12 おつかれさま
昼食になってもフォルテは帰ってこなかった。
どうやら今日中に片付けるべきものも多いらしく、机にかじりついているらしい。
「そういう訳で私も忙しく……なかなか魔法をお教えできず、すみません」
「いや、いいって。半分あたしのせいだし」
「そんな事はありませんよ。殿下のせいです」
そう言ってにっこりと笑うシヴァにも、何となく久しぶりに会うような気がした。
それだけ忙しいのだろう、と有馬は同情する。
「それに、本日中には落ち着く予定ですよ。ああ、あと――こちらを」
「……本?」
シヴァが二冊の本を手渡す。
両方合わせて4センチメートル近い厚さになる本だ。
最近覚えたこちらの文字で、それぞれ“論理魔法の手引き”、“言語魔法呪文参考書”と書かれている。
「よければどうぞ。守護者殿かクレイアに読んでもらえば読めるでしょうし」
「ああ、あたし読むのはなんとかなるようになったよ」
「……はい?」
「言葉ももうちょっと慣れれば、翻訳魔法といてもいいって」
受け取った本をぱらぱらと捲る有馬に、絶句する。
こちらに来てまだ一週間足らず。確かにロボは“あと2日ほど”とは言っていたが、半信半疑だった。
「……一体どういう教え方を?」
「睡眠学習?」
「物凄く気になるんですが……では、そろそろ」
暢気に手を振って、どこかふらふらしながら出て行くシヴァを見送る。
疲れてるんだな、と的外れな事を思いながら。
午後からは言語魔法の勉強がてら、その本を音読してみる事にした。
「えーっと。本書における魔法はいわゆる現代魔法を指す」
言語魔法は文字通り言語が重要な魔法である。
はっきりと綺麗に発音しなければ発動しなかったりするので、発音テストの代わりにもなる。
有馬はややたどたどしい発音で音読しつつ、時折杖を取って魔法を試し打ちしていく。
「……《風よ、渦巻け》」
空中に小さな旋風が生まれる。
「おお、出来た」
杖をくるくると振って、嬉しいのか嬉しくないのか分からない声を上げる。
マナが掻き回されて光り、ついでに風が発生して旋風を打ち消した。
「……あ」
『ありゃ』
どうやら自分で作ったものでも、現代魔法より自然魔法の風が勝るらしい。
有馬の得意不得意によるものかもしれないが。
「んー……《火よ、灯れ》…………《灯れ》!」
「力むでない。言いなおしたら無効になる」
「《火よ、灯れ》!」
杖の指す方向の空中に、ぼっ、と赤い火が生まれる。
「で。こうすると」
左手の指をつい、と振る。青い炎が赤い炎を薙ぎ、打ち消した。
「……ふむ?」
「ところで、火って温度が高い方が青くなるんだよ。知ってた?」
『へぇー! そうなん……あれ?』
何かに気づいたベルが、ぽかんと口を開ける。
「あと、金属を燃やすと色が違う火になるんだよ」
「ほう。面白いな」
豆知識を披露しつつ、両手で炎を出したり打ち消したりする。
横で茫然としていたベルが有馬の肩をがしりと掴んで叫んだ。
『ちょ、ちょ、ちょっと! 両方一度に使えるの!?』
「え、使えないの」
「普通は無理、というかそもそも魔法は一度に1つしか発動出来ないものじゃが」
『そうだよ。複合魔法を作るなら兎も角、同時発動なんて……』
珍しく余裕の無さそうな様子に有馬はニヤニヤしている。
自分が常識を堂々と蹴り破った事は特に気にしていないらしい。
「でも、種類の違う魔法だからだと思うよ」
『……あぁっ!! そうか! そんな簡単な事に……!!』
ベルがばっと立ち上がり、ゆったりした服のどこかから杖を2本取り出す。
どちらも白色のエーテルで作られた品で、金属や宝石の飾りがついていて見事な品だ。
「おお?」
『《火よ灯れ》!』
短縮された詠唱だが、しっかりと右の杖の先に炎が生まれる。
ベルは美しい顔をきりっと引き締め、左の杖を振った。
同色の炎が杖の先に現れ、その顔がみるみる喜色満面になる。
『で……出来た! 出来たーっ!』
「はいはい、おめでとう」
全力ではしゃぐベルを生温かい目で見る1人と1匹。
『うわぁ……有馬! いや、ブランカ! 最高!』
「何だかよくわかんないけど、はしゃぎすぎ」
『だって! だってね! 一度に2つ魔法が使えるなんて!』
――魔法を同時発動する、という発想は無い訳ではなかった。
しかしその研究は既にされていない。何故なら、現代魔法においては明らかに不可能だからだ。
同時に2つの呪文を唱えられる者はいない。顔が2つあれば別かもしれないが。
論理魔法も魔法式を展開して発動するには集中しなければいけないし、同時に2つの式に意識を向ける事は不可能。
よって先人は、同時に発動するより2つの効果を持つ複合魔法を作る方が良いと判断したのである。
尤も複合魔法はかなり難しい上に使用魔力も単純な合計ではなく、使える人間も限られるのだが。
「まぁ、滅多に使わない方がいいよね」
「そうじゃろうな」
『あー。目立つし……いや、複合魔法に見せかければいいんじゃない?』
「あ、そっか。なるほどなるほど」
日本人らしくひたすら拘りつつ、有馬とベルは自然魔法と現代魔法の同時使用について研究していく。
ちなみにロボは自然魔法や原始魔法も使えるが、現代魔法には手を出した事が無いらしい。
彼からすると細かい過程が面倒なのだそうだ。
普段使っているのは特殊魔法に近い。神の血と一緒に得た能力だ。
いわゆる神術や神聖魔法と呼ばれるもので、生物を直接傷つけるが出来ないが、それなりに応用が利く。
尾の一振りで連発できるため、同時使用の必要はあまり無い。
「できるだけ動作に差を無くして――っていうか、一度に発動できれば……」
『片手は隠しておいて、袖の中でちろっと動かすだけに――』
「いや、流石にまだ対象に向けないと難しいし――」
真剣な顔で工夫を繰り返す2人を暫く見ていたロボだが、やがて瞼を落として昼寝に入った。
◆
「殿下」
一方のシヴァは、仄かに疲れを滲ませた顔で呼びかけた。
「……何だ? 俺は忙しい」
「見れば分かります。……アリマ様の事なのですが」
シヴァ以上に疲れた顔で書類を捲っているフォルテの肩が、ぴくりと動く。
「何かあったか」
「いえ。……学ぶ速度が速すぎるのです。本人曰く、睡眠学習との事ですが」
「学ぶ……ああ、言葉の方か?」
「ええ。もう少し慣れれば翻訳魔法を解いても構わない、と」
胡乱げな顔でシヴァに顔を向け、聞き返す。
「慣れれば? つまりもう理解はできていると」
「そういう事でしょう」
シヴァの方は諦めの境地に至ったような顔で、執務室のソファに腰を下ろす。
そして目の前のテーブルに積みあがった書類に手を伸ばし、溜息を吐く。
「守護者殿は、どういう教育方法をしてるんだ……」
「ですから、睡眠学習だそうです。私には意味が分かりませんが」
「夢の中で教えている、とか」
「へぇ。で、どう効率が上がるんです?」
「……そうだな」
2人はそれきり黙りこんで、時折事務的な会話を交わしつつも書類を捌いていった。
日が落ちる頃になっても、書類はまだ残っていた。
尤もこの部屋に窓はなく、外の様子を窺い知る事は出来ないが。
「1度、夕食に戻るとするか」
「……どうぞ。ああ、私の分も頼んでおいていただけますか。軽いもので良いですので、ここに」
「あぁ」
精根尽き果てた表情で、フォルテはゆらりと立ち上がり、シヴァはがくんと机に突っ伏す。
「ここまでくると、いっそすぐに戴冠式を執り行いたくなりますね」
「しっかりしろ」
あまりに迷走した言葉に、フォルテは思わずその背中を軽く叩いた。
「いやあ、この国まで呪いたくなりますね、全く」
「……貴族の前で言うなよ、絶対に」
恐ろしく弛緩しきったシヴァは、放っておけば色々と危ない発言を繰り返しそうだ。
今日1日で何度も溜息を吐いたが、フォルテは一際深い溜息を吐く。
「……というか、別に遅らせなくとも良かったのではないかと、思うんだが」
「何をおっしゃいますか……今更。どうせ慣習のせいで3ヶ月は掛かるのですから、倍に伸びたって大して変わりません」
この国では王位を継ぐ前に、準備期間を設けている。建国時から続く慣習だ。
王となるには国民の信頼を得てから、という名目で国王代行として執務などを行う。
期間は3ヵ月。無事に勤め上げてやっと、戴冠式。
尤も、勤め上げられなかった国王は今だかつて居ない。
それでも愚王と呼ばれた者が存在する事から、あくまで慣習でしかないのだろう。
――またこの期間には、もう1つの目的がある。
5代ごとの国王が伴侶を召喚し、この世界に慣れさせ、序でに親睦を深める。
召喚する資格を得るには、王位を継承する事が確定しなければいけない。
つまりこの代行期間の間に召喚する訳で、自然と期間は重なるようになっているのだ。
「そうか……まぁ、良いんだが。フォローは頼んだぞ」
「分かっていますよ」
まあ、今となっては殆ど形骸化したようなもので、王の顔見せの意味合いが強い。
されど今のこの国やフォルテ達にとっては、全くもって都合が良い慣習だった。
「……兎に角、打てる手は全て打つ。出来るだけ先延ばしだ」
「殿下こそ、貴族の前でそんな事は絶対に仰らないでくださいね。勘違いされますよ」
「そうだな。じゃあ、暫く休め」
6ヵ月の間に、せめて尻尾だけでも掴まねばならない。
3代前の国王――愚王、狂王と呼ばれ悪名高いバルガス。
かつて彼に賛同した者や、彼の信奉者たちの残党を、全て消し去るために。
「ええ」
突然すぎるダグラスの死も、明らかに関連した事だと2人は確信していた。
何せダグラスは死のたった一ヶ月前、やっと仕上げだ、と笑っていた。
――お前には苦労を残さずに済む、と。
「お気遣い、ありがとうございます」
扉の閉まる音を聞くと、シヴァはテーブルの上に突っ伏したまま寝息を立て始める。
どこか人間離れしたような彼だが、こうしていると――何となく年相応な、受験疲れの学生のように見えた。
疲れきったフォルテを出迎えた有馬は、妙に機嫌が良かった。
「座って座って」
「……ああ」
なんとなくその言葉に違和感を抱いたが、疲れで考えるのも面倒なフォルテは一先ず椅子に座った。
「あ、クレイアさん呼ぶ?」
「呼んでくれ。ああ、ついでに執務室のシヴァにも軽食を」
「うぃ」
有馬は壁にかけられた通信用の魔道具に触れる。
魔道具というのはつまり、魔術によって魔法を込められた道具だ。
三角錐のような形の底の部分を口に近づけ、用件を伝える。
残念ながら一方向の通信しか出来ないが、クレイアには必ず伝わるようになっている。
受信する方の魔道具はクレイアがアクセサリーとして身に着けているのだ。
「フォルテ、疲れた?」
「……それはもう」
「おつかれー。肩をもんであげよう」
有馬はいそいそとフォルテの後ろに回り、両手で肩を揉みはじめる。
以外にも力強いその手が凝った肩を揉み解していく。
「上手いな」
「にーちゃんに鍛えられまして」
ぐいぐいと、体重をかけるように押す。
ぱらりと黒髪がフォルテの肩に落ちてきて、離れていく。
今だに染み付いたシャンプーの香りが、フォルテの鼻を擽った。
「そうか。そういえば兄が居るんだったな」
「うん。肩揉めとか、腰踏めとかよく言われた」
「……仲が良いんだな」
「そこそこね。まぁ、血の繋がった人の中では一番信用してたよ」
相変わらずの控えめな表現で言うが、有馬の兄に対する信頼は絶大だった。
兄は数馬という名前で、5歳年上の20歳。一応は社会人だ。
自宅の近くで小さな喫茶店を経営する傍らで小説家をしている。
有馬よりも頭も顔も良く、猫被りではあるが非常に愛想が良かった。
幼い頃からその彼に可愛がられて育った有馬は、色んな点でその影響を受けている。
「有馬とは似ているのか?」
「性格はちょっと似てると思うけど、見た目はあんまり」
「そうか」
猫を被っていない素の数馬は自分と妹本位で、口が悪く率直、適当だが要領が良い。
けれど有馬には優しく、唯一の理解者であり家族であり、叱ってくれる人間だ。
「……あたしってさあ」
「?」
「我ながら、奉仕の心が足りないんだよね」
数馬も有馬も、親や祖父母のことが嫌いだ。
理由は特に無いが、2人の趣味や嗜好は似ている。だからたまたま2人が嫌うタイプの人間が家族だった、としか言いようが無い。
「……まぁ、喜んで尽くすようには見えないな」
「うん。だから、自分で肩を揉んであげよーと思ったのは初めてだから」
感謝しろ、とばかりに言う。フォルテからは見えないその表情は、少し恥ずかしげだ。
「ありがとう」
その言葉を聞くと、照れたように笑ってフォルテの後頭部に額を寄せる。
こつんと頭同士がぶつかり、吐息が首筋にかかった。
「――っ!」
フォルテが驚いたように目を見開く。有馬としては殆ど無意識の行動で、気にもかけていない。
兄とはしょっちゅうくっ付いていたし、この程度ならスキンシップの内にも入らない。
尤も、正面から抱き締められたのはフォルテが始めてだったが。
「あんまし、無理しないで、ねー」
「……ああ。……ん?」
「んー?」
その時、フォルテはやっと違和感の正体に気づいた。
「言葉……もう喋れるのか」
「あ、うん。違和感ない?」
「全く無かった。……本当に早いな。どういう教え方をされたらそうなるんだ」
「よく分かんない。寝てる間に覚えてたような……」
その時、ノックの音が響く。どうやらクレイアが食事を持って来たようだった。
有馬はぱっと顔を離して椅子に座る。横のフォルテは離れた温もりをどこか名残惜しく思いながら、ぐったりと背凭れに体を預けるのであった。
ちろっと裏事情を出してみました。
ところでバルガスとダグラス、ごっつい名前でしかも若干音が被ってしまった。
自分で間違えないように気をつけます。変える気は無し。