14 愉快な守護者たち
昼食の時間。ルネは我が物顔で有馬の太腿の上に陣取っていた。
足元にはロボが、どこか不機嫌な顔で伏せている。
有馬はルネの背を撫でながらも、どこか疲れた顔だ。
「……有馬?」
「あー……フォルテ。お疲れ」
「お前の方が疲れて見える。何かあったのか? ……その猫か?」
「ああ、うん……そうそう」
隣に座ったフォルテに、有馬はルネを抱き上げておずおずと述べる。
「……ネインクルス・アヴロニータ・ディアヴァルシアさんです」
「……は?」
その口から出た予想外の名前に、フォルテの思考が一瞬、停止した。
フォルテほどの立場なら誰だって知っている、その名前。
「つまり、魔王。元、が付くけど」
「……っはああ!?」
今度こそ目を見開き、フォルテは思わず大声を出す。
その反応を予想していたようで、有馬は小さく苦笑する。
「紹介された通り、私が前魔王だ。このたび有馬の飼い猫として契約を交わした」
「……っ飼い猫!?」
「おっと、正しくは守護者か。まあ死ぬまでの仲だし、よろしく頼むよ」
「は、……?」
「そういう訳だそうだから、あ、名前はルーンって呼んでね。ほんとは違うけど、契約名だから」
契約した相手のことは基本的に契約名で呼ぶ。
しかし他の者には元の名で呼ばれるのが常である。
ロボは契約名が他人に分からないような魔法をかけているし、ベルの名はそもそも他で出しておらず、ルネは他人にはルーンと呼ばせる事にした。
「ルーン……様。何故この国に? それと……元、とはどういう事でしょうか」
「ああ、呼び捨てで構わない。言葉通り、既に魔王位を退いているからな」
「…………っは!?」
ルネ――もといネインクルスは、それこそアニマラーナ建国当時から魔王として君臨してきた、生きた伝説である。
獣人族や他の種族にも怖れ敬われ、魔王派の種族の王たちは敬意を払い、立場上は同等でも丁寧に接すし、王位に就いた後等に挨拶に行ったりもする。
人間達には「悪い子は魔王に攫われるよ!」と脅しに使われるほど、絶対の悪であり畏怖の対象とされている。
それがあっさりと退位したと聞いて、フォルテは再び驚愕に目を剥く。
「ああ、本当なら魔王であるうちに会いたかったものだ。残念な事に蹴落とされてしまったのだがね」
「……蹴落とされっ……!?」
声も出ないほど驚いているフォルテを、有馬はニヤニヤしながら見ている。
「そういう訳でね。まあ、気楽に有馬嬢にじゃれて余生を過ごす予定さ」
「だそうで」
「いや……それは構わない、のだが……その、魔王位を奪還されないのですか?」
躊躇いがちに問うと、ルネはくっくっと喉を鳴らして笑う。
「いらん」
「いや、いらんって……」
「元々面倒だったのだ。それに、可愛い部下ももういない」
いない、というのは存在しないという訳では無い。
新たな魔王に忠誠を誓っているのだろう、という意味でだ。
「……そんな、まさか。新たな魔王がどんな者であろうと、突然出てきた者に忠誠を誓う訳が」
「あるのだよ。心でどう思おうが、証を持つ以上逆らう事は出来ないさ。そして無理に逆らって殺されるくらいなら従っていてほしい」
色違いの瞳が細められる。有馬はなんとなく可哀想になって、ルネのしなやかな体をぎゅっと抱き締める。
「おや、慰めてくれるのかな」
「か、かんちがいしないでよね」
物凄い棒読みである。
「ま、よろしく頼む、フォルテ」
「……はい」
フォルテは色々と聞きたい気持ちを押し込めて、頷く。
そもそも、元とはいえ魔王。逆らえる筈が無いのである。
「ま、あとは若い人に任せようじゃあないか、ロボ! お2人さん、どうぞ仲睦まじく」
「っな」「ちょっ……」
「ふむ、それもそうじゃ。少しは男の甲斐性を見せよ、フォルテ」
とんでもない捨て台詞を残した2匹を、2人は呆然と見送るのであった。
食事を配膳し終えると、クレイアは丁重に頭を下げて部屋を出て行った。
いつもなら甲斐甲斐しく給仕をこなしているのだが、2人に漂う微妙な空気を感じ取ったのかもしれない。
「……男の甲斐性って、何?」
「何だろうな……」
「浮気は男の甲斐性、とはよく言うけど」
フォルテは危うく口の中のものを噴き出しかけた。
「じ、冗談じゃない」
「だよね」
心臓のあたりがもやもやとする。甘酸っぱいな、と有馬は思った。
勿論味覚ではなく心情的な意味で、だ。
「……愛の告白でもしてみせろ、と?」
「! ……いや、その」
「フォルテにはまだ早いよね」
「どういう意味だっ」
僅かに耳のあたりが赤いフォルテを見て、有馬は緩く笑う。
(まさかとは思うけど、恋愛に関してはこっちが上手……なのか)
元の世界では、間違いなく遅れに遅れていた有馬である。
しかしながら片思い経験があるだけフォルテよりは上であった。
「いや、女性経験ゼロでしょ? あ、好きになったことは?」
「……無い」
「その割に時々口説くような台詞言うよね。天然か、まさか」
そう言いながら緊張感無くピラを頬張るのを見て、めら、と何かが燃え上がる。
「……」
「ん?」
こつん、とフォルテの手が肩を掠める。何だ、と横を見た有馬はびくりと肩を揺らす。
「何?」
妙に真面目な顔で見つめてくるフォルテに、どきりと心臓が跳ねる。
「……す」
「っ!?」
「き、かもしれない」
「おい」
全力で思わせぶりだった。
有馬はひく、と口元を引き攣らせてフォルテの頬を指でつつく。
「そこはちゃんと言おうよ」
「……いや……その。好きなのか何なのか……自分で自分が分からない」
「ああ、恋愛経験無いから……はぁ」
深々と溜息を吐く。フォルテは相変わらず耳元を赤くして、「すまない」と呟いた。
有馬は苦笑して、肩に手をぽん、と置いた。
「もし見てて動悸が激しくなったり顔が熱かったり他の人と喋って欲しくないと思ったりしたら言ってね!」
「何でそんなに楽しげなんだ」
「いや、フォルテめっちゃ面白い。あ、あと胸が締め付けられる感覚とかー」
「……それが恋なのか?」
「世間一般的にはこんなもんだと思うけど。ま、症状も人それぞれだよ、恋の病」
俳句になってるしと喜んでいる有馬も、人に教授できるほどに恋愛に達者ではない。
しかしフォルテにとってはそれすら目新しい知識である。
ちなみに王宮にはあらゆる種類の本がぎっしり詰まった図書庫があるが、残念な事にフォルテはあまり小説の類を読まない。
つまり物語の恋愛すら知らない男なのである。
「なら……」
「ん?」
「……いや。いい」
心の中で、密かに思う。
――それが恋だというのなら、とっくに。
「じゃあ、守護者殿とルーンによろしく頼む」
「うぃ。いってらっさい」
ひらひらと手を振る有馬に、小さく微笑んで返す。
妙に余裕ある態度に、有馬は首を傾げつつクレイアを呼んだ。
◆
城崎有馬の初恋相手は兄、らしい。何せ自分は覚えていない程の幼少時だ。
はたしてそれが恋愛と言えるのかは謎だが、よく「おにいのおよめさんになるー」とのたまっていたらしい。
兄は兄で「俺は亭主関白だぞー」と笑っていたそうだ。
ちなみに当時有馬3歳、兄は8歳。なんともませた子供である。
それからも数度の恋を経て、けれど中3くらいからは誰にも恋していない。
「っていうか、ベルは?」
「……はて。今日は見ておらぬが」
有馬は首を傾げて、杖の底の宝石を見た。
最初見た時の僅かな揺らぎはそこにあり、ベルがそこにいる事を示している。
「どーしたんだろ。ルネが怖いかな」
「それは無いよ。精霊が魔王を怖がるなんてさ」
「いや、元は妖精族だから怖いのかも」
杖をくるくると振り回し、でてこーい、と口を尖らせる。
「まあ、そのうち出てくるじゃろうて」
「うーん……」
諦めたようにテーブルに杖を置く。
何を思ったかルネはテーブルに飛び上がり、宝石をぺろりと舐めた。
「何してんの?」
なーぅと猫の声で鳴くルネに、怪訝な目を向ける。
ゆらりと宝石の周りが揺らぎ、一瞬だけ煌いた後――
「わっ!?」
有馬の方に向かって見慣れた姿が倒れこんできた。
「……む?」
思わず両手を突き出すと、手首を掴まれる。焦った有馬が顔を上げると、ふらふらと頭を揺らすベルが居た。ただし――
「うっわ! 何!?」
――大分、色合いが違う。
「……き、きもちわるい……っうぇ」
「どしたの? す、座って」
「う……っぷ」
くらりとよろめいて有馬の隣に座るベルは、白髪に褐色の肌――所謂ダークエルフのような姿になっている。
そして姿が妙にはっきりとして、声もいつもの響くような感じが無い。
「何……したんだ、よ……」
「ちょっと魔力を注いであげただけさ」
「……ッ……頭いった……」
何時もの飄々とした様子は何処へやら、両手で頭を押さえて呻く。
「大丈夫?」
「あ゛ー……」
「水は?」
「いる……」
有馬は壁際に置いてある低い棚の上から、水差しとコップを取る。
横の箱から氷を出して入れ、水を注いでベルに渡す。
魔術で冷却されている冷たい水を飲み干すと、ベルは気だるそうに溜息を吐いた。
「どんな冗談? 前魔王が猫の姿でやって来るって」
「おお、刺々しい」
「っていうか、この色! やだ!」
「それはそれでエキゾチックな魅力が無いでもないさ、精霊くん」
ぎろりと睨みつける目は灰色のままだ。
「男に褒められても嬉しくないなぁー」
「おっと有馬嬢、ご指名だ」
「はぁーい、ご指名ありが……何させんだ!」
見事にノリ突っ込みを決めた有馬。何故か拍手するベルとルネ。
「気が合うかも」
「そうだな」
途端に和やかな空気で拳と尻尾を合わせる1人と1匹に、ロボが盛大な溜息を吐いた。
「ま、しかし……有馬、一生命の危険無いよ、こりゃ」
「うん?」
「そうじゃのう。我1匹でも十分過ぎる程じゃが」
「精霊に神獣に魔王まで揃えといて勾引かされたら笑いものだよね!」
「まぁ、確かに」
有馬は口元に手を当ててはっとする。
(これは……フラグ)
どんなに優秀な護衛が居たとて、護られる方が有馬なのだからいくら注意しても足りない。
魔力があったって、有馬は有馬だ。体力無し、運動神経無し、どんくさい。
更に言えば注意力散漫、人の気配など読めないし、人を傷つける度胸も無い。
「……いや、気は付けてね?」
「うむ、もちろん」
「人間は脆いからな。気をつけるさ」
「一番弱い種族だしね、人間って。やっこいし」
うん、と頷きかけた有馬はベルの視線に気づく。
その行き着く先にも気づいて、ぐ、と片手を握り締めた。
「腹を見ながら言うなっ!」
「ぐぇ」
見事に鳩尾を直撃する拳に、ベルは人間に対する認識を改めかけた。
「とはいえ、実は私も魔力を半分以上奪われた状態でね。回復にはかなりかかるな」
「ええー」
「僕も随分長く篭ってたから鈍ってるし。マナが使えるから前よりは強いと思うけど、元々戦闘向きでもないし」
「……」
「ふむ。じゃあ今は我だけが即戦力という訳か」
「そうか?」
そんな会話を聞いて益々不安が高まるのであった。
ニヤニヤ展開は書いててニヤニヤするので楽しいです。
あんまりニヤニヤ出来なかったらすいません。精進します
最初は300行弱くらいずつ書いてたんですが、段々短くなってますね。
どれくらいが丁度良いんでしょう。