意思あるところに道は拓ける
夏の高校野球県大会二回戦。
第一シード九州学芸館高校対県立海明高校。
試合は7対0で九州学芸館高校がリードしたまま終盤を迎えていた。
七回表、海明高校の攻撃。
この回で一点も奪えなければ、コールドゲームが成立してしまう。
レギュラーで唯一の二年生、加藤清春は、ネクストバッターズサークルから先輩の打席を見つめていた。
「ストライク! バッターアウト!」
プロ注目の右腕を前に、海明打線は手も足も出ない。
ツーアウト、ランナーなし。
ついに清春へ打席が回ってきた。
(くそっ……。絶対につないでやる! 俺で先輩たちの夏を終わらせるわけにはいかない……。このチームで……もっと野球がしたいんだ!)
意気込む清春だったが、相手投手はここまでノーヒットピッチング。二回と六回に四球での出塁を許しただけだ。
清春はバットを握り直し、打席へ向かった。
ズドンッ!
「ストライク!」
豪速球が一直線にキャッチャーミットへ突き刺さる。
(だ、駄目だ……。まるで打てる気がしない……)
心が折れかけた、その瞬間──
脳裏に幼馴染みの美咲の笑顔が浮かんだ。
『意思あるところに道は拓ける』
それは二週間前のことだった。
◇
「よっ!」
県大会の組み合わせ抽選が終わり、第一シード九州学芸館高校との対戦が決まった日。
帰宅した清春を、自宅の前で待っていたのは幼馴染みの美咲だった。
「なんだ、なんだ、その暗い顔。それでも高校球児かぁ?」
美咲が茶化すように笑う。
「高校球児だって落ち込むときくらいあるさ。それより美咲、今日学校は?」
珍しく、その日は学校を休んでいた。
「ふふ……ちょっとね」
どこか意味ありげに微笑む。
「ズル休みか?」
「まあまあ。それより、落ち込んでる清春くんに、成績優秀な美咲さんがいい言葉を教えてあげましょう」
「いい言葉?」
「『意思あるところに道は拓ける』」
「意思あるところに……?」
「どんな困難でも、やり遂げるっていう強い意思があれば道は拓ける、って意味」
「やり遂げる意思……」
「そう。日本って、大きな災害や戦争を経験しても、そのたびに立ち上がってきたでしょ? 私は、そういう『諦めない強い心』が日本人にはあると思うの」
「諦めない心……」
「だから清春にもある。第一シードだからって、試合をする前から負けるなんて思っちゃ駄目。諦めたら、その瞬間に道は閉ざされちゃう。でも意思があれば、きっと道は拓ける」
「いや……相手も日本人だけど」
「……あ、バレた?」
美咲は吹き出すように笑った。
その笑顔が、少しだけ寂しそうに見えた。
「私ね……入院することになったの」
「入院……?」
その一言で、清春の胸がざわつく。
美咲は笑顔を消し、静かに言った。
「白血病なんだって」
「……え?」
「今日、検査結果が出たの。すぐ入院して治療を始めるって」
清春は言葉を失う。
「抗がん剤を使うから……髪が抜けることもあるみたい」
美咲は、肩まで伸びた艶やかな髪をそっと撫でた。
「だから、無理を言って会いに来たの」
「俺に?」
「……好きな人には、一番綺麗な姿を覚えていてほしいじゃない?」
「好きな人って……」
「あっ……」
美咲は口を押さえた。
「しまった……言っちゃった、言っちゃったかぁ~」
「美咲……」
「へ、返事はまだいいから! 本当に!」
耳まで真っ赤にしながら、慌てて両手を振る。
「でも……言っちゃったなぁ」
恥ずかしそうに笑ったあと、美咲は小さく息を吸った。
「よし! 私、絶対に治す」
その瞳には、さっきまでとは違う強い光が宿っていた。
「告白して死ぬなんて、死亡フラグみたいだし。それに、私が死んだら清春が呪縛にとらわれるでしょ。だから死ねない……私、頑張る! 清春も絶対に諦めないで」
美咲は力強く笑った。
「──意思あるところに道は拓ける、だから」
◇
ズドンッ!
「ストライク!」
二球目の豪速球にも、清春のバットは動かない。あっという間にツーストライク。
相手投手が三球目のモーションに入る。
(『意思あるところに道は拓ける』……か)
右腕から放たれた白球に、タイミングを合わせる。
(美咲……)
バットを振り出す。
(それって、日本人の言葉じゃねぇじゃん!!)
ボールが手元まで来た、その瞬間、鋭く曲がった。
(しまった! スライダー!?)
キンッ!
かろうじてバットの先に当てる。
「ファール!」
(危ねぇ……。今ので終わってたら、あいつに合わせる顔がねぇ)
深く息を吐き、バットを握り直す。
(『意思あるところに道は拓ける』──俺の意思って何だ?)
四球目。
キンッ!
またしてもファール。
(ここでヒットを打つこと……? いや違う! 好きな人が命がけで病気と闘ってるんだ……。だったら、俺の意思は──)
相手投手が渾身の力で腕を振る。
(九州学芸館に勝つことだ!)
甘く高めに入ったストレートを、清春は迷いなく振り抜いた。
カァーンッ!!
乾いた快音が球場に響き渡る。白球はぐんぐん伸び、真夏の青空に高く舞い上がった。観客席から歓声が上がる。
ドォン!
清春の打球はレフトスタンドへ突き刺さった。
◇
この年の夏、全国では数々の強豪校が、地方大会で姿を消した。
その中でも、九州学芸館高校対海明高校の一戦は、高校野球史に残る大逆転劇として語り継がれることになるだろう。
だが、激闘で燃え尽きた海明高校は、勢いそのままに勝ち進むことはできず、三回戦で涙をのんだ。
一年後。
「みんな、まずは初戦だ。落ち着いていこう」
春のセンバツに出場し、県大会で第一シードとなった海明高校。ベンチ前で円陣を組み、キャプテンとなった清春が仲間たちを見渡す。
(『意思あるところに道は拓ける』──一年前、俺の意思は『九州学芸館に勝つこと』だった……。でも、今年は違う)
「俺たちの目標は甲子園優勝だ!」
力強い声が響く。
「だけど、そのためには一戦一戦、一球一球を積み重ねるしかない。目の前のプレーに集中しよう!」
「おう!」
力強い返事が重なった。
その様子を、野球部のマネージャーとなった美咲が、ベンチから穏やかな笑顔で見守っていた。
「意思あるところに道は拓ける」
小さくつぶやく。
その言葉は、一年前に自分へ、そして清春へ贈った言葉。
今、その言葉は海明高校野球部全員の道標になっていた。
──彼らの、新たな夏が始まる。
「意思あるところに道は拓ける」
元々は「Where there's a will, there's a way.」という西洋の古い諺です。
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