ら同い年!?」
「言ってなかったか?」
「聞いてねえー……15かよ。俺と同じくらいだと思ってた」
ぽりぽりと頭を掻く。確かに、どちらかと言えば数馬とランラクルの方が同い年に見える。
「……カズマはいくつだ?」
「20だよ」
「……16か17、くらいだと思ってた。……サンドルと同じくらいかと」
「はぁああ!?」
どうやら大分、認識に齟齬があったらしい。
有馬は「だから平然とタメ口聞いてたのかー」と納得する。数馬とランラクルは、そのまま頭上で「老け顔めっ!」「なっ!? ……くっ、若作り!」と言い合いを始めた。
――その時。
「うぉあっ!?」
有馬が(若干男らしい)悲鳴を上げ、勢い良く後ろに引っ張られた。
非力な腕はあっさりと数馬から離れ、軽々と何かに引き寄せられる。
「有馬っ!?」「アリマ!」
同時に2人が振り向くと、既にその姿は無かった。
◆
有馬は飛んでいた。いや、有馬を抱えてい誘拐犯が飛んでいた。
いや、飛ぶというよりも、跳んでいる。
「……」
初対面の、しかも明らかに友好的でない相手と口を聞けるほど社交的ではない。
有馬は口を噤み、眉を顰めて思考していた。
(……逃げる? いや、空飛ぶのとか知らないし、抜け出たとしても……落ちるし)
屋根の上を飛び跳ねて、眼下には街の喧騒が見える。
落ちたらただではすまない高さだし、誰かを下敷きにしては大変だ。
(出来れば、こいつが止まったところで、逃げよう。うん)
正直言って怖い。こんな強引な手段で掻っ攫われるのは初めてである。
姿勢こそ所謂お姫様抱っこなのだが、空中でこれはなんとも頼りない。
誘拐された事よりも、この高さとスピードが恐ろしかった。
(ってかあの2人! 気配とか! 読め! 気付けっ!)
段々と恐怖が裏返って怒りが湧いてくる。
直後に一際大きなジャンプをかまされて再び恐怖に塗り換わったが。
「もう少しの辛抱だ」
風に紛れて聞こえた声に、目を見開く。
(っうわ、喋っ……)
「舌を噛むなよ」
(……た、あ、ちょおぉあ――ああぁああああ!!)
遊園地のアトラクション以上の、急速落下。
屋根を蹴り、弧を描いて跳躍し、そして落ちていく。
絶叫系には強いと思っていた有馬だが、この時ばかりはじっとりと汗を浮かべ、ぎゅっと閉じた目から涙を滲ませる。
「……ッ」
何故か誘拐犯が息を呑む。有馬は最早相手が誰なのかも忘れ、必死に顔を、体を押し付けて両手でしがみ付いた。
思わず神と仏とタキシー●仮面に祈り始めた頃に漸く、ダンッ、と着地した。
「っうぇ……」
ゆっくりと降ろされる。が、腰が抜けていてへなへなと座り込んでしまった。
誘拐犯は溜息を吐き、有馬の両脇に手を入れて再び抱き上げる。
子供扱いにも程がある抱き方だが、憤慨する余裕も無かった。
アジトらしき建物に入ると、窓の無い部屋へ連れて行かれた。
古ぼけたベッドに下ろされ、ばたんと扉が閉じる。そして外から鍵を閉める音がした。
「……なさけな」
地面に降りた時点で、逃げるつもりだったというのに。
未だに膝が笑っている。借り物の靴を見つめていると、鼻がつんとした。
「結局、守ってくれる人がいないと、ねぇ。あーあ」
ぼすん、とベッドに転がる。
「腹立つー」
腰が抜けた状態では逃げるに逃げられない。
いくら魔法が使えたって、本人がこれでは活用のしようも無い。
(何が目的なのか分かってからでも遅くない、かな)
目的が何にしろ、恐らく兄は助けにくる。――有馬は、助かる事を疑っていなかった。
その上で、相手の目的のパターンを考える。
1、金目当て。先ほどの話を聞いていて、金貨300枚を得ようとした。
2、勇者目当て。スーアルカルドの人間。
3、女目当て。可能性は薄いが、奴隷や、単純に性処理の目的。
4、傭兵団目当て。何らかの恨みがある。
5、有馬の能力(自然魔法/原始魔法/他)目当て。
6、アニマラーナの者。数馬とランラクルを誘拐犯だと誤解中。
(……普通に考えて金だよね)
金貨299枚。
宝剣にしては安いとは言ったが、大金である事は間違いない。
(まあ、兄ちゃんならなぁ。払うかな?)
数馬は合理的だ。下手に突入して有馬に怪我をさせるより、金を渡して穏便に済ませる可能性が高い。
勿体無いとは思うが、下手に勇者精神を発揮するよりも安全で確実だ。
しかし。
――自分に、金貨300枚もの価値はあるのか。
(兄ちゃんの事も捨てたようなもんだったし……っあー! もやもやする)
実を言うと、謝ろうと思っていたのだ。電話をして、説明と謝罪をしようと思っていた。
だから思いがけず兄がこちらにいた事で、出鼻を挫かれた。
兄は全く変わっていなかった。そのせいで未だに、謝るタイミングが見つからない。
(参ったな……ってか、今はそんな場合じゃない)
相手の目的が何にしろ、逃げ出せれば一番良い。
今のところ活用できそうなのは火・水・土・風等の自然魔法。それから、探せば居るであろう精霊。
原始魔法は練習中、言語・論理魔法は今だ簡単なものしか手をつけていない。
自然魔法と精霊魔法の手軽さにかまけてしまったのが悔やまれた。
(便利だけど、応用しにくいんだよねー……)
有馬の自然魔法は、体を動かす事でイメージを補佐している。だから、表現しにくい物ほど難しい。
更に言うと、体から離れた場所に出す事も出来ない。ちなみにベルやロボは動作無しに体から離れた場所に出す事が出来る。
どうやら現代人としての常識が邪魔しているらしいが、修練次第でどうにかなるらしい。
けれど実戦の場に来てからそんな事を言っても仕方ないのだ。
(ドア吹っ飛ばして、そのまま出たとして。追いかけてきたらアウトですよねー!)
流石にまだ殺人が出来るほど吹っ切れてはいないし、見知らぬ土地で逃げ切る自信も無い。
有馬は肉体面も雑魚同然だが、精神力も無い。安穏な世界で(兄に)甘やかされて育った有馬には、喧嘩の経験すら無い。
それに、うっかり殺してしまったら、と思うと攻撃するにも踏ん切りが付かないのだ。
水だって勢い良く出せばウォーターカッターになるし、風だって使いようによってはかまいたちのように凶器となる。
魔法は危険なものだ。今だ扱い方が上手くないのに、それを生物に向けたくはない。
(まあ、相手が話すつもりだったなら、聞くだけ聞いて――)
かちゃり、と鍵が開く音。有馬は体をばっと起こし、手を握り締める。
そしてドアが開き、誘拐犯が再び部屋に入ってきた。
甘やかす兄ちゃん。
……計算間違ってないかめちゃくちゃ心配です
そのうち表でも作ってみよう。